第四十三回 海外で学ぶ子供達
ティ連加盟後も、海外で活動する在外日本人は少なからずいる。多くは海外勤務を命じられた企業従業員だが、彼等には共通する問題があった。
帯同する子弟の教育である。
在外居住者の場合、日本国籍があっても義務教育の対象とはならない。現地の法律にもよるが、基本的に就学は任意となる。
日本人学校は、先進国や日本人居住者が多い国でかつ、首都や主要な大都市にしかないのが実情だ。
通学範囲に日本人学校がない場合は、現地の学校へ通学させるか、自宅学習をさせるかという事になるのだが、日本の正規カリキュラムによる教育を受けられないという点が問題で、前者の場合はさらに言語の壁もある。
ティ連加盟後、政策課題の一つとして挙げられたのが、この在外居住者子弟の教育問題だった。
例え国外に居住していても、子供が等しく標準的な教育を受けられる様にすべきであると、ヤルバーンから日本政府へ勧告が行われたのだ。
転送と量子通信を駆使すれば、居住地に関係なく教育環境を整備出来る筈だと言うのである。
確かに、親の都合によって国外に住む子供が、日本人としての教育を受けられない場合があるというのは問題だ。加えて、ティ連加盟により、日本の学校教育カリキュラムが大幅に改変かつ増強されたという事情もある。
指摘を受けた日本政府は、LNIF/CJSCAを問わず国交のある全ての国家、及び台湾等の実質的な交流がある政治実体に日本人学校を設置し、かつ、直接通学困難な地域については、転送による送迎を行う方針を固め、文科省及び外務省へ推進を命じた。
日本国内では、転送による通学を原則認めない方針が取られていたが(第三十五回参照)、海外では適用外である。
ちなみに、対象となるのは地球系日本人、つまりホモ・サピエンスのみだ。学齢期のティ連系種族については、成長期の経齢格差の為、日本国籍があっても、いわゆるヤルバーン校で学ぶ事になっている為である。
若干ながら、親の仕事の都合で海外に滞在する、ティ連系種族の子弟もいる。彼等についてはヤルバーン校との量子通信による、オンライン教育で対応する事となった(ヤルバーン校は日本と違い、対面での集団教育を絶対視していない)。
また従来、日本人学校は日本政府の助成がある物の、現地では私立学校として扱われている為、高めの学費を徴収せざるを得ず、保護者の負担感が大きかった。
そこで既存の物を含め、日本人学校は無償の国立校として改組され、対外的には大使館/領事館(政治実体の場合は代表事務所)の付属施設という位置づけとなった。
国外居住者に就学義務が課されていない点についても、放置されていた瑕疵として法改正された。例え一人でも日本人の子供がいれば、学べる環境を整備するのが日本政府の責務であり、また、国外居住であろうと、日本式の義務教育を受けさせるのは保護者の責務であるという事になったのである。
AIを駆使したティ連式教育を海外にいても受けられ、しかも無償化という事で、大半の保護者からは歓迎されたのだが、一部からは反発もあった。
日本の義務教育内容を忌避して、あえて子弟を海外の寄宿学校へ留学させている層がいたのである。
日本政府としては、これを機に義務教育年齢での留学を規制し、日本人の子供は自国の手で教育する原則を徹底したかった。
だが厳格に禁じるとなると、日本自身が、海外から義務教育年齢の留学生を多く受け入れる様になっていた(第三十三回参照)事から、ダブルスタンダードの指摘を受けかねない。
事前調査として、当事者本人と保護者に聞き取りを行うと、留学の動機は、従来の公教育がギフテッド(高知能等、突出した才能を持つ児童)対応に消極的な事や、語学(特に英語)教育が目的である事が多かった。
日本で導入が進むティ連式教育では、生徒の能力をAIで計測・観察し、個々に合わせたカリキュラムを設定する。ギフテッドに対しては、才覚にふさわしい内容を用意する事で、浮きこぼれの防止対策が施されていた。
また英語力についても、既に小学校の段階で英語教育が正課となっており、PVMCGを使用した教育によって、子供達の語学力はネイティヴと同レベルへ伸ばせる様になった。
