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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第3話・最終話 始末 第2章

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02 常識では測れない

 二本目の通路には、扉は真ん中付近にひとつだけしかなかった。独房のように扉の羅列された一本目と異なり、その奥には大きめの部屋がありそうだ。

 だが、詮索はあとである。

「待てよ。俺ぁ、いまは反射的に逃げてお前に任しちまったけどな」

 トルスはトルスで、苦情がある。

「自分だけ逃げ隠れるなんざ、卑怯な真似をする気は――」

「犬が睨んでるのはそっちなんだよ。僕じゃない。いいから隠れろ」

「む」

 確かにトルスがやってくるまで、犬はファドックを襲ったりしていなかったようだった。若者はそれについては認めざるを得ない。

「なら」

 トルスはむっつりと言った。

「お前も隠れる、というのがいいんじゃないか?」

「難しいね」

 だいたい、とファドックは続けた。

「一緒に隠れたって何の解決にもならない」

「俺が隠れたって解決にはならねえと思うけどな」

「解決法はこれから考える。いいから早く」

 隠れろ、と叫ぶ寸前のことだった。ユークオールが心を決めたように床を蹴って伸び上がる。

(――喉)

 今度こそ、とファドックは両手で細剣を握ると、力強く一歩踏み込み、刃先を犬の喉元に突き立てた。

 そのはずなのに、信じられないことが三度(みたび)、起きていた。

 刃は犬を貫くことなく、少年はやはり、均衡を崩した。

 彼の真正面に飛びかかってきていたはずなのに、ユークオールはその瞬間、ファドックの左脇を抜けていた。

「な」

 驚愕が少年を襲う。だが、驚きに目を見開き、動悸を激しくさせている場合では、ない。

「トルス!」

 黒い犬が彼を抜けた、その先には友人がいる。

「うげっ、まじかよ!」

 声をひっくり返してトルスは悲鳴を上げた。ここでくるりと背中を向けて走り出そうとしても、一歩も行かぬ内に追いつかれることは目に見えている。

 トルスは反射的に身を守ろうと両手をかざした。だが拳で殴りかかられたとでも言うならともかく、刃物や――牙が相手では、かざしたその腕が大きな危険にさらされる。

 もちろん、何もしないで突っ立っていれば「殺してください」と言っているようなものだし、彼にできる最上のことはそれであったと言えるだろう。

 犬がトルスの喉笛に食いつこうとしていたなら、彼の腕は怖ろしいことになったはずだ。だがユークオールはとりあえずは、飛びかかってきただけだった。

 体格のよいトルスと張る、もしかしたら重さもそう変わらないかもしれない生き物が、勢いをつけてのしかかってくる。いくらか喧嘩慣れをしていても、これには為す術がなかった。若者は、ファドックがルキンの部屋で倒されたように、いや、それ以上に派手に、廊下にひっくり返る。その手から鍵束が飛んだ。

「トルス!」

 犬は次の瞬間にも、料理人の若者の喉笛に食らいつくかに見えた。ファドックは剣をかまえるが――三度の理不尽な出来事に、理不尽なことが思い浮かんでいた。

 ただの犬ではない、と思った。とてもよく訓練された賢い獣と。

 だが。

(まさか君は)

(ユークオールが魔術師のようにこの場に突然現れたと主張するのかね)

 ルキンの、言葉。

 まさか。

 まさかと思う。犬に、魔法のように刃を避ける力があるなど。だが同時に、三度の出来事がある。ユークオールは決定的なはずの一打に、一度も、かすりも、しなかった。

「やめろ!」

 剣をかまえて思い切り叫ぶ。

 その瞬間、犬はぴたりととまった。トルスを押さえつけたままで、顔だけをファドックに向けた。

 それはあまりに――人間くさい動きだった。

やめろ(・・・)という命令を)

(聞いた?)

 まさか。これだって「まさか」だ。

 訓練を受けた犬ならば、人間の命令を聞くだろう。仕草だけで右に左に動くように仕込むこともできると聞いたことがある。

 だがいま感じたのは、そういうことではない。反射的に従ってしまったのではなく、意図して、選んで(・・・)、言葉を聞いたかのような。

(まさか)

(――考え難すぎる)

「くそ、放せよっ」

 仮にファドックの命令が聞かれたのだとしても、少なくともトルスの抗議は無視されていた。呆然と考えてなどはいられない。

 このまま叩き斬るか、と少年は考えた。とまっていてくれるならば、好機というやつだ。

 たとえ効かずとも。

 四度、五度と同じことが繰り返されるとしても。

(ここでただ立ち尽くしているよりは、ましだ!)

