第三十八回 空の魔王は異星人を魅了する
今や、日本領土は地球上だけではない。
テラフォーミングされた火星の日本統治区域「熒惑県」、ティ連から移動してきたレグノス要塞の日本人居住区画「レグノス県」、そしてイゼイラから割譲された「第二地球」が、宇宙時代における新天地として加わったのだ。
日本本土とこれらの天体を往来するには、ヤルバーン・タワーを経由して宇宙船を利用する必要がある。
だが、これらの地球外領土を得た当初、日本は一般の乗客を乗せる、旅客仕様の宇宙船を保有していなかった。保有している宇宙船は、特機自衛隊の「かぐや」「ふそう」、そして若干の調査船のみだったのである。
ティ連各国からの輸入に加え、君島重工等の国内大手重工メーカーにより、国産の宇宙船建造も始まってはいた。だが、それらは護衛艦や宇宙探索用の調査船が優先されていて、民需は後回しだった。
宇宙船を運用する人員の養成も同様で、特機自衛隊のみが先行しており、民需に対応する人員を育成する体制は整っていなかった。
華々しく報じられた日本の宇宙植民開発だが、移住開始に比べ、交通手段整備については出遅れていたのである。その為、地球外領土と本国の間を往来する日本人は、イゼイラ等、地球を訪れる様になったティ連の旅客船を利用せざるを得ない状況が続いていた。
日本政府はこの状況を改善すべく、自国による星間輸送機関の設立を計画した。国が全額出資する株式会社として設立し、採算ベースに乗った時点で上場して民間に株式を放出するというのが、大まかな内容である。
しかし、ここで問題になったのが「運賃」だ。
ハイクァーン経済下のティ連では、旅客船の利用に対価は必要無い。日本人がティ連の旅客船を利用する際も、既存加盟国の市民同様に無料で利用出来ていた。しかしこれでは、日本が設立する新会社は手も足も出ない事になってしまう。
政府は新会社が不利にならない様、ティ連各国の旅客船を利用する日本人乗客に対して、運賃相当額を税として徴収する制度を検討した。だが、これが国民から大きな反発を受けてしまった。
既存業界がある分野ならば、それを維持・保護する為という名目も説得力を持つ。現に、鉄道やバスといった交通インフラを維持する為として、国内移動用の転送ゲートの整備は限定的である。
しかし、星間輸送はこれまで国内に存在しなかった新事業であり、配慮すべき既存業者が存在しない。ならば新設にあたっては、日本もティ連の標準に合わせるべきではないのかというのが、世論の主流である。これまで無料だった物を有料にするというのだから、利用者の立場としては当然だ。
政府は受益者負担による独立採算の為として理解を求めたが、国民の多くは不満を隠さなかった。「日本の利用者はティ連の旅客船で充分満足しているのだから、有料化する位なら、日の丸旅客船は必要ない」という声が日増しに強くなる。
加えて政権与党内からも、宇宙船利用の有料化は、国民から新領土への積極進出の意欲を奪いかねないという懸念の声が挙がり始めるに至り、政府も方針を変更せざるを得なくなった。
日本政府としては、星間輸送機関の自己保有は、一人前のティ連加盟国として是非とも成し遂げねばならない事だ。それを貨幣経済に組み入れる事に固執するあまり、国民から不要と思われてしまっては本末転倒である。
組織の性格について検討を重ねた結果、日本の星間輸送機間は、将来の上場・民営化を前提とした政府出資の株式会社ではなく、国営の公社として設立される事となった。
また運賃の方も、当面の間は「試験運用」として無料という事になった。当然に、ティ連各国の宇宙船を利用する日本人から徴収する予定だった、運賃相当額の税についても議論は棚上げとなる。
試験運用という名目にしたのは、政権与党の中に、当初計画通りの有料運営を強硬に主張する議員が少なからずいた為である。
地球外領土の開発促進を重視する向きと、貨幣経済下の営利活動維持を重視する向きが与党内でにらみ合った結果、「あくまで試験運用中の無料である」として、将来の有料化の可能性を残すという妥協が導き出されたという訳だ。
ただ実際問題、利用が広く行き渡った後に有料化へ踏み切るのは、世論の反発を招いて困難になるであろう事は疑いない。客観的に見て、有料化推進派の面子を立てる為のリップサービスである事は明らかだった。
