08 槍が降るんじゃないかな
男は空を見上げた。
見事なまでの晴天である。雲ひとつ、ない。
彼はゆっくりと視線を戻すと、息を吐いて首を振った。
「何を見てる」
苦々しい声音である。
「いやね、トルーディ旦那」
ヴァンタンは町憲兵を見ながら肩をすくめた。
「あんたが俺に話があると言い出すなんざ、雪でも降るんじゃないかと」
「雪でも槍でも、降らしたければ降らせろ」
ビウェルは仏頂面で言った。
「降らしたい訳じゃないし、降らせることができるはずもないだろう」
だいたい槍なんて無理だよ、とヴァンタンは、もっともなのかどうなのかよく判らないことを返す。
「それで、話ってのは? あ、俺がまだ町憲兵隊に行ってないと、そういう話か? 生憎と、まだ旦那に伝えられるほどのことは……」
「お前が何を探ってるのかは知らん。それはどうでもいい」
ぴしゃりとビウェルはとめた。
「『どうでもいい』は酷いな」
ヴァンタンは傷ついた顔をした。
「もしかしたらものすごく重要なことで、旦那は俺に泣いて感謝をするかも」
「するか、阿呆」
ビウェルは一蹴した。
「何かおかしなことがあれば、町憲兵に報告するのは市民の義務だ」
「義務を怠る連中が多いなか、俺は褒められてもいいと思うけどなあ」
「褒められたくてやってるのか?」
「手厳しいね、いつもながら」
ヴァンタンは肩をすくめた。
「ま、確かに俺は、別にお褒めの言葉がほしくてうろちょろしてる訳じゃない」
うろちょろしてる自覚はあるのか、とビウェルは思った。
「アーレイドが今日も明日も明後日もよい街でありますように。そう願ってる訳。旦那と一緒だろ?」
「ラウセアにしとけ」
「またまた。照れ屋さんだなあ、いつもながら」
「阿呆」
つき合ってられん、と苦々しく町憲兵は思ったが、もとより今日は、彼の方がこのふざけた男を呼び出しているのである。ぷいっと踵を返す訳にもいかない。
「お前に話と言うのは」
「言うのは?」
ヴァンタンは繰り返したが、ビウェルはそこで黙ってしまった。
「……何だよ。言ってくれなきゃ判らないだろ。俺は魔術師じゃないんだから」
「言いたくないんだ」
「何だそりゃ」
青年は苦笑する。
「話があるが、話したくない?」
「そうだ」
ビウェルはむっつりと両腕を組んだ。
「そりゃ頓知問答だね、旦那。話したくない相手に、どうやって話をするか」
「お前と話したくないと言っているんじゃない。この話をすると、これまでの大前提が崩れる。だから、言いたくないんだが」
そこで彼は大きく息を吐いた。
「ヴァンタン」
「何」
「頼みがある」
その言葉に青年は、これ以上は不可能なくらいに目を見開いた。
「旦那」
「何だ」
「まじ、槍が降るんじゃないかな?」
「阿呆」
ビウェルは頭が痛くなる思いだった。もう一度、深々と息を吐く。
「どうせお前のことだ、〈海獣の一本角〉号の船長が海に落ちて死んだ話は知ってるな」
「ああ、知ってるが。自殺だとか事故だとか」
「そうは思えない節がある」
ラウセアがいれば「ビウェルが思い込んでるだけでしょうに」と指摘をするところだが、幸か不幸かラウセアはここにいない。詰め所へ帰ればまた「ひとりでどこへ行ってきたんです!」と目をつり上げるだろうが知ったことか、と相棒は切り捨てた。
「違う? じゃ、まさか殺しか?」
ヴァンタンは瞬きをした。
「だが聞いた話じゃ、船長が自ら手すりを乗り越えて飛び込んだとか落ちたとか。町憲兵も目撃してたとかって」
「その通り」
こいつの情報収集能力は、ちょっとした情報屋並みだな、とビウェルは感心しそうになった。
「俺とラウセアが見た」
「はあ?」
情報屋並みの男もそこまでは掴んでいなかったらしく、ぽかんと口を開ける。
