第四十七回 眼鏡は慈愛と富の象徴か、旧弊な愚者を示す烙印か
眼鏡。
視力や屈折異常等の視覚障害を矯正する為、顔に装着する光学機器である。
ティ連加盟前の日本は世界的に見ても近視が多く、眼鏡の使用率は国民の約七割強(老眼、遠視等も含む)にも及んでいた。海外、とりわけ欧米からは、眼鏡着用が日本人のステレオタイプの一つとして認識され、差別意識を含んだ揶揄の対象ともなっていた程である。
しかしティ連医療の普及により、視覚障害が簡便に根治出来る様になった事で、状況は一変した。人工眼球への換装である。
単純な機能回復だけでなく、大幅な能力の強化も可能で、例えば視力なら一〇.〇程度が、民生用の自主規制最大能力値となる(根拠は、アフリカの一部遊牧民が自然状態で持つ視力の為)。
疑似生体組織の為、特別なメンテナンスは不要である。ファッションとして虹彩の色を変えたり、あえて機械的・無機的な外観(アイコンタクトを忌避する向きから一定の需要がある)を選択しない限り、外観からは本物と識別が困難だ。
この画期的な眼科治療が普及するにつれ、日本人の民族的特徴の一つとされていた眼鏡は、急速に廃れゆく事となった。
ティ連技術導入により衰退した業種は多岐に渡るが、眼鏡小売店もその一つとなり、ティ連来訪以前から衰退状況にあった個人経営の店舗は、ほぼ姿を消した。また、昭和末期から全国に広がっていた数々の眼鏡小売チェーン店は、店舗網の大幅縮小に追い込まれ、さらに半数以上が破綻前に廃業・清算の決断に至っている。
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もっとも、日本から眼鏡着用者がすっかり消えてしまった訳ではない。
国民の中にはバイタルデータのスキャンと公的登録を忌避して、ティ連医療を拒む層が一定数存在する。そういった国民は、ティ連技術の導入を忌避し、抑制的な政策をとる旧守的な市町村(日本全体の三割程度)に集中して居住する様になっていた。
貨幣経済の絶対堅守、神仏を敬う信仰心の重要性、そして従来産業の保護等と言った主張を持つ与党の旧守的な層に政府が配慮した結果、その様な自治体が〝旧社会環境保全地域〟と位置づけられているのである。
そして、過半数の国民がティ連医療により眼鏡を必要としなくなった中、眼鏡着用者は、ティ連医療に伴うバイタルデータ登録を避けざるを得ない〝訳あり〟、もしくは反ティ連論者……いわゆる〝ガーグ〟ではないかと疑いの目を向けられる様になってしまったのだ。
ティ連加盟後の日本において〝ガーグ〟という言葉を自国民に向ける場合、先の大戦中の〝非国民〟に相当する、反体制派に対する強い侮蔑のニュアンスを帯びる。
もちろん、眼鏡を着用しているからといって、直接に露骨な差別的言動を受ける事はほとんどない。今時、うかつな言動を取れば、証拠の録音・録画によってインターネットどころか、量子ネットワークで宇宙に広まりかねない事は、まともな判断力を備えていれば誰でもわきまえているからだ。
ただ、「眼鏡だと面倒ではないか」「今はいい治療法があって、費用も眼鏡一本より安い」等という声はよくかけられる。心配しての言葉ばかりでなく、毒を含ませた当てこすりの場合も多いのは、容易に察せられるだろう。
そう言った事情から、ティ連医療を避けて眼鏡を使い続けていた者の多くは、単純な解決法として、旧来のレーシック手術で視力を回復するか、コンタクトレンズに切り替えていった。しかし、その適用が難しい義務教育期までの子供については、視力矯正に眼鏡を用いる状況は変わっていない。
特に、旧社会環境保全地域では、ティ連式のAI教育導入を拒み、大幅に増加した教育カリキュラムを、旧来の教育手法で強引に消化している為、学習の長時間化により、子供達の視力低下を招く事態が生じてしまっている、
当該地域には、ティ連医療を拒む層が多く移り住んでおり、保護者は子供達に人工眼球移植を受けさせようとしない。結果、小学校中学年時点の眼鏡着用率は八割を超える惨状である。
無論、各自治体の教育委員会にも問題意識はあったのだが「AIに頼るな、ティ連に負けるな、地球人の根性を示せ」といった精神論的な掛け声の方が遥かに大きかった為、子供達の目にかかる負荷の軽減は二の次にされていた。
結果、当該地域においては、主に子供達だけが眼鏡をかけ続ける様になってしまったのである。子供達の大半は、偏見の視線にさらされるのを嫌がり、地域外へ出かけようとしなくなっていった。