 ファドックは剣を握り直す。トルスを押さえるユークオールは、練習用の人形のようなものだ。外す――はずがない。そう思った。

 少年は犬の首を攻撃範囲に収めると、危険な生き物を今度こそ斬ろうとした。

 だが次も、彼はそれを為せない。

「なっ、なな、何しやがるんだお前は! 俺を殺す気か!」

 彼の細剣はユークオールの首筋に刺さらず、横に回り込んだ彼自身の足の先、トルスの肩にあと数ファインという床を攻撃していた。

「ど下手! こんなでかい目標を外すなボケ!」

「外すはずがあるかっ」

 思わずファドックは叫ぶ。

「外す方が難しい!」

「居直りか、上等じゃねえか、役立たず!」

「全く」

 ファドックはそこで――剣を鞘に収めた。

「上等だな」

「お、おい」

 トルスは、焦る。

「怒ったのか? いや、冗談だから、いまの。まさかこのまま放置なんてしないよな? な、親友」

「そこまで仲良くなった覚えはないね」

 少年はきっぱりとそう答えて――それから、身を屈めると、思い切り犬に体当たりをした。

 これは功を奏する。ひっくり返すとまではいかなかったが、犬はトルスから離れざるを得ず、横っ飛びに退く。

「阿呆かっ、剣使え剣!」

 何を考えているんだ、とトルスはわめいた。

「そんなものを持っていたら次には君を刺すかもしれない。何しろ、役立たずだから」

 トルスをまたぐ形になりながら、ファドックは言った。

「僕の後ろに」

 そのあとでファドックはトルスを離れ、犬との間に立つようにした。

「阿呆。剣使わねえんなら、俺の方が」

 立ち上がるとトルスは言った。まるで守ってもらうような態勢には納得がいかないのだ。

「何度言わせるんだ。危ないのはそっち」

「そこまで明らかな敵対行為をしときながら自分は攻撃されないだろうってのは、どういうお気楽な頭なんだよっ」

 いくらか懐いてきたチェンだって、いきなりこちらがぶん殴れば当然、反撃してくるに決まっているではないか。トルスとしてはそう思った。

「どうやらこの『彼』は、常識で測れないところがあるようだから」

「意味の判らねえこと言ってんじゃねえぞ」

「あとで話すよ」

 だいたい、ユークオールが彼らをともども殺す気になれば、とっくにやっているだろう。ファドックが体当たりをしたあとも、犬は怒りに瞳孔を開くこともなく、次には何をしてくるのかと観察するように、若いふたりをじっと眺めていた。

「何だか」

 トルスは呟いた。

「馬鹿げてるかもしんねえけど」

 少し迷ってから、彼は続ける。

「こっちの言うこと、聞いてるみたいだ」

「馬鹿げてるとは思わない」

 ファドックは言った。

「僕もそう思う」

「お前、さ」

 トルスがぼそりと声を出した。

「さっき、叫んだろ。やめろって。そうするとこいつ、とまんなかった?」

「――僕の命令を聞いたとは、思えないけれどね」

 それが否定の形を取った同意であることは、トルスに伝わった。

「現状、問題はありすぎるほどあるけれど」

 少年は呟いた。

「僕がユークオールを制止して、トルス、君に町憲兵を呼んできてもらうというのが無難かな」

「町憲兵?」

 顔をしかめて、トルスは言う。

「どんな理由をつけて、呼ぶんだよ」

 理由もないのに入り込めるなら、ビウェルはとっくにやっているはずだ。トルスは首をかしげた。

「向こうの部屋に、閉じ込められている人が」

 少年が簡潔に説明をしようとすると、ぐるる――と犬がうなった。ファドックは言葉を切り、犬を見る。

「……いまのは『言うな』という禁止かな?」

「おいおい」

 トルスは引きつった笑いを浮かべた。

「話を聞いている感じはあるけどよ、まさか本当に言葉を理解してたりは」

「するかもしれない」

「おいおい」

 彼はまた言った。

「いくら何でも、そりゃないだろ」

「常識で考えれば、ないだろうと思う。けれど、言った通り。常識では測れないところがある」

 ルキンの部屋で、突然現れたようだったこと。繰り返し刃を避ける――いや、空振らせること。

「トルス」

「何だよ」

「魔法を使う犬、なんていると思うか」

「はあ?」

 若者は口を開けた。

「いねえだろ」

「そう、思うよな」

 だがまるで魔法のようだ。少年にはそんなふうに感じられた。

「ならば」

 やってきた声に、トルスとファドックは揃ってぎくりとした。

「犬ではない、という結論ではどうか?」

「――サリアージ」

 ゆっくりとトルスを追ってでもきたものか、黒い肌をした若者が通路の角から姿を見せた。


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