07 紹介してやってもいい
〈夕星の導きには夕刻までに従え〉。
ヴァンタンはすぐさま商会に戻って、ルキン邸の使用人のために見本を用意してもらおうと考え、足早に店へと向かっていた。
「ちょっと! 兄さん、そこの兄さん」
背後の叫び声が特に自分宛とは思わなかったが、何だろうかと思えばつい振り返ってしまうのが人の性というものである。
「ああ、やっぱり、あんたか」
ところが思いがけず、その声はヴァンタン宛であったようだ。ひとりの男が彼に向かって走り寄ってくる。
「うん?……ええと」
どこかで見たような顔に、彼は首をひねった。
「ああ、あんときの」
思い出すと青年は、ぽんと両手を打ち合わせた。
「偶然だな。でも、いまはちょっと急いでんだ。また偶然会えるといいな。じゃ」
そう言って彼は走り出そうとした。だが、その袖口が掴まれる。
「まあまあ、そう言わずに」
「いや、用があんだよ、まじで」
どうしてもいますぐ必要だと言うのではないが、早いに越したことはない。
「悪いけど、今度にしてくれ。あんたの商ってる品は知らないけど、何であれ、俺は客にはなれないし」
そう、この相手は、彼が〈青燕〉亭で、チェレン果の病とその村に死人が出たという話を聞いた――旅の商人、だった。
「何かを売りつけようと言うんじゃないよ。もしかしたら、例の果実について、話の続きを知りたいんじゃないかと思ってね」
「続き?」
そのほのめかしは、商会へ戻ろうという方向に傾いていた心の天秤を揺らした。
「いったい何の話なんだ?」
彼は顔をしかめた。
「それがだねえ」
商人は考えるように腕を組んだ。
「アヴ=ルキン、てお偉い医者の先生が関わってる、ってなところかな」
それは、餌付きの釣り針も同然だった。ヴァンタンは瞬時に食いつく。
「まじか!? 何か、確実なネタがあるのか。聞かせてくれ!」
「確実も確実。俺はあの先生のところに品を入れてるんだからな」
「へえ、どんな品」
「いろいろだが。昨今は、あれだ」
商人は肩をすくめた。
「ニーファンヤ」
「隠れんぼ?」
「そういう名前の、臭い消しの薬剤さ」
何故だか笑いながら、商人――リクテアーはそう言った。
「へえ」
知らぬヴァンタンは、そうとだけ返した。
「まあ、それはいいから」
彼は本題に戻そうとする。
「ルキンが……先生が関わってるってのは、どういう話なんだ?」
「あの先生はな、ときどき、北の方に行くらしい」
「北?」
「それがまた、奇妙なところなんだ。昔は何とか言う貴族の別荘だったらしいが、火事か何かでみんな死んじまってな。後継者もいなくて、処理をする奴もいなくて、周辺じゃ化け物が出るなんて噂もあって、誰も近づかないような廃墟」
「……そんなとこに、何しに行くんだ」
「お化け見物って訳でもなかろ。――地下にでも何か、あるんじゃないのか」
素知らぬ顔で、リクテアーは言った。
「そうそう、この街のお屋敷にも、秘密の地下があるけどな」
「何?」
ヴァンタンは眉をひそめた。
「何でそんなこと、知ってる」
「そこに納品してるんだよ」
ごく普通のことだとばかりに商人は肩をすくめ、内緒だぞなどと言った。
「気になるかい?」
「なる……けども」
しかめ面のままでヴァンタンは首を振った。いったいどうして、秘密の話など簡単にばらすものか。
「ちょっと待てよ。チェレン果の話につながらないぞ」
彼はそこを指摘した。
「つながるとも」
リクテアーはうなずいた。
「臭い消しの薬剤を扱ってると言ったろ。こっちの館にも入れるがね、北の廃墟にも、入れるんだ」
「場所を知ってるのか?」
「もちろん。教えられんが」
「そう言わずに……いや、待て。だから、つながらないと」
「つながるとも」
商人はまた言う。
「ルキンは腐った果実をその廃墟に集めてる。当然、そこでは酷い臭いがするわなあ」
そこで消臭剤が必要、というのが説明のようだった。
「集めてる」
ヴァンタンは繰り返し、そして考えた。
「果実を集めて、種を……」
種を取り出せば、鎮痛剤が作れる。労力がかかって、効果が弱くて、誰もわざわざ作らない薬。作ることも売ることも違法ではない。
(それか?)
人数を集めて、廃墟とやらの地下で作業をしているのか。違法ではないのに隠れる理由は? 医者の倫理にはもとるが、評判を気にするのならばそんなことをしなければいいだけだ。大した金儲けにもなるまい。
どうしてわざわざ?
「気になるかい」
再び、リクテアーは問うた。
「二度も会ったよしみだ。ルキン先生に紹介してやってもいい」
「しょ、紹介だって?」
「そうさ。人手が要るという話を聞いた。北の地下でも、ここの地下でも」
「人手――」
馬鹿みたいに繰り返してしまう。
突然の展開だ。周辺をうろちょろするしかなかったのに、いきなり懐に入り込めると?
紹介してやろうか、と商人はまた言った。これは掛け布の話よりも確実かもしれない、とヴァンタンは考え込んだ。




