第四十四回 サイボーグになるには
臓器移植。
疾患や事故等によって、機能不全となった臓器を、手術によって他者の物と交換する医療技術である。
基本的に遺体から摘出した物を使うのだが、腎臓等の一部を除き、心臓死となった遺体の物は使えない。
その為、事故によって脳が機能停止した状態で生命維持装置につながれている、いわゆる脳死体からの摘出が基本である。
移植に適した脳死の発生件数は、決して多くない。倫理的に疑念を呈する意見も根強くある。脳死者の家族から、承諾が得られない場合も珍しくない。
さらに、提供臓器と患者との適合性もあるので、脳死体ならどれでもいい訳ではない。
その為、移植を受けられずに死亡に至る患者も珍しくなく、高額な費用を承知で国外で手術に臨む例も少なくなかった。
その状況を改善すべく、機械的な人工臓器や、培養による臓器形成の開発も進められてはいたのだが、実用化はごく一部に留まっていた。
だがティ連医学の導入により、臓器移植を巡る状況は一変した。
心臓や肝臓、腎臓といった、従来から移植の対象とされていた臓器に限らず、脳の一部を除いた人体のほぼ全ては、人工物に置き換える事が可能になったのだ。
人工物ではあるが、基本的に疑似生体パーツなので、電池の様なエナジーパックは必要ない。動力源は、日々の食事で摂取する栄養である。
また従来の臓器移植では、拒絶反応を抑える為の免疫抑制剤を飲み続ける必要があったのだが、ティ連の人工臓器はその必要がない。移植して初期経過観察を経た後は、基本的に特別なメンテナンスを必要とせず、通常の定期健康診断で事足りる。
さらに健康保険の対象なので、治療費もさしてかからない。この画期的な医療により、臓器疾患や身体障碍を抱える日本人は激減した。
どうせ交換するなら、より機能が優れた物にしたいと思うのは当然である。特にそういった希望が強いのは、五感に関わる感覚器官だ。
一般人が受けられる民生用人工臓器の性能基準としては、〝自然状態でホモ・サピエンスに存在する能力まで〟が目安とされている。
それでは大した事はないと思うかも知れないが、例えば視力では一一.〇である。アフリカの遊牧民に、この程度の視力を持つ部族がいる為だ。平均的な日本人からすると、充分に驚異的な能力と言える。
ここまで感度が高いと、かえって日常生活に不自由を来す事もあるので、感度調整機能も備わっている。思念で操作する為、若干の習熟訓練を要するのだが、慣れればスムーズに使える様になる。
障碍者とまでは言えないが、近視や耳鳴りといった、感覚器の症状を抱える者は多くいる。健保対象として費用も廉価なので、こういった患者の多くは、気軽に目や耳を人工物へ交換し、千里眼や地獄耳を備える様になっていった。
一方、手足の欠損を補う、従来の義手/義足に替わる疑似生体パーツも普及したが、こちらの方は、あまり能力強化の要望はない。一部のパーツのみ筋力や瞬発力を強化しても、ベースの肉体がそのままではバランスがとれないからだ。
人間を超えた身体能力を獲得したいならば、脳以外の全身を人工物へ置き換えるのが有力な手段となる。
日本において、完全義体への脳装着手術、いわゆるサイボーグ化手術が一般に解禁されたのは、二〇二〇年代後半の事だ。
*
サイボーグ化はあくまで治療目的のみに対応しているのだが、手術例は決して少なくない。適用される症状としては、火災や事故等で体の損傷が惨い場合や、先天的に体格が著しく小さい〝小人症〟等がある。性同一性障害も適応症状の一つだが、こちらについては厳密な事前審査があり、希望しても適格の判定は半分以下である。
治療が目的ではあるが、先に挙げた、一部を人工器官に置き換える場合と同じく、どうせならより良い性能を希望する人は多い。
この場合も基本的に〝自然状態でホモ・サピエンスに存在する能力まで〟が目安だが、トップアスリート程度の身体能力なら、〝自然状態で存在する〟ので問題ない。
特筆すべきは、能力上限の目安には男女の区分がない事だ。つまり、女性であっても、上限は男性並となる。
日常の不便という点から考えると、一般的な女性が、トップクラスの男性並の身体能力を得てもさしたる問題はない為、わざわざ男女別の目安は設けられなかったのだ。
あえて言えば、女性の場合、男性よりも小柄な体格を希望する場合が多いので、ストロークという点では結果的に男女差が出る。
義体は人工物なので、容貌は自由にデザインオーダーが出来る。元の面影を残した上でやや美化した姿を望む者が多数派だが、中には元と全く違う容姿を望むオーダーもあり、その辺りは好み次第となる。
高齢者の場合、特に女性は、アンチエイジングを兼ね、若めの容貌にする事が多いのだが、推奨されるのは一八歳程度を下限として、実年齢÷三程度までである。
子供の容姿を望むケースもある様だが、社会的トラブルを招く原因となる為、特殊な事情(例えば子供役がメインの俳優)の場合を除き、基本的には非対応だ。
ちなみに未成年者がサイボーグ化する場合は、成人までの間は年齢に合わせて二、三年毎に義体を換装する事が推奨される。
また、義体には年齢による衰えがない物の、脳の老化による寿命は避けられないので、その点には注意する必要がある。
寿命を延ばす為には、サイボーグ化の後でも、婚姻薬の投与、もしくは脳の老化を防止する為の医学的処置が必要なのである。
*
サイボーグ化による身体強化は原則、自然に存在する能力の範囲でしか認められないのかと言えば、SF作品に登場する様な〝超人化〟も、一部は可能である。
