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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第2章

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04 捻れた感想

 次に調べることは決まっているようだった。その噂はどれだけ真実味があるのか。

 「大尽」が実在したとして、本当に約束を果たしたのか。だからこそチェレン果が出回っていないという解釈はできそうだが――そうでなければ、少しでも売ろうと考える農民がいて然るべきだからだ――約束だからと鷹揚に金を出しただけなのか。買い取っていったのなら、腐った果実はどう処分したのか。

 もしかしたら、キドのように賭け遊びに負けた貴族が、利益を得られるかどうかではなく、遊戯の罰としてそういう行為を働いた、というようなこともあるかもしれない。

(貴族の……ような)

 すっと脳裏に浮かんだのは、キドよりも高価な服装をして、黒い犬を従えた男のことだった。

 飛躍している、とは思った。何か推理、推察したのでもなく、ただの連想。

 年齢不相応に思慮深い少年は、思索と想像の境界をはっきりと見極めていた。もちろん、その話とルキンの共通点は「金持ち」というだけのこと。んな人物は、いくらでも――とは大げさだが――存在する。

 浮かんだ連想がおかしな先入観につながらぬよう、少年が自身を戒めた、そのあとのことだった。〈青燕〉父子の一幕に行き合い、それからアヴ=ルキンに再会をしたのは。

 予感(フェルシー)だの、〈精霊が触れる〉だのという感覚を少年はあまり信用していなかったが、このときばかりは、何かが腹の辺りに溜まるような気持ちの悪い感じを味わった。

 理性的な判断ではなく、ほとんど反射的な感情でルキンの薬を拒絶したのは、おそらくそのためだ。冷静に考えられていれば、「有難うございます」と受け取っておいて調べる、そういう手段を思いつくこともできただろう。

 結果としては、ルキンが押して、同じことになった。

 〈怪我が招く善事〉だな、とやはり子供らしくなく、どこか皮肉っぽく考えた。

 彼が薬を託した医師ステートの意見は、興味深いものだった。

 勉学の一環として実験的に作る鎮痛剤によく似ていると言うのだ。

 その原料は、チェレン果の種。この符号も、気にかかった。

 もっとも、確実にそうであるとは言えないようだった。何だか判らないものを誰かに使ってみる訳にもいかないのだし、見た目やかすかな甘い香りから考えられることにすぎない、とステートは慎重に答えた。

 それから医師に相談したのは、トルスの告げたザンシル村の件だ。植物の病が人間に伝染るとは思えないのだが、万一ということもある。

 万一に備えよ、というのがキドの教えだった。

 危惧して奔走し、結果的に何もなかったなら、それでいい。馬鹿な真似をしたと笑い、笑われてもいいだろう。

 「どうせ何もない」とたかをくくって対策をせず、結果として惨事になることをこそ、怖れるべきだと。

 ステートは、果樹と人間が揃ってかかる病など聞いたことはないとだけ答え、館に戻った少年は、キド伯爵が王城から帰ってくるのを待って話をした。キドはファドックがまだ果実の件を気にしていることに何か言いたい風情だったが、ザンシル村の死者の話の重要性に、叱責は控えてくれた。

「仮に、死因が果樹の病とは何の関係がないとしても」

 キドは懸念を浮かべた。

「そのような噂がまことしやかに流れれば、ザンシル村のチェレン果に限らず、果物を購入したいと思う人間はますます減ろう。それだけならまだしも、根も葉もない噂による偏見で、果実の流通に関わる人間を迫害するようなことになるやも」

 それが伯爵の案じたことだった。伝染病などであれば確かに大事だが、そうでなかったからと言って放置もできないと判断し、伯爵は翌日の登城で王陛下に調査を進言することを決めたようだった。

 その流れでファドックは、食事処を営む友人の父が倒れたことを話し、カーラーズという若い料理人に手伝ってもらってもよいかと許可を求めた。主は快く許し、ファドックがその足で厨房を訪れたところ、経験の浅いカーラーズよりも自分の方が役に立つ、と副料理長ジルセンが名乗りを上げたのであった。

 ジルセンは、本来の仕事のために昼間こそ出られないが、夜は片づけをほかのふたりに任せることにして、数日間〈青燕〉を手伝うということになっていた。

「それくらいで充分だろう」

 というのが、副料理長の台詞だった。

ロディス氏(セル・ロディス)もそう長く休んでいないだろうし、そうでなかったとしても、トルス自身が中心となって厨房や客席を仕切ることに慣れれば、手助けも要らなくなる」

 そこでジルセンは、にやりとした。

「あいつは面白いぞ、ファドック。まだ若いのに、いい勘をしてる。あんな小さな店に置いとくには惜しいな」

「でも」

 ファドックは目をしばたたいた。

「あの場所は、彼の家だよ」

「いまは、な」

 ジルセンはそう答えただけだった。

 家族の仕事を手伝う延長として調理をしている若者が、本格的に料理人となることを目指し、いずれ自身がその「技」を持っているのだと自覚したとき、違う場所で腕を試したいと思うようになるだろう。ジルセンの言うのはそういうことだったが、家と家族を失ったファドックにとっては、それはぴんとこない感覚だった。

