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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第3話・最終話 始末 第2章

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05 お前の企みは

 ファドックは、鞘に収めた剣の柄に再び手をかけた。

 トルスは顔をしかめてサリアージを見る。

「何だよ。さっきは一言も口を利かなかったくせに。俺と話す価値はないってか、ああ?」

 思わずトルスはそんなことを言ったが、別に仲良くお話ししたい訳でもない。言葉のあやという辺りだ。

「犬ではない、と」

 少年は繰り返した。

「では、何だと言うんだ? 猫だとでも?」

「おいおい」

 こんな巨大な猫がいたら、怖ろしいを通り越して笑ってしまいそうだ。いまのはファドックの冗談――と言うか、一種の皮肉なのだろう。

「教えてやったところで判らぬだろう」

 サリアージはまず、そう返した。

「お前の知らぬ世界……というところだ」

「ルキンは、それを僕に教えてくれるそうだが」

「知りたいか?」

 サリアージはあごを反らした。

「いくらかは、見せてもらったようだ」

「馬鹿なことを」

 男は笑う。

「捕らえられた実験体を目にした程度で、何かを見たつもりか。だが仕方がないな。何も知らぬのだから」

「実験体? って、何だ?」

「ここに捕らえられている人たちのこと、らしいな。――実験体とは知らなかったが」

 ティオが言おうとしていたのはその話だったのだろうか、とファドック少年は思った。

(例のヘルサレイオスの実験体か?)

(合法的な薬であっても、監禁して強制的にそれを与えているのであれば、充分、処罰の対象だろう)

(いいや、監禁だけで、十二分)

(ここはやはり――)

 ファドックは心を決めた。距離を測る。犬の横を抜けて、数ラクト。

 ユークオールの隙をつけるか。犬はじっと彼を見ている。だが。

(やってみなくては判らない)

 彼は床を蹴った。犬はぴくりとしたが、その対象が自分ではないと見て取ったか、応戦の態勢は取らなかった。

「お、おい」

 トルスは焦った。ファドックが俊敏にサリアージのところまで距離を詰めると、反応しきれない男の背後に回り、抜いた剣をその首筋に当てたからだ。

「ユークオールに、そのままでいるよう、命じろ。トルス、いまの内に外へ」

「……おいおい」

 即断即決即実行は大した度胸だと思うが、こちらがついていけないではないか。若者は少しばかり呆れた。

「トルス、町憲兵を呼べ。早く」

 現状、町憲兵隊がアヴ=ルキンに関して一切手出しができなくなった――などと、地上のやり取りを知ることなど当然ない少年は、そう言った。

「お、お前がやばいだろ、こんな」

「抜剣のことなら、罰を受ける覚悟はある」

「そうじゃねえよ。いや、それもあるけどよ。その」

 トルスは犬を見て、黒い肌の若者を見た。

「二対一じゃねえか。俺がいれば、二対二」

「いたところで、役に立てると思うのか?」

「この野郎! 言っていいことと悪いことがあるぞ!」

「本当のことだろう! うろちょろされるより僕ひとりの方がましだ。早く行けって!」

 サリアージが抵抗する様子はなかった。ユークオールも動く様子はなかった。ファドックは行けと繰り返し、トルスは躊躇いがちに――従った。

「いいか! すぐ戻るからな。無事でいろよ、ボケ!」

「心温まる台詞で、嬉しく思うよ」

 ファドックが返せばトルスはもうひとつ毒づいて、それから走った。

 犬は追わなかった。男も、制止の言葉ひとつ発さなかった。

(何か……犬に命じる仕草でもあるのか?)

 少なくともサリアージは、ユークオールに対する命令の言葉を口にしていない。「行け」も「待て」も、何も。

 しかし先ほどは、犬は明らかにトルスを追ったのだ。

(侵入者は追うが、出て行くのならば追わないとでも?)

