第六回 TV局がこの先生きのこるには
マスコミ禁止法。ティ連連合憲章に基づき、各加盟国が整備している法である。
ティ連は全体の方針として、営利目的による報道が固く禁止されているのだ。公正さを欠く内容になりがちというのが理由である。
ちなみに、ハイクァーン経済のティ連に於いても、営利活動は成立し得る。
確かにハイクァーン受給権は直接譲渡出来ないのだが、物々交換や情報の提供、便宜の供与、さらには貨幣経済体制をとる、外交関係にある国が発行した外貨……例えば日本円は、ティ連各国にある外貨ショップで通用する……等を対価に使えば良い。
ともあれ、ティ連に於ける報道は全て、無償ボランティアによる記者によって集められたソースが、AIによる検証・校閲を加えた上で配信されている。
ティ連に加盟した上は、日本もその全体方針に合わせるべく、国内法を整備するのが原則なのだが、流石にそれぞれの国情があるので、連合法特別免除規定という物がある。
マスコミ企業を直ちに解散させてしまっては、それはそれで困るのだ。
日本政府が特別免除を申請した事により、マスコミはとりあえずの命脈を保ったのである。
しかしながら、これはあくまで経過措置だ。永続的に続けられる物ではない。
当然に各マスコミは何とか特別免除による現状維持を継続させるべく、あの手この手で政府を揺さぶり、また与野党を問わず懇意の政治家を通じて影響力の行使を試みている。
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日本のマスコミは各社とも、政治的な主義・主張を抱えている。対外融和的・福祉重視ならA(仮)新聞、対外強硬的・財界重視ならS(仮)新聞という具合だ。
それぞれのマスコミは、同じ事象に対して、自社の主義・主張に基づいた見解を加えて報道するので、それが特色となる。市民は好みの論調の物を選ぶという訳だ。
各社の方針は長年にわたって培われたものであり、社員もまた、それに賛同し「社会的使命」と考えている者が集まっている。自らの信じたい正義の旗の下に集まったという訳である。
その使命感こそが、偏向、さらには不正な報道の元凶なのだ。
マスコミは、自社の主義・主張に都合の悪い事実は、掴んでいても極力伏せようとする。
どうかすると、確証のない風聞・憶測を「見込み」で報道したり、やらせ・捏造すら行う事もあるのだ。
偏向は限りなく黒に近いグレーだが「編集権」の名の下に彼等は正当化する。俗に言う「報道しない自由」である。
見込みや捏造に至っては明確に論外だが、功を焦った現場はやらかしてしまいがちだ。
社会に正義を訴える為なら、彼等はそれが許されると考えてしまう。
これこそが、現在のマスコミの実態にして暗部だ。
例え事実でも、社会を悪い方向に導く情報を市民に提供して良い物か?
報道内容に少々事実と食い違いがあっても、社会が正しく進むのであれば必要悪だ。
彼等の本音はこんな処である。
自らの奉じる社会正義の為なら、ダーティーな情報操作も正当化する。うがった見方をすれば、一種の情報テロ行為に等しい。
マスコミは一種の政治結社としての側面があるのだ。
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一方で日本政府も、無報酬のボランティアによる報道のみを是とするマスコミ禁止法の早期導入は、難しい面がある事は自覚していた。
日本にハイクァーン経済を全面導入し、全ての市民に経済的平等を与えた上でなくては、この規制も成り立ち辛いのだ。
現状の貨幣経済下で、マスコミ従事者に無収入の手弁当で活動しろというのは、客観的に見ても無理な話である。また、組織としても運営活動に費用がかかるのは当然だ。
裏を返せば、マスコミ禁止法を多数決の論理で強硬に導入しようとしないのは、その前提となるハイクァーン経済の全面導入は当分あり得ないという、政府の強い意思も透けて見えるのだが……
そういった状況の下、政府とマスコミは、規制の内容や時期について、丁々発止のつばぜり合いを続けているのが、目下の状況である。
政府も、貨幣経済を廃止しない上は、ある程度の妥協もやむを得ないと考え、ティ連側ともすり合わせた上で規制内容案を提示しているが、議論の状況は芳しいとは言えない。
「無償の報道しか認めないなら、ハイクァーン制度を全面導入するのが先決だ」と言われてしまうと、政府もゴリ押しが出来ないのだ。