*
試験運用中という但し書きが付いたとは言え、日本の宇宙船もティ連各国のそれと同様に無料で利用出来る事となり、国民は大いに喜んだ。
無料は結構だが、運営費をどの様に賄うか。
ハイクァーンの活用で、従来では考えられない程に経費は節減出来ている。だが、流石にゼロという訳にはいかない。最大の物は人件費だ。
ティ連の宇宙船利用は無料だが、従業員もまた原則無報酬、つまりはボランティアである。彼等は生活費の為ではなく、承認欲求を満たす為に働く。特に、星間輸送という社会の重要インフラ運営に携わる事は、多くのティ連市民にとって栄誉に他ならない。
しかし貨幣経済下の日本では無給にも出来ないので、人件費他、設立される公社の経費は、国税によって賄われる事になった。
財源を危ぶむ声も一部であったが、ティ連加盟以後、地球上におけるオーバーテクノロジーの独占や来日観光客が急増した効果で、国家財政は潤沢だ。その為、国費負担は大した問題とはなっていない。
もっとも、星間輸送機関とは言っても、恒星間を往来する様な本格的な運用はまだまだ先で、当面の営業航路は太陽系内の有人天体……地球、火星、そしてレグノスを結ぶのみだ。ゲート経由の恒星間航行を伴う第二地球への定期便運航は、将来の課題と位置づけられており、往来へは当面、イゼイラ等のティ連船に頼る状況が続く。
それでも日本の宇宙進出における重要な一歩という事は間違いなく、国民は大いに盛り上がったのだが、その陰で複雑な表情をしている面々もいた。
航空業界である。
日本の大手航空二社は、政府出資のフラッグ・キャリアを補う二番手・三番手として、星間輸送への参入を計画していた。当初の有料化方針も、彼等が与党に要望したのが一因である。
官営のフラッグ・キャリアが無料では、民間企業が後発で参入する余地は無い。営利活動として稼げないのであれば、星間輸送に事業参入する意味が失せてしまう。
星間輸送の有料化が事実上頓挫した状況下で、どうにかして営利事業として成立させられないかと検討を重ねた結果、目をつけたのは海外からの利用客だった。
*
地球外とはいえ、熒惑県やレグノス県は日本領である。その為、法的には地球の各国から訪れる事が当初から可能であった。日本の入国審査を通れば良い訳だが、実際の渡航にはかなりの困難が伴っていた。
まず、宇宙港があるヤルバーンへ入境出来なくてはならないが、この時点でLNIF加盟国以外はほぼ門前払いである。
さらに、海外市民がティ連の宇宙船に乗船するには、目的地が日本領であろうと、公用、あるいは日本人に縁故がなければ、まず認められない。基本的に、日本人を含むティ連市民向けのサービスなのである。
その為、LNIF各国の市民は、日本籍の旅客船就航を大いに喜んだ。これによってようやく、太陽系の日本領内という限定条件付きながら、彼等も宇宙旅行が可能になったのである。
しかし、彼等が乗れる旅客船は日本籍の物だけで、しかも運営が始まったばかりとあってその便数は決して多くない。
一方で日本人の方は、船籍にこだわらず待たずに乗れる便を利用していた。加えて、日本便しか利用出来ない海外市民に少しでも多くの席を空ける為、自分達はなるべくティ連籍の便を利用しようという風潮も広まった。
結果、ヤルバーンと火星、あるいはレグノスを結ぶ日本籍旅客船は、日本人やティ連市民よりも、海外市民の利用客が多くを占める様になっていた。
利用者の国籍で最も多いのは米国である。彼等もまた火星に植民地を得ているのだが、これまでは民間人が気軽に利用出来る便が無かった。日本籍旅客船の就航によってようやく、彼等も自らの火星開発を本格的に進められる様になったのだ。
予約は常に満杯で、キャンセル待ちの為に日本で数日滞在した末、渡航を断念するケースすら散見された。
利用者達からは増便の要望が日増しに強くなっていったが、日本政府の反応は鈍かった。盛況ではある物の、肝心の日本人の利用者が少ない為である。与党内からは、国費を投じてのさらなる規模拡大に慎重な声も出始めた。