結果的に、ティ連化の進む外部から子供達を遮断する効果が眼鏡に生じた為、保護者達は子供の視力低下を問題視せず、むしろAIに頼らず勉学に励んだ結果として誇る態度を示す様にすらなっている。
一種の医療ネグレクトとして、親権停止等、行政による強権的な対応を求める声も一部にある。だがこの件について、日本政府は、近視は重篤な障害とまでは言えないので、視力矯正法の選択は保護者の裁量権として、慎重な姿勢をとり続けている。
これは、バイタルデータをスキャンした結果、医学上の親子関係と戸籍の矛盾が明らかになり、それが原因で家庭崩壊する事例が後をたたない為だ。ちなみに日本国民に対するPVMCGの無条件配布が無期限凍結されているのも、これが原因の一つである。
日本政府も、家族関係の調整・協議について法的な支援体制を整備したが、最終的な決断は各家庭にかかっている。この問題が終息するには、世代を経るのを待つ他ないという悲観的な見方が識者には強い。
少なくとも当面の間、旧社会環境保全地域の子供達の顔から、眼鏡が消える日は来ないだろうと思われる。
未来社会から来た青い狸型ロボットが主人公の国民的アニメも、副主人公の少年とその母親が眼鏡着用者なので、今後どうするか検討中とささやかれている。原作者が死去して久しいという事もあり、オリジナリティを尊重した継続は難しいとして、いっそ終了させたらどうかとの意見も一部関係者にはある様だ。
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ティ連医療による視力回復治療を受けるのは、日本人だけではない。海外からもまた、これを目的に日本を訪れる患者が増えた。技術輸出規制の関係上、人工眼球の性能は視力二.〇程度にデチューンされた物となるが、それでも希望者は殺到している。
特に失明や弱視といった深刻な視力障害者にとっては、日本が唯一の希望なのだ。
問題は費用で、健康保険に加入している日本人や定住外国人と違い、一時入国者である彼等は完全自己負担が原則となる。
幸い、治療目的の入国者に対しては、医療費を日本側が一部助成する代わり、地方の利用率が低い医療機関を受診先として指定する制度が設けられたのだが、それでも自動車一台分の価格程度は自己負担が生じてしまうのが通常だ。
先進国や富裕な国なら中間層以上、低開発国なら富裕層でもないと、来日しての治療は経済的なハードルが高い。
民間有志の寄付金による基金設立も行われたが、資金配分はどうしても生命に関わる疾患が優先となり、視力障害まではなかなか資金が廻らないという状況だった。
基金関係者が、眼科医療に特化した資金調達の手法を検討した結果、浮上したのが、不要となった眼鏡の活用だった。
人工眼球の移植を受けた患者は、それまで使用していた眼鏡が不要になる。それを、治療した医療施設を通じて寄付してもらい、レンズを度無しの物に交換した上で、治療費調達の為に販売するというのである。
眼鏡が不要となっているのに、誰にそんな物を売るのかと言えば、ティ連各国から訪れる観光客である。アンティーク・アクセサリーの土産品として売り出すというのが目論見だった。
量子ネットワークを通じ、ティ連各国では地球のコンテンツ視聴が盛んになっている。その為、発達過程文明の視力補正具としての眼鏡に興味を示す者も少なからずいた。
急速に消えつつある眼鏡は、旧来の日本人のアイデンティティの一つとして、ノスタルジックにとらえられていたのである。
しかし計画を準備する中で、単純かつ大きな誤算が発覚した。ティ連市民は、ハイクァーン/ゼルクォート造成を使えば、日本で実物を購入するまでもなく簡単に眼鏡を入手出来るのである。
彼等から日本が得る観光収入は莫大な物だが、その内容は物品の購入よりも、各種サービス、つまり「コト」消費が主体だ。産業界では常識の範疇なのだが、善意にあふれつつも商売に疎い医療関係者達は、その辺りを見落としていた。
どうした物かと再検討を重ねる内、企画を聞きつけた光学機器メーカーから提案があった。
回収した古眼鏡を、ティ連技術を組み込んだ情報機器として改修し、その販売収益を医療費に活用したらどうかというのである。
このメーカーは、ティ連技術を導入した情報機器の製品化に際し、常時装着が容易な「眼鏡」に着目していた。キグルミ・システム開発者として知られるポルタラ・ヂィラ・ミァーカ氏が、地球の眼鏡をベースにしたウェアラブルシステムを自作して愛用している事からの着想である。
公式な支給は無期限凍結されたままとはいえ、日本人はPVMCGの入手が容易な為、こういった物への需要は期待出来ない。その為、ターゲットは地球各国からの国外需要だ。
