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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第3話・最終話 始末 第3章・最終章

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01 納得、いかねえ

 日常の暮らしに戻れば、ルキン邸での出来事など奇妙な夢であったかのように感じてしまう。

 あれから、数日が経った。

 〈青燕〉亭はいつもと変わらぬ、大繁盛とは行かないまでもそれなりの繁盛をしていた。

 ロディスはほぼ完全に復帰したが、相変わらずシェレッタは手伝ってくれて、トルスはほとんど食堂よりも厨房にいることが増えた。

 だが知った顔があれば、客席にも顔を出す。

「はあい、トルス」

「こんばんは、トルス」

「よう、お揃いで」

 若い料理人は思わずにやりとして、ナティカとラウセアに手を振った。

「うちなんかでデート(ラウン)たあ、ちょっと色気がねえんじゃねえの」

 町憲兵は制服姿ではない。つまり、仕事で訪れたのではないと判った。

「ちっ、違うわよ! そんなんじゃないんだからっ」

 ナティカは慌てて手を振った。

「たまたま、会ったから、ねっ?」

「ええ、まあ」

「ふうん。たまたま、ねえ」

「本当だってば。すぐそこで会ったのよ。ねっ?」

「ええ、まあ」

 ラウセアはどこか曖昧な返答を繰り返した。何も一緒にやってきたことをトルスにごまかす必要はないはずだ。若い町憲兵の態度がはっきりしないのは、ナティカが嘘をついているからとか、そういうことではなさそうだ。

「どうかしたか?」

 そんなふうに考えたトルスはラウセアを見た。

「何か、様子が変じゃねえ?」

「……いま、ちょっといいですか、トルス」

 真顔でラウセアは言った。

「見りゃ判んだろ。忙しけりゃ俺はこんなとこに出てこれないし、どの席にも皿は載ってる。一段落してるとこだよ」

 若い料理人はそう応じた。

「あ、飯は? 定食でいっか?」

「うん、お願い。お腹空いちゃった」

 ナティカは手近な席を取った。ラウセアはそれに少し頭を下げて、トルスを店の片隅へと促す。何だろうかと思いながら、彼は厨房の父親に注文を伝え、その要望に従った。

「で、何」

「その様子だと……何も聞いてないですね」

「は? 何を」

 トルスはもっともな問いを返した。

「あの日の夜のことなんですが」

「あの日の夜?」

 ラウセアの言葉を繰り返して考えてみる。あの日というのは当然、あの日だろう。彼らがルキンの館に入り込んで騒ぎを起こした――或いは、起こせなかった日。

 考えてみたが、その日の夜に何かあったなど、特に思い当たることはない。素直にそう言えば、町憲兵は息を吐いて、少し間を置くと口を開けた。

「ルキン邸が火事に遭いました」

「な」

 トルスは目を見開いた。

「何だって?」

「主人は留守でした。使用人は逃げて無事、館は半焼に近く、不審火だということで調査も入り……」

「ま、待った待った」

 トルスは泡を食った。

「火事? 不審火ってつまり」

「放火の、可能性があります」

 ファドックが静かに言えばキドは息を吐いてうなずいた。

 その話は少年にも伝わっていた。王宮の方では、貴族たちの話題に上がったことだったのだ。

 少年は自らの主に見聞きしたことを全て話し、厳しい叱責を受けていたが、キドはファドックが頼み込むまでもなく、どこかの貴族がその調査に制止をかけたということを由々しき問題と考えた。

 しかし何者かが町憲兵隊に圧力をかけて調査を禁止したという不祥事を伯爵が城に上げるよりも先に、火事が起きたのである。

「恨みを持つ者の仕業という方向で町憲兵隊は調査しているとか。だが、恨んでいるのならその対象は主だろう。いないときに火つけをするものかどうか」

「それならば事故ですか?」

 少年は肩をすくめた。

「誓ってもいい。あの場所に火の気はありませんでした」

 火元は地下だという話だった。怪しげな地下室が存在した、ということは消火隊の調査で知れることとなり、〈噂好きは人の(さが)〉という言葉の通り、その地下では何か後ろ暗いことが行われていたのだと言われ出していた。

「だが〈怪我が招く善事〉と言うのだろう」

 キドは呟いた。

「誰が町憲兵隊を留めようとしたのであっても、町憲兵隊は調査に入るからな」

 火つけは大罪だ。その可能性ありということになれば消火隊の調査書は町憲兵隊のみならず王城にも回る。そうなれば、幸いにして、と言うのか。町憲兵隊だけで握りつぶすことはできない。

「けれど、全部、燃えた。死んだ男と消えた男の痕跡も、違法性がないとは言え、警告の対象になり得る薬瓶の群れも」

 全部、とファドックは唇を噛みしめた。

「もう遅い」

「そうだな」

 キドはうなずいた。

「その件に関しては、やはり町憲兵隊はまだ動けないだろう。しかし私が問題を提示すれば、ルキンと手を組んでいた人間も考え直さざるを得ないはずだ。火つけの犯人を捜査する過程で、何が出てくるか判らなくなったこともある」

「本当に、その何者かが手を引けば」

 少し期待を込めて、少年は顔を上げた。

「件の町憲兵も地下で目撃したことを公にできます。そうなれば」

「アヴ=ルキンも二本目の尻尾を巻かざるを得ないだろう」

「そう簡単に、行くのかよ?」

 不審そうにトルスは返した。

「あの野郎、腹立つくらい自信たっぷりだったじゃねえか」

「正直、彼が頼みにしていた背後次第です」

 ラウセアは息を吐いた。

「王城の調査にまで口出しができる力を持つ人物であれば、われわれはやはり、沈黙することになる」

「そんなの」

 トルスは唇を歪めた。

「納得、いかねえ」

「誰も納得なんかしてないんですよ」

「黙ってたら同じじゃねえか」

 容赦なく彼は指摘したが、ラウセアを責め立てても仕方がないことは判っていた。

 彼は組織の一員であり、上の決めたことに逆らう訳にはいかないのだ。現実問題、義憤を燃やして逆らってみたところで、意味がない。ビウェルのほのめかした通り、私刑にでもするしかないのだ。

 トルスの気持ちとしては、それで留められるのならばそうしてやっていいのではないかと思うが、彼らはそうはいかないだろう。

(ここに火をつけて全てが片づくんなら)

(俺はやったっていい)

 ふっと、ビウェルの台詞が耳に蘇った。

「……おい」

「はい?」

「まさか、あいつ、やったんじゃねえだろうな」

「は? 誰が、何をですか」

「いや……まさか、な」

 いくら何でも、ビウェルが放火をしたりはしないだろう。それくらいだったら、正面からルキンに対峙して斬ることの方を選びそうだ。

 だが、それならば。

「いったい、誰がやったんだ?」

「それは……」

 ラウセアは目を伏せた。

「地下からは遺体がふたつ、見つかりまして」

「ふたつ?」

 トルスは顔をしかめた。

 あの場にひとつ、死体があったことは彼も知っている。だが、ふたつとは?

「じゃ、もうひとつが」

 火つけの犯人か。

「それは、調査中、です」

 ラウセアはそう応じると、息を吐いた。

「身元も含めて」

「そ、か」


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