星間輸送への参入を希望していた大手航空二社は、これを好機と見た。官営便が増便されないなら、自分達が有料で参入しても需要が見込めるのではないかと考えたのだ。
*
とはいえ、ヤルバーンの宇宙港で官営の無料便と肩を並べて運航するのでは、火星/レグノスへの渡航手段が限られる海外市民相手の「ぼったくり」と受け取られかねず、どうにも体裁が悪い。
そこで目をつけたのが、熒惑県に隣接する米国領だ。元々は日本領の一部だったのだが、国連でのティ連追放決議を阻止する為に、取引材料として日本が米国に割譲を申し入れたのが始まりである。
だが現状では、米国人といえども、往来には日本本国を経由してヤルバーンから熒惑県行きの日本籍旅客船へ乗り、到着した現地の宇宙港から米国領行きの転送ポートを使うという、何とも面倒な旅程となる。
また、ヤルバーンから火星への交通費が無料とは言っても、経由地の日本まで行く為にかかる時間・費用は馬鹿にならない。例えば米本土西海岸のロサンゼルスから日本まで、航空機での所要時間は半日以上、運賃も格安チケットで八万円前後だ。
もし米国内から直接に火星へ向かう事が出来るなら、それが有料便であっても需要は大きいであろうというのが目論見である。
大手航空二社が、米国の本国と火星領を結ぶ直行便を開設したい旨の意向を日本政府に申し入れると、話はスムーズに進んだ。
日本政府としてはどの様な形であれ、日本の民間企業による星間輸送が始まるのは歓迎である。
米国はヤルバーン/ティ連に対し旅客型宇宙船の供与を要望しているが、時期尚早という事で交渉は進展していない。そこで米国=火星間で日本企業運営の直行便を就航させるというのは、有望な代案と考えられた。
米国はこの提案を歓迎した。彼等としては米資本で行うのが理想だが、それが難しい以上、まずは米国市民に新たなフロンティアとの簡便な往来を提供する事が重要なのである。
ヤルバーンも、あくまで日本企業の運営であれば容認範囲という事で、計画を了承した。
米国=火星便の就航に際しては、航空機からの乗り換えの利便性や、税関等の付帯施設をそのまま利用出来る事から、在来の空港が使用される事になった。
ティ連の宇宙船は離発着に特別な設備を必要としない。地球人の感覚的には、垂直離着陸機やヘリコプターに近い物があるので、航空機との施設共用も可能なのである。
第三国からの利用を考慮した結果、ロサンゼルス空港、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港、ハワイのダニエル・K・イノウエ(旧ホノルル)空港が、日本籍民間宇宙船の発着空港として選定された。
ロサンゼルスやニューヨークはともかく、何故ハワイが選ばれたのかと訝しむ声も挙がったが、日本を含む環太平洋各国からの国際便が多く就航している事が重視された為だ。彼の島は太平洋上の交通アクセスポイントとして、重要な立地なのである。
*
かくして、行き先が火星のみとはいえ、ヤルバーンを経由せずに宇宙へと旅立てるルートが民営で設定されたのだが、官営とは違う様々な特徴があった。
まず、正副の船長及び機関長は基本的にティ連系で、本国で艦船勤務歴を積んだ退役軍人で占められている。官営フラッグ・キャリアが、八割以上の乗務員を新規養成の在来日本人で賄っているのとは対照的だ。
官営の場合、初期の運用は在来日本人を主体にしたいという思惑から、短期養成による新人の比率が高くなってしまっていた。宇宙船の運用はAIによるサポートが万全ではある物の、いささか心許ない物がある。
その点で民営は、熟練した人材を外部から手早く集める為、ティ連各国の退役軍人会に打診して、広く業歴者を採用したのである。社内育成の体制構築は、中長期の課題として割り切ったのだ。
退役軍人がメインなのは、養成の手間を省くだけでなく、テロ/ハイジャックを警戒している面もある。日本人の大半は荒事に弱いが、オーバーテクノロジーの塊である宇宙船は、万が一にも強奪されてはならない。いざという時、躊躇なくテロリストに実力行使出来る様でなくては困るのだ。
そしてベテランの退役軍人による運行は、乗客の安心感にもつながる事が期待されていた。
また船体も全てティ連製だ(イゼイラ他、主要国に分散発注)。前述の様に、日本国内での宇宙船建造は官需で手一杯の為、発注しようがないという事情もある。