ハイクァーン/ゼルクォート造成が普及するに従い、国内、特に一般消費者からの需要の先細り傾向が鮮明となった日本の工業界は、輸出に活路を求めていた。地球のどの国も渇望してやまないティ連のオーバーテクノロジーは、交易品として高い価値がある。
しかし、性能を制限するモンキーモデル化、及び解体・解析を不能とするブラックボックス化を施して技術流出規制の基準を満たしても、輸出許可はなかなか下りないのが実情だ。国外メーカーの経営悪化、自力での技術開発意欲の減退、そして貿易不均衡といった悪影響への懸念から、外務省が、所轄官庁である経済産業省へ強い圧力をかけている為である。
そこで、チャリティを目的とし、また古眼鏡をベースとする事で実質的な生産数制限をかければ、輸出許可が下りやすくなるのではないかと考えたのだ。
悪く言えば、善意を営利活動へ利用する意図もあるのだが、基金はこの申し入れに応じる事にした、偽善であろうと、多くの視覚障害者が助かればそれで良いのである。
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試作された改修眼鏡のスペックは、次の様な物となった。
一見すると通常の眼鏡だが、フレームには超微細な機器が組み込まれている。レンズ部分は度が入っていない代わり、翻訳内容が字幕で表示され、対応言語は地球に存在する全ての言語ばかりか、ティ連加盟各国の公用語もフォロー範囲だ。方言や俗語表現、スラングにも細かく対応している。
PVMCGの場合、脳の言語中枢に干渉して、相手の言語をそのまま自分の声帯で自然に発声する事が可能なのだが、さすがにそこまでの機能はない。
代わりに、自分の側が話す言語は、相手側言語への翻訳字幕を空中投影するか、オプションの外部スピーカー(従来のスマートフォンも流用可)から翻訳音声を流す機能が用意されている。
基本的に、PVMCGを翻訳機能のみに特化し、かつ機能を大幅に簡素化した様な代物なのだが、地球の技術による翻訳機よりも遥かに高性能である。
輸出許可申請を受けた経済産業省は、外務省、そして医療を所轄する厚生労働省とも協議の末、免税店での国内販売、つまり土産品としてのみ認可する事にした。
翻訳機の有用性は高く、異言語話者間によるコミュニケーション円滑化には欠かせない。また、得た収益は国内の医療機関に環流される事になる。視覚障害の完治は本人のみならず、その生活支援を行ってきた国や自治体の負担も解消し、大きな国際支援ともなる。
一方で、海外の各メーカーによる翻訳機器の独自開発意欲をそぐべきではないし、貿易摩擦の種も増やしたくない。
省庁間で諸事情を勘案した末、欲しければ日本まで買いに来いというのが、最終的な落としどころであった。
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こうして、全国各地で売り出された眼鏡型翻訳機だが、売り上げはとても良好だ。
収益の恩恵を受け、多くの海外の全盲や弱視の障害者達が視覚を得て、補助を必要としない生活を送れる様になっている。
価格は二〇〇万円と高額で、海外メーカー製の携帯型翻訳機に比べ約一〇倍なのだが、機能が段違いなので常に品薄だ。価格設定は、外務省の意向による海外メーカーに対する配慮の面も大きいが、公式にはチャリティ目的とされている。
実際の製造原価は千円にもならず、メーカーや販売店の販売益も各一万円程度である。残りは全て、海外から視覚障害者を招いて治療する費用に充当されるのだ。
異星のオーバーテクノロジーの産物、かつチャリティ目的という事から、海外の富裕層からは、高級腕時計に比する装身具としても認識される様になり、眼鏡型翻訳機の着用が、裕福さと日本への親愛を示すシンボルの一つと位置づけられている。
これまで海外において、眼鏡着用はネガティヴな印象があった。着用率の高い日本の民族的特徴として嘲笑の材料にすらなっていたのだが、ここに来てイメージが一新したのである。
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以上の様に、海外と日本では、眼鏡に対するイメージが一八〇度異なる物となった。日本におけるマイナスイメージは、面倒な事情を抱えているだけに、払拭は難しい物と思われる。
一方のティ連では、眼鏡は地球発のノスタルジックなアンティーク・アクセサリーという位置づけになりかけたのが、日本の現状が伝わった事で、流行には至らなかった。
眼鏡の今後はどうなって行くのか、気になるところである。




