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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第2章

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05 吉と出るか凶と出るか

「店のご主人の容態は、安定しているようですので」

 不自然でない程度の()のあとで、ファドックはそう続けた。成程、とルキンはうなずいた。

「ならば、何かな。キド閣下の養い子が、医師になる勉強をしているとは聞いていないが」

 その言葉にファドックは笑みを浮かべた。

(聞いていない、か)

(巧いことを言うものだ)

 確かに「聞いていない」だろう。ファドックが何の勉強をしているかなんて、この男が興味を持つはずもない。「医師になる」云々ではなく、「何も」聞いていないという訳だ。

「ええ、特にそういった勉学はしていません」

 少年は認めた。

「医師を志す者が、ルキン先生のような方に教えを請えれば、それは素晴らしいことと思いますが」

 心にもないことを言うのは、あまり得意ではない。少年は思わず息を洩らしたが、それは、言うことを整理しようと考えている様子に見えた。

「昨夜の無礼な口利きをお許しいただきたく、参上いたしました」

「何、そのようなことか」

 ルキンは手を振った。

「私はちっとも、気にしていない」

 それは薬を受け取ったからだろうな、とファドックは思った。あのときの医者を思い返せば、薬を押しつけることが目的であるように見えた。拒絶を続けていたら、今日の面会は難しかっただろう。

「寛容なお言葉、痛み入ります」

 そう言うと、男は口の片端を上げた。成人したかどうかという少年が大人びた口を利くのに、笑ったのだろう。

「ですが、キド閣下のお客人に失礼な態度を取ったことに変わりはありません」

 神妙な様子を装って、彼は続けた。

「何か、お手伝いできることはないかと、思ったんです」

 その言葉にルキンは片眉を上げた。

「まさか。何もしてもらう必要など、ない」

「僕の気が済みません」

 ファドックは引かなかった。

「何日か、昼の一刻だけでも、使ってください。そうでないと、閣下にも顔向けができない」

「……ほう」

 ルキンは濃い青の瞳に、ちらりと何かをのぞかせた。

「それはつまり、君がこうしていることはキド伯爵もご存知と」

「――はい」

 この嘘は、最も気が引けた。だが、キドの意図であると思わせることで、ルキンがファドックを使う可能性はぐんと上がる。

 ルキンは「伯爵の養い子を使用人のようにすれば飼い主の機嫌を損ねる」と考えていたかもしれないが、これで「伯爵は養い子を使用人として差し出した」と考え直す。そうなればファドックを使い、その礼なり感想なり述べるためにキドのもとへ出向くこともできると考えるはずだ。以前の話を蒸し返す――いや、より優位に進めることも可能と。

 これはファドックの頭から出た案ではない。少年としては、キドに関して嘘をつくことはしたくなかった。だがビウェルが、有利な点を使わないでどうする、と彼に指示したのだ。理屈ではもっともなことである。

(こう言ってしまったからには)

 少年は心のなかで、主人に謝罪の仕草をした。

(はっきりと尻尾を掴むことで、閣下にちゃんとお詫びをしよう)

 彼はそう、心に決めた。

「だが、何をしてもらえばよいか」

 アヴ=ルキンは考えるようにしながらあごを撫でた。その指には大きな石のついた指輪がはまっている。

「先生は助手をお持ちのようですが、彼のお手伝いなどでも」

「助手?」

 ルキンは少し、首をかしげた。

「ああ、サリアージのことを言っているのか。彼は助手という訳ではない」

「そうなのですか」

 少し意外だった。黒い肌の男はルキン同様「医の道に携わる者」という感じではないのだが、つき従って一緒に歩くとか、言われた命令を何も言わずにこなすとか、そこだけを取れば助手のように見えた。医者が医者に見えないのだから、助手も助手に見えないということがあっておかしくないだろう、などと思っていたのだが。

「では、お弟子さんですか」

 あまり変わらないような気もするが、「助手」ならば雇い人で給料を払い、「弟子」ならばそうではないという差異もある。学べることが報酬と言えるからだ。

「それも違う」

 ルキンは笑った。

「あれは、いてもらわなくては困る存在だ」

 答えとしては、判りづらい。だがルキンはそれを返答としたようで、ファドックは特に突き詰めなかった。

「それでしたら書類の整理などは誰がやっているのですか」

「私自身だ。患者の病状などは秘匿しなくてはならない。他人に見せる訳にはいかないのでね」

 模範的な答えであるが、患者を数多く抱えれば現実的に難しいことだ。助手も秘匿義務を負うというのが普通の考えだが、「不名誉な病気」を持つ人間であれば、知られる相手はひとりが望ましい。自分でやっているというのが本当であれば、その辺りもルキンが裏で貴族連中に受ける理由であるのかもしれなかった。

