09 裏があるに決まってる
「昨日、ルキンさんがここにきたろ。見てた奴がいる」
「ああ」
その説明に少し納得が行った。不良と医者の関係がどういうものであれ、〈青燕〉亭にルキンがきたことが、自分たちの騒ぎと関わりがあると思っているのだ。
「あの人は医者だろうが。そりゃ、うちの親父がかかれるような人じゃないから、うちで呼んだのはクォルサー先生だけどな、あの人は何でか、たまたま先生んとこにきてただけだ」
そのままを教えてやった。不良は――不良のくせに――ほっとしたような顔を見せる。
「じゃ、お前に何か、持ちかけたりはしなかったんだな」
「はあ?」
トルスはまた言ってしまった。
「持ちかけるって、何を」
ふと薬瓶のことが思い浮かんだが、渡されたのはファドックであるし、薬を置いていったことを「何か持ちかけた」とは言わないだろう。「飲むように持ちかけた」とならば言えなくもないが、それは対ロディスであって対トルスではない。
「だから、仕事の話だよ」
「はあ?」
三度、トルスは馬鹿げた声を上げてしまう。ここまでくると、相手を馬鹿にしていると言うより、自分の馬鹿をさらしている感じだ。
「俺は医者の仕事なんか手伝えねえよ。仕事ならここに大量にある。……てか、お前があの人の仕事、すんの?」
意外そうに訊いてしまった。医者が不良に何をさせると?
「手が足りなくなったから新しく誰か探してるって噂があんだ。すげえ金もらえるって……」
そこまで言って、チェンははっとしたようだった。
「俺がやるんだからな。手ぇ出すなよ」
「出すか」
何だか知らないが、報酬というのは労力に見合うものである。いや、散々苦労してもちっとも儲からないというのは珍しい話ではないが、逆は普通、ない。労せずして多額の金がもらえるなら余程危険な仕事。身体的にか、道義的にかは、さておいて。
だいたいトルスは料理人であって、それ以外のことをやるつもりなどない。
いや、だいたい、どうしてこんな話になっているものかがよく判らない。
「言っとくが、俺の仕事場は厨房」
そう前置きしてから続けた。
「ただ、興味ってか、気にかかるだけなんだがよ。……どんな仕事」
「知らねえ」
何とも考えなしの返答がきた。さもありなん、という気もするが。
「ただ、高給だってことと、簡単な仕事だってことと、年齢とか経歴はいっさい関係ないってことだけ聞いてる」
「……〈災い神の水は甘い〉って言葉を知らねえのか」
少し呆れるようにトルスは言った。チェンは唇を歪める。
「そりゃ、胡散臭い親父が言うなら笑い飛ばすさ。だけど、ルキンさんだぞ」
「ちんぴらども相手に求人情報でも流したってのか」
「ちょうどあの夜、面接があるはずだったんだ」
「面接だって?」
何とも不良に似合わない一語もあったものである。
「でも、中止になった。あの件が関係してるのかもしれねえと思った。お前ともうひとりのガキが雇われたのかもとか」
チェンはそんなふうに言ったが、的外れもいいところである。
「てかよ、お前は何であの先生を知ってる訳」
診療が間にないのならば、ちんぴらとあの医者の共通点が判らない。
「まあ、俺だって直接見たのはこの前が初めてだ。噂にだけは聞いてたが」
アヴ=ルキンという立派な医者がいる。彼のことは、間違っても狙ってはならない。そんなふうに言われだしたのは、ここ一年ほどであると、チェンはそんなことを話した。
盗賊組合から流れてきた話だと言うが真偽は不明。それでもいつしか、組合に所属しないで悪さを繰り返す――「盗み」を働けば厳しい咎めを受けるが、「恐喝」は微妙にその範疇から逸れるらしい――少年たちも、その通達には気をつけるようになってきたのだとか。
しばらくはそれを〈現代の伝説〉、つまりもっともらしいが根拠のない噂話のように思っていたチェンだったが、仕事の話が出はじめて、本当らしいと考え直した。
