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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第3話・最終話 始末 第2章

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11 必ず、尻尾がある

 いったい、それはどういうことだと考えれば、よかったのか。

 落ちていた鍵束を拾い上げ、奥にひとつだけある扉を開いた彼らの前に現れたのは、いくつもの木箱だった。

 ビウェルは無言でそのひとつを開け、なかのものを取り出した。

 それは彼らが目にしたことのある、底の丸い小さな瓶だった。

 しかしその中身は、ヘルサレイオスと思しき茶色い液体ではなかった。トルスがシェレッタから話を聞いていた、臭い消しの薬剤ニーファンヤと思われた。箱に張り付けられた紙にはそう書かれていた上、強い刺激臭はヘルサレイオスにはないものであり、色もいくらか異なった。

 箱の数は全部で十二個に及び、シャントの制止を無視して三人はそれらを全部開けたが、取り出されたのは同じものだった。

 そこで立てられる推測は、〈海獣の一本角〉号の積み荷であった薬剤が、下町の薬屋と中心街区の店を回って旅の商人に行き渡り、それからルキン邸にやってきた、ということだけだった。ビウェルですら、それ以上の難癖をつけられなかった。

 医者が消臭剤を必要とする理由は判らなかったが、ルキン当人が欲しがったのではなく、使用人の要望で買ったのだと考えることはできる。

 ただ、買いだめをしておくにしても、多すぎた。こんな地下の奥に隠すようにしまっているというのも不自然だ。

 とは言え不審な点はそれくらいであり、滅多に手に入らないから買っておいたとか、地上階の置き場がいっぱいなのだとか、そんな理由はいくらでもつけられる。

 自然な点はどこにもないが、何も追及できない。

 彼らがこの件に絡んでからこっちと言うもの、ずっとまとわりついてきた感覚が、ここでも生じた。

「クソ」

 一度だけ、小さく一度だけそう呟くと、あとはビウェルは黙ってしまった。

「何なんだよ」

 むっつりとトルスは言った。

「おかしいじゃねえか!」

 彼は叫んで、木箱を蹴った。

「医者がどうすんだよ、こんなもん!」

「知りたけりゃ、訊いてみろ」

 どこか投げやりにビウェルが応じた。

「納得いかないが反論できない答えを寄越してくれるだろうさ」

「てめえ、何、拗ねてんだよっ」

「何だと」

「そうじゃねえか。手出しできないとなったら、途端にしゅんとすんのかよ。いつもの横暴ぶりはどこ行ったんだっ」

「あいつは黒だ、間違いない。独断で処刑できるだけの権限があれば、とうにやってる」

「馬鹿なことを言うな」

 隊長が諫めた。町憲兵は肩をすくめた。

「多すぎる」

 ファドックはそう言うと、首を振った。

「だが、それだけだ」

「そうだな」

 ビウェルは同意した。

「多すぎ――」

 そこで町憲兵は、言葉をとめた。

「……三箱」

「何だって?」

「〈一本角〉が積んできたのは、三箱だ。……どうして、その四倍もある?」

「ほかからも買った、それだけだろう」

 シャントが返した。

「四倍――」

 ファドックは、取り出していたひとつの瓶と、箱の大きさを見比べた。

「セル・トルーディ」

「何だ」

「高さから考えると……ひと箱に四段ほど、瓶が入りませんか」

「……何」

 素早く動いたのは、トルスだった。彼は梱包材を引っかき回し、二段目と思しき場所に手を突っ込むと引っ張り出した。

「ビウェル、見ろ!」

 若者は最初に取り出した瓶と、二段目のそれを右手と左手に握って、町憲兵に突き出した。

「――中身が、違う」

 ファドックとビウェルも手近な箱で同じことをやった。同じように、異なる液体の入った瓶が現れた。

「クソ!」

 今度は力強く、ビウェルは叫んだ。

「情けねえ。密輸の、よくある手口じゃないか」

 いちばん上にだけ何の害もないものを乗せて、検査の目を逃れる。何とも初歩的なやり方だ。ビウェルは気づかなかった自身を叱咤した。

「もう、やめろ」

 暗い声でシャントが言った。

「何も見つからなければいいと思っていたが……」

「おい、それでも街を守る町憲兵隊長なのかよ!」

 トルスは瓶を握り締めて叫んだ。

「これがヘルサレイオスとかなら、明らかにやばい薬だろが! 違法かどうとかじゃなくて」

「違法でなければ町憲兵隊は動けないよ、トルス」

 ファドックが口を挟んだ。

「彼らは法を守る立場なんだから」

「可能なのはせいぜい警告。最初から考えていた通りでは、ある」

 ビウェルは息を吐いた。

「だからこそ、ほかのやり方で懲らしめてやるつもりだったが……」

「向こうの方が上手(うわて)だった。そういうことだ」

 静かにファドックが言った。

「そういうこともこういうことも、あるか!」