「もちろん君にも見せられない」

「ええ、もちろんですね」

 そう簡単にはいかないか、と思いながら少年はうなずいた。

 もっとも、患者の秘密を探ることが目的ではない。何でも好きに見てよい、という許可を取ることが簡単ではない、ということだ。当然だろうが。

「家事ならば使用人がいる。さてさて」

「犬を飼っていらっしゃいますね」

 思い出してファドックは言った。

「その世話などはどうですか」

「これは、また」

 ルキンは面白そうな顔をする。

「ユークオールを見た者は、動物好きを自認する偽善者であっても、手を出そうと思わないものだが」

 「ユークオール」というのが犬の名前であるようだったが、それよりも「動物好き」をいちいち偽善者などと言い立てることの方がファドックに気にかかった。

 どうにも、虫が好かない。

 だが理性的な少年は、そういった感覚の判断に溺れることのないよう、自制をした。

「なかなか勇気のあることだ」

 素直に褒め言葉なのかそれとも何か皮肉なのか。とりあえずファドックは礼をする。

「だがそれも必要ないな。彼は自分の面倒など自分で見られる」

 ルキンは言い切り、ファドックは困惑した。「犬」の話だったはずなのだが――。

(これは、庭に放し飼いにでもしていて、餌は時間を定めず、用意しておけば勝手に食べるとか、排泄物の処理は庭掃除をする人間の担当だとか)

(そういった解釈でよいのかな)

 「世話をする人間を決めてはいない」とか「大して手間はかからない」とかいったことを「自分で面倒が見られる」とは言わないような気がしたが、親馬鹿ならぬ飼い主馬鹿とでも言うものがあるのだろうか。

「ですが」

 少し考えながらファドックは続けた。

「散歩などは、人の手が要るのでは」

「散歩か」

 医者はやはり、笑った。

「必要ない」

 奇妙なことを言う、と少年は思った。キドは狩猟犬など飼っていないから詳しいことは知らないが、聞いたところによると、犬の体調を保ち、毛並みなどを保つにはきちんとした世話が要るということだ。アーレイド北街区に多い別邸ではあまり見ないが、貴族たちは近くの町にある本邸でたまに行う狩りのために犬を飼い、場合によっては「自分の犬は獲物を巧く追うだけではなく、たいそう見栄えもよい」と自慢し合うのだとか。

 ルキンが狩猟をしているとは思わなかったが、先日の夜に路地裏で目にした黒い犬は、世話が行き届いているように見えた。どういう目的で飼っているのであれ、先ほどからのルキンの調子とは相容れないような。

 疑念が顔に出たろうか。ルキンは手を振った。

「もしも君がユークオールと遊びたいとでも思っているなら、やめておくといい。彼は私の言うことしか聞かないから」

 そこには、少し自慢するような響きがあった。やはり――世話を怠っているような発言とは相容れない気がする。

「ですが、何かさせてください」

 ファドックは食い下がった。

「日常的に行われる以上の清掃でもしましょうか」

 細かいところまで掃除するという口実で、棚の開け閉めも可能だ。秘密の書類は見られなくても、何か見つけられるかも。

「そんなことはさせられない」

 だがルキンはそう答え、それからぱちんと指を弾いた。

「そうだ、君は剣を使えるね」

 あのときに少年が細剣を手にしていたこと、ルキンは覚えているようだった。

「幾らかは」

 正直に彼は答えた。

「では、館内の警護をしてもらうことにしよう。賊でも侵入してきたら、退治してくれ」

 医者はそう言い、少年は返答を躊躇った。

 昼の一刻、と言ったのだ。昼日中から侵入を企む盗賊(ガーラ)がいるだろうか?

 だがすぐに気づいた。これは子供に「邪魔だから向こうへ行きなさい」と言う代わりに、「お母さんのところへ行って、危なくないように守ってあげなさい」と言うようなものだ。追い払われたと子供を落胆させることなく、むしろ、使命をもらったとでも思わせて張り切らせるように。

「しかし……今日は帯剣をしていません」

「そのようだな。門番に支給するものがあるから、一本、貸そう。君が得意とするような細剣もある」

 さらりと、返された。

(巧いな)

 少年は思った。

(反論が思いつかない)

 「昼には何もないでしょう」は反論にならない。油断をつく賊だっているかもしれないではないか。

 いや、正直なところを言うならば、いないだろうと思う。

 だが「万一に備えよ」。

 それは少年に染みついている教えであり、なおかつ――。

(閣下の言葉を)

(この男の口から聞きたくはないな)

 そんなふうに思った少年は、そうさせていただきますと返事をした。

「何か判ることがあるとよいな」

 ルキンは静かに、そんなことを言った。

「――どういう意味で仰っているんでしょう」

「どういう意味かと? もしも判らないのなら、私が何か勘違いをしているということになりそうだ」

 そう言ってルキンは肩をすくめた。

 探りにきたことは判っているのだぞと、敢えてそう知らせるかのような男に、少年はいくらか不気味なものを感じた。

(もっとも)

(書類を漁ったりしなくても、館内を探ることはできる訳だ)

 ルキンは彼を自らの間近から遠ざけ、好きに歩けと言った。何か見つけられるものなら見つけてみろと。

 (ルーラ)と出るか(ラーゲ)と出るか。

(ルキンに凶なら)

(僕には吉だ)

 そんなことを考えて、ファドックはそれ以上は何も言わず、また礼をした。


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