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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第1章

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10 熱心な町憲兵さん

 夜のアーレイドは基本的に安全だ。

 昨日は少し運が悪かった。だが、トルスとの再会がナティカの幸いを呼んだことを思えば、〈怪我が招く善事〉。もっとも、「怪我」とたとえたところで実際にはこちら側は無傷。何も問題はなかったと言っていいだろう。少年はそんなふうに考えていた。

 ただ――。

 アヴ=ルキン。

 あの医者にはどうにも嫌な感じがつきまとう。

 キドがルキンに好意を持っていないから、ファドックもその影響を受けているという可能性は多大にある。

 客観的に見れば、昨夜は救ってもらえ、今日は助けの手を差し伸べられたということになるだろう。

 だがそうは思えなかった。

 ルキンは彼らを救う形を取りながら、その実――ちんぴらどもを逃がしたという印象がある。

 町憲兵が現れていれば、奴らは捕縛されたはず。留置場にご宿泊、くらいのことにはなっただろう。

 それを避けさせた。何故か。

 喧嘩ばかりで血の気の多い若者を温かく見守っている、というような姿勢は作りものだ。ルキンがちんぴらの怪我を診る機会などない。彼は病院と自身の館と、あとは北区にある貴族の別邸を訪問してばかり。下町で人情に厚い医者をやっている時間などない。

 ならば接点はどこか。

 病院ではない。北区でもない。自宅だろうか?

 しかしルキンがちんぴらを家に招くとも思えない。どうにも判らなかった。

 そんなことを考えながらファドックは、ジルセンに言った通り、中心街区(クェントル)の診療所へと足を向けていた。

 薬のことは、可能であれば宮廷医師ランスハルに見てもらいたいところだったが、少年が自由に城に上がることはできない。キドは専属医師まで抱えてはいないが、トルスがクォルサーを頼ったように、かかりつけの医者はいる。ファドックは昼の内にその医師を訪れ、例の薬瓶を見てもらうことにしていた。

 しかし予想した通りと言おうか、目で見てどんなものだと即答できることはないようだった。だが医師は、できる範囲で調べてみると言ってくれた。

 それからたかだか、数刻しか経っていない。医師には医師の仕事があるのだから、ファドックの頼みごとにはまだ手をつけていないことだって有り得る。

 だがそれならそれで、進捗状況を知るのは悪いことではない。トルスにも報告ができる。

 そういうつもりで、少年は足早に歩いていた。

 すると道の向こうに、彼は覚えのある顔を見た。

「……何だ、クソガキのダチのクソガキか」

 などと言うのは無論、ビウェル・トルーディだ。

「何してやがる、こんな時間に。ガキはとっとと寝ろ。夜遊びなんざ、ママ(ラン)が泣くぜ」

「せっかくのお気遣いですが、ラ・ムール河にまで、僕の放蕩が知られることはないでしょう」

 冥界に流れるとされる大河の名を口にすれば、母が亡いことは伝わる。町憲兵は特に哀悼を示しはしなかった。

「誰が泣かなくても、昨夜みたいなことになりゃ俺たちが迷惑だ。とっとと帰れ」

 勤務時間を終えて制服を着ていない町憲兵は、しっしっと少年を追い払うようにした。

「絡んでもらおうと思ってうろうろしてる訳じゃないんですよ」

 ファドックは肩をすくめた。

「不良にも。町憲兵さんにもですけど」

「何ぃ」

 ぎろりとビウェルはファドックを睨む。

「生意気なクソガキめ。〈物真似草の真似試合〉たあ、このことだな」

 近くに生えている植物の形状を真似て生長する雑草は「物真似草」と呼ばれるが、それを擬人化して「誰がいちばんそっくりに育つか」を勝負する昔語りがある。〈物真似草の真似試合〉とは、それを基にした「人の周りにはよく似た気質の仲間が集まるものだ」という意味合いの言葉だ。

 つまりビウェルは、トルスとファドックはどちらも生意気な口を彼に利くから似ている、ということを言ったらしい。

「しかしセル。制服を脱いでまで、人々の夜歩きに気を使ってくれるんですか」

「時間外のくせに余計な口を出すなと?」

「そんなことは言っていないでしょう。熱心な町憲兵さんがいるのは、街のためにいいことです」

「てめえ、ラウセア二世か」

「はい?」

「それだけ街のことを考えてるんなら、お前も町憲兵になったらどうだと言ったん」

 皮肉たっぷりに言ったビウェルは、途中で言葉をとめた。彼のそんな調子を真に受けて、ラウセア・サリーズが隊に志願したことを思い出したのである。こんなのがまた増えたらたまらないとばかりに、熟練の町憲兵は厄除けの仕草などした。

