第四十九回 リアル育成ゲーム
ティ連技術の導入に伴い、医療受診の際にバイタルデータがスキャンされ、健康保険資格の本人証明を兼ねて登録される様になった。加えて、行政の縦割りも改善が進んだ結果、そのデータは戸籍や各種公的資格にもリンクする様になったのである。
また公安当局からは、他人の戸籍を使って別人になりすます、いわゆる〝背乗り〟対策として、バイタルデータ登録を義務化して欲しいという要望が上がっていた。
外国の工作員や犯罪組織の構成員が日本に潜入する際、背乗りが常套手段として使われている事が背景にある。ティ連の一員となった以上、その様な状況は看過出来ない。
その為政府は、市民のバイタルデータ登録を粛々と進めようとしたが、一部からプライバシー侵害の懸念が出た。
権利侵害への懸念は、左派系野党がよく主張する大義名分なのだが、この件に関しては、与党内の一部からも同様の声が挙がっていた。少なからぬ支持者から、義務化を見送る様に陳情があるというのである。
この様な事で、ひとまずバイタルデータ登録の義務化は見送られたのだが、本人証明が容易になった事で行政手続きの利便性が向上した事から、自発的な登録は順調に進んでいった。
その為に政府は、抵抗感が薄らいだ頃合いを見計らって義務化を導入する事を検討していたのだが、一部から挙がっていた懸念は、最悪の形で的中した。
バイタルデータの公的登録推進に伴い、医学的な血縁関係の照合が容易になった事から、戸籍登録の内容と、医学的な血縁関係の不一致が発覚する家庭が続出したのである。
大半が、父子関係が否定されるケースで、妻側の不貞に起因するいわゆる、托卵行為〟と俗称される物だ。
具体的な数値は公表されていないのだが、G7内の欧州某国における推測値によると、およそ一割の法律上の父子に、血縁関係が認められないという。文化背景が異なるので、単純に日本へ準用する事は出来ないが、参考値として考えると、極めて重たい数字である。
事実を知り、寛容を示す夫は、決して多くなかった。親子関係不存在訴訟及び離婚訴訟を経て、夫・父から放逐される母子が後を絶たない事になってしまったのである。
ティ連加盟後の日本ではシングルマザー家庭への支援も手厚くなったので、経済的に困窮して路頭に迷う事はまずない。
しかし出産の経緯が知られる事で、家族・親類や友人関係から絶縁され、社会的に孤立する事も多く、追い詰められた母親が、子供を福祉施設に委ねるケースは急増していった。
また、離婚に追い込まれた元凶として母親から虐待され、行政介入によって施設収容される子供も少なくない。この場合、母親は刑事裁判を経て、収監される事がほとんどである。
ティ連加盟前の日本では、長引く不況によって、食事にも事欠く、いわゆる〝子供の貧困〟が社会問題となっていた。ハイクァーン技術により財政面の負担が低減した事で、社会福祉が隅々まで行き渡る様になり、餓えや貧困に苦しむ子供は激減したのだが、新時代の技術は、新たに深刻な児童問題を引き起こしてしまったのである。
本稿第二回では、サムゼイラが、花見会場ドームの従業員として片親家庭の受け入れを開始した事例を紹介したが、この事業が注目された背景の一つには、日本側のバイタルデータ登録推進による、家庭崩壊の急増がある。だが、異星から差し伸べられた救いの手にすがる事の出来た母子は一部であり、全体を救済するには全く不足していた。
元より日本の社会問題である以上、日本政府が主体的な対策を取らねばならないのだが、新たな困難も発生した。
行政が保護下に置いた子供の養育は、福祉施設よりも、通常の家庭で成長する方が望ましいとして、行政は適切な里親に養育を委託していた。しかし、その希望者が激減してしまったのである。
里親を希望する夫婦の多くは、不妊に悩んでいる事が動機にある。しかし、ティ連の医療技術が導入された事で、ほぼ完全に不妊が解消された。
また、母体によらず受精卵から胎児を育成出来る人工子宮も導入され、希望する夫婦が手軽に利用出来る様にもなった。
