第三十七回 国後に蘇るソ連の追憶
北方四島。
北海道の根室半島の沖合に位置する、択捉島、国後島、色丹島、そして歯舞群島の四つの島である。
第二次世界大戦終盤、中立条約を破棄して対日参戦したソビエト連邦によって占領されて以後、日本の実効支配が及ばない地域となっていた。
一九九一年にソビエト連邦が崩壊した後も、継承国家であるロシアが統治を引き継ぎ、再三にわたる日本の返還交渉も実を結ばない状態が延々と続いていた。
しかし、ヤルバーンと日本の接触、そして日本のティ連加盟により、世界のミリタリーバランスは大きく変容した。
紆余曲折の末、ロシアはティ連と距離を置く国家の連合体「CJSCA」の副盟主的な立場でありながら、親ティ連陣営の「LNIF」にオブザーバー参加する事を希望した。
しかし、地球のティ連加盟国家である日本との間に領有係争地を有さないというのが、LNIFの加盟条件である。
つまり、ロシアがオブザーバーという形であってもLNIFに参加するには北方四島問題の解決が不可欠という訳だ。
交渉の末、北方四島に対する日本の主権を認める代わり、ロシアは租借地として引き続き行政権を握る事で日露は妥結した。
日本にとっては長年の懸案が解決した訳だが、ロシアは行政権を保持した結果、今後の北方四島の扱いに悩む事となった。
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これまでソ連/ロシアにとって北方四島は、自由主義陣営と対峙する軍事的要衝とされていた。だがロシアが、自由主義陣営の後継たるLNIFにオブザーバー参加する事になった事で、現地の緊張は大きく緩和した。
ロシアの軍部からは、北方四島に配備した部隊を削減し、今後はイスラム過激派等との低烈度紛争、そして宇宙進出に軍事力を振り向けるべきだという意見が日増しに強くなっていた。
国境の島である以上、警備の為にある程度の部隊駐留は必須にしても、現状は過大に過ぎるだろうという訳だ。どの道、ティ連の一員となった日本には通常兵器どころか、戦略核の飽和攻撃すら通じないのである。
また、豊富な地下資源についても、日本がティ連から得たハイクァーン造成技術により、その価値は大きく下落してしまった。
日本は今の処、鉱物資源のハイクァーン造成は原則として自国使用分に限っており、他国への供給については慎重な構えをとっている。地下資源採掘を主要産業とする国が経済破綻してしまうのは、日本の望む処ではない。
だが、主要工業国の一つで、さらに一億超の人口を抱える大量消費地でもある日本が、資源輸入を必要としなくなったというだけでも、市場への価格下落圧力としては充分である。
地下資源開発は世界的に低調となり、ロシアが北方四島の実効支配を強化する為に好条件で誘致した第三国の資源開発企業も、相次いで撤退を表明した。
元々、日本の領有権主張を無視する形でロシアの誘いに応じていたという、後ろめたい事情もある。ティ連をバックにした日本に睨まれてまで、不採算事業に拘泥する企業は皆無だった。
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北方四島の周辺海域は、世界的にも稀な優良漁場でもある。漁業、及び漁獲物の水産加工は、現地の主要産業だ。
帰属交渉に際し、漁業権の扱いが難題の一つになるとロシア側は認識していた。だが日本はあっさりと、当該海域の漁業管轄権は、ロシアの得る租借権に含まれる旨を了承した。
無論、全くの無条件では無い。日本の領海とEEZを北方へ幾分か上げ、またロシア側は泊湾での警備活動を行わない旨が対価として定められた。
日本はもはや、当該海域の海洋資源を重視する必要がなくなったのである。ハイクァーンによる食糧造成、そしてパーミラヘイムから導入した海洋牧場が普及する事により、従来型の漁業は日本では急減していた。
つまり、漁業権を回復したところで、日本には再操業を望む事業者がいないという訳だ。
ともあれロシア側の漁業権は守られた形だが、彼等にとって手放しで喜べる状況では無い。水揚げされた漁獲物の主要輸出先の一つは日本だったのだが、この需要も、ハイクァーン造成や海洋牧場の影響で、ほぼ消失状態となっているのだ。
その様な訳で、北方四島の既存産業は先が見えない状態と化し、住民の雇用維持も厳しい状態だった。
行政権の確保のみで満足し、辺境の島として遇するには、北方四島の維持はハイコストとなってしまったのである。
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ロシアとしては、主権問題の妥結を機に、以前から提唱していた日本との共同開発を推進したいと考えていたが、日本側の財界の反応は今一つだった。
