09 一生なぞない
「やはり、知ってるな」
「まあ、ね。直接知ってる訳じゃないが」
「評判は」
「いいのと悪いのと……いいや、やばいのと、両方」
「ふん」
案の定、という辺りだ。
「〈一本角〉の船長とルキンには関わりがある。あの場に、ルキンもいたんだ」
ビウェルは簡潔に、状況を話した。
「知人が海に落ちて溺れてる。なのに、医者はそのままとんずらさ。いい人のふりをするつもりもなし。いまさら悪評はものともしないってところか」
「密輸船の船長とねえ。……何か企んでるんかな」
「おい」
ビウェルは聞き咎めた。
「何を掴んでる」
「その前に、旦那の依頼を最後まで聞こうか」
ヴァンタンは両手を上げ、そっちが先だと言った。クソ、とビウェルは呪いの言葉を吐く。普段ならふざけるなと一喝して終わりだが、今日はそうはいかない。
「あの船はしばらくアーレイドにきていなかった。だが航海記録を見れば、これまで停泊してきた港は知れる。根城は長いこと、北方陸線の方だった」
「ずいぶん下ってきたもんだな」
「大型船なら、珍しくない。〈海の鈴〉号なんかはよく行き来してる」
これは非常に真っ当な商船だった。
「ちょうどいま、きてるな。……もしかして、旦那」
「そうだ」
ビウェルは嘆息した。
「〈海の鈴〉の乗組員をとっ捕まえて、何か聞き出せ。〈一本角〉の船長の噂や、もしルキンも北からやってきたようなことがあれば……」
望みは薄いが、皆無ではない。
「成程ね。旦那じゃ、顔が知られてるって訳だ。でも、ラウセアならそれほどでもないだろ。彼にやらせればいいんじゃ」
「あいつにそんな応用が利くか」
「俺なら利くと思ってくれた、と」
「嬉しそうに笑うな。気分が悪い」
本当に、心の底から、気分が悪い。ビウェルは内心で罵りの言葉を吐き続けていた。情報屋として稼いでいる連中ならともかく、ヴァンタンは自身が言うように「ただの善良な一市民」だ。そんな人物に――いや、よりによって、この男を頼りにすることがあろうとは。
「ま、確かに〈海の鈴〉みたいな船の奴となら、呑気に会話をしても危ないことはないな」
うなずいて、ヴァンタンは笑った。
「旦那も気にしぃだねえ」
「お前もアーレイドの市民なんだから仕方ない」
ぶつぶつとビウェルは言った。気に入らなかろうが腹立たしかろうが、彼はヴァンタンを守る立場なのである。
「了解、旦那。成果が見込めるかは判らないが、やってみるよ」
「待て」
思わずビウェルは片手を上げ、ヴァンタンは目をしばたたく。
「何だよ?『引き受ける』ことにまで文句言うのか?」
「お前、こういうのは報酬の話を聞いてから決めるもんだろうが」
「は?」
ヴァンタンは瞬きを繰り返した。
「報酬払おうっての? 俺に?」
「無償でやろうって訳か?」
「だって。旦那から頼まれるなんて、今後一生のつき合いを考えても」
「一生なぞつき合うか」
「あと一回あるかないかだろ」
「もう二度とない」
「貴重な体験。金なんか出されなくたって引き受けるよ、旦那」
ヴァンタンは、合間に挟んだビウェルの言葉を全部無視してそう言った。
「阿呆」
町憲兵は唇を歪める。
「協力者への礼金ってのは、ちゃんと隊から出るんだ。俺が自腹を切る訳じゃないし、これはラウセアの好きな決まりごと」
ま、大した額じゃないがな、とビウェル。
「お前は、金が要るんだろうが」
「あー……まあね」
父親になる男は照れ笑いを見せた。
「そうか。旦那の金なんか受け取ったら今後一生何か言われそうだけど」
「一生なぞないと言ってるだろう」
「公的に出るなら、有難くもらおうかな」
「そうしとけ」
「俺たちの払った税金な訳だが」
「そう言うがな。俺だって税金は払ってるんだぞ」
「ま、そりゃそうか」
ヴァンタンは笑った。
「んじゃ、契約完了。あ、何か書く必要とかあんのか? 俺、文字なんか書けないけど」
「要らん。記録に残したがらない奴も多いからな」
「了解」
青年は繰り返すと、どこか面白そうにしていた。町憲兵は毒づく。
「しかし、ルキンか」
そこでヴァンタンは、真顔になった。
「本当に驚いたよ、旦那」
深く息を吐いて、彼は続ける。
「実はね。俺がいま追いかけてるのは、そのお医者様なんだ」
「何?」
今度はビウェルが驚かされた。
「アーレイドにきたのは一、二年前。難病の子供を劇的に回復させたとかで、あっさりと大病院に職を得た。ウォンガース病院は優秀な医者揃いで有名だが、その分、簡単に新しい人間を入れたりしない。そのときゃけっこう、噂になったよ」
「俺は初耳だったぞ」
「事件じゃないからなあ、旦那の耳には届かない類の噂だよ」
ヴァンタンは肩をすくめた。
「旦那ふうに手厳しく言や、意味のないお喋りというやつ」
「ふん」
言葉を先取られて、ビウェルは鼻を鳴らした。
「さっきも言ったように、旦那に話す段階じゃない。旦那の好きな証拠もないし」
「それもラウセアだ」
ビウェルは指摘したが、ヴァンタンはそうかねと言った。
「俺が誰それは無実だと言うたびに、こっちには証拠があるとか、覆したければ証拠を持ってこいとか言うのは、ラウセアじゃないよ」
嘆息混じりの指摘に、ビウェルは言葉を返せなかった。仏頂面でうなる。
「まあ、でも流れ上、話そう。俺には旦那みたいに意地を張る気質はないし」
「いちいちうるさいな」
いいから話せ、とビウェルは言った。はいはいとヴァンタンは応じ、どう話そうかと考えるように視線をうろつかせた。
薄暗い話になりそうなことは、想像してみるまでもない。
それを忌避することこそ無論ないものの――さんさんと照る太陽が、ビウェルは何だか恨めしかった。




