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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第3話・最終話 始末 第1章

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08 犬が

 彼はもう一度後ろを振り向き、ユークオールが留まったままでいるのを確認すると、ぱたんと扉を閉めた。

「大丈夫。犬は入ってきません」

「お助けを……お助けを」

「大丈夫。落ち着いてください」

 少年は繰り返すしかなかった。

(いったい)

(どういうことなんだ)

 この男はユークオールを酷く怖れている。殺されると思っている。確かに、あの大きな犬が人間を殺そうとすれば、容易であるだろう。彼自身、もし先ほどルキンがそう命令していたら、生きていられなかったに違いない。

 だが、ルキンはファドックを殺さなかった。そうする理由がなかった。

 一方でこの男には、そうされる理由があるとでも?

(それに)

(ユークオール()、ときた)

 そこにどんな事情があるのであっても、命じるのはアヴ=ルキンか、或いはサリアージであるだろうに。

「ここで何を? どうして、閉じ込められるようなことに?」

「おたす、お助け……」

 男は震えるばかりで、ファドックの問いかけが耳に届いているものかも判らなかった。

(正気を失っている?)

(証人にはならないと安心して、僕に見せた?)

(だが)

(僕が証人になれば、意味がない)

 やはり、判らなかった。

「大丈夫です」

 彼は三度(みたび)言った。

「僕も、ユークオールもあなたを殺しにきたんじゃない。それどころか」

 男の脇にひざまずいて、少年は続けた。

「ここから出します。安心してください」

「たす……た、助けてくれるのか、俺を」

「ええ」

 仮にこの男が気狂いであるとしても、こんなところではなく正しい施設に託すべきだ。或いは、仮に凶悪犯罪者であるとしても――捕らえるのは町憲兵の仕事。アヴ=ルキンではない。

「町憲兵を呼びます」

 当然、ファドックはそのことを考えた。彼がそうしようと思うこと、ルキンが気づかぬはずもない。なのに何故?

(僕も一緒に閉じ込めてしまおうとでも言うのだろうか)

(いや……やはりそれだって意味がない)

 見せたくなければ最初から見せなければいいのだし、もしも殺してしまおうとでも考えていたなら、その機会は既にあった。

「町憲、兵」

 男はもつれた口調で、聞いたことのない言葉でも繰り返すように呟いた。

「だ、駄目だ」

「駄目ですって?」

「そう、駄目だ。町憲兵、なんて、何の役にも」

「立ちますよ。助けてくれます。心配しないで」

 この男を連れていくか。いや、それは難しいだろう。自分がひとりで脱け出して、素早く町憲兵隊に出向く?

 黙ってそんな真似を許してもらえるとも思えない。だが無論、見なかったことになどできない。

「ほかにも閉じ込められている人がいますね」

 使用人が持っていた盆を思い出せば、ひとり分の食事という感じはしない。それに、扉――独房はまだいくつもある。

「い、いまはもうひとり。ほ、ほかのは、死んだ」

 上ずった声で男は答えた。

「死んだ」

 ファドックは繰り返し、眉をひそめた。

 どうして、死んだのか。

 想像ならばいくらでもできる。だが、いまはそのときではない。

「もうひとり、いるんですね。様子を」

 見てきますと言い終えぬ内に、男がわめいた。

「み、見捨てるのか! 行かないでくれ、助けてくれ!」

「見捨てません。大丈夫」

 彼はそう言ったが、男はその脚にすがりつくようにした。

「行かないでくれ、行かないでくれ」

 男の声にすすり泣きのような音が混ざった。

「死にたくない、死にたくないんだ」

「大丈夫です」

 繰り返すしかない。

「ほかの人の様子を見てくるだけ。あなたを見捨てたりしません。扉は開けておきますし」

「だ、駄目だ、犬が!」

「判りました。閉めますが、鍵はもちろんかけません。あなたがその足で出て行けるように」

「足」

 男は少年を見上げ、泣き笑いのような顔を見せた。

「駄目だ、足なんか。歩けない」

「そんなこと。ほら、立って」

 ファドックは手を出した。男は彼の脚を放したが、力なく首を振る。

「駄目なんだ。もう、這うしかできない。最初に」

 そこで男は言葉を切った。

「……最初に?」

 促すようにすると、男は生唾を飲み込んだ。

「き、斬られた」

 その言葉に驚いて男の足を見るが、切り落とされたというような意味ではないようだった。

「も、もう歩けないと言われた。逃げ出すことはできないと。死ぬまで、ここにいるんだと。用がなくなれば、殺されると」

 男はまた、震えだした。ファドックは落ち着かせるようにその肩を叩いてから、靴をはいていない男の足首を取って――理解した。

 薄闇にもはっきりと判る傷跡。

(腱を……切ったのか)

 罪人にだってこんなことはしない。

「ルキンですね」

 念のために確認をした。総合的な技術を持つ医者だ。的確に切り、死なない程度の処置をする、そういったことも可能だろう。

 その名に、男はびくりと身を震わせた。

「ち、違う。違う違う、違う」

 その怯え方は、そうだと言っているのと同じだった。

「判りました、いまは訊きません」

 ここで追及し、認めさせても仕方がない。それは町憲兵の役目だ。

「とにかく、必ず助けます。安心してください」

 そう言うと少年は、いくらか気の毒には思ったが、今度はしがみつかれないように素早く離れた。男は絶望的な顔をする。

「助けてくれ」

「助けます」

 大丈夫、と繰り返し繰り返して、ファドックは「牢」の外に出た。ユークオールが、じっと座って待っていた。

(これが)

(僕の知らない世界?)

(確かに、知らないな)

 嫌悪感が全身を満たす。

 いったい何のために。いや、何のためであろうと。

(このようなことが許されるはずはない)

(だが何故)

(僕に知らせる)

(いや)

(それも――あとだ)

 まずは閉じ込められている「もうひとり」を確認すること。鍵を開け、いまの男の様子を考えれば困難そうだが、助けるからと安心させる。それから。

(この地下には)

(まだほかにも、あるのかもしれない)

 もっと秘密が。

 手足から血の気が引いた。悪夢のなかにいるような気分だ。

 しかし、夢ではない。間違いなく、これは現実。

(ほかにも見せたいものがあるなら)

(見てやるとも)

 少年はきゅっと唇を噛みしめ、次の部屋をのぞいた。


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