日本にとって、今や北方四島の経済的魅力は乏しい。先述の通り産出資源は必要なくなったし、主要企業の目は火星、レグナス、そして復興再開発の需要が旺盛なサルカスへと向いていた。
日露間の経済交流拠点にしたらどうかという案もあるが、ロシア側にはウラジオストック等、本土側の沿岸都市が国際港として整備されており、海を隔てた北方四島に日露交易の場を新設する合理性がない。
そんな中で日本側から出た案の一つに、観光振興があった。
ティ連から日本を訪れる観光客は増加する一方で、いわゆるオーバーツーリズムが社会問題となりつつあった。観光地はどこもかしこも、物見遊山の異星人であふれかえっているのである。
ティ連市民の興味は発達過程文明その物にある為、今の処は観光対象の分散化で対応出来ている。日本人には何でも無い地方都市の日常空間も、彼等にとっては〝宇宙の神秘〟なのだ。
だが、遠くない将来にはそれも限界が見えていた。既に、政令市/中核市/特例市、そして県庁所在地の全てが、都市観光の対象として宿泊施設が増強されている状態である。
そこで、ティ連からの観光客の一部を、北方四島へ振り向ける事が出来ないかというのだ。
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地球を訪れるティ連の観光客が日本に集中するのは、彼等の日本贔屓だけが理由ではなく、政治的な理由だ。
ティ連加盟国間での往来は、原則自由である。日本人の他加盟国への移動に関しては、国民の大量流出を防ぐ為に制限があるのだが、あくまで暫定措置だ。
一方、米国=サマルカを例外として、ティ連加盟各国と地球の国々とは直接の国交がない。その為、ティ連市民が渡航する為には、日本が発行する旅券か渡航証明書が必要となる。
だが、単なる観光目的では申請がまず通らない。どの位難しいかというと、冷戦当時のソ連市民が、西側陣営の国々に一時渡航しようとするのと同レベルである。
日本としては、ティ連加盟国とはいえども、一応は他国人、しかも異星種族の身分保証を国外に対して行う事になるので、不測の事態を恐れるのは当然だ。
とは言え、移民して日本国籍を取得したティ連系種族に関しては〝日本人〟として問題なく海外渡航出来る。実際、地球各地で、日本国籍を持つティ連系種族の姿が散見される様になっているのだが、大きな問題は発生していない。
ティ連系種族は、営利犯罪の標的としては旨味がない為である。
基本的に現金を持ち歩かないし、身につけているPVMCG等のオーバーテクノロジー機器も、バイタルデータ登録で正規ユーザー以外には使えず、奪う意味が無い。誘拐して身代金を得ようとしても、転送で救出されてしまうのがオチだ。
それでいて彼等に何かあろう物なら、どんなに警察の治安能力が低い地域であっても、加害者は現地国家の威信をかけて追い立てられる羽目になる。
営利ではない人種憎悪犯罪、いわゆるヘイトクライムの標的になる事はあり得たが、これはティ連来訪以前から、各国が厳しく取り締まっている。
宗教教義に矛盾する存在として、あるいは地球文明の自主性を損ねる存在として、異星人排斥を唱える活動家も決して少なくは無い。しかし、直接にティ連系種族へ危害を加える愚行に及ぶ者は殆どいないのが現状だ。
安全面での問題が少ないと判断した日本政府は、ヤルバーン/ティ連とも協議し、ティ連市民の海外渡航制限を一部緩和する為、試行地域の選定を始めた。その動きが、ロシアから打診されていた、北方四島の共同開発とリンクしたのである。
北方四島は租借地としてロシアの行政権に属し続ける物の、主権は日本にある。それを国内外に知らしめる一環を兼ね、日本本土同様に、ティ連市民の往来を可能にしてはどうかというのだ。
日本の外務省筋から出されたこの提案に、ロシアは大いに乗り気となった。
観光収入が期待出来るのみならず、地球のどの国も喉から手が出る程に欲しがっているティ連との接点が出来る訳で、願ったり叶ったりである。
北海道の隣接地域であり、また島という事で行動エリアを限定出来る点から、ヤルバーン/ティ連も同意した。
こうして、北方四島は観光特区として再開発され、査証無しでの日本人の往来が自由化されると共に、それに準じる形でティ連市民も千島への渡航手続を簡便とする旨の協定が、日=露=ヤ間で締結された。
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ティ連市民を主要対象とした観光開発は決まった物の、北方四島は人口が少ない僻地で、観光の目玉は乏しい。
スキーやスノーボード等のウインタースポーツは楽しめるし、また火山地帯である事から温泉も湧く。だが、ティ連市民はどちらかと言うと、地球の豊かな大自然よりも、発達過程文明の産物を満喫したいのだ。
一方でロシア本土には、帝政時代からソ連体制を経て培ってきた文化財が豊富にある。
