第五回 日本人観光客ティ連へ行く
ティ連に加盟してから程なく、既存加盟国からの一般人渡航者が大勢、日本へ訪れる様になった。観光、留学、そして定住と目的は様々だ。
都市圏ではもはや、地球の他国人以上に、ありふれた存在となりつつある。
対して、一般日本人のティ連への渡航が解禁されるまでには数年を要した。
ティ連加盟国間は市民の往来自由が原則なのだが、日本政府としては、自国一般人のティ連渡航については、可能な限り時期を先送りしたかったのである。
加盟から数年の間は、厳しい選考を課し、それをパス出来た者だけが、留学や就業を目的として、晴れてティ連への出国を許可された。一般人の観光旅行等は論外だったのだ。
国内向けの説明としては”ティ連に渡航した日本人の現地動向を把握し、必要であれば保護出来る体制が全く整っていない”という名目だったのだが、日本政府の真意は別の処にあった。
無条件で豊かな生活が出来るティ連の状況を、バブル崩壊後の苦しい生活に倦んだ日本人が目の当たりにすれば、ハイクァーン経済の早期全面導入を求める急進派が勢いづいてしまうのではないかと懸念していたのである。
さらには、失業者や生活困窮者が経済難民化し、ティ連へ大量に流出してしまう事も考えられる。ティ連諸国は迷惑がるどころか嬉々として受け入れるのは明白で、事実、その様な打診もあったのだが、日本としては既存経済体制どころか、国家その物の崩壊につながりかねない。
いずれも、保守政権である日本政府には容認しがたい事態だった。
とはいえ、加盟国の義務をいつまでも棚上げする訳にはいかない。国内での政治的争点にされても困るし、野党はその構えである。国会での議席数優勢を背景に建前の理由を掲げて聞き流したままでは、国民からの政府への批判も高まって行くだろう。
特に、憲法第二十二条を”錦の御旗”として突きつけられると辛い物がある。
何よりティ連各国から、”日本人を自国に迎え入れ、市民レベルの交流と相互理解を深めたい”という要望が、徐々に強まっていた。”要望”が”外圧”と化すのも時間の問題である。
ティ連側との調整や野党との折衝の末、日本政府は渡航規制の緩和として、当面は定住を目的としない短期渡航のみを解禁する事とした。
解禁と言っても、大抵の国への渡航は旅券さえあれば良い地球上の海外旅行と違い、星外渡航用の”出国査証”が必要という事になった。
出国査証とは、旧共産国の多くが採用していた事で知られる制度で、出国させても問題ない人物という確認証明である。
確認と言っても、厳重を極めた旧共産国のそれと違い、警察の犯罪歴データと照合されるのみで、交通違反の赤切符や軽度の過失犯程度なら問題無い。
日本は独裁国家でないのだから当然だが、政権に批判的というだけの理由で不適格とされる事も無い。あくまで、刑事的な意味での危険人物の排除が目的である。
もっとも、犯罪の前科はないが、政府がどうしてもティ連に渡航させたくない人物については、出国査証を申請すると程なく”別件逮捕”されるという黒い噂もあるのだが……
一般国民に対する情報統制としての渡航制限をいつまでも続けるのは無理だが、日本政府としては、物騒な輩を地球外に出す事だけは何としても避けなければならなかった。
* * *
日本の渡航規制緩和方針を受け、各国は早速、受け入れの準備に入った。
地球と往来する客船の大幅な増便、宿泊施設の建設、そしてガイド役の養成。
各部門の要員募集に際しては、凄まじい競争となった。ティ連に於いて公職を募集すれば、例外無く希望者が殺到するのが常だが、ティ連が興味を抱いてやまない日本人の対応に当たる役目とあって、通常を遙かに超える狭き門であった。
勿論、日本人に対して、ティ連側もただ幻想を見ていただけではない。発達過程文明である日本人の来訪に際しては、社会常識の違いから予測されるトラブルが多岐に渡り、受け入れ側にはそれを柔軟かつ穏当に収める能力が必須となる。
