第四十一回 雪国に常春〈とこはる〉の園は必要か
日本は国土に多くの豪雪地帯を抱えている。主な該当地域は北海道、本州北部および日本海側となる。
雪は住民の生活に大きな影響を及ぼしており、建築物や交通網に積もる雪の除去、暖房に要する光熱費等、生きていく為に他の地域よりも多くのコストを要する。
加えて雇用吸収力の少なさもあり、豪雪地帯は大都市圏への労働人口流出による過疎化に悩まされていた。
豪雪地帯の地域課題を知ったヤルバーンの技術者達は、その居住性を改善する為、居住地域を丸ごと、巨大なドームで覆ってしまう案を提唱した。
ティ連はテラフォーミングの様な大規模かつ本格的な環境改造技術も持っているのだが、局地的な手段として、ドーム都市も多く建造されている。
これを、日本の豪雪地帯へ導入してはどうかというのだ。
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ドームの大きさは自在で、その気になれば東京二十三区程度の都市なら完全に覆ってしまう事も可能だ。
基本的に透明で光透過率も高い為、日照には影響しない。有害な紫外線のみをフィルタリングしたり、あえて完全に遮光して人工太陽灯による照明を施す選択もある。中の温度調整も当然に可能で、適温を保てば個々の建造物での冷暖房は不要となる。
この様なプロジェクトは、従来であれば「壮大な夢物語」で片付けられてしまう。だがトーラル技術ならば、短期間かつ廉価で、すぐにでも実現可能だ。
豪雪地帯の各自治体はこの提唱を受け、ドーム建設について検討を開始した。
雪害や寒さを生活の障害と考えている住民にとっては、ドーム建設は大きな希望となった。
特に、雪下ろしの際の転落や、路面凍結による交通事故、寒さによる凍死、雪崩に巻き込まれる等して死んだ身内を持つ遺族達は、悲劇を繰り返さない為に一刻も早いドーム導入を願い、積極的な運動を展開する様になった。
国民的SFアニメとタイアップしたネット広告も行われた。物憂げな少女が、吹雪に荒れる窓の外を眺め「寒い…… ここに後、何年……」とつぶやくCGアニメーションは、大きな話題となった。
この少女は、劇中で大規模な戦乱を引き起こした悪役キャラクターなのだが、強い人気もあった為、その点は問題にならなかった様である。
費用も工期もかからない事から、各自治体のドーム建設案は順調に決定されるかと思われたが、反対意見も挙がり始めた、
まず、雪は生活の障害ばかりでなく、重要な観光資源でもある。雪景色を目当てに来る観光客は多いし、ウインタースポーツにも不可欠だ。
季節感を大切にしたいと考える住民も多かった。積雪あってこその我が郷土という訳だ。
結果、豪雪地帯の各自治体ではドーム建設に対する賛否両論が大きく分かれ、住民の間で論争が繰り広げられる事となった。
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各自治体とも議論が膠着したまま、ドーム建設が提唱されてから初めての冬が訪れ、例年の様に犠牲者が出たところで、論争はさらに激しさを増した、
ティ連医学がいかに進んでいても、冬期の気候に起因する死者を、全くのゼロにする事は難しい。
脳の損傷が激しく、ニューロンバックアップで記憶の復元が出来ても、自我の同一性を確保出来ないケースがあるのだ。この様な場合、肉体を蘇生させても事実上、同じ記憶を持つだけの「別人格」となってしまう。
この様に修復困難な脳損傷は、特に、雪に起因する交通事故で散見された。
犠牲者の発生を前に、地方議会においては、保守/革新の立場を問わず、様々な観点から賛否が入り乱れる事となり、各政党も意見の集約を断念する有様だった。
ドームを導入し、安全で快適な環境を手に入れるか。犠牲者の発生を覚悟した上で、昔ながらの光景を維持するか。
街では賛否双方のデモが連日の様に行われ、賛成派は反対派を「環境保護至上主義者!」と罵倒し、反対派は賛成派を「雪国なればこその郷土、嫌なら出て行け!」と挑発する。
こういった政策論争は、感情的にヒートアップしだすと、収拾がつかなくなりがちだ。各市町村は、住民間の対立が回復困難になる事を懸念し、早期決着を図るべく住民投票を実施した。
住民投票は各市町村ともほぼ一斉に、年末の第四日曜に行われた。その結果は、いずれも建設の否決だった。
事前の世論調査では賛否が拮抗し、かつ賛成側がわずかに優勢な地域も散見されていた為、否決一色とは全く意外な結果である。決め手となったのは、どの地域にも増え始めていた、ティ連系移民だった。
豪雪地帯に住まうティ連系移民の多くは、その気候に魅力を感じ、日本での住まいを定めていた。ドームを建設されると地域の魅力が半減してしまうとして、反対に票を投じたのである。
投票前に、当該地域に住むティ連系移民の意向が注目されなかったのは、元々の地元民の議論に影響を与えない様、新参者として意見表明を控える者が多かった為だ。
事の発端が、ヤルバーンの技術者によるドーム建設の提唱であった事を考えると矛盾している様だが、ティ連とて、様々な考え方を持つ者がいる。
今回の場合、技術者達は自分の専門分野によって社会に貢献したい故にドーム建設を提唱したのだが、現地に実際に住むティ連系移民の多くは、それを望まなかったという訳だ。
無論、雪による生活の不自由を、従来通りに甘受するという事ではない。ドーム建設は否決された物の、雪害を緩和する為、豪雪地帯では随所にトーラル技術が用いられる様になった。