「何しろ、何度かあったんだ」
「仕事」もまとめて伝説扱いしなかったのは、現実に「面接」に行った人間の話を聞いたからだとチェンは言う。
「何だか〈化け狐の二本目の尻尾〉に思えるけどな」
トルスは思わず言ったが、チェンは首を振る。
「運よく雇われた連中は、その後一度もこっちで見かけてこない。儲けて、うまいことやってんだ」
「こっち」というのは下町、或いは裏の世界とでもいうところなのだろう。
「ふうん」
としか、言いようがなかった。
トルスは幸いにして「今日の飯のために仕事を探す」必要はなかった。もちろん働いているし、楽な暮らしではないが、明日の飯が食えない心配は滅多にしたことがない。どこかの大手が何とか記念特別価格とかで激安提供をしたときなどは〈青燕〉をはじめとする下町飯屋は客をだいぶ取られたが、そういった「祭り」時くらいで済んでいる。
チェンたちのような不良どもは、あまり「真面目に働こう」とは思っていないのだろう。思っているなら何でもやればいいのだ。楽に稼げる仕事などはそうそうないが、一部の強運者や特権階級を除き、みんな額に汗して頑張っているのである。
だがこういう奴らはそれよりこっちが楽だと、彼らの努力の成果を暴力で奪う。冗談ではない。
仕事などと言うから心を入れ替えたのかと思えば、何のことはない、奪うより楽に大儲けできるという話に食いついているだけだ。
(んな巧い話なんか、あるはずないのにな)
儲け話があるとしても、それは彼ら――トルスでもチェンでも――のところまでは回ってこない。こういった下層に伝わることなく誰かが掴み、自分のものにしているはず。
この話の場合、仮にルキンが本当に「簡単で高額報酬の仕事」などを用意していたら、それは盗賊組合の上の方だとか、もっと単純にウォンガース病院内辺りで募集完了のはずである。
〈災い神の水は甘い〉。巧い話には裏があるものだ。
だがトルスはチェンにそこまで忠告をしてやる義理はない。あったとしても、チェンの方で相手にするはずがない。自分に不幸は訪れず、幸運神に愛されて一生を送ると考えている阿呆だからだ。
「ま、何つうか、残念だったな、話が流れて」
若き料理人はそんなことを言った。
「とにかく俺には関係ねえよ。お前だって仕事がほしいなら、探せばいくらでもあるぜ」
「真面目に働きたい訳じゃねえよ、馬鹿かお前は」
それはこっちの台詞だが、控えておいてやろう、とトルスは思った。
「じゃルキンさんは昨日、医者としてきたのか」
「別に親父を診た訳じゃないけどな」
その代わり、薬を置いていった。
何だか判らない――ものを。
ファドックには「効くならば欲しい」と言った。だが考えを改めないといけないかもしれない。彼自身がいまの話で繰り返し感想を抱いた通り。
無償で置いていった?
これがクォルサーであれば、父子に同情して、支払いを待ってくれるというような可能性もある。だが初対面同然だ。施しをして喜ぶ気質にも思えない。つまり。
(巧い話には、裏があるに決まってる)
ともあれ、この一幕はトルスにいくつかの収穫をもたらした。
ルキンは怪しい。これはやはりとある町憲兵の判断と似ていた。
ファドックの目は確かだ。但し、自分より裏を知っているから判断できている可能性もある。容易に感心などはしないぞ、と彼は妙な意地を張った。
それから、思いがけずチェンと話の場を持てたことも収益だ。別に仲良くなった訳でも仲良くしたい訳でもないが、個人的に話したことはチェンにトルスを「獲物」と考えにくくさせるだろう。今後トルスを脅したり、〈青燕〉に火を放ったりは、しなさそうだ。
トルスがルキンに雇われていないと納得すると、チェンは「また食いにくるわ」などと言って帰っていったのである。