日本人観光客はモラルが高い者だけでは無いであろうし、互いの無知が深刻な事態を招く事も考えられるのだ。
その様な要求から、最終的に採用された人員の三分の一程度は、軍や警察、特に広報部門からの出向や移籍という結果となった。
いささか物々しいのだが、決して不測の事態を起こしてはならないという認識の現れと言えた。
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一方、日本では、ティ連の各国が観光事務所を設立しての誘致合戦が始まった。
TVコマーシャルやネット広告から、雑誌・新聞、交通機関の吊り広告、街道でのティッシュ配布、アドバルーン、チンドン屋、果ては民家の壁に取り付けられたブリキの看板に至るまで、ありとあらゆる方法で、自国への観光PRが繰り広げられたのだ。
殆どが自国首都や名所旧跡へのツアー募集なのだが、そのいずれもが「無料」をうたっている。それどころか、滞在中はゲスト扱いでハィクァーン受給権を付与するという。
ハイクァーン経済下のティ連諸国でも、貨幣経済の他国との交易では、対価を取るのが通常である。しかし、ティ連の一員である日本国民を迎えるにあたり、どの国家も日本円を稼ごうという営利目的は全く無かったのである。
意外にも、客を奪われる形になる筈の日本の観光業界からは、殆ど苦情が出ていない。
一時はヤルバーン観光に喰われる形で、国内観光地の多くに閑古鳥が鳴いていたのだが、ティ連側から日本へ大勢の観光客が詰めかける様になって以降、そちらへの対応で嬉しい悲鳴を挙げ続けていたのだ。
むしろキャパシティの限界から、日本人観光客の受け皿が問題とすらなっていた。
故に「お互い様」である。
ちなみに、国内観光地がティ連観光客で満杯だからと言って、日本人が海外観光へ流れたかというと、むしろそちらは減少傾向である。
ティ連への接し方を巡り、当のティ連の一員となった日本を除く地球諸国は「LNIF」「CJSCA」の二大陣営に分かれたのだが、ティ連に対し一線を引くCJSCA陣営の国々に対し日本人は警戒を強め、渡航を敬遠する様になったのだ。
CJSCAの盟主たる中共(香港・澳門を含む)を始め、韓国、インドネシアといった、日本人の好んでいた手近な海外観光地の多くが、一転して近寄りがたい国と化したのである。
査証の相互免除協定終了を選択し、自ら日本と距離を置く姿勢を示した韓国を除き、各国とも、一般の日本人観光客については従来と変わらず歓迎の姿勢をとり続けているのだが、当の日本人にしてみれば、安心して楽しめる場所ではなくなってしまった。
特に、尖閣諸島を巡って武力衝突にまで至った中共は論外である。
「どこか気楽に旅を出来る、新たな観光地がない物か」と、多くの日本人が思っていた処に、ティ連の各国が無料ツアーを始めたのだから、多くの観光客がそれに群がったのである。
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行き先はイゼイラ一辺倒ではなく、パーミラヘイム、ディスカール、ユーン、ドゥランテ、カイラス等々、ほぼ全ての既存加盟国が対象だ。
多くの日本人がティ連を訪れ、その超文明に圧倒される事となった。
ヤルバーンでティ連文明を垣間見てはいたのだが、本場ではその規模が全く違う。様々な宇宙船が行き交う宇宙港に、巨大な浮遊都市。
金銭いらずで何でもわき出るハイクァーン。言葉の壁を容易く乗り越える翻訳技術。惑星内なら遠距離を一瞬で移動できる転送ゲート。現実と全く区別の付かないVR。
治安は上々で、どこにいても、危険を感じる事はまずない。
快適な宿泊施設も、美味な食事も、親切で知識豊富なガイドも全てが無料だ。
しかもそれは、日本人に対する特恵待遇ではなく、ティ連市民なら当然なのだという。
都市観光はどの国でも定番なのだが、アウトドア・レジャーも人気で、特にカイラスでのハンティング、パーミラヘイムでのスポーツフィッシングやダイビングは評判が上々である。
