表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幸運の果実  作者: 一枝 唯
第3話・最終話 始末 第3章・最終章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

97/100

09 私、てっきり

 それから――ひと月。

 中心街区(クェントル)で起きた火事のことなど、日々の忙しさに紛れてしまう。その事件が人々の話題に上ることはほとんどなくなっていた。

 時間は流れ、記憶は薄れていく。当然のこと。

 どんな意味であっても、それを印象の強い出来事として心に残しているのは、関わった者だけだ。

「……元気、ない」

 ぽそりと聞こえた言葉に、ラウセア・サリーズははたとなった。

「ごめんね、忙しいのに」

「えっ? あ、違うよ、こっちこそごめん、少しぼうっと」

「だから、疲れてるんでしょ」

 ナティカは心配そうにラウセアを見た。

「わざわざ予約してくれて嬉しいけどさ。私だけ楽しんでも嬉しくない」

「まさか。楽しいよ。ただ、いいのかなって」

「何か悪いことある? お休みなんでしょ? あ、それともほんとは重大事件、抱えてる? ほんとは、とても休んでいられないとか」

「いいや、大筋では、アーレイドはこのところ、ずっと平和」

 制服を着ていない若い町憲兵は、穏やかな笑みを見せた。

「うん、正直なところ、ちょっと事件のことを考えてた。ごめん」

「うーん、何て言うかさ」

 ナティカは両手を組んで肘を卓につき、そこにあごを乗せて向かいの相手を眺めた。

「私といるときは私を見てよと思わないと言えば嘘なんだけど。でも、ラウセアの好きにしてもらいたいとも思うよ。気になることがあるなら、私との約束を後回しにしても怒らないから。あ、でも待ちぼうけは嫌だから連絡は入れてね」

「ナティカ」

 彼は少し困惑して、少女を見た。

「いいのかい、そんなで」

「だって、私が好きになったのは、街のことばっかり考えてるラウセアだもん。私のことを思ってくれたら嬉しいけどさ、それでラウセアがらしく(・・・)なくなっちゃったら、私には矛盾(レドウ)が訪れると思う訳」

 複雑ね、と彼女は肩をすくめた。

「仕事上の決まりで『話せない』ってこともあるだろうけど。たとえば『こんな酷い話を聞かせる訳にはいかない』なんてのは、なしね。抱えないで」

「――有難う」

 話せないことばかりだ。守秘義務はもちろんあるし、やはり、聞かせられないと思うことも多い。

 たとえば、半月前ほどに起きた、北方の、捨てられた古い館での事件。街の外の話で、町憲兵隊の任務と直接には関わらない。

 だが、崩落を起こした館の地下にあった十五体の死体は、アーレイドの住民だった。町憲兵隊に追われたことのあるような若いちんぴら連中ばかりで、ここ一年は顔を見なかったと言う。

 いったいその地下に潜伏して何をしていたのか、何か壮大な計画を企むような悪党ではなかったとの話で、全容は謎に包まれたままだった。

 仮に反逆でも目論んでいたところで、首謀者たちが死んだのだから追及の必要はない、崩落はただの事故だということで、その件はうやむやに終わろうとしていた。

 しかしそこには、気にかかる事実もあった。

 地下からは、腐った大量のチェレン果が見つかったのだ。

 ラウセアはすぐにヘルサレイオスのことを思い出し、息巻いた。だと言うのに、ビウェルは驚くほど冷淡な反応を見せた。調査の続行すら、主張しなかった。どうしたのかと問うても、うるさいと返るだけ。

 あの事件の間、ビウェルはラウセアに全てを話してくれていた。なのにいまではどうしてか、彼が新人の頃のように、言わないことの方が多くなっているように感じる。

 年上の相棒は何かを掴んでいる。だがそれをラウセアに言わない。もしかしたら隊長にも。

 ラウセアはそう考えたが、聞きだすことは不可能だと判っていた。ビウェルが、彼に教えてもいい、或いは手助けしてほしいと――口にすることは有り得ないだろうが、心の奥ではそう思って話をしてくる日を待つしかない。

 これは、ナティカには言えない話だ。

 ビウェルは、必要なときがくればきっと彼に告げてくると、ラウセアは相棒を信じていた。そのときまで、疑念は彼だけの胸に秘める。何も約束してなどいないが、そうすることが信頼だと考えていた。

 相棒の態度を除いても、事件のことはあまり言えない。

 秘密だと言うのではないが、裏の見えない、不気味な話だ。

 現状、謎を謎のままで放置せざるを得ない、町憲兵隊がそんな頼れない組織であるとはとても告白できない。

 これは見栄などではない。

 彼らを――彼を信じてくれる少女を不安にさせたくはない。

 いつの日か、真相を暴くことができれば、そのときは全てを話そう。

 だが、いまは言えない。そう思っていた。

 それでもラウセアは礼を言った。表面上のものではなく、そう言ってくれる少女の気持ちが嬉しかったから。

「でも、びっくりしちゃった」

 ナティカは雰囲気を変えるようにおどけて両手を上げた。

「〈黒革籠手〉亭なんて、賞与が出たときに思いきって一度きただけよ。何かよっぽどの理由がないとこれないと思ってた」

「予約が必須だからね。でも、高級でどうしようもないと言うほどじゃないし」

 ラウセアも話題の変更に乗った。

「きちんと話すには、こういう場所がいいかなと思って」

「何を?」

「僕とおつき合いしてくださいと」

 言うとラウセアは、葡萄酒の杯を掲げた。ナティカは目をぱちぱちとさせて、少し顔を赤くした。

「私、てっきり」

「てっきり?」

「もう、つき合っているものと」

「うん、まあ、僕もそう思ってはいたんだけど」

 ラウセアは応じた。

「きちんと言わないと伝わらないこともある、とトルスにたきつけられたものだから」

「……トルスめ」

「いいお兄さん、だね」

 ひと月前ほどのあの日、彼女とふたりで〈青燕〉を訪れたのは特に「逢い引き(ラウン)」ではなかった。だがトルスはあのときラウセアが「また今度」と言ったことを忘れず、約束は果たせよと迫った。

 それがきっかけとなって、彼らは時間があるごとに――主に、時間を作らねばならないのはラウセアであったが――食事をしたり、一緒に出かけたりするようになっていた。

 そのことは、重くなった青年の心を軽くしてくれた。

「厳しいときに君に慰められた、そのことに甘えて、何となく一緒にいるという感じにしたくなかったんだ。言うべきことは、きちんと告げたい。いつ――」

 ふとラウセアは言葉を切って、首を振ってやってくる給仕に目をやった。

「料理がくるようだね。こういう雰囲気は慣れてないから、僕が何か間違ったら教えてくれ」

「私も大して、慣れてないわよう」

「でもいつも、接客や味に点がからいじゃないか?」

「トルスの影響みたいなもんね」

「そうか」

 ラウセアは笑った。

「それじゃ、僕らにできる範囲で頑張ろう」

「うん、そんなとこで」

 ふたりは曖昧な決定事項にうなずき合った。

 ――いつ、何も言うことができなくなってしまうものか、判らないから。

 ラウセアはその言葉を飲み込み、大方のところ――本当のことではない話――を聞いているナティカも、追及しなかった。

 彼らはただ、互いに何も言うことなく献杯をして、それから目の前に置かれた瀟洒なひと皿についての話をはじめた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