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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第3章

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09 無駄とも見える労力

 戦法を誤ったかな――と、少年はそっと思っていた。

 〈企みを持つ者は企まれることを怖れる〉などと言う。だがルキンは、ファドックを軽んじているものか、館内を好きに歩き回らせた。

 しかしそこでルキンが「何も企んでいない」とは、思わない。

 薬の件がなかったとしても、アヴ=ルキンが清廉潔白でないことには、亡き父の名誉を賭けたっていい。どれだけ優秀な医師であろうと、真っ当なやり方だけでは、これほどには稼げないはずだからだ。残念なことに世の中は不公平で、能力や努力だけでは、こうした並はずれた成功は収められないものである。

 運、というのはあるだろう。たとえばファドックがキドに拾われたのは、運がよかったからだ。それは彼の能力でも努力でもない。

 掴んだツキを逃さず、それを発展させるという意味では、彼は努力をしたと言える。ファドックが運だけに頼って努力を怠る性格であったなら、キドは彼をただ使用人として扱い、いろいろと教えてやりたいという気持ちにはならなかっただろう。

 運を掴んで、発展させる。

 ファドックのそれは、言うなれば「良運」だ。彼の努力は正当な方向に結びついている。

 一方で、たとえば不当に金を稼ぐ機会が訪れたとする。悪運とは言わないが、そういったものも一種の運、出会いだ。

 そこを掴むか、見送るか。

 これもまた性格と言えただろう。

 善良な人間であれば、不当な手段には手を出さない。もしかしたらあとで「あの好機を逃すのではなかった」と悔やむかもしれないが、悪事だと判っていながら躊躇なく手を出せる者というのは稀だ。

 初めに躊躇があったかなかったか、それは判らない。

 だが、「悪いことをしてしまった」と考えないで「成功した」と考えるようであれば、二度目は躊躇しない。

 アヴ=ルキンはそういう男だ。

 いまだ経験の少ないファドック少年には、ビウェルが持つような確信はない。

 だがそれでも、どこか嫌な感じがする、その感覚はつきまとった。

 自分はおそらく、それを隠し切れていない。ファドックにはその自覚があった。

 だと言うのにルキンは、それに気づかぬふりをして、彼を自由に歩き回らせる。

(館内を歩かせても何も判るはずがない、という自信があるんだな)

 少年の推測は、幸か不幸かその通りであったと言えよう。

 昨日、彼がルキン邸をうろつき回って判ったことは、使用人が最低でも五人はいること、全部で十五の部屋があること、ルキン当人やサリアージ、使用人たちの私室までをのぞき込むことはできなかったが、客室や応接室、食堂や居間、果ては厨房や中庭まで、どこもキドの館以上に金と手間がかかっていること、その程度だった。

 ユークオールという犬は中庭にでも放されているのかと思ったが、見かけることはなかった。使用人に尋ねてみれば、ルキンかサリアージの前でなければ姿を見せないのだと返ってきた。

 使用人たちはファドックにどう対処するべきなのか判らなかったようで、主人の客として対応する者もいれば、親しげに話してくる者もいた。少し休んだらどうかと茶に誘われもした。

 話を聞くよい機会と少年はその申し出を受けた。

 ここの使用人たちは、ルキンがアーレイドにやってきてから雇われた者たちばかりで、主人の過去を知る者はいなかった。

 サリアージ――と、ユークオール――はルキンと長いつき合いがあるらしいが、サリアージはほとんど喋らないので、どんな男であるのか判らないと言う。

 彼はこの館に寝泊まりをしているが、助手でもなければ使用人でもなく、使用人たちは黒い肌の男を主人の友人という位置づけにしていた。ルキンとともに出歩くことが多いが、一緒になって何をしているのかも判らないのだとか。

 だが、そんな語らいができたのは昨日まで。今日の使用人たちは、まるで判を押したように、彼の姿を見れば硬い顔で会釈などしてくる。

 当然、ルキンから「余計なことを言うな」とでも指示があったと見るべきだ。やり方を誤ったかもしれない、と思うのはこのことにもあった。それとなく話を聞くことは、もうできない。

