02 特例だ
「それでヴァンタン。お前の話は」
クソ面白くもない冗談にそれ以上乗ってやることはせず、ビウェルはヴァンタンに話を振った。
「積み荷の何が気にかかる」
「もちろんやばい薬そのものなんかはなかったろ」
これは確認するまでもないことだ。話の順番という訳だろうと、ビウェルも特に口を挟まなかった。
「当然、原料なんかもなかっただろうな」
「当たり前だ」
ここには彼も声を出した。
「馬鹿にしてるのか」
「そんなんじゃないよ」
ヴァンタンは両手を上げる。
「俺が言うのはね、旦那」
青年はじっと町憲兵を見た。
「目録に、形状までは書いてないんじゃないかということ」
その言葉に、ビウェルは片眉を上げた。
(こいつ)
(……腹の立つ野郎だ)
苦々しく思うのはほとんど八つ当たり同然であると判っている。
確かに、これを見ていたときには考えなかった。知らなかったからだ。だが、知ったときに考えるべきだった。こいつに指摘されるとは!
「つまり?」
アイヴァは一歩遅れた反応を見せていた。だがこれは仕方あるまい。ビウェルとラウセア、それからヴァンタンのようには、この件に関わってきていないのだ。
「つまり」
ビウェルは苦虫を噛みつぶしたような顔のままで、右手の拳を左手の平に叩きつけた。
「瓶、だ」
例のヘルサレイオスが入っているとされる瓶。
硝子の工場などアーレイドには数えるほどしかなく、それも小規模なもので、同じものを大量生産などしていない。判りやすくもあの瓶を作ってルキンに納めてくれている業者などはなかったこと、既に判明している。
街に出回る硝子製品の多くは輸入品か再利用品だ。酒瓶などはある程度の規格があるが、それ以外には厳密に大きさが決まっているものなどあまりない。つまり、一定の種類を定期的に仕入れる必要というのもあまりない。再利用の習慣が定着しているためもあるだろう。
となると、「瓶」というものを商売の種にする者もあまりいない。むしろ不要になったものを買い取り、再生の工場に売りつける商人の方が存在するくらいだ。
よって、例の瓶から追うことは難しそうだということになったのだが――。
「〈一本角〉の積み荷の、中身はこの際、関係ない。容器だ」
「――成程」
今度は判った、とアイヴァはうなずいた。
「そうなると、瓶詰めになり得そうなものは……」
「香料、香辛料の類だな。化粧品も有り得る。薬剤も。五行目から十行目辺りが怪しい」
ビウェルがずばっと言えば、アイヴァは口笛など吹いた。
「本当に暗記してるんだねえ」
「うるさい」
感心されるために暗記した訳でもない。結果的に覚えてしまっただけのことだ。
「おい」
じろり、とビウェルはヴァンタンを睨んだ。何だよ、と青年はもう一歩逃げるべきかどうか、町憲兵の様子を見守った。
「――ヴァンタン殿、ご協力に感謝する」
睨みつけながらではあまり感謝の念は感じられないのが普通だが――その場にいるのはビウェル・トルーディとつき合いの長いふたりである。揃って瞬きをした。
「ビウェル、海嵐がくるよ」
「街が壊滅するんじゃないか」
「うるさい」
どいつもこいつも、人を何だと思っているのか。彼はうなった。
それからビウェルはにこりともせずにヴァンタンの腕を取った。何事かと配達人が目を見開く内に、その掌の上にラル銀貨を置く。
「……雇わないんじゃ、なかったのか」
「雇ったつもりはない。情報屋に払うために働いているんじゃないからな。だが有用な情報には金を出す。そうすれば連中は、きちんと有用な情報だけをよこすようになる」
言うなれば、とビウェルは開いたままでいるヴァンタンの左手を閉じさせた。
「これは、しつけだ」
「〈損を申し出る者には必ず得の勘定がある〉、と言うより」
アイヴァはそう笑った。
「〈銭貨で夕陽を買った男〉かな」