マスコミとて、ティ連という巨大な車の前では、如何に虚勢を張ろうとも、自らは蟷螂の斧に過ぎない事は解っている。
当面は政府を牽制して時間を稼ぎつつも、新たな方向性を模索する必要がある事は重々承知していた。
日本がハイクァーン制度の導入を限定的に留め、貨幣経済体制をとり続ける以上、自らも営利事業としての存続は譲れないのが前提だ。
だが、報道の正確性については、政府、ひいてはティ連から容赦なく追求されて行くだろう事は疑いない。
時代に合わせた対応が必要だった。
今回はそんな各マスコミの、新時代に向けた取り組みの内、特に地上波民放TV局について取り上げてみたい。
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地上派民放TVは広告収入によって運営されており、視聴者から見れば無償メディアという点が大きな特徴である。
日本のティ連加盟に伴い、彼等の報道に対する有形無形の圧力は、広告を出す企業・団体からかけられた。
いずれ導入されるであろうマスコミ禁止法の趣旨に従い、報道番組のスポンサーを降りたいという意向を示されたのである。
まだ規制が国内法として法案提出すらされていない時点でのこの動きは、平たく言えば政府やティ連に対する忖度だ。
営利マスコミの維持に関わったとして、自らも不利益な扱いをされたらたまったものではないのである。沈むと解っている船からは、鼠はさっさと逃げ出すのだ。
困るのはニュースを見られなくなる視聴者であるとして、各TV局はどうにかスポンサーをつなぎ止めようと説得したが、全くの無駄だった。
だが、捨てる神あれば拾う神ありで、新たなスポンサーに名乗り出たのは、主に海外の企業・団体だ。資金潤沢な彼等は日本を通じ、ティ連へPR活動を行う機会と捉えたのである。
新たなスポンサー達は、報道内容その物には干渉しないとする物の、倫理についてはことの他うるさかった。
彼等も日本の報道機関のこれまでの姿勢は承知しており、見込みや捏造といった虚偽報道が発覚したら、即刻撤退して巨額の賠償も請求する旨が、契約に明文化されたのである。
これはある意味、政府による規制よりも遙かに効果があった。資本主義に於ける最大の掟は「カネ」なのだ。
TV局側も、新たなスポンサーを失ってはたまらない。現場のコントロールを徹底する為、外注取材はバッサリと打ち切り、完全な内製化を図る事になった。
切られた外注先は、多くが廃業を余儀なくされた。
失業した者はハイクァーン受給権付与の対象となる為、薄給な下請け従事者にとっては、経済的にはむしろ潤ったのかも知れないが……
信頼出来る報道スタッフが少なくなった事で、各TV局は、報道番組の枠その物を縮小して行く事となる。
また、いわゆる「特ダネ」報道は激減していく。
というのも、マスコミ禁止法下では、報道に確実性が要求される様になり、ソースを秘匿したまま、かつ画像や音声と言った客観的証拠のない匿名リーク情報、いわゆる「消息筋」の内容が扱いづらくなるのだ。
行政や官庁、大企業といった権力の秘密を探り出して暴露する、という様な事が難しくなり、「権力の監視者」を気取っていたマスコミとしては、凄まじい打撃である。
では、各局は政治的カラーを放棄したのかと言えば、そうでもない。
いわゆる「報道しない自由」は健在だ。取り上げたくない事象について、沈黙を守るのも合法である。歪めた報道をするよりは、いっそ清々しい。
社会関心の高い事象を無視していると、「何故、貴局は報じないのか?」と厳しい指摘が寄せられる事になる訳で、それに耐えられるなら裁量の内である。
また、取材内容から重要な事実を伏せて露骨なミスリードに誘導する様な物でなければ、ある程度の政治的な偏向は、マスコミ禁止法下でも許容範囲だ。
そして、正確な情報・資料を提示した上でなら、独自の「見解」「予測」を添える事も許される。
つまり、マスコミ禁止法の趣旨は、「報道の正確さ」に尽きる。これまでの日本の報道機関は、それをおろそかにしていたのだ。
報道スタッフが不足する中、各局がたどり着いたスタイルは概ね、次の様な物である。
まず、朝・昼・夜のニュース速報は、起きた事実を最小限、淡々と報じる。ここではコメントを控え、一切の色を付けない。
そして数々の社会事象の内、自局が取り上げたい物を「詳報」として解説する事になるのだが、これはニュース速報番組とは完全に切り離した形で、一日一回、夜21時~23時頃の時間に「報道特集」として扱うのだ。