 トルスはヘルサレイオスの瓶を床に投げつけた。がしゃん、と瓶が割れて液体がこぼれる。

「――全部、ぶっ壊してやる」

「やめろ」

 素早くビウェルが制した。

「何だよ! こんなものが出回ってもいいのかよ」

「いいはずがあるか。だがそれ以上、俺たちの前でそれをやれば」

「ルキン氏の財を破壊したという罪で、私たちはお前を捕らえなければならなくなる」

 シャントが続けた。トルスは口をぱかっと開ける。

上手(うわて)だったんだ」

 ファドックは繰り返した。

「見たければ見ろ、知りたければ知れと言ったのは、僕らに何もできないことを知っているから」

「それで、終わらせるのかっ」

「終わりだ」

 ビウェルが言った。

「ここから出ていることを承知で、出回ったものを駆逐していくしかない」

「んな、馬鹿げた話が」

 あるものか。トルスは思った。いや、誰もが思っている。だが、どうしようもない。

「トルス。気持ちは同じだ」

 少年が言った。

「だが、理解してくれ。いまこの場にある薬を全てなくしてしまったとしても、薬は違う場所で作られる。僕らが罰せられるだけだ。いや、罰を怖れるんじゃない」

 彼は片手を上げてトルスの反論を制止ながら続けた。

「それを見逃した隊長とセル・トルーディの立場も悪くなる。彼らが降格や、解雇になれば?」

「な、何言って」

「事実を知る人間がいるといないとでは、取り締まりの厳しさが違ってきてしまう。順当に手続きを踏む形でなく隊長の交代劇でもあれば、町憲兵隊の内部は混乱する。その隙に、犯罪も増える」

「は、よく考えやがる。やっぱり、生意気なガキだ」

 ビウェルは天を仰いだ。

その通りだ(アレイス)。ここに火をつけて全てが片づくんなら、俺はやったっていいが」

「おい、トルーディ」

「やりませんよ、隊長。俺が首を……『職を』じゃない、本当の意味で首を賭けたって、根本的な解決にならないこたあ判ってる」

 ここにある薬を破壊することは、一時しのぎだ。解雇や処刑、それとももしかしたら闇夜に背後から刺されるようなことを怖れずにルキンに反したとする。しかし、そうして得られるものは少ない。ファドックの言う通り、事実を知る人間が減ることは、ルキンに与することにもなる。

「どんな力ある貴族からの根回しがあったのだとしても、いつまでもそのままにはしない」

 言ったのはファドックだった。

「町憲兵隊からは無理でも、僕の方から、王城に報告をしてもらいます」

「何だと?」

 驚いた顔をしたのは、シャントだった。

「お前は、いったい」

「ある閣下に仕える者です。彼は決して、ルキンに与さない」

 少年は、そうとだけ答えた。隊長はうなる。

「そんな繋がりが、あるのか」

「そっちに頼るなんざ、気に入らないが」

 ビウェルは唇を歪めた。

「そうするしかないな」

「何者の仕業かを突き止めるのに、時間はかかるかもしれない。でも、必ず」

 終わらせない、とファドックは言った。

「んじゃ、諦めるんじゃ、ないのか」

「正直、しばらくは追えん」

 苦々しくビウェルは言った。

「だがほかにも必ず、尻尾がある。追える限りのものは追う」

「ティオが、いれば」

 少年は息を吐いた。

「あの足で、どこへ行ったのか。……ユークオールも」

 答えは出なかった。

 ビウェルはティオを探すことを約束したが、見つけられるとは思えなかった。

(好きにするといい)

 彼らには何もできまいという、自信に満ちた声が脳裏に蘇る。

 敗北感があった。

 目の前に大量に存在する証拠は、何の犯罪の証拠にもならない。ルキンはそれを知っているからこそ、隊長をはじめとする彼らに見せた。

 監禁の証人であったティオは姿を消し、もしかしたら翌日にでも港に揚がるかもしれない。だがそこにルキンと結びつくものはないのだろう。

 そしてこれ以上の手出しは、町憲兵隊には不可能なのだと言う。

 ここまで入り込んだのに、ここから出て行くものだと判っているのに、出た先でひとつひとつ潰していかなければならない。

 ビウェルは、自身が町憲兵であることをこれほど悔しく思ったことはなかった。無頼者であれば、トルスの案に乗じてこの場にあるものを破壊し尽くしてやるのに。

 ファドックもまた、キドに迷惑がかかるという怖れがなければ、同じことを望んだ。しかしファドック個人ではなく「キド伯爵の養い子」である彼には無法な真似はできない。

 トルスには、そういう意味で怖れるものはなかった。だが彼がそれを行えば、宣言通りにビウェルとシャントが彼を捕らえるのだろう。何の意味も、ない。

「この場は終わりだと言わざるを得ない。だが」

 ビウェルが呟いた。

「まだ……終わらせん」

 両の拳を握り締めた町憲兵と、トルスもファドックも気持ちは同じだった。

 だが若者のどちらも、そこにビウェルらしくない虚勢の響きがあるのを感じた。感じてしまった。

 無力感は――同じだった。


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