例えば有毒物質や放射線への抵抗性、軍事的に言うならNBC耐性だ。万一の際の生存性に関わる為、むしろ推奨されている。
また、水中での呼吸機能も、民生用サイボーグで許容されている機能だ。水産や海運、ライフセーバー、ダイバー等、海洋に関わる職業で需要が高い。
PVMCGを、体内埋め込み型にする事も推奨されている。機能的には通常型と同じで、基本的に思念で操作する点が異なる。携帯が煩わしくなくなる反面、通常型と違って任意の着脱が出来ないのだが、治安当局としてはサイボーグの行動を逐一、把握する事が可能となる為、推奨機能としている様だ。
*
アニメやコミックに出てくる様な戦闘サイボーグに憧れるなら、自衛隊や警察、海上保安庁等といった、公的な武装組織に所属する必要がある。こういった組織では、治療でサイボーグ化する障碍者や重病患者に対し、特別採用枠を設けている。
セキュリティー・クリアランス審査や学力試験を経て採用されれば、晴れて戦闘サイボーグとなれるのだが、任官後の道は険しい。
人間を大きく超えた、さらには本来備わっていない身体能力を制御し、かつプロフェッショナルとして有効に活用するには、相応の訓練を要する。サイボーグ故に肉体的な疲労は軽くとも、精神的な負担は大きいのである。
また、戦闘サイボーグは、機能相応の危険な任務を課せられる事が多い。ティ連では、戦闘サイボーグの殉職率が、通常の軍人や警察官よりも遙かに高い事は常識となっている。
ティ連は地球に比べ、軍事衝突や犯罪の発生率は、地球に比べて格段に低い。それにも関わらず戦闘サイボーグの殉職率が高い事は、任務の過酷さが容易に想像出来るだろう。
日本もティ連の一員である以上、戦闘サイボーグを指向するなら、覚悟が必要である。
*
サイボーグ化に対しては偏見まじりの誤解も根強い。
代表的な物として「普通の食事が出来なくなる」「性的不能になる」という物が挙げられるのだが、いずれも正しくない。
まず前者だが、ティ連で主流のサイボーグは疑似生体タイプで、通常の食事からエネルギーを摂取する。軍用の高出力型の場合は多めの食事を要するが、内容その物は生身の人間と同じだ。当然に排泄も同様である。
また後者についてだが、性機能は備わっているが、生殖機能は通常備えていないというのが正確である。
あえて望めば、性機能を備えない事も可能だが、精神衛生上、推奨はされていない。性犯罪被害の経験によるトラウマ等から、一部からの需要があるのみだ。
サイボーグが生殖、つまり子供を望む場合は、自分と相方の遺伝子から人工受精卵を造り、医療施設にある人工子宮で育成するのが通常である。
サイボーグに限らず、自然妊娠によらない人工子宮の利用は、親となるティ連市民にはごく普通の選択肢となっており、少子化対策を兼ねて日本でも積極導入が図られている。
疑似生体タイプの女性型義体には妊娠機能を持たせる事も技術的には可能で、その様な女性サイボーグも存在するのだが、あくまで少数派である。
では、サイボーグ化にこれといったデメリットはないのかと言えば、スポーツが挙げられる。日本に限らず、地球では身体改造をドーピングと同様の行為とみなす為、スポーツの公式戦に参加する資格を失ってしまうのだ。
一般人にはあまり関係ない話だが、アスリートにとっては切実である。サイボーグ対応のレギュレーションを策定している種目もあるが、しばらくは先の事となるだろう。
*
日本におけるサイボーグ化は、基本的に医療目的のみなので、健常者が希望する場合、ティ連に渡航する必要がある。
ご存じの通り、ティ連では基本的に医療を含む社会サービスが完全無料の為、サイボーグ化も当然に費用がかからない。
とは言え、ティ連ではサイボーグ化の需要はさして高くない。大抵の事はAI化されているので、人間が肉体を改造・強化してまで行う様な仕事がほとんどないのである。
また、アンチエイジングや美容整形と言った目的のみなら、体を人工化するまでもない。体が大きく破損する様な事故の発生率も低いので、医療上の必要性でサイボーグ化するケースも少ない。
一方、宗教的な倫理観等でサイボーグ化を忌避する様な事もないので、専門の医療機関へ赴いて希望すれば、思い留まる様に説得される事もなく、簡単に手術を受ける事が出来る。
お薦めの渡航先は、医療がティ連で最も進み、種族的にも外観が地球人に似たディスカールである。
前述の様に、ティ連ではサイボーグ化の需要は高くないのだが、その分、ティ連のサイボーグは強い趣味性を持っている者が少なからずいる。
専門医療機関の門をくぐると、あえて機械的なパーツを目立つ様に装着している、サイバーパンク風の職員や患者が散見される事に驚くだろう。
希望をはっきりと告げないと、暴走した医師によって、趣味に走ったスタイルに改造されてしまう事もしばしばだ。
有名なトラブル例としては、顔面に大きなメーターをつけられてしまったという物が、被害者による動画投稿によって知られている。担当医が、日本の某人気SFコミックを読んで、日本人の好みを誤解した結果らしい。幸い、再手術は容易なので、大した問題にはならなかったという。
ティ連の医療サービスは無料である。故に医師もボランティアなので、お任せとなれば、趣味に走ってしまうのも仕方ない面があるのだ。
ティ連でのサイボーグ化手術に際しては、充分な打ち合わせをした上で臨む様、心がけなくてはならない。




