04 同じことを返す
「それじゃ、いまは行くよ」
言うと少年は立ち上がった。
「ああ、まじ、あんがとな」
トルスはファドックに手を差し出そうとしたが、すいっと少年がかがんだので時機を逸する。
「何だ、それ」
少年が足下から拾い上げたのは、数本の瓶だった。まるで隠していたみたいだな、とトルスは首をかしげた。
「何でもない」
どうということもないように、ファドックは返した。
「何でもないってこた、ないだろ」
ここへやってきたとき、ファドックはそのようなものを持っていなかった。もちろん、〈青燕〉亭のものでもない。となると、トルスが父を連れて――連れたのは、小柄な怪力男だが――戻ってくるまでの間に、それは増えた。
「押し売りでもきたか。断りきれなかったとか」
ちんぴらに負けない少年が押し売りに負けるとも思い難いが、今日は剣も差していないし、〈青燕〉の勝手口で騒ぎを起こせないとおかしな遠慮をすることも考えられる。
「押し売り」
ファドックは笑った。
「まさしく」
「おいおい」
「何でもないよ、失態は挽回するから」
いまひとつ意味の通じない台詞を吐く。トルスは顔をしかめた。
「何なんだよ、それは。薬みたいに見えるけど、おかしなもんじゃねえんだろうな」
「――それを調べようと思う」
「はあ?」
「……トルス」
ファドックは真剣な顔をした。
「もし、誰かがこの薬のことを尋ねてきたら……そうだな、まだその必要はなかったから試していないと、そんなふうに答えてくれないか」
「はあ?」
トルスはまた言った。
「何だそりゃ」
「頼む。様子を聞きにくるかも、しれないから」
「おいおい。何なんだよ。妙な話じゃねえか。いったい」
ふっとトルスの内に、昨夜の映像が浮かんだ。
(本当に)
(彼らを診たのかな)
アヴ=ルキンを疑うような少年の声。いまの声には、同じ響きがあった。
「ルキン先生か」
切り込んでやると、ファドックは苦い顔をした。
「どうしてそんなふうに思う」
「的外れだ」と言うつもりのようだが、騙されるか、と若者は思った。
「俺なりにいろいろ推測した結果だ」
何となく思っただけ、である。或いは勘、とも言うだろうか。
この辺り、トルスは密かにとある町憲兵と似ていたが、当人は絶対認めないだろう。
「ごまかすな。それ、ルキン先生が親父に置いてったんじゃないのか」
「まさか」
「ファドック」
詰問するように名を呼ぶと、少年は息を吐いた。沈黙が流れ、トルスは待った。
「黙っているつもりだった」
たっぷり五秒は経ってから、ファドックは認めた。
「酷えじゃねえか」
トルスはむっとした。
「お前がルキンに何か疑いを持ってるなら、好きにしたらいいさ。でも、評判の医者なんだぞ。難病も治すって」
「本当に、そう思うか」
ファドックは静かに問うた。
「本当に、って」
トルスは瞬きをした。
「評判の医者が、下町の医師に何の用だったのか? 薬を売りつけにきたんだ。評判の医者が行商人のような真似をする理由は? 君の父上を診ているのはクォルサー医師なのに、どうして彼を通さず、僕に? 何故、執拗に置いていこうとしたのか? 少なくとも金のためじゃない。無償で置いていった」
「な、何だよそれは……」
「君は僕が根拠なく彼を疑っているように感じてるんだろう。でもよく考えてみてくれ。彼のやることなすこと、全て不自然だ」
着ているものも含めてね、などと少年は締めた。
「まあ、とても自然だとは、言えないさ」
認めざるを得ない。
トルスがその瓶を「ルキンの薬では」などと言ったのは、半ば以上出鱈目と言うか、はったりのようなものだ。どうやらそれは当たりであったようだが、確かに患者の身内もかかりつけの医師も通さず、ファドックに託すというのは奇妙だ。
ただ、ルキンにしてみると、昨夜の件もあって、トルスとファドックはとても仲がよく見えるのかもしれない。そう考えるとそれほど不自然ではないが、しかし無償と言うのは――奇妙だ。
「でも、何か画期的な薬なら」
もしもそうなら、ルキンの態度が不自然だろうと、知ったことか。
「それならクォルサー医師が使っている」
すぐにファドックは否定した。
「先生も金持ちじゃない。高いとか」
「彼に買えないほどなら、売りにこない」
即時返され続け、トルスはついむっとしかけたが、少年がもっともなことを言っているのは確かだった。
「それにこれは、必ずしも君のお父上の薬じゃない」
そう言ってファドックは、ルキンがトルスとファドックにも一本ずつ、と言ってきたことを告げた。
「病による胸の痛みだけではなく、慣用的に『胸が痛む』と言う場合……つまり、心が苦しいときにも効くんだそうだ」
「何だそりゃ」
トルスは唇を歪めた。
「訳が判んねえ」
それが彼の正直な感想だった。
「……どうする」
少しの沈黙のあとに、ファドックはゆっくり言った。
「僕の立ち位置は、既に君も気づいている通りだ。でも個人的にルキンがどうと言うだけじゃなく、あまりにも不自然すぎると思う。もしも君がお父上に薬をと思うのだとしても、調べてからの方が」
そこで少年は、トルスの様子を伺うかのように言葉を切った。
「効く薬なら、欲しい」
ロディスの息子は当然のことを言った。
「確かに不自然かもしれないけど、それはお前の見方だ。ルキン先生に言わせれば、彼なりの理由があるのかも」
それは、あるだろうな――とファドックが思ったとしても、ここは彼は口をつぐんでいた。
「俺はもちろん、要らない。でも正直なとこ、親父には欲しい」
トルスは言った。ファドックは迷うかように、瓶を掴んだ手をうろつかせる。
「但し、おかしなもんじゃ困る」
彼は続けた。
「調べるって、どうするんだ」
「信頼できる医師に尋ねる。もっとも、見て効用が判るということもないだろうし、良識ある医師なら『使うな』と言うと思うけれど」
「良識ねえ」
トルスは唇を歪めた。
「何かあったとき、責任取りたくないだけだろ」
「何かあるかもしれないと考えるのが良識だよ」
ファドックはそう返した。
「でも、調べる気、だったのか」
「捨てることも考えた。でも、本当に『画期的な薬』である可能性も皆無じゃない。調べる手段はいまのところ思いつかないけれど、専門家なら判ることだってあるのかもしれない」
少年は冷静に答えた。
「あんがと、な」
「何が」
ファドックは片眉を上げた。
「僕は、君に黙っているつもりだったのに」
「何も考えずに寄越す、黙って捨てる、どっちかのが楽じゃねえか。わざわざ、いちばん手間のかかることやってくれようってんだから」
あんがとな、と彼は繰り返した。ファドックは肩をすくめる。
「僕も同じことを返すよ」
「は? 何でお前が俺に礼を言う必要があんだ」
「何でって」
少年は笑う。
「二度に渡って、正義の騎士を演じてくれたのは?」
言われてトルスは瞬きし、苦笑した。
「お互い様か」
「そんなところだね」
ファドックは左手で上手に三本の瓶を持ち上げた。
「それじゃ、またくる。何か判ったらすぐに知らせるから」
今度は少年の方が右手を差し出しながら言う。
「おう」
トルスはその右手を取る――のではなく、ぱしんと軽く叩いた。ファドックは少し驚いた顔をして、それから笑った。
向こうからの連絡はともかく、こちらから連絡する術はないんだな、とトルスが気づいたのは、ファドックが去ったあとのことだった。




