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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第3章

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05 永遠に進まない

 もっとも、ビウェル・トルーディはその話を当のファドック・ソレスから既に聞いていたから、生憎と「とんでもない新事実」ではなかった。

 加えて、熟練の町憲兵と成人したての少年の間には既に密約ができており、ファドックは詰め所を訪れないことになっていた。何かでルキンに知られ、「町憲兵の犬だ」と思われることを避けるためだ。「思われる」というより、そのものと言っても過言ではないのだが。

 ともあれそんな事情を知らぬまま、トルスはその翌朝、詰め所で待ちぼうけを食らうことになる。

(ジルセンが伝え忘れた……ってなことはないよな)

(ファドックが面倒臭がるとは、思えないんだが)

 犯罪をなくすことはできなくても減らすことはできる、と不良連中の手管について町憲兵に報告を行った少年だ。間違いなく、朝いちばんでやってくると思ったのに。

「よう、トルス」

「おっす」

 現れたヴァンタンに、トルスは片手を上げた。

「仕事は? さぼりかよ?」

「残念ながら、好きにさぼれるほど安定してる職業じゃないんだな。ただ、幸いにしてと言うか、配達人の『朝いちばん』は町憲兵や料理人より遅いんでね」

 それが青年の回答だった。あまり早い内から配達先を回れば嫌な顔をされる、というところらしい。

「おはよう、トルス、ヴァンタン。お揃いですね」

「ああ、ラウセア」

 姿を見せたビウェルの相棒に、トルスとヴァンタンも朝の挨拶を返した。

「なあ、えっと、ラウセア」

 ヴァンタンに倣って、トルスは若い町憲兵を名で呼んだ。

「話があんだけど、いいかな」

「ええ、もちろん。だいたいのところはヴァンタンから聞きましたが――」

「いいや、そうじゃなくて」

 町憲兵は若者が、薬瓶を手に入れた経緯について話そうとしたのだと思ったようだ。だがヴァンタンが話しているなら何も繰り返すことはないし、いま言おうとした話はその件ではなかった。

「あのさ。あんた、もうちっとしっかりしてくんねえ?」

「は、はあ」

 年下の若者からいきなり「頼りない」と言われたことにラウセアは瞬きをした。何を生意気な、などと腹を立てる気質ではないどころか、素直に反省してしまう性格である彼は、何か聞き返すよりも早く「すみません」などと言った。

「いや、何つうか」

 反論されなければされないで、ちょっと生意気だったろうか、と自分で思ってしまうものだ。トルスは頭をかいた。

「ビウェルとつき合えるってのはすげえと思うけど。妹分を任すには、いまひとつ……」

「妹さんがいらっしゃるんですか」

「本当の妹じゃねえよ。ナティカのこと」

「ああ、ナティカ嬢。……彼女が、何か?」

何か(・・)ってこたないだろ。あいつがあんたに惚れ込んでるのは誰が見たって判るん」

「……は?」

「おいおいトルス。そういうことは当人同士に」

 ラウセアは口を開け、ヴァンタンは制するようにトルスの語尾にかぶせた。トルスは唇を歪める。

「任せてたら永遠に進まないと思わねえ?」

 ナティカは、トルスの前では積極的なことを言うものの、現実には好機も活かせていないようだ。対するラウセアの方は、案の定、ナティカの気持ちになどこれっぽっちも気づいていなかった様子だ。

「まさか」

 ヴァンタンは苦笑した。

「永遠に、は言いすぎだろう」

「そいじゃ思い切って短くして」

 トルスは唇を歪めた。

「三年」

「いくら何でもそこまでのことはないだろう。とも、言えない気がするが」

 結局のところ、ヴァンタンの意見も同様であるようだ。

「だろ?」

 トルスは鼻を鳴らした。

「なあラウセア。あんた、あいつを送ったときとか、何かこう、感じるところはなかった訳」

「は……ええと、面白い娘さんだなあとは思いましたが」

 おそらく興奮して素っ頓狂なことでも言ったのだろう。惚れっぽい割には、いや、そういう性格は却って一気に気持ちをのめり込ませて、むやみやたらと興奮する悪癖を育てているようだ。

「可愛いよな?」

「ええ、まあ」

「『ええ、まあ』?」

「あ、いえ、その、可愛らしい方だと思いますよ、本当に」

「よし」

 別に彼が威張るところではないが、トルスは偉そうにうなずく。

「面白くて可愛らしい娘さんから好かれて悪い気はしないな?」

「それはもちろん、僕は街びとに親しまれる町憲兵を目指して」

「そういう話をしてんじゃねえっての!」

 ばん、とトルスは卓を叩いた。さすがビウェルの甥――という不正確な思いがラウセアの内に浮かんだとしても、このときは若い町憲兵はそう言わなかった。

「悪い気がしなけりゃ大いにけっこう。近い内に逢い引き(ラウン)に誘え。な?」

「な?――と言われましても」

「ヴァンタン。どっかいい店とか知らないか」

「うーん、最初のラウンの計画なんて、俺もしばらく立ててないからなあ」

 妻以外の女性を気軽に誘ったりしない男の逢い引きの相手は、長いこと同じ人物なのである。

「ちらほらと噂を聞くのは〈黒革籠手〉亭かな?」

「ああ、そう言やナティカもそんな店の名前、言ってた」

 ぽん、とトルスは手を打った。

「そこだ。それがいい。な、ラウセア」

「あの、ですから、『な』と言われましても」

「何だよ。俺の妹分に何か文句があるってか」

「文句なんかありませんよ。元気で可愛いお嬢さんですし」

「なら誘え。しのごの言うな。但し、泣かしたら許さねえからな」

「あの。これだけは言わせてください、トルス」

 困惑の表情を浮かべたラウセアは、思っていたらしいことをここで告げた。

「あなたのその強引さ、ビウェルによく似てます」

 言われたトルスは絶句して、ヴァンタンは大笑いをした。

 「ナティカがラウセアに惚れている」を当のラウセアがどの程度理解したものか定かではなかったが、とりあえずトルスは、妹にきっかけを作ってやれたことに満足し、ラウセアの暴言を許すことにする。

「それにしても、ファドックの奴は遅いな」

 そこで話題を換えようと、トルスはそう言った。

「ああ、そのことなんですが」

 ラウセアは思い出したようにそう言うと、ずっと持ちっぱなしだった盆から茶杯を持ち上げ、彼らの前に置いていった。

「何でもビウェルの話によると、ファドック君はこないそうです」

「は?」

「どうして旦那がそんなことを言う」

「それがですね」

「――そんな話はもう古いからだ」

 そこで現れた年嵩の町憲兵は、ふんと鼻を鳴らした。

「話を掴むのが俺よりあとじゃ話にならんな、ヴァンタン。お前はやっぱり、配達だけやってろ」

「そりゃないよ、旦那」

 ヴァンタンは抗議した。

「知ってるんなら、ちゃんと伝えてくれなきゃ。二度手間じゃないか」

「お前に報告する必要がどこにある。寝言を言ってないで、さっさと普段の仕事に戻れ」


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