11 お前のためなんかじゃない
ひとりで酒杯を傾けていれば、ふっと背後に気配を感じた。
「隣、いいかな?」
何も返事をしなかったが、相手はそれを了承と取って、長い卓の隣席に腰を下ろした。アスト酒を――と酒場の主人の注文し、それが運ばれてくるまで、彼らは無言だった。
「報告書は、上げたよ」
新来者は言った。
「わざわざ、君のために二通作った。目を通しておくかい」
卓上に置かれた書類を少しの間じっと眺めてから、改めて彼は、新来者に目を移した。
「控えを作るのはかまわんが、持ち歩くな」
「服務規程に触れる、と?」
ふん、と男は笑った。
「そういうことを君に言うのが、私の役割だったと思うがね」
「何をしにきたんだ? アイヴァ」
ビウェル・トルーディは書類を手に取ると、かつての相棒を呼んだ。
「ラウセア君には涼しい顔をしてみせてたけど、内心ははらわた煮えくりかえってるところだろう。慰めにきてやったんじゃないか」
アイヴァ・セイーダは肩をすくめてそう応じた。
「余計なお世話だ」
「煮えくりかえっている件は、特に否定しない、と」
「うるさいな」
言うとビウェルはアスト酒をあおって追加を注文する。
「例の廃墟の件。こちらから言わなければ、上はこのままで終わらせるよ。本当に、それでいいんだね?」
「町憲兵隊が総力を挙げて何になる? あの野郎はもう街を去った。俺たちでは追えない。だいたい、関係しているという証拠は見つからない」
「生存者から話を聞ければよかったんだけどねえ。かろうじて生き延びた者は、みんな、とんずらだ」
アイヴァは肩をすくめた。
「みんな、ね」
その繰り返しに、ビウェルはじろりとアイヴァを睨んだ。
「何か言いたいことがあるなら、言え」
「山のようにあるよ。端から全部、話そうか?」
「いや、やめろ」
初めて組んだときからの苦情をとうとうと語られてはたまらない。ビウェルは手を振った。
「……無難な仕上げだな」
その代わりに彼は、アイヴァの持ってきた報告書の写しに目を通した。
「相変わらず、こういったことはお得意か」
「まるで何か小細工をしているような物言いはよしてもらおうか。事実を事実として書くだけだ。時折、意見は挟むがね」
「『逃亡者たちの隠れ家だったと見られる』『農村から食糧を強奪していた模様』『地下空間の補強は素人によるもので、崩落は事故』」
ビウェルは何行かを読み上げた。
「何か問題が?」
「ちんぴらどもが集まって、何するってんだ」
「さあ。悪だくみだろう、たぶん」
「チェレン果ばかり大量に盗んだと?」
「あとの方で、さばくつもりでもあったんだろうと書いてるよ。巧いことやれずに腐らせたんだろうと」
「――あれは事故、か」
「事故だろう?」
アイヴァはかすかに、笑った。
「そう言ったのは君だ、ビウェル」
「ああ、そうだな」
何杯目になるのか、彼はアスト酒の杯をもてあそんだ。
「事故だ」
「これを提出したよ。今夜中なら、修正が利くけれど」
「要らん。充分だ」
ビウェルは書類をアイヴァに差し出した。うなずいて、元相棒はそれを受け取る。
「すまなかったな」
それからビウェルは、そう言った。アイヴァは目を丸くする。
「熱でもあるかな?」
「ええい、触るな」
ビウェルは苦い顔で、額に触れようとする相手の手を振り払った。
「いまのは、お前に謝罪した訳じゃない。文句のひとつもあったろうに、お前を信頼したカルンに謝ったんだ」
「カルンはおそらく、何か勘づいてるよ。その上で、黙っている。伊達に私と組んでいない。君と違って、賢いから楽だ」
「人のことは放っておけ」
余計な一言にビウェルはそう返した。
「ラウセアは、何も勘づいちゃいない」
ぼそりと呟く。アイヴァは片眉を上げた。
「それならここで、彼にも謝罪しておくんだね」
「……そうするか」
何とも素直に、ビウェルは謝罪の仕草などした。アイヴァは少し笑う。
「可笑しいか」
「可笑しいね。君は案外、人が好い。話をすればラウセア君は、きちんと事実を受け入れられるだろうに」