これがかなり神経を使う部分である。
ティ連では集められたニュースソースが公開される前に、AIによる校閲によって検証される事になる。人間の手による取材・編集のみでは、どうしても不正確さ、穴が出るのだ。
ティ連のAIは日本でも利用可能となっているので、各局ともこれを導入し、正確さや整合性について検証を行う様になった。
事実に対してミスリードをわざと誘う報道はAIにはねられる為、許容範囲で自局のスタンスに合わせられない事象については、一切取り上げない事となる。「報道しない自由」だ。
結果、同じ題材に対する論調の違いではなく、詳報でどの様な題材を取り上げるかが、各局のカラーとして鮮明になっていった。
また先述の様に、スポンサーのCMが海外企業・団体で占められる様になった事も、大きな特徴である。
サマルカ系技術を使った一部米国製品を除き、海外の工業製品は日本での競争力をほぼ失っている為、主な物は航空会社、日本の温泉へ一気に進出を図った外資系宿泊業界(本稿第一回を参照)、そして投資ファンドといった業種が目立っている。
さらには、外国や国連に属する公的機関、自然保護団体や人権団体といった有力NGOも、堂々と名を連ねている状況だ。
海外からの放送局の株式取得には、法規制による制限がある。しかし、スポンサーとしての関与は現状、全くの合法である。
これら海外のスポンサーは、自身の不利になる事象の報道ですら、内容その物には一切介入してこない。だがCM枠では、自らの存在を誇示しているのだ……
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次に各局が取り組んだのは、娯楽番組の強化である。報道を縮小した分、代わりのコンテンツでプログラムを補わなくてはならない。
また、報道番組のスポンサーを降りた国内企業としても、そういった他ジャンルの番組でCMを出したい意向があった。
だが、スポーツ中継は安定した枠として難しいし、既に放送権は衛星のスポーツ専門局が多く押さえているという事情がある。
バラエティ番組はすでに林立していて、これ以上枠を増やすのが難しい。
また、TV局側としては、報道の制約が厳しくなった中で社会へ影響力を及ぼす手段としても、娯楽番組に期待をかけていた。
各TV局は方向性を模索し、それぞれユニークな特性を示しつつあった。
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まず、A(仮)局のケースを取り上げてみる。
ここは左派を自認し、国際協調・平和共存を旨とするが、露骨な誘導を避け、間接的に匂わせる方向で考えた。加えて、安上がりに行いたい。
取った手段は、海外ドラマの買い付けである。
ティ連の翻訳技術が利用出来る現在では、いかなるマイナー言語も日本語に変換出来、字幕制作や吹き替えの手間もいらない。
これまで日本で放送される海外ドラマというと米英、そして近年は韓国の物が主体だったのだが、言語対応が楽になったという事で、買い付け先を広げる事が容易になった。
東欧、アジア、中南米…… 物価の安いこれらの国々から、これまで日本で着目されていなかったドラマコンテンツの内、日本人受けしそうな物を次々と買いあさっていったのだ。
特に、各国の国営放送制作の物については、格安で入手する事が出来た。
日本自身に対してもさることながら、それを経由してティ連社会全体に、自国をPRする機会と受け止められた為である。
報道番組のスポンサーとなっているのは先進国の企業・団体だが、そんな資金のない中堅以下の国にとっては、日本のTV局による番組買い付けは僥倖だった。
結果、一昔前なら、日本ではマニアでも知らなかった様な海外ドラマが、多くお茶の間に流れる事となったのだが、これが妙に好評だった。
海外ドラマ放送はインターネット配信やCS専門局が強力なライバルとなり得たが、初回放送がA(仮)局、一定期間を経た後に再放送をCS専門局、ビデオ・オン・デマンドをインターネット配信が担当するという方向で提携が進みつつある。
結果、海外ドラマ放送の強化を通じて、ティ連に傾きがちな日本人の関心を、地球の他国へと引き戻す効果が生じる事となり、A(仮)局の思惑は達成しつつある。
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比較的政治色が薄く、あえて言えば企業寄りのスタンスで知られるB(仮)局は、従来にも増してアニメ放送に力を入れた。