それは、銀貨よりもずっと価値の低いびた銭を持っていた男が、瓶の蓋を開けられずに困っていた相手にそれを渡し、礼として刃のかけた櫛を受け取ったことをきっかけに、さまざまな変遷を経てついには神様から夕陽をもらい受けてしまうという荒唐無稽な物語だ。
「何とでも言え」
どうでもいいとばかりにビウェルは手を振った。ヴァンタンは少し迷うようにしたが――礼を言って、銀貨を隠しに突っ込んだ。
「だが言っておく。協力はもうこれで充分だ。昨夜の件は、ラウセアから聞いている」
ビウェルが知らなかったはずの犬の件をアイヴァに語ったのだから、そのことはヴァンタンも理解しているはずである。
「それについては、言った通り、隊の資金から払う。ラウセアが手続きを取ってるから、あいつに言え」
「おやおや。事務処理を全部ラウセア君にやらせてるんじゃないだろうね?」
自分でもやりたまえ、とアイヴァが言ったがビウェルは無視をした。
「んじゃ、いまのは旦那の財布からって訳かい?」
ヴァンタンは瞬きをして、それから顔をしかめた。
「それでいて『雇わない』」
「ああ、雇わんね」
あくまでもビウェルはそう言った。
「いいか、あくまでも今回だけだ。本来なら礼をするどころか、留置場にぶち込んでやるところなんだぞ」
「判ってる。有難く思ってるさ」
ヴァンタンは感謝を表す仕草をした。ビウェルは胡乱そうにそれを見る。
「いいか」
彼はまた言った。
「次に、腹の立つ手出しをしてみろ。今回の分と併せて、罰してやるからな」
「そりゃ怖ろしい警告だ」
しかめ面をしてヴァンタンは、わざとらしく身を震わせた。
「よし。それじゃ勝手な真似をしない代わり」
ヴァンタンは澄まし顔で、肩をすくめた。
「次からの分は事前に相談をしような、旦那」
「調子づくな!」
ビウェルは怒鳴った。
「お前と相談することなんざ、何もない」
「どうかねえ? アイヴァ旦那の意見は?」
「うん、そうだね」
面白そうにアイヴァはうなずいた。
「ビウェルは結局、君の意見、或いは情報に金を払う可能性があるところを見せてしまった訳だね。そうなるとヴァンタン君としては次にもビウェルから対価があると予測して動き、これはつまり、ビウェルは既に個人的に君を雇っているということになるんじゃないかな」
「俺もそう思う」
うんうんとヴァンタンはうなずいた。
「ふざけるな!」
再度、彼は怒鳴る。
「特例だというのが信じられんなら、望み通り捕縛してやる。手を出せ」
「ご冗談」
ビウェルがずいっと近寄ったので、ヴァンタンは慌てて飛びすさった。
「判った、判ったよ、余計な真似はしないさ」
「その心がけだ。とっとと店に戻って、配達の続きをしろ」
「了解了解、いつもに増して、噂話を仕入れてくるよ」
「買わんぞ」
素早くビウェルは言った。
「いまの件は、俺が気づくべきでありながら見落としていたこと、そこを知らせた助言に支払っただけだ。最初から売るつもりで集めてきた情報なんぞ、断じて買わんからな」
「どうして。有用な情報には払う、しつけだと自分で言ったじゃないか」
「頭の使用料だと言ってる。情報を集めて垂れ流してくるのは、以前からお前の得意だろう。それには変わらず、金など出さんと言ってるんだ。判ったか」
「了解了解」
ヴァンタンはまた言った。
「危ない橋は渡るなって訳だろ。いつもながらいい人だね、旦那」
「……殺すぞ」
「町憲兵の台詞じゃないな」
アイヴァがぴしゃりとやった。
ビウェルがそれに何か言い返そうとする内、ヴァンタンはひらひらと手を振って部屋をあとにしてしまう。
(あの野郎)
青年の影が扉の向こうに消えていくのを視界にとどめながら、ビウェルはやはり苦々しく思った。
(危ない真似なんぞしやがったら)
(……本当に殺してやる)
それは大いなる矛盾をはらむ思考であったが、そこに頓着することはせず、ビウェル・トルーディは、もうその場にいない似非情報屋に向けて、思い切り罵りの言葉を吐いた。




