10 面白い縁だね
いちばん興奮していたのは、ナティカであったと言えよう。
「それがね、トルスっ」
町憲兵隊の詰め所を訪れた彼らは、あらかたの話を終えた。トルスは少し迷ったが、ルキン――アヴ=ルキンの話はしなかった。言わないと医者に約束したためもあるが、その点を除いて「向こうが思っていたより自分たちが強かったので、奴らは尻尾を巻いて逃げた」ということにしても別に問題はないと思ったからだ。
ファドックもトルスが端折った話をいちいち告げることはせず、ただちんぴらどもの特徴だけを話した。「ありのまま」なんて言っていたから全部話す気かなと思っていたトルスは少し意外だったが、自分と同じように「強いて言うまでもない」と考えたのだろう、と思った。
そのあと、少し待っているようにと案内された一室で適当に腰かけるなり、少女は興奮冷めやらぬ勢いで兄貴分に話しかけたのである。
「私としてはさっ、いきなり見知らぬ人に助けを求めた訳じゃないのよ」
ナティカも町憲兵にルキンの話はしなかった。トルスらの話に出てくれば補足をしただろうが、そうならなかったから黙っていたのだろう。その代わり、いま話そうという訳だ。
アヴ=ルキンの話を聞いた限りでは、まるで泡を食ったナティカが、誰でもいいから通りすがりの人を呼んだような印象だ。
場合によっては臨機応変と言えるが、先ほどの場合、刃物の絡むやり取りである。普通は我関せずと逃げるものだし、余程の正義感であっても、心得がなければ被害者が増えるだけのことになる。
見るからに立派な体格の戦士だったとでも言うのならばまだしも、ルキンの体格は普通だ。いくらか長身ではあったが、鍛えているという感じはしない。ぱっと見ではとても医者――人を救うことを本分とする〈医療の神ティリクールの使徒〉にも見えない。
犬のこともある。あんな体格の獣を見たら、普通はびびる。頼りになると考えることも有り得るが、それはご主人様の性格次第だ。犬に助けてもらえるどころか、威嚇されて逃げ出す羽目にだってなりかねない。
つまりトルスは、ナティカがルキンに助けを求めたというのは少し奇妙だな、と思っていたのだが、やはりと言おうか、そういう話ではなかったらしい。
「彼と一緒に歩いてたのが、仕事仲間だったの」
「何?」
ナティカの仕事仲間というと、もちろんエルファラス商会の雇い人だろう。だが、商会主であったとでも言うならまだしも、ただの働き手があの上等な格好をした男の隣にいたというのは少し違和感があった。
「でも別に仲がいいって相手でもないからさ、あっと思って目を合わせただけだったんだけど、向こうが呼びとめてきて。あ、呼びとめたのはあのおじさんね」
続けながらナティカは、一見では貴族にすら見える医者のことを容赦なく「おじさん」と表現した。
「慌てているようだけど何か、とかって。私は、町憲兵を見ませんでしたかって訊いたの。近場の発遣所に走るつもりではいたけど、もしかしたら運よく、近いとこうろついてるかもしれないし」
ルキンは事情を問い、ナティカは簡潔に説明した。すると男は、自分が様子を見てくるからと、彼女にはそのまま走るように告げたらしい。そこはルキンが語った通りだ。
「一喝でちんぴらを蹴散らすお医者様、ねえ」
そんなふうには見えなかったなあ、とナティカ。
「見えなかったな」
トルスも同意した。
「だが、まあ、ファドックも言う通り。あいつが医者なのは間違いないみたいだ。だろ?」
黒髪の少年に話を振ると、彼は黙ったままでうなずいた。
「ちょっとトルス。その人、紹介してよ」
「何だよ、そりゃ。どっかの旦那はいいのか」
「馬鹿。そういう話じゃないわよ。自分を通した知り合い同士が初対面なら、紹介するのが筋ってもんじゃないの」