 仮にトルスが〈青燕〉以外に彼の居場所を見つけたとしても、それは家と家族を捨てることにつながらないのだ、と少年が気づくのはもう少しあとのことである。

 ともあれ、少年はジルセンが抜けられない昼の時間帯に、〈青燕〉亭を手伝うことにした。

 ――と、キドにはそう告げ、ジルセンに頼んで、口裏を合わせてもらった。

 嘘をつくのは気が引ける。だが、本当のところを述べればキドは駄目だと言うだろう。ファドックのやることではない、と。

 確かにそうかもしれない。キドは彼にさまざまな教育を施してくれたが、まさか、諜報の手管などは教えてくれなかった。

 アヴ=ルキンに近づいて、かの医者が作っている「薬」の正体を探るなどは、彼の為すべきこととは言えない。

 だが、彼が適任なのだ。

 ルキンはファドックを見覚えているし、彼によくすることでキドの機嫌を取っておこうと考えることは大いに有り得る。生意気な口調の詫びに、何か手伝いをさせてもらえないかと言うのは――いくらか唐突な感じがあるだろうけれど、無下に断りはしないはずだ。

 少年の思いつきに町憲兵は苦い顔をし、素人、それもガキがしゃしゃり出るなと言った。

 そこで彼はキドのことを話し、ルキンが伯爵に売り込もうとしていることを告げて、自分が適役であることをビウェルに――渋々ながら――納得させた。

 そこには、そうした後ろ盾があるのならば、ルキンがファドックを危ない目に遭わせることはないだろうという判断もあったようだった。

 言うこともやることも考えることも乱暴ではあるが、根本的にこの人は「町憲兵」――街と街びとの守り手なのだな、とビウェルに知られればまた「生意気だ」と怒鳴られそうなことを考えて、ファドックは彼と分かれたのだった。

 そして、その翌昼。

 ルキン先生にお会いしたい、というような要望を正面からぶつけて、容易に叶うとは思わなかった。「評判の医者」にかかりたいと考える人間は少なくないだろうし、そういった者にいちいち丁重に対応しているとは思えなかったからだ。

 だが、簡単に門前払いを食らわぬようにと、なるべくよい格好をして――昼の屋台を手伝いに行く格好では、なかっただろう――訪れれば、ファドックは自分が思っているよりもずっと「お坊ちゃん」に見えるのだ。

 門番は、噂を聞いた貧乏人を追い払うのとは訳が違うようだと戸惑った顔を見せ、万一、大事な相手の息子ででもあればことだと、使用人を呼んで確認をさせた。

 それらの様子をファドックはつぶさに観察し、ルキンがただの医者ではないことを改めて確信した。ウォンガース病院の院長だって、使用人くらいならばともかく、門番までは置けないだろう。

 ほどなく使用人が少年を案内するために戻ってきて、門番は判断が合っていたことにほっと胸をなで下ろしたようだった。

 玄関口での押し問答を想定していたファドックは少し拍子抜けして、豪勢な館のなかを歩いた。

(金はかかっている)

(でも)

(変に派手派手しくは、ないな)

 それが少年の感想だった。

 キドの館は貴族にしては質素だが、いくつかある飾りものなどはもちろんと言おうか、全て一級品だ。そういったものを見慣れているファドックの目にも、ルキンの館はあまり嫌味なく整えられているように見えた。

(嫌味のなさが)

(――嫌味だ)

 ごてごてと飾り立ててでもいれば、いっそらしい(・・・)という感じがするのに、そういった雰囲気はない。ファドックは、普段の彼が滅多に抱かぬ、捻れた感想を持った。

「おや、これはこれは」

 そうして通された二階の一室で、少年は館の主からにこやかな笑みを向けられた。

「驚いたね、君が訪問をしてくれるとは」

 アヴ=ルキンは、冷淡な表情など見せたことがないように、優しい声で言った。

 屋内である故、マントなどは当然、身につけていない。だが、見るからに手触りのよさそうな上衣は(イル)めいた光沢を持ち、袖口までぴたりと合った寸法は注文品を思わせる。首筋にのぞく細い金鎖は、おそらく本物の金だろう。卓の向こうに座っているので見えないが、下衣ももちろん上等なものであろうし、靴も使用人が磨き込んで傷ひとつないであろうこと、想像に難くなかった。

「もしや、薬をもう全部使ってしまったというようなことかな。次が要るのかね?」

「いえ」

 素早く否定をしてから、少し(まず)かったと思った。

 昨日から、何故だかこの男には思うような態度を取れない。そんな自分を歯がゆく思った。

 しかし、それは致し方のないことと言えただろう。

 ファドック・ソレスは、まだその短い人生の内で、根拠なき他人への嫌悪感――というものを抱いたことがなかったのだ。

 彼は冷静に、ルキンのやることは不自然であるが、あの町憲兵のように疑いを持つ段階ではないと、そんなふうに考えていた。嫌な感じがするのは、キドの態度に引きずられているのだろうと、どうにも少年らしくなく、公正な判断をしていた。

 だが「公正であること」は、必ずしも「正解であること」と一致しない。

 少年はまだ、それを知らなかった。


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