また、あえて恒星間航行機能は持たせず、太陽系内専用になっている。実の処、ハイクァーン技術で建造すればコストは基本的に質量で決まるので、経済的には全く意味が無い。
これは、万が一の技術漏洩を警戒した物だ。恒星間航行技術は、ティ連のオーバーテクノロジーの内でも、秘匿レベルがかなり高いのである。
ティ連では、旅客船レベルの宇宙船は恒星間航行機能を備えているのが常識なので、政治上の理由で造られたモンキーモデルの一種とも言える。それでも、既に米国への限定的な技術供与によって建造された「エンタープライズ」級巡洋艦とは全く比較にならない航行性能だ。
際立っているのは外観で、何と、地球の飛行船にそっくりなのである。
実のところティ連の技術なら、宇宙船の外観はどうとでもなる。例えば、昔のアニメに出てきた、超時空な人型要塞の様にも、無料でサイボーグ手術を受けられる星へ向かうSLの様にも出来る。
クラシカルなデザインの方が乗客受けが良いだろうという事で、様々な検討がされた結果、採用されたのは飛行船となった。
本物の気嚢に相当する部分を船体とし、ゴンドラを船橋にすれば、客席数を多く出来て合理的というのが決定に至った理由だ。
外観は、ナチス・ドイツが国威をかけて建造した旅客型飛行船「ヒンデンブルグ」級をモデルとした。異なる点は尾翼で、オリジナルには国章として鍵十字が描かれていたのだが、この部分は日の丸となっている。
ちなみに対抗で最後まで残ったデザインは、往年の豪華客船「タイタニック」だった。この船を題材にしたラブロマンス映画に、多くのティ連系女性社員が影響された為らしいのだが、沈没した船のレプリカでは縁起が悪いという事で却下されてしまった。
爆発事故で有名なヒンデンブルグ級も、縁起の悪さではタイタニックと同レベルの筈なのだが、何故か問題にはされなかった様である。
およそ宇宙船とは思えない外観は、米国のみならず世界中の人々を驚かせる事となり、ニュースはその話題で持ちきりとなった。
特に、モデルとなったヒンデンブルグ級の建造国であるドイツと、第一次世界大戦で飛行船による爆撃を受けた経験を持つ英国では、何とも複雑な感想を持つ者が多かった様である。
一方、日本ではごく平然と、レトロで洒落たデザインとして受け止められていた。SFコミックの某巨匠の代表作の一つに、飛行船型の宇宙海賊船が登場する作品がある為、宇宙船としてあり得るスタイルと考えた者が多かったのであろうと思われる。
*
米国=火星便は就航当初から盛況で、運営する航空会社にはドル箱路線の一つとなった。
需要に応える為、発着地にはプエルトリコのルイス・ムニョス・マリン空港、アラスカのテッド・スティーブンス・アンカレッジ空港も新たに加わっている。
第三国からの利用者も多い為、米国以外の国からも誘致の声が強いのだが、ティ連としては、一極集中外交方針の関係上、譲れない一線だ。あくまで米国の「飛び地」との往来に対する便宜を考慮した特例なのである。
それでも諦めずに誘致を続ける国は多く、中でもドイツは「我が国の飛行船のデザインを真似ているのに、航路設定を拒むのはけしからん」という、説得力がある様でやはり変なクレームを発する様になっていた。
無論、それで一極集中外交の方針が変わる訳でも無い。工業デザインの権利という観点からも、オリジナルの建造から既に七〇年以上経過しているのである。
だがこれを機に、ドイツとティ連との間で、ある取引が持ち上がった。
本物のヒンデンブルグ級を再建造出来ないかというのである。
実は、古代イゼイラでは地球の飛行船に類似した発想の飛行体が造られていた。だがトーラル・システムを入手して以後、コミューターや転送機等の遙かに高度な交通機器にとって替わられた為、高度な発達を遂げぬままに終わってしまったのである。
無論、地球でも飛行船は有翼機に負けて廃れてしまったのだが、それでも古代イゼイラの物よりは、遙かに発達した物になった。
そして、輸送機としての飛行船の進化の頂点が、ヒンデンブルグ級なのである。