「はいはい」
トルスは判ったよと肩をすくめた。
「ナティカ、こいつはファドック。何か、どっかいいとこにお勤めらしい。ファドック、こいつはナティカ。エルファラス商会の売り子」
以上、とトルスが言えば、ナティカは不満そうだった。
「もうちょっと、誠意のある紹介の仕方ってない訳?」
「どんなのが望みなんだよ。自分でやれや」
「もう。仕方ないなあ」
ナティカは肩をすくめた。
「はじめまして、ファドック。私はこれの幼馴染みで、よく面倒を見てます」
「おい。見てるのは俺だ」
「兄貴分がご迷惑をおかけしたようで、ごめんなさい」
「かけられたのはどっちかって言うと俺だが」
「勝手に首を突っ込んできたんじゃないか」
ファドックはもっともなことを言った。
「はじめまして、セリ・ナティカ」
女性につける丁寧な敬称を使って、ファドックはナティカに応じた。
「トルスはああいった不良連中と縁が強いのか」
「おい。どういう言い草なんだ」
「最初に会ったのも、僕が絡まれていたときでした。今夜も偶然」
「俺にはどう見ても、お前の方が連中と縁が強いように思えるぞ」
トルスは本当のことを言った。ファドックは笑う。
「そうかもな。君が、街じゅうの被害者を助けて回ってる正義の騎士でなければ」
「そんな訳があるか、阿呆」
「この偶然は、面白い縁だね」
「あんまり面白いとは思えねえ」
「何でいちいち、反対する訳?」
ナティカが呆れたように言った。
「こいつが反対されるようなことを言うからだろうが」
トルスは唇を歪めた。
「そうだ、ファドック、ルキンのこと聞いてねえぞ。何でお前、あいつを知ってんだ?」
思い出して料理屋の息子は問うた。麺麭屋の息子は、わずかに眉根を寄せる。
「僕の仕える方のところに、幾度かきてる」
「ご主人様の知り合いか」
「知り合い、と言うのかな。間違っても、親しい友人ではないけれど」
「何だ何だ。含みのある言い方すんなよ」
トルスは顔をしかめた。
「もっと、こう、ずばっとこい」
「ずばっと」
いくらか暗くなった表情を消して、ファドックは面白がるような顔をした。
「では、ずばっと。彼は自分を売り込みにきた。少なくとも僕にはそう感じられた」
「……へえ?」
あの立派なお医者様が――この「立派な」は、「医師」にかかるのではなく、「立派な格好をした」というだけの意味だ――売り込みに行くとは、何だか似合わない感じがした。
「何者だよ」
「だから、医者だろう」
「じゃ、ねえって。お前のご主人様のこと」
「ん」
たいていにおいてさらりと返答を寄越してくるファドックは、このとき、少し詰まった。
「トルスは、どう思ってるんだ」
「お偉いさん、てとこか」
彼はあまり答えにならない答えを返した。
「そんなところだよ」
「おい」
答えになってねえ、と自分のことを棚に上げて若者は糾弾した。
「あまり言いたくないんだ。言いふらすような形になって、彼に迷惑をかけるといけないから」
「てめえ、ずっこくねえか」
「何でよ」
と言ったのはナティカだった。
「いいじゃない。ねえ? 人には事情ってものがあるのよ。トルスには、あんまり複雑なのはないかもだけど」
「お前なあ」
トルスは妹分を睨む。
「何よ」
ナティカは負けていなかった。
「ファドックの事情を汲んであげなさいよ。年上でしょ」
「お兄ちゃんでしょ」と言う訳だ。トルスは苦笑する。
それは、彼らが子供の頃、大人たちがトルスに対して言った言葉だったが、「お兄ちゃん」に対して「妹」であったはずのナティカから言われると妙な気分である。
「まあ、別に、ちょっと興味があっただけだし。言いたくないんなら、いいさ」
彼は正直なところを言って、肩をすくめた。ファドックは謝罪の仕草などする。