結局の処、諸方面への配慮から、義務教育段階での留学を法規制する事は見送られたのだが、取り締まるまでもなく、国内教育に比べて利点が薄らいだ事で、幼い子供を海外留学させようという親は激減した。
もはや地球上に、日本を超える初等/中等教育はないと言って良いのである。
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こうして、海外における日本人子弟教育の新体制は順調にスタートしたのだが、早くも中/長期の課題について指摘が挙がり始めた。
日本の出生率自体は、人口維持に必要な数値を充分に超える様になったのだが、産まれて来る新生児の大半が、ティ連系種族なのだ。ティ連系種族と在来日本人の国際結婚が盛んになり、対照的に在来日本人同士の婚姻が激減した影響である。
前述の様に、日本人学校は、地球系日本人のみを対象としている。このままでは、せっかく整備した体制も、十数年で無用となってしまうのではないかという予測も出て、早くも財務省の一部からは、事業の段階的縮小・廃止論も出始めた。
日本の国家事業で、海外事案の予算が突出する様になったという事情もある。国内事案がハイクァーンの活用でかなり安上がりになった一方、それに頼りにくい海外活動にかかる予算は、どうしても目立ってしまうのだ。
ティ連加盟以後の国家財政は全く潤沢なのだが、無駄な物は縮減するという財務省の行動様式は、ティ連体制でも変わっていない。
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財務省の圧力を回避する案として、文科省の中から、日本人の子弟だけでなく現地の希望者を受け入れてはどうかという提案が出た。
その頃の日本では、多くの公立小/中学校が、将来の定住を目的とした留学生を受け入れる様になっていた。自治体としては学校の維持、国としては地球系日本人の減少緩和が目的である。同じ事を、日本人学校も行ってはどうかというのだ。
留学させる経済力がない、あるいは幼少期に親元から離したくないが、どうにかして日本で学ばせ、将来はティ連市民になる道を開いてやりたいと願う親は多い。各日本人学校には、現地児童の受け入れが可能かという問い合わせが相次いでいたのである。
検討の結果、現地法に抵触しない限り、定員に余力がある場合については、選考の上で受け入れ可能という事となった。
在住日本人子弟が一人でもいれば、最低でも一国につき一校は設置するという方針で環境を整備した為、定員余裕には国ごとに大きな差がある。国によっては、生徒のほとんどが現地住民で占められる日本人学校も現れた。
例えばアルバニアは、在留邦人が約二〇名に過ぎないのだが、そういった国にも日本人学校が設置された為、生徒は現地人ばかりになっている。
子供が自国の義務教育ではなく、他国のカリキュラムで教育される事は、現地で問題視されて然るべきである。だが日本人学校の現地児童受け入れ方針について、所在国政府からの抗議はほとんど見られなかった。
明確に自国民が日本人学校に通う事を禁じる通達を出した国は、CJSCAの盟主たる中共のみで、他の国はおおむね容認の姿勢を示したのだ。
ただ、イスラム圏においては、自国民を受け入れるならば、戒律に基づいた生活指導を行う様に要請する国が多かった。国立校である日本人学校側としては応じられない為、結果として事実上の拒絶となってしまっている。
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この様に、一部の国では実施出来なかった物の、日本人学校への現地人受け入れが開始されたのだが、看過出来ない問題も発生している。
受け入れ可能人数の数十倍の希望者が殺到する為、選抜試験を行うのが常態化したのである。
合格するのは、当該国でもトップクラスの優秀な資質を持つ子供……しかも大半がギフテッドだ。入学動機は将来の日本移住という場合がほとんどなので、特に経産省では優秀な移民候補として歓迎している様だが、事は単純でない。
本来の対象である在外日本人の子弟は選抜がなく、全員が入学出来る。結果、高倍率の選考を突破した現地人生徒との間で、学力差が顕著になってしまったのだ。