それ自体は喜ばしい事なのだが、結果として、里親希望者の激減につながってしまったのである。これもまた、人々の生活を向上させる為の新技術の導入が、社会に新たな歪みを生じさせた事例と言える。
児童福祉行政にとっては悪夢の様な状況に陥っていたのだが、改善のきっかけは思わぬ事だった。
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ティ連各国では、様々な日本のコンテンツが楽しまれていて、コンピュータゲームもその一つである。
ティ連加盟後は、日本の新作ゲームコンテンツはトーラル技術による物が主流を占める様になっているのだが、ティ連ではむしろ、それ以前の、地球の技術のみで造られた物の方に人気が髙い。
技術的には比べるべくもないのだが、異文化に対する興味は、そちらの方が満たされやすい様である。
そんな中、数あるゲームの中、とある作品が注目を浴びる事となった。「プリンツェッシン・ハーステラー(Prinzessin Hersteller)」というタイトルで、戦災孤児の少女を引き取り、様々な教育を施して育て上げるという、いわゆる育成シミュレーションのロングセラーである。
最初の発売が一九九一年で、シリーズがその後も続いている事を考えると、ゲーム史上に残る名作の一つと言えるだろう。
この作品が注目されたきっかけは、旧世紀末の日本で一大ブームを巻き起こした、とあるSFアニメが発端だった。サイエンス・フィクションと、ティ連ではほぼ廃れた〝宗教〟的な概念がミックスされた世界観の下、正体不明の知的生命〝天使〟との戦闘に加え、歪な人間関係や謀略が展開され、人型兵器のパイロットとして集められた十四歳の少年少女が翻弄されていくというこの作品は、ティ連でもカルトな人気を博した。
その製作企業が手がけたゲームと言う事で、内容は関係ないにも関わらず「プリンツェッシン・ハーステラー」にも興味を向ける者が多かったという訳である。
あくまでゲームとはいう物の、フィクションの内容には、製作者の知識に基づいた想像力が反映される。
よって日本には、「プリンツェッシン・ハーステラー」の様な悲惨な子供達が、実際にいるのではないかという疑念が、ユーザーのコミュニティ内で持ち上がったのである。
ユーザー有志が調べた結果、ゲームの状況とは異なる物の、現実の日本においても、多くの子供達が不適切な環境を逃れる為、行政に保護されているという現実を突きつけられた。さらには、日本のティ連化が、子供達の境遇の遠因となっている事も知り、彼等は頭を抱えてしまった。
日本政府は手をこまねいている様だが、早く処置しなければ、子供達がティ連へ憎悪の矛先を向け、将来にガーク化しかねない。
だが一部には、事態をポジティヴに考える者がいた。
日本政府は、子供達の養育を代行する里親を募集している様だから、自分達が手を挙げれば、リアルに「プリンツェッシン・ハーステラー」を体験出来るではないかというのである。
有志が大使館を通じ、日本の行政当局に問い合わせた処、〝好意はありがたいが、子供達の国外移送は認めがたい〟という謝絶が返ってきた。
普通ならここであきらめそうな物だが、ティ連では日本移住が流行している折でもある。
彼等は、回答を婉曲な拒否とは受け止めず、日本に移住すれば里親の要件を満たすと解釈した。
特に、日本に住んではみたいが、現地で何をした物やらと漠然と考えていた者にとって、日本に移住して里親となるのは、現地への社会貢献として胸を張れる魅力的なライフプランである。
移住を前提としての再度の問い合わせに、日本側が提示した条件は、「子育てを終えた経験のある夫婦」であった。
従来は、子供が出来ない夫婦に対し、積極的に里親として依託していた。不妊治療の相談窓口で、もう一つの選択として里親募集の広報を行っていた程であるから、この条件は明らかに矛盾する。
