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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第2話 漸進 第1章

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01 怪しい噂

 詰め所へ戻ると、案の定ラウセアが、まるで連夜朝帰りの亭主に堪忍袋の緒を切らした鬼女房のような形相で立っていた。

「ビウェル」

 若い町憲兵はゆっくりと、年嵩の相棒を呼ぶ。

「おそらくあなたは魔術師ではないと思いますが」

 すうっと、息を吸い込んだ。

「僕が何に怒っているかは言わなくても判ると思います!」

「悪かったよ」

 あっさりとビウェルは謝罪をした。ラウセアは怒りの形相のまま、口を開ける。間抜け面だ、とビウェルは思った。

隊長(キアル)に話す。お前もこい」

「な……何。何ですか」

 若者の相棒は、隊長に全てを話す場に彼もこいと言ったのだ。こんなことは、これまでなかった。

「ヴァンタンがな」

 苦々しげにビウェルはその名を口にした。

「掴んできた話がある」

 街の情報屋(ラーター)もどき――本職と違うのは、金を要求しないことだけである――がアヴ=ルキンを知っていた理由は、難病を治す医者という評判があったこともあるけれど、それだけではなかった。

 怪しい男は怪しい噂を呼ぶ。

 同じ病院に勤める医者たちもそれなりに高給取りではあったけれど、ルキンがあれだけ儲けているのは、貴族たちが顧客だからだと言う。

 大病院は、患者が金持ちだろうが貧乏人だろうが、治療費を――よくも悪くも――平等に請求する。下町の医者のように人情で負けることもなければ、ウォンガース病院のような大手であれば、金持ち相手だからとがめる(・・・)こともない。

 その代わり、個人的な礼金、というやつが支払われる。

 病院側では禁止していることが多い。医療の神ティリクールは、人を救うことを本分とすべし、としている。本当に無償で診る訳にはいかないが、正規の治療費以外は受け取らない、というのが表向きの姿勢だ。

(でもね、旦那)

 ヴァンタンは首を振った。

(こっそりと――)

「こっそりと内緒の治療をしてもらえりゃ、名誉を重んじるお貴族様だ、どうしたって礼金という名の口止め料を払いたくなるんだろう」

 知った口で、青年はそんなふうに言った。

「内緒の治療ってのは、どういうことだ」

 ビウェルは顔をしかめた。

「人に言えない病気ってのがあるだろ。まあ、年齢の問題であって病気と言えないやつも」

 青年は、〈剣〉や〈槍〉――男性性器を表す品のない仕草をした。ビウェルは再び顔をしかめたが、成程、とうなずかざるを得なかった。

 男の性的不具合だけではなく、女の病気にもよい治療をするらしい。女性もまたそういう治療を受けたことを言いたがらないから噂ばかりだが、〈水辺の夢は水音が見せる〉ものだ。

 いまやウォンガース病院はルキンの受付窓口みたいなもので、彼はほかの医師のように病院に通うことはせずに金持ちばかり診ている。正規の治療費は病院に行くが、病院では禁止している礼金が、まるまるルキンの懐に入るのだとか。

「でもね、それだけじゃない」

 ヴァンタンはくいくいと町憲兵を手招いた。彼らが密談をしている小路に人気(ひとけ)はなかったが、ビウェルは渋々と顔を寄せる。

「――下町にクスリをばらまいてる、という話が出はじめた」

「何」

 クスリ。幻惑草と言われる、習慣性のある違法の薬物。ビウェルの全身に緊張感が走ったが――ヴァンタンは首を振った。

「この場合は生憎、と言うことになるんだろうな。違法なやつじゃないんだ。習慣性はなくて、禁止薬物には数えられてない類」

 噂が真実であったとしても、裁きにかけるには至らない。ヴァンタンが言うのはそういうことだった。

「強いもんじゃないが、若い馬鹿なんかには受ける。小遣いをはたく(・・・)くらいの気合は要るが、町憲兵に捕まる心配をせずに軽くキメられて、なおかつちょっと悪いことをしているという背徳感も味わえる」

 それは以前からあることだった。

 そんなものを摂取しているところを町憲兵に見つかれば、一喝され、本当に違法性がないか調べられはするが、本当に捕らえられることはない。となると「馬鹿ども」は、ちょっと隠れて続けるだけだ。

 ただ、決して安いものではない。これらの話が出るのは中心街区(クェントル)に住めるくらいの財を持つ「いいおうち」のぼんぼんだの、そういうものを嗜むのが箔づけになると勘違いしている成り上がりといったところだ。

「そんなものに手を出す馬鹿は、いずれ幻惑草にも手を出すもんだ」

 ビウェルは苦々しく言った。

「捕縛はできんが、警告するだけの理由にはなるな」

「待った」

 ヴァンタンは両手を上げた。

「ルキンがばらまいているという証拠がない」

「そんなもんは要らん」

 きっぱりとビウェルは言った。

「それが町憲兵の台詞かい?」

「怪しい奴の周囲に怪しい噂が絶えない。俺にはそれで充分だ」

「困った人だなあ」

「何を困る。お前だって、下町にそんなもんをはびこらせたくはないんだろうが」

「ないよ、そりゃあね。俺の可愛い子供が育つ場所で、そんなもんが気軽に手に入ってほしくない。もちろん子供には、悪いものには近づかないよう、厳しく教育するが」

「厳しく、ねえ」

 胡乱そうにビウェルは言った。

「お前にできるとは思えんがな」

「言ってくれるね。だが確かに、甘やかしちまいそうだなあ」

「まあ、お前にできんことはお前の女房がしっかりやるだろう」

「かもな。教育に関しちゃ、俺がいない方がいいくらいかもしれん」

 ヴァンタンは顔をしかめて真面目な顔をしてみせようとしたが、それは一(トーア)と保たず、にやにや笑いに変わった。

「とにかく」

 父親になる男は、咳払いなどして笑みを消す努力をした。

「噂にすぎないと言やすぎないんだが、笑って聞き流せない類の噂だ」

「出回ってるブツは何だ」

 ビウェルは鋭く尋ねた。

「医者の用意するもんなら、リジェンダか」

「ありゃ高い、旦那。下町のガキにゃ無理だ」

「安物の粗悪品だろう」

「これまでのクスリにゃなかった感覚が味わえる、という話だ。俺はこれまでのも新しいのも知らんし、粗悪品なのかもしらんが、リジェンダじゃないようだ」

「何故言い切れる」

 やった(・・・)んじゃないのか、とばかりにビウェルはヴァンタンを睨んだ。

「何故って、知り合いの医者に見てもらったんだよ」

 不思議なことでもあるかい、とヴァンタンは肩をすくめた。

「阿呆!」

 近距離にいたままだったビウェルは、青年の耳元で思い切り叫んだ。ヴァンタンは反射的に両手で耳を塞ぐ。


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