炎と色男
失恋をした。
恋を失うと書いて"失恋"
これがただの失恋だったら、どれほど良かったのだろう。
昔見た映画で、「燃えるような恋だった」という言葉があったけれど、私の場合、恋の炎は強すぎて業火となり、全てを焦がしてしまった。本当に何もかも、全て。
あたしは炎に包まれ燃え尽きて、灰になる筈なのに、未だに身体が焼ける様に熱い、熱い、熱い。
だからこうして大雨の中、傘を差さずに歩いているのだ。
「早く燃え尽きてよ。お願いだから」 あたしは呟く。一刻も早く、消えてしまいたい。そう願いながら当てもなく街を歩き続ける。
突然、雨が止んだ。
「お嬢さん、風邪を引いてしまいますよ。」
振り返ると、髪の長い男が微笑みながら傘を私に差した。妙に古風な傘。まるで時代劇の様な格好……あぁ、素敵。
まるで古い映画のワンシーンみたい。
私は笑う。
「ねぇ寒いよ。どこか、暖かい所へ連れてってくれる?」
男は静かに頬笑み、答えた。
「……いいですよ。さぁ、行きましょう」
そして私達は歩き始める。この映画の主演は私。物語はまだ、続いている。
「あははは」
乾いた笑いが、込み上げた。
彼に連れてこられた小さな部屋は、彼の服装と同じ古風だった。畳にふすまに置行灯の薄暗い灯り……そして部屋の真ん中には布団が敷いてある。
良いなぁ。本当に。今の景色全てが、あたしにお似合いだ。
「今、着替えを持ってきます」
そう言って彼は部屋を出ようとする。あたしは逃がさぬように彼の背中に抱きついた。
「必要ないよ、寒いのは嘘。本当は暑くてたまらないの」そのまま片手で結んだ髪を解き、シャツのボタンを外していく。シャツを取り払い、次はブラジャーのホックを外した。彼の身体は冷たかった。
この映画はクライマックスだ。私は狂った女を演じてみせよう。さぁ観客の皆様、ご覧あれ。
「このまま燃やし尽くしてよ。貴方の手で」
男はしばらく無言で、静かに切り出した。
「貴方は、まだ大丈夫ですよ」
「えっ……」
「私の様にはなってはいけません」
彼は振り向き、私にキスをした。唇も、氷の様に冷たかった。
突如、視界がグルグルと回る。私は立っていられなくなりその場に倒れ込む。
彼は優しい顔で私を見ている。
「や……、やだやだやだ! あたし、もうどうにかなりたいの! ぐちゃぐちゃになりたいの!」私はどうしようも無く悲しくなって、子供が駄々をこねる様に叫び続けた。視界は万華鏡の様に回る。
「大丈夫。貴方は明日にはいつも通りです」
彼は頬笑んだ。とても綺麗な笑顔だった。
「いつの時代も、女性は男よりずうっと強いのですから」
「ねぇ置いていかないで……」あたしは泣きながら手を伸ばす。彼には、届かない
「さようなら、お嬢さん」彼の言葉を最後に万華鏡は漆黒に塗りつぶされる。
次に目が覚めると、私は同じ和室で敷かれていた布団で寝ていた。浴衣を着ていて、信じられないくらいはだけていた。外から小鳥のさえずりが聞こえ、頭がぼうっとする。
「あんた、起きなはったか」
ふすまが開き、着物姿の老婆が現れた。
「ここは……?」
「旅館だよ。あたしゃここの女将。覚えてないのかい? あんた雨の中家の前で倒れてたんだよ」
頭が徐々にはっきりしてくる。
「女将さん、あの男の人は?」
そうあたしが聞くと、女将は納得したかの様に笑う。
「ああ、そりゃ幽霊さね」
「幽霊?」
「そう。先代が女将をやってるときにね、あの部屋で若い男が自殺したんだよ。小さい頃よく聞かされたもんさ。大層好色だったらしくてね、よくあの部屋に女を連れ込んでいたらいい。けれどそんな男も、ある日本当に愛する人を見つけたらしくてね。それ以来ここには来なくなったみたいだね」
確かに彼はあたしに火を灯さなかった。
「だけどその思い人は流行り病で亡くなってね、男は後を追うようにここの近くの池で、入水自殺をしたのさ。それからというもの、時々、あんたみたいに失恋した若い女がここに来るのさ」
あたしは女将の話し聞いても腑に落ちず、訪ねる。
「どうしてあたしはここに連れてこられたの?」
色男で幽霊なら、あたしをどこかに連れ出して欲しかった。
「きっと、救いたかったんだろうねぇ」
「救う?」
「ああ、その人は”本当の女好き”だったのさ。あんた、死ぬ気だったんだろ?」
あたしは曖昧に頷く。そんな気持ちが本当にあったかは、自分でも分からない。
女将は遠い目をして呟いた。
「自分が死ぬのは良くても、女が死ぬのは見てられなかったんだろうねぇ」
女将にお礼を言い、旅館を後にした。温泉街を歩く。ここは私の自宅からはびっくりするほど遠い場所だった。空は青く、太陽が眩しい。
「結局、あたしは主演女優にはなれなかったのね」
ぽつりと呟く。悲しくて、だけどどこか清清しい気持ちだった。
これからどうしよう。そう考えた時、ふわりとした香りが鼻をかすめる。
「ん、良い匂い……」 香りの先を見ると、出来たてお饅頭と書かれたのれんを見つけた。
店に入り、一つ買う。外に出てから一口頬張った。
自然と笑みがこぼれる。
口の中は甘く、暖かかった。