国際情勢を感じたい向きには、ヴィスパーに代表される、惑星内が統一されていない地域国家が隠れた名所とされている。特に国境地帯にある交易拠点がスポットだ。
ティ連に加盟を果たした地域国家と、同一惑星内にある他の国々との関わりは、地球内での日本と他国の今後の先行きを考える上で、大いに参考になると思われたのだ。
場所によっては、軍が警戒する緊張した空気の漂う処もある。
そういった星にあるティ連外国家の多くは、地球の諸外国と違い、テクノロジーレベルもティ連と格段の差異が無い。つまり、闘えばワンサイドゲームではなく、確実にティ連側にも損害が出るのだ。
国境地帯で双方の軍がにらみ合う姿を見た日本人は、ティ連の抱える重い現実を思い知らされる事となる。
いずれ、こういったティ連外の勢力を相手に、特危自衛隊もティ連の一員として闘う事になるかも知れないのである……
* * *
ティ連を初めて訪れた日本人観光客は異口同音に、自らの価値観が揺らぐのを感じざるを得なかった事を語る。
誰もが豊かな社会がある。日本は未だ、それを門前で垣間見る立場だが、すぐにでも溶け込むべきなのか。それとも立ち止まり、日本ならではの道を模索するべきか。
各々は帰国後も、自らと国の未来について考える事となる。
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ティ連観光が軌道に乗った頃、より多くの日本人に自国を体験してもらいたいティ連諸国は、日本の学校で慣例的に行われている「修学旅行」に目を付けた。
次代を担う子供達にこそ、ティ連の文明を直に体験してもらいたいのである。
この申し入れに、文部科学省の内部では異論が相次いだ。
無料の申し入れに「子供には贅沢」と言い放つ愚か者は流石にいないが、反対論の主な物は次の通りである。
1.ティ連諸国へは、ゲートを使用しても片道二日はかかる。現地滞在を三日として、一週間もの日程を割いて、通常授業に必要な時間が不足しないか。
2.子供達の活動を、随伴する教員がきちんと監督出来るのか。国内の修学旅行でも現地で問題行動を起こす様な子供がいるのに、他国でトラブルが起きたらどうするのか。
3.裕福な超文明を体験する事で、自国が劣っていると考えたり、勤労や努力を軽視する子供が出るのではないか。
4.修学旅行ではまず、国内の史跡を見せ、日本についての知識を培う事が重要である。
5.従来、修学旅行を迎えていた、観光業者や宿泊施設が困らないか。
6.児童・生徒の中には、外国籍の子供も少なからずいるが、一国集中外交方針をとるティ連は、これらの子供にも入国を許可するのか。
それに対し、ティ連各国の意向を受けた、推進派の回答は次の通りである
1.夏休みの一部を活用出来ると考えられる。或いは、往復の宇宙船内で通常授業も行える様、船内の仕様を整える事も可能との事である。
2.既に公立校の一部に於いても海外旅行は実施されており、過度の心配はナンセンスである。ガイドも用意され、またトラブルについても、ホスト国が責任をもってフォローするとの事である。
3.その様な感想を持つ子供の発生も織込み済みである。ティ連の社会を体験した上で、日本に誇りを持ち、かつどの様な未来を造っていくのか、自らはどの様に人生を歩むのかを個々に考えさせる事こそ肝要だろう。
4.小学校を国内、中学校をティ連としてはどうだろうか。高校/高専については義務教育外であり、各校の自主判断に委ねるべきである。
5.既に観光業界へは打診済みである。修学旅行への対応がなくなれば、その分、ティ連からの観光客を受け入れる余裕が出来るので構わないとの事である。
もっとも問題になったのは6.だ。日本の中学校には、外国籍の生徒も多くいる。
日本人との国際結婚による子供は、日本国籍もあるのでこの場合は問題無い。二重国籍であっても、国籍選択は二十二歳までにすれば良いのである。
外国籍の子供の事情は様々だ。