「馬鹿を言うな。あいつが衝撃を受けんようにと気遣ってやってる訳じゃない」
「判ってるよ。君はひとりで、抱える気だ」
アイヴァは杯を差し上げた。
「もっとも、ここにもうひとり、事実を知る人間がいることは忘れないように」
「脅迫でもするか?」
「それもいいね。あのことをばらされたくなければ……とやれば、ずいぶんと君の優位に立てそうだ」
澄ました顔で、アイヴァは言った。ビウェルはふんと鼻を鳴らす。
「事実の隠蔽。これだけで充分、犯罪行為だ」
「そうなるね。望ましからぬことに、私も共犯ということになる」
でも、と彼は続けた。
「君の言う通り、総力を挙げて追うことはできない。あの先生はもうアーレイドにいないんだからね。それならば町憲兵隊では何も気づいていないことにして」
そこで少し、アイヴァは間を置いた。
「――個人的に、追えばいい」
「はん」
ビウェルは笑った。
「そいつは、逸脱行為だな」
「うん、そうだね。いまのは、一般的な話に過ぎないよ」
あっさりと彼らは言い合った。
「ねえ、ビウェル」
「何だ」
「本気じゃないだろうね?」
「何がだ」
「私が言うのは」
アイヴァは杯を置き、真剣な瞳で同僚を見た。
「君が、ここを離れるつもりじゃないだろうね、と」
「馬鹿なことを言うな」
ビウェルは一蹴した。
「俺は、この街の町憲兵だぞ。ここでできることをやるだけだ」
「――それを聞いて安心したよ」
ほうっと彼は息を吐く。
「私も協力しよう。君は好きじゃないだろうが、魔術師に知人がいる。頼めば、手を貸してくれるかもしれない」
「魔術師、か」
ビウェルは嫌そうな顔をしたが、そのあとで仕方がないと頭を振った。
「俺の好みは、どうでもいい。確かに魔術なんざ好かないが、この状況では有用だろう。誰かしら信頼できる情報屋でもいれば……別だったが」
「ヴァンタン君のことを考えているんだったら」
弱くなった口調に、アイヴァはその名を出した。
「自分を責めるなよ。仕方なかったんだ。君のせいじゃない」
「阿呆。俺が気にしてるとでも言うつもりか」
ビウェルは唇を歪めた。
「あの野郎は、ひょっとしたら本当に馬鹿なんじゃないかと思ってたが、間違いなくその通りだったことを自分で証明しただけのことだ」
「……安心したよ」
アイヴァはまた言った。
「君がどれだけ理不尽な話に腹を立てているか、いまの言い様でよく判った」
「お前は、人の話を聞いていないのか?」
「全部、聞いているよ。究極の意地っ張り殿。それとも、嘘つき妖怪かな?」
アイヴァは肩をすくめた。
「本気で、諦めないつもりだね」
「ああ。だが、それは俺だけでいい」
「残念だね。私も参加する気でいる」
「お前は、数に入れてない」
「はいはい。既に共謀者という訳だね。言っておくけれど、ラウセア君だって馬鹿じゃない。君の様子がおかしいことには気づくだろうし――」
「どうにかしろ」
「私がかい? カルンの方も、ごまかさなけりゃならないのに」
「得意だろうが。嘘つき妖怪はお前の方だ」
「失敬だな。私は嘘をつくんじゃなくて、真実に少しばかり手を加えるだけだ」
「余計、性質が悪い」
「頼んでおいて、貶めるのか?」
「……悪かった」
むっつりと謝罪すれば、アイヴァは苦笑した。
「とにかく、まだ終わりじゃない。これからだよ、ビウェル」
「判ってる」
「それなら改めて。久方ぶりに君と組むことに」
すっとアイヴァは杯を上げた。少し黙って、ビウェルも倣った。
「それから、どっかの馬鹿にだ」
「同感だ。そうしよう」
杯は合わされず、彼らはそのまま、胸の内に浮かぶものと酒とを一緒に飲み干した。
ビウェルはふっと、背後を振り返った。静かな店内の向こう、窓の外に夜のアーレイドが見える。
(あとは頼むよ)
(旦那)
声が聞こえた気がした。
「ビウェル?」
「何でもない」
町憲兵は、前に向き直った。
彼の街は、ここだ。
街を守るために為すべきことは、変わらない。
お前のためなんかじゃない、とビウェルはもういない相手に毒づいた。