ここがアニメに力を入れているのは、スポンサーがつくからという事が大きい。主には、出版社が自社作品のアニメ化を行う為、廉価な深夜放送枠を買っているのである。
それに加え、近年はアニメ枠ではなかった17~18時台をも、報道番組が消滅した穴を埋める為に、再びアニメ放送を行う様になった。
これは、有力なスポンサーが新たについた事が大きい。ティ連各国の対日友好団体が、こぞって名乗り出たのだ。
日本の若年層へ自国への親近感をもってもらうには、彼等の好むアニメーションを通じてメッセージを送ると良いのではないかと考えたのである。
流石に、本国のマスコミ禁止法の手前、地球上の諸外国の真似をして報道番組のスポンサーになるのは憚られるのだが、フィクション作品であれば問題ない。
また、政治色が薄いB(仮)局は使い易いという事情もあった。スポンサーさえつけば、局側としては番組の内容には頓着しない方針なのだ。
題材はといえば、来訪したティ連市民と日本人との交流を扱う日常物や学園物がメインとなっている。
共に過ごす中で起こりえる文化摩擦をあえて取り上げ、登場人物が悩み衝突しつつも解決していく様子を示し、友情、時には愛情を育んでいくという様なストーリーだ。
社会への刷り込みは、娯楽作品を通じて行うのがもっとも効果が高いであろうというのが、ティ連各国の思惑だ。いわゆるプロパガンダの一環である。
ちなみに、アニメ制作会社には中間搾取される事無く相応の制作料が入り、かつ末端のアニメーターに至るまで真っ当な報酬が行き渡る様に配慮した為、スタッフの士気は上々である。
潤沢な資金を得て意気揚々のスタッフによる作品は、いずれも良作……一部は怪作と化したが……となり、スポンサーの狙い通り日本の若年層は、異星の隣人を具体的にイメージする様になって行った。
ちなみにティ連系の登場人物の声は、原則として同種族の声優が担当している。昨今のアイドル声優ブームにのって、彼/彼女等もアイドルデビューする事となり、B(仮)局に限らず、各局の歌番組全般にもその姿が見られる様になった。
ヲタク/腐女子の皆様方は、以前にもましてティ連に心を捧げつつある……
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C(仮)局はA(仮)局同様に左派傾向が強いのだが、政府に対してはより喧嘩腰である。
彼等が目を付けたのは、舞台やライブといった実演の放送だ。
漫才やコント、音楽、そして演劇…… かつてこういった物は反骨に満ちあふれており、しばしば政権当局と対立した歴史がある。
報道で制約が加わるなら、そういった「芸」で自社のメッセージを表現すれば良いではないかと、C(仮)局は考えたのだ。
ある意味で芸能の「伝統回帰」である。
また、現在の芸能人では「毒が無くぬるい」とも考え、政府に物申したい熱き血潮の新人を多く発掘するべく、積極的に自社主催のコンテストを開催した。
「お笑いの星生誕!」「イカれたバンド極楽」といった、バブル期以前に存在した伝説の登竜門番組が、装いも新たに復活したのである。
両番組には野心に満ちた参加希望者が押し寄せ、それ自体が爆発的人気となった。
デビューを果たした新人は皆、異様な雰囲気に包まれており、従来ではとても公共の電波に乗る事は叶わなかった癖者揃いだ。
また、ティ連系移住者がその中に多く加わっていたのも特徴的である。日本のティ連化政策が遅すぎるとして不満を持っていた者は、ティ連側にも多く居た。その内で、芸能界デビューを指向する者が集まってきたのである。
例えば、次の様な者が居た。
張り扇を手にどつきあいながら、政策に悪態をつくイゼイラ人の夫婦漫才。
失業の惨めさを哀しげに歌い上げる、パーミラ人のフォークシンガー。
モヒカン頭に鋲付皮ジャンで中指を立てる、ディスカール人女性のハードコア・パンクバンド。
全体に共通するのは、ティ連加盟後の日本における社会状況のマイナス面を、左派的な観点から責め立て、毒を吐くスタイルだ。
深夜帯は、さらに濃いコンテンツが用意された。いわゆる「アングラ劇」だ。
アングラ劇とは1960年代半ばから70年代にかけて勃興した、実験的な舞台表現である。反体制、インモラルな題材が多い事で知られている。
従来はとてもTV放送に向かないだろうと思われていたが、試しに観劇したディレクターは大いに気に入ってしまった。
強烈な演出と脚本によるメッセージ性。