親に連れられて来た子供もいれば、外国人同士の間に日本で生まれた子供もいる。
さらに、特別永住権者の問題もある。殆どがいわゆる在日韓国/朝鮮人の子弟だが、中共/台湾籍等も若干存在する。
彼等の入国を認めるかはホスト国側次第なので、文部科学省内では方向を打ち出せず、大使館を通じて各国の意向を問い合わせる事になった。
当然に難色を示される事が予想されていたが、意外にも、日本政府側が身元を保証するのであれば、特別に受け入れるとの事だった。
ティ連としては、子供を通じて地球の各国にティ連の威容を示し、その一員である日本への友好的な態度を促す機会とも考えていたのである。
こうして、国内の国公立中学校へは、教育課程として、ティ連への修学旅行が正式に組み入れられる事が通達され、私立校に対しても、それに準じるように要請が行われた。
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ティ連文明を目の当たりにした中学生達は、先に観光で渡航していた一般観光客同様に、巨大かつ超越的な文明に圧倒された。
生徒の中には”やんちゃ盛り”の悪餓鬼もいたが、旅程には常に警護を兼ねた、軍や警察上がりのガイドが付いている為、問題行動を起こす事も無い。
ガイドは穏やかな態度だが、もし何か不埒な事をすれば、即座に対応される事は目に見えていた。こういう生徒は、力を示されれば存外と従順である。
修学旅行を終えた後、課題として中学生達は感想を提出するのだが、大抵は、「ティ連の先進性に感心し、日本もその一員である事を誇りに思う」といった”模範的な”内容だった。
ティ連側の担当者も、その忖度ぶりに呆れる始末で、これこそが日本教育の問題点として認識するに至る。
だが中には、「ティ連の技術が日本に本格導入されたら、親の仕事はどうなるのか」と心配したり、「ティ連技術への依存は、日本の独自性を放棄する物ではないか」と懐疑的な見方をする物もあった。
この様な感想は、主に企業経営者や自営業者の子弟に多い様である。
また、外国人子弟の一部からは、「ティ連が日本だけを贔屓するのが悲しい」と悲嘆する物や、「日本と祖国が衝突したら、自分を含めてきっと皆殺しにされる」と恐怖する物、さらには「日本の過去の行動を知ってなお、優遇をやめないならティ連全体が戦犯国だ」と”断罪”する様な物までが寄せられた。
全く友好的とは言えないが、むしろこういった正直な内容こそが、ティ連としては欲しかったのである。
これを受け、非友好的な感想を抱いてしまう層への個別ケア、そして次年度以降はいかに本音の感想を引き出して行くか、検討が進められていった。
* * *
現在も、中学校のティ連修学旅行は変わらず続けられている。
始まった当初より、日本のティ連技術導入が進み、またティ連からの日本への移民が倍増した事もあって、子供達の間にはティ連に対する過大な幻想や恐怖はみられない。
ただ、外国人生徒はその内容が大きく変わった。
ティ連技術の導入で、製造業を中心に整理解雇が進んだ結果、職を失った外国人労働者の多くが帰国を余儀なくされた為である。
しかし、彼等の全てが日本から姿を消した訳ではない。
これまでの日本への貢献度に応じ、外国人労働者の失職に対する補償の一環として帰化要件が緩和された結果、多くが日本人=ティ連市民となる道を選んだのだ。
彼等は既に日本人だ。故に、外国人としては扱われない。
一方で「留学」として、日本の義務教育課程に入学/編入して来る外国人子弟が大きく増加している。
我が子を幼少から日本で学ばせ、将来的には帰化させてティ連市民にしてやりたいと願う世界各国の親が増え、幼い子供達を送り出す様になったのだ。
彼等は主に、LNIF加盟国の中産階級だ。ティ連との圧倒的な技術力・国力の差から、相対的に自国の没落は避けられないと悲観した結果である。
こうして日本へ送り出された子供達は、修学旅行でティ連を訪れ、何を思うのか……