「有難いご提案ですけれど、残念ながら、僕ひとりでは決められないことなので」

「はあん、ママ(ラン)がいなけりゃパパ(ライ)が過保護かい」

 ビウェルは言ったが、いちいち「父もいない」と告げることはせず、ファドックはただ肩をすくめた。

「その代わりと言いますか、熱心な町憲兵さんに聞いてほしいことがあります」

 ちょうどよかった、と彼は言った。町憲兵は胡乱そうな顔をする。

「罪の告白なら、一旦神殿(クラキル)に行って一度神官(アスファ)に話してこい。そうして頭を整理して、それから詰め所にこい」

「それは変わった自首の勧め方ですね」

 思わずファドックは笑った。

「ですが僕が罪を犯した訳ではなく」

「トルスか」

「違いますよ」

 ファドックは苦笑せざるを得ない。

「聞いてほしいのは」

 少年は笑みを納めた。

「――アヴ=ルキン」

 その瞬間だった。町憲兵の動きは素早かった。

 ビウェルは容赦なく少年の襟首を掴み、遠慮会釈なく、そのままファドックを小路の塀に押しつけた。

 ちんぴらを軽くあしらったファドックも、さすがに日々訓練を重ねている町憲兵から逃れることはできず、石積みに背を叩きつけられて呼吸の止まる思いを味わった。

「賢いふりはやめとくんだな、坊ず。口先で何かごまかそうったって、玄人の本気にゃ敵わないんだぜ」

「何も」

 少年は咳き込んだ。

「あなたをごまかそうだとか騙そうだとか」

 捕まったままで、町憲兵に視線を合わせる。

「いいように操ろうだとかは、考えてませんよ」

「――言うじゃねえか」

 ビウェルはファドックを放さなかった。

「言え。何で俺の前でその名を口にするのか」

「僕は特に『あなた』を標的にした訳じゃない。話の判る町憲兵がいるなら聞いてもらいたいと思った、それだけです」

「話の判る、だあ?」

 ビウェルは顔をしかめた。

「逆なら散々、言われてきたがな」

「独断と偏見で断罪をする。『嫌な町憲兵』の見本みたいなもの、とでも?」

「クソガキ」

「ですが、僕にはいま、そういう人が要ります」

 一見したところ、制服を着ていないビウェルと、品のいい格好をしているファドックとでは、どうしたって少年が酔漢にでも絡まれているように見えただろう。

 だがその表情を見れば、彼が怯えていないことは判る。

 と言っても特に得意気な顔などはしていなかったが、ビウェルの方では苦々しい顔つきを見せていた。生意気なガキめ、というところだ。

「話してみろ」

 町憲兵は少年を解放したが、何か戯けたことを言ったり、逃げたりすれば――ファドックに逃亡の必要性などはないが――すぐにまた捕まえてやろうという体勢は崩さなかった。

「目の前に、苦しんでる人がいる」

 まず、ファドックはそう言った。

「そこに、作用の不確かな薬がある。薬はその人を助けられるかもしれないが、逆のことにだってなりかねない」

 少年は淡々と、まるでたとえ話のように、そのままのことを語った。

「あなたなら、どうしますか」

「どうもこうも」

 町憲兵は唇を歪める。

「薬はどこから現れた。湧き水じゃあるまいし、誰かが作ったな。自然のもんだって、野に生えたままじゃない以上、意図をもって摘まれる。ただ束ねられただけだとしても」

 町憲兵は肩をすくめた。

「束ねた奴がいる」

「誰かが作った。それはもちろんそうでしょうね」

 あまり答えになっていないようだと思いながらファドックが返せば、ビウェルは鼻を鳴らした。

「作った奴が作用を知らんはずがない。俺ならぶん殴ってでもそれを吐かす」

 それだけだ、と町憲兵は言った。それはあまりに単純で、かつ乱暴で、賢いとは言えない手段である。

 ファドック・ソレスならば考えず、考えたとしてもすぐに却下する類だ。

 だが少年は、そのときじっとそれを――考えた。

「薬、か」

 ビウェルの方では、もちろん、ロディスの病やファドックに渡された瓶のことを知らない。それでも、ヴァンタンの話から思い出すことはあった。

「どこで何を手に入れた」

「――たとえ話ですよ」

「生憎だがな、ガキ」

 町憲兵は裏手で、少年の頬を――軽くだが――殴った。

「こちとら、嘘を見抜く商売よ。その年齢にしちゃ、しゃらっと嘘をつきやがる。だが、俺を騙すにゃ二十年早い」

「二十年ですか」

 ファドックは少し笑った。

「では、二十年後に機会があれば、再挑戦しましょう」

「その頃に大悪党になってなきゃいいがな」

「なりませんよ」

「ああ、ならないな。その前にとっ捕まえてやる」

 少年としてはもちろん、キドに迷惑をかけるようなことは断じてしない、と思うのであるが、町憲兵は町憲兵の視点でそんなことを返した。


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