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幸運の果実  作者: 一枝 唯
第1話 発端 第3章

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11 知らぬ世界を知ること

「要りません」

 少年は繰り返した。

「そうか。だが君の意見はそれでも、トルスは何と言うかな?」

「クォルサー先生に任せると言うでしょう」

「言ったように、私がクォルサーと話をしていたのは、この薬の件だ。彼も興味を持っていた。きっと勧めるだろう」

「そうであれば、そのときに」

 拒絶を繰り返すと、ルキンは少し、黙った。

「私の親切を断るとは、不遜な子供だな」

 ゆっくりと、医者は言った。

「信頼ならぬとでも考えているのか。なれば、昨夜のことを忘れたと見える」

「言っておきますが」

 少年は負けなかった。

「昨夜のことは、僕もトルスも借りだとは思っていませんので」

「何を」

「あなたが現れてから、町憲兵が現れるまでの時間。それから、町憲兵を連れてきてくれた彼女があなたと話をするを引くと、町憲兵の到着はもっと早かったはずということになりますから」

 そう、ルキンが引き止めなければナティカはもっと早く町憲兵を呼び、町憲兵がルキンと同じことか、或いはきちんと捕縛までしたはずなのだ。

 もっとも、ナティカがすぐに町憲兵を呼べるかどうかは、あの時点では判らない。時間がかかれば怪我人か、下手をすれば死人が出たかもしれない。結果があるから言えることでは、ある。

「子供よ、よく判った」

 少年の言い様に医者は、しかし、腹を立てた様子はなかった。

「キド伯爵の養い子は、口先ばかり達者な、無礼者ということか。飼い主(・・・)の程度が知れると言うもの」

 その代わり、男はそう言った。

 ファドックはどきりとした。

 自分の評判などはどうでもいい。犬か何かのように言われようと、かまわない。

 だが、キドに迷惑が――かかっては。

 わずかな表情の変化をルキンは見逃さなかった。

「私を疑うか? 子供よ」

 少年は黙っていた。

「名は」

「――ファドック・ソレスと言います」

 これには答えざるを得なかった。キドの養い子であると知られている以上、名乗らぬことも偽名を口にすることも無意味だ。

「ファドック」

 その響きを確認するかのように、ルキンは繰り返した。

「もう一度問う。私を疑うか」

「……そのようなことは、決して」

 心の内と異なる言葉を口にするのは、年若い少年にはとても痛いことだった。ファドックはまた、少しの間、沈黙をした。

「失礼を……いたしました」

 そのあとで、彼は言った。

「昨夜に引き続き、二度も先生にお助けいただくなど、お手を煩わせてはならないと……思いまして」

「ふん」

 ルキンはどこか面白そうにした。

「それで断ったという訳か? なかなか、言い訳にも頭も回るようだ」

「ご不快にさせてしまったのでしたら、申し開きのしようもありません」

 ファドックは頭を垂れた。

「では、これが」

 医師は瓶を指した。

「私の好意であること、判ったな?」

「……有難くお受けいたします」

「判れば、よい」

 医者は瓶の口を軽く弾いた。

「一本はここの主人に。一本は息子に。そしてもう一本はお前にやろう、ファドック」

「トルスや僕に?」

 意味が判らなくて、思わず彼は聞き返した。

「心臓の、薬なのでは」

「そのような限定的な使い方をする必要はない。これは、苦痛を和らげるもの」

 口の片端が引っ張られた。どこか皮肉めいた、それとも何かを企むような。

「肉体だけではない、心の、それも」

「心の――」

その通り(アレイス)

 ルキンはうなずいた。

「君は、まだ若い。哀しみ、苦しみにうちひしがれて、身体を動かすこともできなくなるような出来事に出会ったことはないだろう」

 男は手を伸ばすと、少年の肩に触れた。

 いちいち否定をするつもりはなかった――両親の話など、この男にしたくはなかった――が、内心に浮かんだ反感を抑えようとしたファドックは、触れられたことに身をびくりとさせる。

「だが、つらい思いをして、ため息ばかりが出てしまうようなことはあるはずだ。そんなときには、これを飲むといい。気分が晴れやかになる」

 優しい口調で、医者は言った。

「友だちにもそう伝えたまえ。今日はまだ、突然のことに興奮をしているだろう。しかし、父親の病気でつらい思いをするはずだ。これは彼をも助ける」

 そんな都合のいい薬が、あるだろうか?

 少年は簡単に信じることはなかった。

 或いは、考えた。幻惑草と呼ばれる、違法な薬物のこと。

「危険なものではない。法にも触れない」

 まるで彼の考えを読んだかのように、ルキンは手を振った。

「私を信じなさい、ファドック」

 彼は言った。

「私が何か、君や君のご主人、友人たちの不利になるような真似をしたことがあるか?」

「それは」

 ――ない。

 キドはこの男を気に入っておらず、ファドックもおそらくその影響を受けているのだが、それでも、具体的に何かをした訳ではない。優秀な医者であることも、確かだ。

「君のような賢い子供は好きだ」

 ルキンは、わずかに笑うようにした。

「とても真面目で、耐えることを知っている。幸せをもたらす薬になど頼らず、自らの力で切り抜けようとする」

 だが、と男は続けた。

「一度試してみるといい。知らぬ世界を知ること、それは君のためになるはずだ」

 自らが卓の上に置いた瓶をルキンは再度、その一本を手にした。かと思うとファドックの手を取り、半ば押しつけるようにする。

「気に入ったら、私の館へきなさい。君の分でも、この店の父子の分でも、欲しいだけ分けてやろう」

「いったい……」

 何を企んでいるのか。

「どうして、そのようなご親切を」

 心を抑えて、少年は尋ねた。医師は笑った。まるで、水が高いところから低いところへ流れるのはどうしてかなどと、判りきったことを訊かれたように。

 或いは、隠そうとしている少年の心など、見通しているかのように。

「君を気に入ったからだよ、ファドック少年」

 そう言って笑う男の裏に何があるのか。

 もしかしたら悪魔(ゾッフル)の黒い尾でもあるものか、はっきりと見て取ることは、ファドックにはできなかった。


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