交通の障害を避けるべく、鉄道路線や、国道・県道といった幹線道路には、シールドチューブが設置された。
また自動車も、従来の物に代わり、浮上式のコミューターが推奨される様になった。
毎年の様に事故が発生する雪下ろしは、人間に代わってアンドロイドが担う様になった。
ドーム建設によって地域をまるごと環境改造する事なく、気候を受け入れた上で、個々の不自由を技術的に緩和するというのが、各自治体の出した方針である。
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ただ、決着がついた事で地域が落ち着いたかというと、やはり遺恨は残った。
ドーム建設を呼びかけた者達の中から、快適な地域へ移住しようという動きが出たのである。主な移住先は、火星の熒惑県だ。
政府は熒惑県の開発を推進すべく、一般の移住者を募集していたが、その人気は今ひとつだった。
幸い、精死病から回復した元患者を、熒惑県を生活再建の場としてティ連各地から多く誘致する事に成功した為(第二十八回参照)、開発に必要な人口は確保出来ていた。
だが、在来日本人がほとんど来ないままでは、熒惑県と本土の一体感がそがれてしまうのではないかと、政権与党の内から危惧する声が挙がっていた。
それを受け、政府は移住者募集の一大キャンペーンを行ったのだが、これに目をつけたのが、住民投票に敗れ、地域で肩身が狭くなっていたドーム建設派だった。
故郷を捨てて都会へ出て行こうにも、トーラル技術の導入により求人が減少している御時世では難しい。だが、政府が大々的に移民を募集している熒惑県ならば、新生活に行政の全面的なバックアップが得られるのだ。
また既に、主にティ連系の移民によって先行開発が始まっており、熒惑県は何もない辺境ではない。ティ連のオーバーテクノロジーが惜しみなく投入された、最先端の植民地で、豪雪地帯よりよほど住みやすい。
移住を決める者が現れると、徐々にその人数は増えて行く。豪雪地帯からの熒惑県植民事業への問い合わせは、実に住民の約二割程にも達した。
慌てたのは、出て行かれる側の自治体である。ただでさえ過疎に悩んでいるのに、この上、住民が大量流出してはたまらない。
だが、熒惑県への植民事業は、国家の大規模プロジェクトだ。これに応募しようという住民に再考を促すのは、行政の立場としては難しい。
ドーム反対派が「嫌なら出て行け」と挑発した事も原因ではないかと言う指摘も多くなされたが、後の祭りである。反対派にしても、自分達の発言が、大規模な住民流出の引き金を引いてしまうとは思っていなかったのだ。
衰亡の危機にさらされた豪雪地帯の各自治体を救ったのは、新たな移住者の出現だった。
簡易転送機の普及により、大都市の賃貸居住者が、不動産が廉価な過疎地で持ち家を入手し、転送で通勤するというライフスタイルを指向する様になったのである(第三十五回参照)。
住人が熒惑県へ去った事で、豪雪地帯では空き家が激増し、多くが売りに出されていた。都市居住者は、それを〝お買い得品〟として買い求め、移住してきたのだ。
これにより、豪雪地帯が失った人口は補われ、衰亡の危機はひとまず回避された。だが、簡易転送機によって大都市に通勤し続ける移住者がほとんどなので、地域社会への積極参加をどう促すかが大きな課題となっている。
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ドーム建設の是非を巡る住民間の論争は、地域人口の急減という大きな危機を招く事となった。新たな移住者で人口は補われたが、あくまで結果論である。
豪雪地帯の各自治体は和解を図るべく、ドーム建設賛成派の多くが移住した、熒惑県の自治体へ姉妹都市提携を打診した。だが、去った者達は〝石もて追われた〟という意識が強く、故郷との交流に消極的な為、提携の締結に至った例は皆無である。
これは、地方自治に留まる話ではない。国内全体を見ても、日本のティ連化を積極的に進めたいという意見に対し、「ここは日本だ、嫌ならティ連へ行け」と反論する声を挙げる者が少なからずいるのが現状だ。
だが、ティ連の既存加盟国へ移住するには、厳重な資格審査を課すのが現在の政府方針なので、大半の者は出て行こうにも出て行けない。「嫌なら出て行け」と言い放つのも、それが出来ないのを承知の上だろう。
衣食住に心配のない、ハイクァーン経済のティ連の方が、日本に比べて生活しやすいのは明らかだ。移民を自由化すれば、多くの日本人がティ連へと去って行く恐れがあり、政府の移住制限は、それを踏まえての事である。
ティ連加盟国間は移動の自由が原則なので、日本からの自国民移住制限は、加盟に際しての留保事項、いわば特例だ。だが、いつまでもという訳には行かない。憲法第二十二条二項の〝何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない〟という規定に抵触しているという指摘もある。
遠くない将来、日本人のティ連既存加盟国への移住は自由化せざるを得ないだろう。その時、雪崩を打つ様に、元々の日本人はティ連へ流出してしまうのだろうか。
そうならない様、ティ連と遜色ない、暮らしよい日本を構築する事が必要だ。単にティ連を模倣する必要はないが、少なくとも、昔のままではいられない事を、国民全員が自覚すべきだろう。
日本は既に、ルビコン川を渡っているのだ。