実の処、日本側の窓口担当者は、問い合わせのきっかけが、日本のゲームにある事を把握していた。ゲーム感覚で育児をされてはたまらないと、新たな口実を自己判断で持ち出したのである。
日本人の感覚で言えば、子育てを終えた夫婦は通常、初老の域に入っている。その為、新たな子育てを始めるのは躊躇するのではないかと担当者は考えた様だが、見込みは全く外れてしまった。
ティ連の諸種族は一般に、寿命が地球人の倍以上である。子供の養育期間も当然に長いのだが、それを差し引いても、子供の成人後に新たな子育てに取り組む余力は充分にあったのだ。
結局、新たに出された条件をクリア出来た者達が、喜び勇んで移住を申し込む結果を招き、担当者の意図はあっさりくじかれた。加えて、本来はない条件を越権で付け加えた事が上層部に発覚した事から、担当者は更迭されてしまった。
結局「日本の子供は、異星人共の玩具ではない!」という抗議を残し、担当者は職を辞す事になった。現在の彼女は、元官僚を看板とした国粋主義系の反ティ連論客として、極右団体での活動が確認されている。
ともあれ、こうして多くの「プリンツェッシン・ハーステラー」ユーザー夫妻が日本に移住して、里親として人生の新たなステージに立つ事となった。
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里親は、希望する子供と面談し、仮に同居生活を試行した後に、継続するかを任意で決定する事となる。
劣悪な環境にいた事からトラウマを抱えていたり、荒んでいる子供も多い為、共同生活は無理と、試行期間後に里親を辞退する者も少なからずいるのが、従来の課題だった。
里親候補から辞退されて施設に戻される事を凝り返すと、子供達はますます荒れてしまいがちで、社会に順応困難となってしまう恐れもある。
日本人の里親希望者でもうまく行かないケースがあるのに、ゲーム感覚で応募してきた異星人という事で、子供を預かる施設側からは、不安視する声も挙がっていた。
しかし、ティ連からの里親は、トーラル技術により問題を解決していった。まず、AIで子供の特性を分析し、養育に必要なカルテを作成。個性に合わせた養育スケジュールを立てる事で、これを解決した。
この辺りはゲーム感覚に通じる物があり、子育てに際して〝気持ち〟を大切に考える日本人の感覚とはいささか異なる。
特に、人格に反社会的な歪みが生じている子供に対しては、人格矯正措置も躊躇なく行う点が、日本人にはドライに感じられた。人格矯正措置は、ティ連で犯罪者矯正に用いられている、強力な洗脳処置である。
効果は絶大で、処置を受けた子供達は例外なく問題行動が抑制され、〝模範的な〟人格となる。悪く言えば没個性的になってしまう為、日本の教育関係者や人権活動家の内には批判する者もいる。
だが里親達は、子供の将来を考えない感情論として、全く相手にしていない。反社会的性の芽は成長期に根絶しなければ、本人のみならず社会にも害を及ぼすと考えているのである。
もちろん、里親の素人判断ではなく、AIの診断に基づき、ティ連医学を導入した精神科医が措置を行うのであり、決してお手軽な物ではない。また、里親に預けられた子供達の内、この措置の対象となったのは全体の一割程に留まっている為、濫用を心配する必要はないと考えられる。
一時は十万名を超えていた保護児童は、その殆どがティ連から移住した里親に委託され、問題はひとまず落ち着いた。
単純計算すれば、十万組もの夫婦が里親を希望して、日本へ移住した事になる。巨大なティ連では、何か人材を求める事業があれば、その程度の志願者はすぐに集まるのである。
育成ゲームがきっかけとなり、結果的に日本の社会問題へ関心を持ち、里親ボランティアにはせ参じるティ連の有志が多数現れたという珍事によって救われたという顛末に、複雑な思いを持つ者は少なからずいる。
それがどの様な結果をもたらすかは、異星人の元で育つ子供達が成長した時に示される。だが、若年層の意識のティ連化が加速する効果が生じる事は、ほぼ確実であろう。




