03 待ったがかかった
ルキン邸へと向かったふたりの町憲兵は、ルキン邸から詰め所へ向かうふたりの町憲兵及び捕らえられた男とすれ違った。男の罪を聞いたビウェルは、あとで自分も話を聞きたいから放さないでおいてくれとサイリスに頼んだ。
同年配の町憲兵は快くそれを了承した。当の男は決して快い気持ちではなかっただろうが、知ったことか。
もっとも、ビウェルはどちらかと言うと男の主張を聞くつもりでいるのだから、それが判れば進んであることないこと喋ってくるだろう。「ないこと」を語られても、困るのだが。
「そんなことまで調べるつもりなんですか?」
少し呆れたようにラウセアは言った。
「彼の主張が本当なら、医者に望まれる倫理観からは外れるでしょう。けれど、そこに義憤を燃やしているのなら、ビウェルらしくないんじゃ?」
「どういう意味だ。俺は正義に燃えたらいかんのか」
「少なくとも、表面にそれを押し出してきたら驚きますよ」
それが本当であれば医者として倫理に欠け、たいそう由々しきことだ、と考えそうなのはむしろラウセアである。
「獲物に繋がりそうなものは、何でも追っておく。それが正しい狩猟犬ってもんだ」
「テュラス、ですか」
若い町憲兵は苦笑いだか何だか微妙な表情を浮かべた。
「権力の犬」などと直接罵られた経験こそラウセアにはなかったが、場合によってはそう取られかねないこともあるとは判っているのだろう。
このアーレイドでは現状、善政が敷かれている。だがもしも王が民のことを人間と思わず、金を作る機械であるかのように考え、何の政策もなく重税でも課せば、人々は暴動でも起こすかもしれない。その際、町憲兵は民たちを捕らえる立場になるだろう。
この街ではそうそう起きない事態だろうとは思うが、相手が王ではなく、悪徳商人だって同じだ。騙されたと殴り込めば、殴り込んだ方が犯罪者。騙した方は、その証拠さえ挙がらなければのうのうと被害者ヅラ、という訳である。
ビウェルにはそれが腹立たしくて仕方ないが、それでもしかし、彼はやはり法を守る立場だ。黒に見える奴は黒だと思っても、それだけでは捕らえられないし、先の男のような義憤だの、行きすぎた正義などは、罰しなければならない。
心楽しくはない。気持ちは判るからだ。だが、判るからと言って犯罪者を放置していては、町憲兵の資格なし。その代わりと言おうか、「黒に見える」奴を「黒に確定」させることが仕事だ。
もちろんそれは、冤罪などであってはならない。
その価値観はラウセアと変わらない。押すか引くか、対応が逆であるだけ。
いまはラウセアは、何だかんだと文句を言いながらも、最終的にはビウェルについてくる。先輩に敬意を払っているということもあれば、相棒の暴走をとめるため――為したことはないが――でもある。
いつまでも、彼らふたりが組んでいることはないだろう。全ての組が対象ではないのだが、五年に一度は定期の配置換えがある。そうでなくとも、一人前となったラウセアが若手の育成を任されることも十二分に考えられる。
そうなったとき、ラウセアはどんな判断をして、どんな行動をするのか。後輩に何を見せるのか。
(まあ少なくとも)
(後輩になめられないといいがな)
ビウェルはそんなふうに考えた。
彼らがたどり着いたのは、ルキン邸の正門だった。
何も裏口を訪れる必要はない。ビウェルは、堂々と訪問の意を伝えるつもりでいた。面会を断ることはできないだろうし、もしも慌てて何かを隠しでもするなら、それはそれでいい。そういった焦燥は必ず顔に出る。
もっとも、そんな可愛気があるとも思えない。
ただ、ここは自分の陣地であるとばかりに、油断はするだろう。
そこを突き、場合によっては強引な手段も取る。
(丁寧な態度で、しおらしい顔をしても)
(必ず尻尾を掴んでやる)
威圧するように門を守っている男も、町憲兵の登場には少し怯んだようだった。ラウセアだけであれば判らないが、威圧的な雰囲気ならビウェルの方がずっと上であるせいもあるだろう。
「ここの主人に話がある」
ビウェルは言った。
「ちょっとした確認事項だ。手間は取らせない」
泡を食ってぼろを出し、手間をかけさせてくれれば吉だがな、などと心のなかでは考える。
門番は「お待ちを」などと応じて、館内の使用人に言葉を伝えたようだった。町憲兵たちはその場で少し立ちつくし、返答がやってくるより先に――街道を駆けてくる足音を聞いた。
「ビウェル! よかった、間に合った」
「……アイヴァ?」
元相棒アイヴァ・セイーダは、彼の姿を見かけたからと言って走り寄ってくるような性格ではない。それどころか泰然としすぎているきらいがあって、重要なことを後回しにしては「先に言え!」とビウェルが怒鳴ることも多かったくらいだ。