「ああ……そうか。そう言や、旦那たちと港で行き会った日のことだったな。あのあとか」
「あのすぐあとだ」
「俺も残って、見てりゃよかった」
「芸事じゃないんだぞ」
「判ってるよ。人死にだ。自殺でも事故でも……殺しでも」
ヴァンタンは追悼の仕草をした。見も知らぬ人間に対して殊勝なことだ、とビウェルは呆れた。
「旦那がその場で見てたってんなら……船長を突き落とす人影でも見かけたのか? いや、そうならさっさと捕まえてるか」
判らないと言うようにヴァンタンは茶色い頭をかいた。
「船長の近くには誰もいなかった。あいつは自分の意志で欄干を越え、海に飛び込んだようにしか見えなかった」
「……ならやっぱり自殺か、泥酔癖があったとか」
「昼日中の、大量に人目があるところで自殺なんざするか? 死ぬ気があるなら、人気のない崖からでも飛び込む」
ビウェルはラウセアにしたのと同じような話をした。
「それに、入港の準備で忙しくしていて、酒など飲んでいなかったという証言もある」
「んー……それじゃあ……すごくお調子者で、目立とうと思って足を滑らせたとか」
ヴァンタンは言ったが、さすがに本当にそう思っているという感じではなかったから、ビウェルも「阿呆」は控えた。
「まあ、確かに変っちゃ変だが、衝動的に自殺を考えるってなこともあるんじゃないか。うっかり助けられちまうとは思わないで」
「ないとは言えんな。だが、密輸船の船長がそんなタマとも思えん」
やはりラウセアがいれば「証拠もないのにそういった決めつけはよくないと思います」とでもくるだろうが、やはりラウセアはいない。
「み」
また、ヴァンタンは口を開けたが、意志の力でそれを閉ざした。
「密輸船ときたか。成程ね。旦那が気にかける理由が判ったよ」
小さくうなずいたあとで、待てよとヴァンタンは言った。
「何で、そんな話を俺にする? あんたはいつも、俺が聞き出そうと必死になったって、ちらとも洩らさないのに」
「船員からは、船長の自殺の動機はもとより、密輸品の話も聞き出せなかった」
「……ん? 聞き出せなくても、密輸の証拠は挙がってんだろう?」
「いや」
ビウェルは本当のことを言った。ヴァンタンは苦笑めいたものを浮かべる。
「例によって旦那の勘かい。騙されるところだったな」
「誰が騙すか。お前も知ってるだろう、ジェルスの一覧のことは」
「――ああ、あれか」
青年は真剣な表情を取り戻した。
「〈一本角〉の名前が、あれに?」
「ああ」
「成程」
ヴァンタンはまた言った。
「それじゃ間違いなく黒だな」
「俺はそこまで言い切らんが」
「何だよ。ジェルス座長のくれた情報を信じてるから、動いてんじゃないのか」
「参考としてるにすぎん。頭から信じたりするか」
「旦那らしいよ」
つい、と言うところか、またヴァンタンの顔に苦笑が浮かぶ。
「だいたい、判った」
「何だと」
「旦那の頼みごとだよ。連中が素直に町憲兵に言わないようなことを探ってこいってんだろ」
「馬鹿野郎。そんな真似をさせるか」
「何だよ、違うのか」
拍子抜けしたようにヴァンタンは瞬きをした。
「俺はお前を気に入らないが、町憲兵が民間人に危ない真似をさせられるか、と言うんだ」
「話を聞くくらい、危なくないと思うがね」
「世間話ならな」
密輸品のことを聞き出そうと言うのであれば、危なくないはずがない。
「違うなら、何なんだ? 話が見えないままだよ、旦那」
「どうせお前のことだ」
ビウェルはまた言った。
「アヴ=ルキン――という医者について、何か聞いたことがあるんじゃないか」
「……は」
ヴァンタンは三度口を開けたが、情報屋のように思われて呆然としたというのではなく、その名に驚いたように見えた。




