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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第2章

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02 占い師

「なあ、ラウセア」

「何でしょう」

「お前さん、ルキンの犬を見たことは?」

「ありません」

「俺もない」

 肩をすくめてヴァンタンは続けた。

「ちょいとルキン邸に行って、見てくるか」

「……はい?」

「いや、冗談」

 ヴァンタンはひらひらと手を振ったが、実は、半ば以上本気で考えていた。ビウェルであれば彼の考えに気づき、「素人が手を出すな」と厳しくやっただろうが、ラウセアは冗談だと言われれば冗談なのだろうと考える。不法侵入なんかはしないでくださいね、ときたが、冗談で返したつもりなのだろう。

 それから彼はラウセアの時間外巡回に少しつき合ったが、幸か不幸か、判りやすくも問題の瓶を手にしている若者などは見つけられなかった。「幸か」と言うのは、制服を着ていればともかく、一見したところとても迫力のないラウセアひとりでは正直、頼りないからだ。

 ほかに酔っ払いの喧嘩などに遭遇することもなく、彼らはやがて分かれた。ビウェルへの報告はラウセアがするということになったが、必要があればヴァンタンも改めてラウセアの相棒に話す約束をした。

 大して体力を使った訳でもなかったと思うのだが、寝坊をしたということは、何だかんだで緊張して疲れたのかもしれないな、などと考えた。

 明るい陽射しは、心地よい。

 今日は少し雲があるが、いまのところ(クーザ)の気配はない。

 目覚めはあまりよくなかったが、犬のことが気にかかっているせいであんな夢を見ただけだろう。太陽(リィキア)の下では、何とも馬鹿げた悪夢だった。

「――そこの、妊婦さん」

 小道を歩いていると、呼びとめられた。

 もちろんこの呼びかけからすれば対象はアニーナである訳だが、肩を抱かれているアニーナがつい振り向けば、結果的にヴァンタンも足をとめる。

 彼らに声をかけたのは、見知らぬ老人だった。だが顔見知りでなくても何者かは知れる。路地裏で暗い色をしたフード付きのマントを身につけ、小さな椅子に座って、その前に小さな台を置き、台の上に人それぞれの小道具を用意して、(ラル)と引き換えに人の運命を見る――占い師(ルクリード)だ。

「よい子を宿しているね」

 その言葉にアニーナは、ちらりとヴァンタンを見た。どうしようか、と言うのであろう。

 こういった路地裏の占い師に、積極的に何か見てもらおうと考える人間は稀である。占い師たちはたいてい、通りすがりの人間が気になるような言葉を発して足をとめさせ、興味を引ければ儲けもの、もったいぶった台詞を述べて、続きが聞きたければ銀貨を出すよう促す、そういった演出(・・)をするものだ。

 彼ら夫妻の財布には、ほとんど余裕がない。未来を教えてもらう金があったら、麺麭(ホーロ)を買う。

 だが世の常として、人の親になれば自分の子供のことは気になるものだ。いつもならその手の惹句(じゃっく)など全く気に留めないアニーナが少し心を動かし、ヴァンタンも瞬時、迷った。

「……見りゃ判るだろうが、こちとら貧乏人だぜ、婆さん」

 まずヴァンタンは、そう予防線を張った。

「衣食住以外に、金はかけられないんだ」

 服は穴が開くまで、いや、開いてもかがって着通すし、飯は厳しいときであれば抜くことも珍しくない。家賃は滞納すれば容赦なく追い出されるから、気を抜けない。余裕はないのである。

 もっとも、狭かろうが汚かろうが、住居を借りられるだけ、彼らは「貧乏人」のなかでもましな方だ。それは夫妻が妙な厭世観を抱かず、労働を厭わないためであるが、逆に言えば努力しても報われないことの典型とも言えた。

 何にせよ、要するに、金はないのである。

「普通なら最低でも二枚はもらうけれどね、祝福だ。ただでいいとも」

「へえ?」

 珍しい占い師もいるものだ、と思った。

「わざわざ呼びとめて、金は要らんってのか?」

「くれると言うならもらうさ。だが、余裕はないんだろう」

「聞いたからには出せ、なんてのはなし(・・)だぜ」

「そんなことは言わないね。聞き逃げをされても、わたしの足じゃ追いつけない」

 老占い師はそう言って笑った。

「いいかい、旦那。奥さんのお腹のなかには、ふたつの運命があるよ」

「……何?」

 意味が判らず、彼らは顔を見合わせた。

「何だ、そりゃ」

「よく似ている、ふたつの連鎖。ふたつの色が育っていくところだ。こういうことはあらかじめ知っておいて、悪いことじゃない。準備が要るからね」

「ふたつ?」

「それってまさか」

 少し考えつくように、思った。

「そのお腹には普通の倍、力があるね。双子だろう」

 ヴァンタンの頭のなかは、真っ白になりそうだった。

 双子?

 彼は口を開けて、アニーナを眺めた。妻は蒼白な顔をしていた。

「ど……どうしよう。ひとりだけでも大変なのに、ふたりなんてことになったら」

「――でかした、アニーナ!」

 ヴァンタンはところかまわず彼女を抱き締めると、熱烈に口づけた。

「一度で、ふたりか! 毎日代わる代わる、息子と娘に呼びかけた甲斐があった! 男女だといいな、いやそうに決まってる、そういうことにしよう!」

「ちょ、ちょっと、ヴァンタン!」

 一気に舞い上がった夫に、妻は焦った声を出した。

「本当だったら、どうするのよっ。かかる費用は倍よ、倍っ」

「そんなの、俺が倍働く!」

「無理に決まってんでしょっ」

「当てはある!」

「当てって……」

 いったい何、とアニーナが当然の質問をするより早く、ヴァンタンは妻を放すと、老占い師の卓をばんと叩いた。

 いや、何も脅しつけたりした訳ではない。

 彼はそこに、銀貨を置いたのである。

「一枚だけで、悪いな。でも、せいぜいこれくらいしか出せないんだ」

「要らないと言ったろう。その一枚が有用になるかもしれない。奥さんの言う通り、金のかかることだ。とっておくといい」

「いいからいいから。礼だ、いや、祝いだ」

 ヴァンタンはそう言ってアニーナを振り返った。

「悪い、〈青燕〉はまた今度な。先に『当て』と話をつけてくる」

「ちょっとっ、ヴァンタンっ、待ちなさいっ」

 明らかに叱責の響きを帯びた妻の声を無視して、ヴァンタンは顔の全面ににやにや笑いを張り付けながら昼の街を走った。


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