ティ連式の教育では、AIによって生徒個々に最適化したカリキュラムを施す為、授業には支障ない。だがAI教育は、本人の資質を最大限に引き出す為、元々の資質の差がはっきりと現れる。
結果、優秀な現地人生徒達と同じ学校に通う事が、少なからぬ日本人生徒の自信喪失につながってしまったのである。
現地人生徒側は成績を鼻にかける事なく、おおむね謙虚で、日本への移住審査に不利となる愚行に及ぶ様な者はまずいない。だが、その姿勢がかえって、日本人生徒側の劣等感を刺激してしまうという悪循環となる場合が多い。
校内ではAIによる見守りが徹底している為、いじめや校内暴力等の直接的なトラブルに発展した例はないが、それだけでは心理的な壁は崩せない。
質の格差を是正する為、現地人生徒の選抜を試験から抽選に改めたらどうかという声もあるが、せっかく優秀な子供が集まってくるのだからと、文科省は否定的だ。
学校サイドとしては、クラブ活動や校内行事等を通じ、相互理解を深めようと努力しているが、一朝一夕にはいかず、試行錯誤が続いている。
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日本人学校は原則的に中等部までなので、それを終えた段階で、現地人生徒は日本の高校へ留学するかどうかを決断する事になる。
家庭の事情が急変しない限りは、ほぼ全てが日本行きを希望するのだが、大半は高校へ留学せずに国際バカロレア(国際的に通用する大学受験資格)を取得し、直接に大学を受験する。それが難なく出来る程に、彼等は知性が高いのだ。
大学段階からの日本への留学生は激増しているが、その中でも、母国の日本人学校で学んだ者は、優秀さが特に際立つ存在となっている。
一方、日本人生徒の方は、帰国して普通に高校へ進学する者がほとんどだ。ティ連加盟以前は現地のハイスクールへ進学するケースも少なからず見られたが、現在では、それを選ぶ者はほとんどいなくなっている。
彼等の多くは、海外生活をあまり振り返ろうとせず、ティ連化する日本へ積極的に溶け込もうとする姿勢を示す。日本人学校で受けた劣等感を癒やす為、自分は宇宙に冠たるティ連の一員だという実感を欲する様になるのだろう。
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日本人学校の定員割れ対策として始まった現地児童受け入れは、優秀な子供達に日本移民の道筋を示すコースとなった一方で、AI教育の残酷な一面も示す事になった。
誰もが等しく、持って生まれた資質を最大限に引き延ばす教育を受けられるならば、成績の序列は、資質の優劣にほぼイコールとなってしまうのである。
難関を突破した現地生徒と、自動的に入学した日本人生徒を同じ場所で学ばせる事により、その差は誰にでも解る形で可視化された。
日本人学校の現地児童受け入れに限らず、優秀な若年層移民を海外から多く受け入れ、地球系日本人の出生減を補うという国策は、与野党問わず挙党一致体制で支持されている。
だが、多くの平凡な国民にとっては、相対的に自らの立場が弱くなる様に感じられないだろうか。
しかしながら、一極集中外交方針の中にあって、ティ連に選ばれた日本が、その他の国からの移住に門戸を開いておくのは、地球の一員としての責務でもあろう。
そして受け入れる以上は、日本により貢献出来る人材を優先するのは当然だ。
そもそも、ティ連各国から来る移民は総じて、日本人一般に比べて優秀だ。長命な彼等は、教育期間も地球人に比べて長い為である。それを考えれば、同じ地球人の移民のみを警戒しても意味がない。
ティ連では、ハイクァーンによる完璧な生活保障がある一方、AI化が徹底している為、社会維持に必要な労働力が、人口に比して少ない。結果、職を得て社会に貢献出来る市民は少数派で、一種のエリート階層とも言える。
賛否両論はあるにせよ、日本も徐々に、その様な未来が近づいているのかも知れない。
我等が凡俗の身としては、社会で活躍する優秀な者を妬む事なく、おおらかに生活を楽しむ態度が肝要ではなかろうか。