「お前、何を」
珍しくも素直に驚きを浮かべたビウェルだったが、次にはますます、驚く羽目に陥る。
「トルーディ、サリーズ、そこまでにしろ」
厳しい声で言ったのは、五十を回るかどうかという年代の男だった。
「――隊長」
彼らの所属する隊の頂点に立つ町憲兵隊長オーリア・シャントである。
「セイーダの言葉だけじゃ聞かんだろうと足を運んだ。いいか、ふたりとも」
シャントは苦々しい顔をした。
「この件を追うのは終わりだ。詰め所へ戻れ。いますぐ」
「……それじゃ」
低く、ビウェルは声を発した。隊長はうなずく。
「待ったがかかった」
忌々しそうにシャントは言い、ビウェルは両の拳を握り締めた。
きた、ということだ。本気で調べられれば間違いなく黒い、だから調べさせまいと――手を回す。
ビウェルの思い込みだけではない。証拠がなくても確定だ。
だが同時に、正解は二度と触れられぬ闇の奥に追いやられる。
「ど……どういうことです」
言ったのはラウセアだ。
「『待った』ですって? 誰が、そんなことを言うんです。街の治安は町憲兵隊に一任されているはず――」
声が次第に、弱くなる。ラウセアとて愚者ではない。判らない訳ではないのだ。
極端な話、王が罪を犯しても、町憲兵隊では捕らえられない。法では、捕らえることができる、ということになっている。
法の前には何人たりとも平等である。
厳密に言えば、王族にはいくらかの特別規則がある。だがたとえば、掏摸でも働けば――現実的には有り得ないが――、そこに免除規定はない。
しかし、有り得ないながらもたとえ話として、王陛下なり王子殿下なりが犯罪行為をしたとき、町憲兵隊が捕縛できるか?
否である。それが現実というものだ。
この件に絡んできたのが何者かは判らない。まさかハワール王その人ではないと思う――思いたいが、アヴ=ルキンは高位の貴族たちに顔と恩を売っている。町憲兵隊を留めることも、可能であるほどに。
つまり、ここで突進をしても意味がない。「違法すれすれ」では済まない、絶対的な動かざる証拠をどれだけ見つけたとしても。その場では、捕縛をしたとしても。
町憲兵隊ではルキンを留置できない。法に従う行為をすれば、彼らこそが罰せられる。減給だの謹慎だのでは終わらない。町憲兵隊を通さずに処罰できる罪――反逆罪といった類で、裁きも受けずに処刑、ということも有り得る。
ビウェルだけではない。ラウセアも、アイヴァも、隊長も。
アーレイドは平和な街だ。
だが、善人たちだけで成り立っているのではない。もちろん、そうだ。そうであるからこそ、町憲兵隊が要る。
そして、その町憲兵隊には踏み込めぬ闇もまた、存在する。
珍しい話ではない。こういった権力と金の錯綜する都会だけに限らない。住民が百人を越えるかどうかというような集落であっても、人間に欲望がある以上、闇はどこかに在るものだ。
「クソっ」
ビウェルはルキン邸の丈夫な門柱に、拳を叩きつけた。
犯罪を撲滅することなどできない。それは判っている。原因が貧困であれ怠慢であれ、脅し、盗み、騙す人間は決していなくならない。怒りで、愛憎のもつれで、他者を傷つけ、殺す人間もいなくならない。
追い、捕らえて、罰する。まるで終わりのない子供の手遊び唄、〈鼠競い〉のように。
それはかまわない。楽しくはないが、仕方のないことだ。そのための町憲兵だ。
だがしかし、これは違う。
ここには、それ以外には餓死しかないというような貧窮もなければ、衝動的で身を焦がすような感情の爆発もない。
誰しもが陥り得る罪ではない。あまりにも特異で、断てばそこで終わる、そういったものなのに。
断つことの、できないと。
(甘かった)
(俺が、甘かった!)
ビウェルは二度、三度と拳を痛めつけた。
たった一年か二年で、あの男はアーレイドの闇を手懐けてしまった。医療行為という咎めようもない手段で繋がりを作った。ビウェルの考えた社会的処刑などが手の届かない位置に、とうに腰を据えていた。
動き出した時点では、既に遅すぎた。
「自分を痛めつけるのはやめるんだ」
諭したのはアイヴァだった。
「大元が断てなければ、薬は出回り続ける。そっちを留めるしかない。〈鼠競い〉に過ぎなくても」
かつての相棒は続けた。
「右手に包帯が巻かれたら、馬鹿な子供を引っぱたいてやることもできないだろう?」
「戻るぞ」
短く、シャントは命じた。
「直接の手出しは、できん。だが俺たちの立場で、できることがあるはずだ」
どれだけ役に立つかは判らんが――と初老の町憲兵隊長は呟き、踵を返した。
ラウセアは唇を噛みしめ、アイヴァは危惧を浮かべてそれを見た。ビウェルはルキンの館を見上げ、視線でこの建物を崩壊させられないかとばかりに、睨みつけていた。




