第八回 世界はおにくを求めてる
ティ連に日本が加盟して以後、目立たないながらも大きく影響を受けた物。それは「食」である。
ハイクァーンによる食糧造成が行われる様になり、また、従来の農林水産業についても、JF(漁協)とパーミラヘイムの提携による「海洋牧場」に代表される様に、技術革新が飛躍的に進んだのだ。
結果、日本の食卓はバラエティにとんだ豊かな物となっている。
例えば、絶滅が心配されていたウナギやクロマグロは完全養殖が容易となり、気軽な食材へと変貌した。
鯨肉もまた、捕鯨によらないハイクァーン造成肉が出回る事で、学校給食には懐かしい竜田揚げが復活した。尾の身の刺身やハリハリ鍋も、庶民の口に戻って来た。
食中毒事故発生により、飲食店での提供が禁じられていた牛レバ刺も、ハイクァーン造成の物なら安全に食べられる。
勿論、イゼイラの甲殻類「ヴァズラー」他、ティ連各国で食されている独自の食材や、それを使った料理についてもハイクァーン造成によって容易に口に出来る様になっている。
また、ティ連による食への影響は日本に留まらない。ハイクァーン造成された兎肉がヤルバーンから、EUを皮切りにLNIF加盟国へと輸出される様になったのだ。
それを特に歓迎したのは、宗教的理由や菜食主義によって肉食を忌避していた人達である。タブーに触れないタンパク源として、ハイクァーン造成兎肉は大人気だ。
輸出先の消費者からは「兎肉だけでなく他の肉も出来ないのか」という要望が相次いでいる。
ヤルバーンとしても、食糧資源ならばテクノロジー規制を気にせずとも良く、かつ消耗品の為、需要が続くという面でも利点が大きい。
その為、要望に応じて様々な肉を作り出し、品目を増やしたいのは山々だが、大きな問題があった。
兎肉輸出は元々、EUから愛玩動物としてウサギを輸入する為に、バーター取引の代価として始まったという経緯がある。
食肉や皮革が目的だった養兎を、ヤルバーンを経由したティ連輸出用の愛玩種へと切り替えてもらう代わりに、食肉供給に支障が生じない様、ヤルバーン側からハイクァーン造成兎肉を輸出するという協定をEUと結んだのだ。
これならば、万が一ヤルバーンから造成兎肉の供給が途絶える事態となっても、再び養兎を域内の食肉用へと戻す事が出来るので、EU側も食糧安保上の不安が緩和される。
また、雇用や食糧自給率確保への配慮から、輸出するハイクァーン造成肉の種類は、他の家畜・家禽へと広げない旨も協定に組み込まれている。
他のLNIF加盟国へハイクァーン造成兎肉を輸出する際にも、現地政府とは概ね同様の協定を取り交わしていた。
その為、折角のリクエストにも応えられない状態が続いていたのだが、元々稀少で、輸出先の生産者と競合しない物については大丈夫ではないかという意見が、ヤルバーン内であがり始めた。
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様々な検討の末、まず対象になったのは「リョコウバト」だ。
かつては北米東岸部に多く生息していたが、食用として乱獲され続けた結果、1914年には絶滅してしまった種である。
記録によれば肉はとても美味とされ、高級食材として珍重されたという。
米国は父祖の愚行を償うべく、残された標本からクローン再生によるリョコウバトの復活を試みていたが、サマルカの技術協力によりそれを成し遂げていた。
勿論、復活したリョコウバトは保護種なので、狩猟、ましてや食用にする事は固く禁じられているのだが、美味というかつての評判から、米国民の間では「一度食べてみたい」という要望がささやかれていた。
しかしリョコウバトは一度の産卵で卵が一つしか生まれず、とても繁殖力が低い為、食肉目的の人工飼育は採算が取れないのは明白だった。
ヤルバーンはそれに目を付け、ハイクァーンによってリョコウバト肉を造成し、米国の食卓に供しようと目論んだのである。
ハイクァーン造成肉が供給されれば密猟の心配もなくなるであろう事から、米国政府もヤルバーンの計画を了承し、主に高級料理店を顧客として、造成リョコウバト肉の供給が始まった。
評判は上々であり、「ティ連の協力による、米国伝統の味の復活」として、その成果は大きく宣伝される事となった。
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リョコウバトの成功により、次なるターゲットとなったのは「北京ダック」として知られる、丸焼き用のアヒルである。
北京ダックは中華料理の代表格の一つなのだが、飼育法の残酷さも知られている。
アヒルにくわせさせたパイプから、栄養価の高い飼料を強制的に胃に流し込み、効率良く太らせるのである。
その名が示す様に、主な生産地は中共だ。自国内での消費だけでなく、世界中に輸出されている。
アヒルその物は世界中で家禽として飼育されており、その造成肉の輸出は、ヤルバーンが各国と取り交わした協定にも抵触するのだが、中共はLNIF陣営に対抗している、CJSCA陣営の盟主である。
