04 適当に始末を
階上から、男はそれを見ていた。
「間に合ったようで、何よりだ」
そこに得意気な表情などは、浮かんでいなかった。町憲兵の捜索を避けたということはルキンにとって、せいぜい、撒いた水が暑さを払ったとでも言う程度の感覚しか呼ばなかった。
「その後、どうだ」
窓から室内に視線を戻し、アヴ=ルキンは問うた。
「チェレンは」
「収穫の最盛期は過ぎましたからな。あとは例の廃墟で種を保管しておけば、当分は保つでしょう」
「では、それ以外はどうだ、リクテアー?」
ルキンは相手を見た。商人は目をしばたたく。
「それ以外、とは」
「果実を過剰に熟させる薬剤をチェレン以外を扱う農村にも売りさばいたのだろう?」
「これはこれは。お見通しでしたか」
リクテアーは肩をすくめた。
「安値で配りましたから、そう大儲けはしていませんよ。新種の肥料だと言うのを容易に信用しない農民も多かったですからね」
「かまわん。少しばかりは余録がないと、お前もやりにくかろうからな」
「全ては下準備。次の段階のためと理解しています。派手な真似はしませんよ」
「地道によい働きをしているな。いまの一幕は面白いほど適時だった」
「町憲兵など、上の言うことを聞くしかないのですからね。怖るるに足らずというところですが、問題は」
そこで商人は、大げさに眉をひそめた。
「組織と関わりのない、愚者です」
「たとえば?」
「サリアージ殿もお伝えしているでしょうが、町憲兵とは別経路でルキン様の周辺を探っている男がいる。あれは上から命令できない」
「確かに、聞いている。だが、ただの一市民に町憲兵に注進する以外の何ができる?」
「愚者は何をやらかすものか想像がつかない。先ほども、裏口の辺りをうろついていたようです」
「そうか。では」
ルキンは手を振った。
「適当に始末をしておけ。手段は任せる」
「御意」
リクテアーは宮廷風の礼をした。
「サリアージ殿とユークオール殿はどちらに?」
「地下だ」
「しかし」
商人は目をしばたたいた。
「あれらの若いのは、まだ連れてきたばかりでは? 新薬のの実験が、もう完了したのですか? それとも、強すぎて死んだか」
「食わせてしまおうと言うのではない」
医者は淡々と応じた。
「作用を強めるためには、単純に原料も多く消費する。それだけの効果が見込めなければ、後継種を作る必要はないが」
「引き続き未使用者に広めるか、既に常習となっている者がますます求めるようにしていくか、岐路ですな」
「常習など。あれに中毒性などはない。快楽を欲する一部の人間が、勝手に繰り返し購入しているだけ」
「もちろん、仰る通り」
リクテアーはしたり顔でうなずいた。
「あれはチェレンから、実習的に作られることも珍しくない、簡単な薬だ」
「大量生産の手間をかけても得るものの少ない、な」
ルキンは応じた。
「問題なのは、いま現在、地下に虜囚がいることだ。あれらを全てユークオールに食わせてしまえば、正義感溢れる町憲兵が乗り込んできたところで、難癖をつける以上のことはできまいが」
「見つかったところで、どうせもみ消せますでしょう」
「金の力は偉大だな」
大して面白くもなさそうに、ルキンは笑った。
「患者であったのに、町憲兵が勝手に犯罪性を見て一方的に連れ去り、そのせいで彼らが死んでしまったというような噂だって流せるだろうが」
「ははあ、では私は余計な真似をしましたか」
「かまわん」
ルキンはまた言った。
「つまらぬ噂が立たねば、それを打ち消す必要もない。盗賊組合などはとうに私に手を出さないと決めているが、町憲兵隊がようやくそうした現状に倣うことを決めた、これは悪いことではない」
「盗賊連中には金を渡す必要がありましょうが、町憲兵隊には言葉だけでいい。簡単と言えば簡単ですな」
「但し、私に目をつけた優秀なる彼らは、秘密の存在を確信しただろう。歯がみをすることしかできん訳だが」
「よい街ですな」
「全くだ」
「王城へ上がる算段も順調に?」
「面白い餌が入り込んできている。ユークオール次第だ」
「ユークオール殿が、何を」
「それは」
ルキンは口の端を上げた。
「お前が知らずともよい」
「ははあ」
商人はあごを撫でた。
「まあ、私はああいった不思議なことには慣れません。正直なところを申し上げれば、ユークオール殿のことはちょっと怖いですし」
そう言ってリクテアーは肩をすくめる。
「私には、現実の金勘定がいちばん。手で触って価値を理解できるものの方がいい」
「よかろう。今日の件に報酬は支払う。今後の働きに対しても」
「それでこそルキン様にご奉仕する甲斐があると言うもので」
商人はほくほく顔で両手をもみ合わせた。
「せちがらい世の中も、羽振りのよい方につけばこそ、というところですな」
「お前のように考える者ばかりであれば私には都合がよいが、なかには自尊心ばかりを高く持ち、無意味な正義を振りかざす者もいる」
「全くです。ですが、町憲兵などは力なく」
「その話ではない」
ルキンは手を振った。
「金でなく、名誉でもない。自らの理念を『正しいこと』と信じ込んで、私の手を振り払う連中。キドのような男や、その養い子などは、私が宮廷に上がれば私を敵であるかのように振る舞おう」
「キド伯爵ですか。彼にはつけいる隙がありませんな。私のような商人は門前払い、ルキン様のお話もろくに聞かないようですし、醜聞もない」
「しかしあの少年は面白い。養父のように、私を無視するだけでは飽き足らなかったようだ。そういった気概は悪くない。私は使えると判断している。あとはユークオール次第」
ルキンはまたそう言った。商人は首をかしげる。
「もしや、餌というのはキド伯爵の養い子なのですか。無体な真似をすれば、本当に伯爵を敵に回すことになるのでは」
「そうはならぬ」
男はふんと鼻を鳴らした。
「そうは、ならぬな」
すっとルキンは視線を移した。それは、階下――地下へと続く扉の辺りへと向いたようだった。