 せっかく入り込んだのに、何も判っていない。

 だが、少年は――少年らしくなく――焦らなかった。きっとどこかに、二本目の尻尾の影がある。

 前日、キドの屋敷に戻る前、ファドックは例の瓶を託した医師に話を聞いた。

 結果は、チェレン果から作ることができる鎮痛剤によく似ている、ということだった。

 慎重さから医師は断定を避けたようだったが、ほぼ確定と言ってよさそうだ。少年はその件を公正にビウェルに伝えた。ルキンがその薬をばらまいているとしても、やはり違法ではない。

 かと言って、彼らは落胆したりはしなかった。それは既に予測済みのことだ。

 どこかに穴を見つけてルキンを捕らえ、ヘルサレイオスの蔓延をとめること、その目標に変わりはない。

 おそらくルキンには、ファドックが言われたことを生真面目に遂行しているように見えただろう。

 即ち「館内を見回る」こと。

 もちろん、あちこちのぞいているのは知っているだろうが、無法な真似はしていないこと。

 生真面目にやっている、とも言える。とにかく彼は、「〈青燕〉亭を手伝いに行く」と言っている時間帯、ひたすらルキンの館をうろついていたからだ。

 さっきまで何もなかった場所に、いまも何もないとは限らない。少年はそう考えて、無駄とも見える労力を繰り返した。

 ただの掃除用具入れであると言われた小さな部屋の鍵が、次にきたときにはたまたま開いているかもしれない。そしてそれは、やはり単なる掃除用具入れであるのかもしれないが、それならそれでかまわなかった。

 単調な繰り返しに何かが見つかるかもしれなかったし、或いはルキンが彼を気の毒に思って――もちろん「可哀相に」と言うより、「ご苦労なことだ」と言った上からの目線だ――、何か違う仕事を与えてみようと考えることも有り得る。何もないからと何もしないことは、愚の骨頂だ。

 そうしてファドック少年が、もう目をつむっていてもルキン邸を歩き回れそうだと思いはじめた頃のことだった。

(……いまのは?)

 ぱたん、と扉が閉ざされる音が聞こえた気がした。

 ファドックは慎重に、そちらへと近寄る。

 角を曲がってきた使用人は、少年の姿を見て、気まずい感じで会釈をした。

 それはどこか――しまった(・・・・)と、言うような。

 ファドックは何も言わず、ただ同じように頭を下げて、使用人とすれ違った。

 そしてその手にあるものを見る。四角い盆の上に重ねられた、幾つもの空の食器。それは、とてもこのルキン邸のものとは思えない、粗末で薄汚れた。

 とっさにファドックが思ったのは、ユークオールの餌だろうか、というようなことだった。

 しかし、あの巨躯を持つ犬の餌用にしては小さな器だし、幾つもあるというのは解せない。

 では、何か。

 いや、それより。

(さっきのは)

(どこの扉が閉まった音だった?)

 音が聞こえたと思ったときから、使用人が角を曲がってきたタイミングを思えば、その先の通路だ。だが、その短い廊下に扉が面している部屋などは、なかったはず。

 ふっと視線を感じて少年が後ろを振り向けば、使用人もまた彼を振り向いていた。向こうは慌てたように目を逸らし、ファドックも気にしなかった――ふりをする。

 彼は敢えてその角を曲がらず、突き当たりにある階段の方へと向かった。そのまま階段に足をかけ、再び振り向く。

 使用人は彼が「何か」に気づかなかったものと安心して、去っていた。

 そこでファドックは素早く駆け戻り、問題の角を曲がった。

 彼の記憶違いではない。やはり、その廊下に扉はない。

(だが)

(音がした)

 聞き違いとは思えない。使用人の態度は、明らかにおかしかった。

 少年は、すっかり頭に入ってしまった一階の間取りを思い浮かべる。この廊下の左右は、どちらも使用人の部屋だと聞いた。実際にどうであるのかは判らないが、扉の間隔から考えるとそれほど広い部屋ではなく、少なくとも客用の場所ではないようだ。

 しかし何であれ、そこに入る扉は違う廊下にある。

(そうなると)

(……隠し扉?)

 そんなことを思いついた。

 王城などにはそういったものがあると、キドから聞いたことがある。万が一、城が襲われるような事態になった場合、王族たちを安全な場所に逃がすための地下通路に繋がっているのだとか。

 それがどこにあるのか、どうやって開けるのかは重要な機密扱いで、王のほかにはふたりの大臣と、近衛隊長だけが知らされるというような話だ。


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