(それとも、サリアージやルキンの前では、彼らの命令をただ待つ……のだとか)

 ファドックはいくつか考えてみたが、真相は判らなかった。

 まだ。

「どういうつもりなのかは知らないが、このまま大人しくしていてもらう」

 剣をぴくりとも動かさないまま、少年は言った。

「お前とルキンがどんな企みを持っているにせよ――」

「企み」

 く、とサリアージは笑った。

「ルキンの企みなど、大したものではない。お前が考えている通り、あれの望みは金と力、それだけだ」

「では」

 ファドックはその背後で続けた。

「お前の企みは? ルキンとは違うものがあるとでも?」

「企み」

 サリアージはまた言うと、また笑った。その肩が震える。

「先ほどの話に戻そう、少年よ。ユークオールは犬ではない」

 無論、猫でも――と男は言った。

「この世の生き物ではない、という説明はお前を納得させるかな?」

「何を言っているんだ」

 少年は眉をひそめた。

「この世のものでなければ、幽霊(ベットル)だとでも?」

「成程。近いやもしれんな」

 男はそう応じた。少年は思い出す。いつの間にか彼の背後を取っていた、ユークオールのこと。

「僕の聞くところでは」

 彼は首を振った。

「幽霊はあまり、実体を持たないとか」

そうだな(アレイス)。近いと言っただけで、正解(レグル)だとは言っていない」

 言うとサリアージは不意に、無造作に上げた右手でファドックの右手首を掴んだ。

 これは、刃を喉元に当てられている状態において、危険きわまりない選択と言える。だが、その危険度は脅迫者――ファドックの方に殺意があるかどうかで異なってくる。

 少年は、脅すつもりでしかなかった。そこを見破られたか。それとも、彼が剣を振るうよりも早く、力ずくで刃を離せる自信があったのか。

 ファドックよりも体格のいいトルスを楽々と投げ飛ばした細い男は、やはり全く力など入れていない風情のまま、刃をファドックの手首ごと、下方に追いやってしまった。

 ひときわ強く、手首が握り締められる。骨まできしむような痛みに、少年の手から愛用の剣が落ちた。ユークオールがのっそりと動き出すと、落ちた剣を口にくわえて、容易には手の届かない遠くへぽんと放ってしまう。

(何だ……こいつら)

(言葉はもとより、何か仕草をした様子もないのに)

(――通じ合っているみたいだ)

「さて、少年」

 そのままの態勢でサリアージが声を出した。

「改めて、度胸は見せてもらった。判断力も立派なものだ。心も強い。だが、まだ力が足りない。そのことについて、自分ではどう思う」

「反省すべきところを反省してこれからも頑張ります……とでも言えばいいのか?」

「それも悪くない。だが」

 サリアージは右手を放さぬまま、舞踏でもするかのようにくいっと身を反転させ、ファドックに向き直った。腕がねじられ、苦痛が襲う。少年は顔をしかめたが、うめき声を洩らすことは耐えた。

「望むだけの力量が身につくまで、どれほどかかるかな? 五年、十年、二十年? いや、無理だろう。お前は慢心せずにいつまでも上を見続ける気質だ。苦労を苦労と思わない、おそらくそうだろうな」

 だが、とサリアージはまた言った。

「いますぐ、望む以上の力が手に入るとしたら?」

「……何だって?」

「力をやろうかと言っている。これはそろそろ、限界だ。はじめの内は威勢もよかったが、次第にやせ細り、いまでははっきりとした指示を受けねば、まともに動くこともできない。お前ならば保つだろう。それだけの潜在力がある」

 その言葉の意味は、判りかねた。いったいこの男は、何の話をしているものか。

「判らぬか。そうであろうな、判らぬだろう」

 ユークオールが、動いた。サリアージの隣で、ファドックを見上げた。黒い肌の男よりも強い目線を感じて、少年は犬の方に視線を移した。

「サリアージの代わりに我が使者となれば、お前の未来は未だかつてない開けたものとなる。どうかな、ファドック・ソレス」

 言葉が発せられたのは、サリアージの口からだった。だがその言葉はほかでもない、ユークオールのものであること――少年は、理屈ではない何かで、感じられた。


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