TV局が自らの主張を社会に訴える手段として、これ程うってつけの物があるだろうか。
流石に内容を考えると、枠は深夜に限られる。そうなると対抗はB(仮)局を中心とした深夜アニメ勢だが、想定する視聴者層が異なるし、基本的に録画視聴が主体の時間なので、さしたる問題にはならないだろうと考えられた。
こうして深夜の電波に乗ったアングラ劇は、期待通りにカルトな人気を博した。
放送コードぎりぎりまで攻め込んだ、政府や企業、社会への批判を込めたストーリーは、特にティ連加盟後の日本で不安を抱え、鬱屈する層に深い共感を与えたのである。
ちなみに、主立ったアングラ劇団の全てに、ディレクターがコンタクトした時には既にティ連系の新人俳優がかなり加わっていた。日本独特の舞台表現として惹かれ、参加していった様である。
音楽やお笑いも同様だが、ティ連系の出演者が多く加わっている事で、ティ連贔屓の傾向がある日本人全般に対して説得力が加わり、半世紀前に似た反権力的な空気は、C(仮)局の看板となった。
ただ、半世紀前の日本と決定的に違うのは、ティ連系の出演者は、福祉分野に関しては熱心な一方で、反戦・軍縮といった分野については無関心どころか、むしろ反対な点である。
日本では、庶民よりの内政を望む一方で国防を充実させて欲しいという要望が、特に中間層に強くなっていた為、折しもそれに合致した形である。
中共と尖閣諸島を巡って武力衝突し、CJSCAなる非友好的な陣営を結成され、あげくに韓国やインドネシアもその一員となったというのが、日本を取り巻く現状だ。
さらにはヂラールなる「宇宙怪獣軍団」が新たな脅威として出現したとあっては、軍縮は寝言に等しいと、大半の日本国民が考えていたのである。
ましてティ連系の人間ならば、国防力の整備は常識の範疇だ。
C(仮)局としても、せっかく売り出しに成功しつつある出演者達の意向はないがしろに出来ず、社会主張は内政面に絞って行かざるを得なくなった。
反戦・軍縮の主張という面では、同じ左派系でもA(仮)局に軍配が上がる。
彼等が仕入れている海外ドラマの内、反戦をテーマとする物の比率を幾分多めにする事で、マイルドに目的を遂行出来ていたのだ。
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日本放送協会の動静にも触れておく。
彼等は半官半民という特異な立場上、マスコミ禁止法に対する意見の表明や、目立った対応を取っていない。民放と違い、報道を含めて、番組構成にはあまり変化がない。
だが、従来は社是として政府からの独立性をうたっていた筈が、報道での論評については、政府見解のコピーと化しつつある。
明言はしていない物の、組織防衛策として、日本放送協会は自ら独立性を放棄し、完全国営化を求める方向に向かうのではないかと思われた。
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この様にTV各局は、報道の手法を見直すと共に比率を下げ、娯楽コンテンツ重視へ舵を切る事で新時代を乗り切ろうという構えである。
いつの世も、制約はそれに対応する為の発展を促す物だ。
日本政府としては、正確で多面的、公正な報道姿勢へと、各局が改めていく事を期待していた。
しかし結果として彼等の努力は斜め上へと向かっている。
すれすれでの法回避を狙い、娯楽コンテンツを利用する事で政治主張を続ける姿勢を見せており、以前にも増してカオスな状況を呈しつつある。
「上有政策下有对策」(上に政策あれば下に対策あり)とは中華の諺だが、良く言った物だ。
マスコミ禁止法は、あくまで「報道」に関する物である。娯楽コンテンツを通じて社会主張を続けようという各局の方針は、言論の自由もあり、政府は苦々しく思いつつも静観の構えだ。
また、報道番組に対する新たなスポンサーとして、海外企業や団体が台頭しつつある点には、政府も目が離せないでいる。
だが今の処、スポンサーにおもねった報道はされていない為、指導には至っていない。
一方、ノンポリのB(仮)局が、アニメ番組提供を通じてティ連系団体の影響下に置かれつつある事も、政府は注視していた。
今の処は日本政府の方針にも合致する内容だが、プロバガンダの度が過ぎれば、外交ルートを通じて注意を喚起する必要も出てくるだろう。
政府は諸々の事態を観察しつつ、マスコミ禁止法の導入時期、そしてその規制内容について、TV局を含むマスコミとの折衝を続けている……