何しろヒンデンブルグ級は全長二四五Mで、ティ連接触前の地球で実現したあらゆる飛行機械の内で最大の物だ。有翼機で最大の、旧ソ連(現在はウクライナで運用)のAN-225「ムリーヤ」が全長八四Mである事を考えると、いかに巨大かが解るだろう。
これを再実用化出来ないかと考えたのは、ダストールだった。軍事国家らしい発想で、未知の手段による攻撃でトーラル技術が封じられた際に備え、ローテクノロジーによる交通手段として活用出来ないかと着目したのだ。
幸い、建造したメーカーは主要業務を変えながらもドイツに現存しており、最新型の「ツェッペリンNT」は現在でも就航している。
だがダストールは、現在でも入手可能なツェッペリンNTには満足しなかった。全長七四Mで乗員は一四名と、ヒンデンブルグ級に比べれば輸送能力が全く見劣りしてしまう。
加えて電子制御が採用されている為、外部からの技術的妨害に弱いとも考えられた。アナログな旧世代の飛行船の方が、ダストールの要求にマッチしているのである。
ヒンデンブルグ級の再建造という異星の軍事国家からのオーダーに、メーカーは困惑してしまった。あえて日本で例えれば、大和級戦艦を現在の造船所で造ってくれと言われる様な物である。
当然にメーカーは断ろうとしたのだが、ドイツ政府の強力な要請を受け、首を縦に振らざるを得なかった。ティ連の有力国から持ちかけられた取引を断る等、ドイツ政府としてはあり得ない事である。
再設計さえ出来れば、ダストールによってハイクァーン造成による建造は可能である。だが、建造技術の検証も目的に含まれている為、あえて当時の建造ドッグを復元し、ヒンデンブルグ級再建造は、可能な限り当時の工法によって進められた。
但し、安全に関わる明らかな技術的欠陥については修正している。
例えばヒンデンブルグ級飛行船は当初、ヘリウムを使用する予定だったのだが、米国が輸出を禁止した為にやむなく、従来通りの水素を使用している。これを、当初予定のヘリウムとした。
また爆発事故は後年の研究で、船体外皮の酸化鉄・アルミニウム混合塗料が静電気で発火したのが原因と判明している為、これも安全な物に換えられた。
こうして現代に蘇ったヒンデンブルグ級は、ダストールで実際に旅客を乗せて運用される事になった。
無論、転送という究極の輸送手段がティ連にはあるので、用途としては観光用の遊覧である。オリジナルのヒンデンブルグ級は富裕層をメインターゲットとした豪華客船だったので、その優雅な客室も忠実に復元されていた。これが好評で、予約は連日満員という状況だ。
ヒンデンブルグ級の再生産はワンオフの予定で、建造ドッグは観光施設に転用される事が計画されていた。だがダストールでの好評ぶりを受け、他のティ連国家からも発注される様になった為、現在ではドイツの重要な対ティ連輸出品として生産が続けられている。
ハイクァーン造成によるライセンス生産でなく、わざわざ実機を発注しているのは、ドイツ/EUに対する配慮という面もあるが、せっかく復刻した生産ラインを動態保存すべきであるという、ティ連側の意向も大きい。いわば文化遺産の様な扱いである。
*
日本と関係が深い米国や台湾、カレー発祥地のインド、千島観光で知られ始めたロシア/旧ソ連。悪い方向の連想ならば敵性国家の中共を思い浮かべるのが、地球の各国家に対するティ連市民一般の印象である。
欧州の国々は「その他地域」として今ひとつ影が薄かったのだが、ヒンデンブルグ級の復元運用は、古くからの技術大国として、ティ連市民がドイツを認識するきっかけとなった。
ティ連来訪前から、ドイツと日本は分野が競合する工業国として、いわば商売敵の関係にあった。さらに、日本のティ連加盟により従来の工業技術が急激に陳腐化した事で、ドイツの産業は大ダメージを受けている。
一方で、ドイツの悲願の一つであった国連憲章の旧敵国条項削除は、ティ連をバックにした日本の強い働きかけなくして実現しなかった事もあり、近年におけるドイツ市民の対日感情は極めて複雑な物があった。
その様な状況下で、日本の航空会社が宇宙船のデザインにヒンデンブルグ級の外観を使用したのがきっかけで、ティ連がドイツを意識する様になったのは、実に奇妙な巡り合わせだ。
願わくば、これが日本にとっても良い方向へつながって欲しい物である。