その為、北京ダックに関する限り、生産者への配慮は無用と思われた。
折しも、北京ダックの飼育法に反対するキャンペーンが、動物保護団体を中核としてインターネット上で盛り上がり始めた為、ヤルバーンはそれを好機と捉え、造成北京ダックを積極的に売り出す事とした。
動物保護団体といっても、個々の団体はスタンスが様々に異なるのだが、ハイクァーン造成肉については、どの団体も好意的である。
動物保護団体には、芸能人や作家を中心とした著名な文化人が多く加わっている。彼等は中共で生産される「本物」の代替品として、造成北京ダックは申し分ないと絶賛した為、その売り込みに弾みがつく事となった。
かつての反捕鯨キャンペーンでは、こういった著名な活動家は厄介な存在だったのだが、味方につければ実に有効である。
造成北京ダックはLNIF加盟国で瞬く間に普及し、対して従来の中共産は急速に姿を消していく事となった。
それどころか、直接には輸出していない中共にすら、第三国経由で造成北京ダックが流入する事となり、正規流通ではない分、プレミア価格で富裕層に珍重される様となる。
ついには、本来の北京ダックが「代用品」として、中間層をターゲットに、中共の国内マーケットで売られる様になる始末だった。
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リョコウバトや北京ダックが好調な事から、かつて食されていた絶滅種や希少種、あるいは飼育法が残酷とされる家畜・家禽の代替品が出来ないかと、ヤルバーンには次々と要望が寄せられる様になっていった。
それに応える形で、例えばフカヒレ、フォアグラ、アオウミガメ、オットセイの局部といった高級食材が次々とラインナップに加えられていく。
ヤルバーンはそれにより利益を得て、価格も本物より廉価な為に大衆の口に届き易くなり、何より当該動物の保護にも繋がる。全くいい事づくめである。
ついには、ヤルバーン内の生産のみでは需要に応じきれなくなった為、日本の食品メーカーとの合弁により、造成肉工場が日本のあちこちに新設される様になった。
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様々なラインナップの内、最もユニークなのは「犬」である。このオーダーは、台湾の飲食業界から寄せられた。
日本に於ける犬は、愛玩、狩猟、障害者補助等で使役される家畜であり、食用とは認識されていない。
だが、アジアを中心に犬食文化を持つ国は多く、近年は欧米からの批難の的とされているのだ。
台湾もこの様な外圧に配慮する形で、2003年に犬肉の流通が禁止された為、以後は犬肉料理が出せない状態が続いているのだが、どうにかして食べたいという需要は根強くある。
そこで、ハイクァーン造成肉によって犬肉料理を復活させたいという訳だ。
要望に応じ出荷された造成犬肉は台湾で好評となり、これによってLNIF各国の華僑社会にも出荷先は広がっていった。
特に、LNIFに加盟する先進国では犬肉が台湾同様に入手し辛かった為、造成犬肉は大歓迎される事となる。
また、犬肉を欲していたのは中華系民族だけではない。やはり移民として世界各地に根付き拠点を築いている朝鮮民族も然りである。彼等もまた、補身湯に代表される独自の犬肉料理の材料として、造成犬肉の消費者となっていった。
ところで、ヤルバーンは地球での交易先を、原則的にLNIF加盟国のみとしている(台湾はオブザーバーとしてLNIF参加)。
その為、CJSCA陣営に属し、犬肉の消費が大きく見込まれる韓国へは、台湾の商社が中継交易を試みた。
しかし韓国は、自国の養犬業者保護を理由に、造成犬肉を輸入禁止品目に指定する。
実際の動機は、LNIF加盟を望みつつも竹島問題を抱える為に拒まれ、CJSCA陣営に身を寄せざるを得なくなった事への不快感の現れであろうというのが、世論の見方であった。
結果、韓国では造成犬肉の密輸が新たな地下ビジネスとなってしまう。
さらに、造成犬肉の密売によって、韓国内の養犬業者を破綻させようと企む、過激な愛犬家団体がそれに加担する事となり、状況はさらにカオスさを増した。
造成犬肉を巡る韓国の治安当局と密輸業者との攻防は、時には銃撃戦による死者まで出る凄惨な物となり、世界各国は陣営を問わず、その事態に唖然となった。
一方、犬肉食がやはり盛んな北朝鮮に於いては、別な形で斜め上の反応があった。
経済封鎖を受けているにも関わらず、どこからか入手した造成犬肉による料理が、第一書記の主宰する宴席に並べられる様になったとの話が、ロシア経由で報じられる。
造成犬肉による民族料理を前に、党幹部と共に晴れやかな笑顔で乾杯する第一書記の姿がニュースで流れると、ヤルバーンの関係者は、思わぬ相手から寄せられた製品への賞賛に苦笑せざるを得なかった……