そこで、それらを本土から移入し展示する事が、観光開発の主軸となった。場所は国後島の中心都市、ユジノ・クリリスク/和名:古釜布である。
まずは箱物をという事で、愛知県犬山市にある明治村を範として歴史的建築物を移築しようという事になり、帝政ロシア時代の華麗な建築物が幾つも候補に挙がったのだが、これが難航した。
移築を打診すると、反対運動が沸き起こるケースが続出したのである。現在建っている地域にしてみれば、郷土の大切な宝なので当然だ。結果、帝政ロシア期の建築物については殆ど断念する事になってしまった。
当初は日本側の豊富な資金を背景に「金さえ出せばクレムリン宮殿でも持ってきてやる」と豪語した担当者すらいたのだが、住民の郷土愛を軽視した発言と言えよう。
一方で、旧ソ連時代の建築物については反対が少なかった。廃墟状態で放置されている物が少なからずあり、また現在利用されている物についても、代替施設の建設で話がついたのである。
旧ソ連時代といっても長いのだが、移築される事になったのは、殆どがスターリン時代の建築物だった。この時期の建築物は社会主義の発展を示すべく、壮大さ・重厚さを感じさせる物が多い。ソ連の建築物が合理的かつ簡素となったのは、フルシチョフ体制以後の事である。
観光都市として外観を統一すべく、ユジノ・クリリスクはスターリン時代の建築物で占められる様になったのだが、当然にロシア国内からの移築だけでは足りない。
旧ソ連を構成していた国々へも譲渡を打診したが、ベラルーシ等のCIS構成国についてはスムーズだった。
またバルト三国、ジョージア(旧グルジア)、ウクライナといった、現在はロシアと関係の悪い国々についても、日本を間にはさむ事で施設の買収が進められていった。彼等にしてみれば、忌まわしい歴史の残滓を日本のカネで撤去出来るなら有り難いという訳だ。
移築、またそれと並行して行うインフラ整備といった工事については、日露双方のゼネコンが共同してあたる事になったが、ティ連技術の活用は、大規模建築物の移動、そして人命に関わる保安対策を除いて控える事となった。ヤルバーンとしては地球の技術による大規模な都市開発を記録・観察する、またとない機会なのである。
地球の従来工法となると多くの人手が必要となるが、地元住民だけでは全く足りない。日露のゼネコンは折半する形で人員を募集したが、日本側の募集は難航した。
ロシア側からすれば、離島といえども自国内なので、出稼ぎの募集は賃金次第である。
だが日本側にとっては、主権が確認されたとはいえ、ロシア側の行政下にある異郷だ。PVMCGで言葉の問題は無くとも、ハイクァーンによる失業補償が手厚くなった現在、何も無い国後島くんだりまで出稼ぎに行きたい者は殆どいない。
そこで日本側ゼネコンは第三国からの出稼ぎ労働者を広く募集する事にしたが、最も多く希望が集まったのは香港だった。
英国からの返還後も、五十年の「一国二制度」を保証されていた香港だが、それを反故にする形で民主活動の弾圧が進んだ結果、国外脱出を図る市民が続出している。台湾、そして旧宗主国の英国を始めとした豪州、カナダ等の英連邦加盟主要国が主な移住先だ。
だが歓迎されるのは、異国で生活を再構築出来る能力と気概を持つ者のみだ。そうでない無力な者は中国共産党に不満と憎悪を抱きつつも、公安の目に脅えながら物言えぬディストピアに耐える他ない。
また中共も、不満分子と目される者への旅券発給を制限し、住民の国外流出を防いでいた。
だが、国後での建設作業員募集については、同じCJSCA陣営のロシアでの事業という事で、出国妨害も控えられたのである。
学歴の低いブルーカラー層にとって、これに応募するのが香港脱出のまたとない機会となり、結果、日本側ゼネコンに従事する作業員の大半は、香港出身者で占められた。
ロシアも中共に勝るとも劣らぬ強権体制と言われていたが、LNIFへのオブザーバー加盟申請に際して随分と軟化している。少なくとも、政権批判を公言した位で拘束される事はなくなった。
また、日本側ゼネコンの作業員全てが香港出身者という訳では無い。当然に幹部は日本人社員が主体だが、作業員にはコソボのセルビア系住民や、バルト三国のロシア系住民も目立つ。いずれも、現地の政策で暮らしにくくなったマイノリティの内、ロシアに親近感を抱く層だ。
他にはベネズエラ、ラオス、カンボジア、ミャンマーといった、CJSCAに加盟する、経済的に厳しい国の出身者も散見される。いずれも国の貧しさから新天地を求め、今回の募集に応じた口だ。
実の処、募集国の選定には、日本の外務省が深く関与している。世界的に問題となっている難民問題の、実質的な受け皿の一つとして北方四島を活用したのだ。
ただ、難民発生が最も深刻な、イスラム圏からの人員は皆無だ。ミャンマー出身の作業員にも、現地での迫害が伝えられるイスラム教徒のロヒンギャ族は含まれていない。
これらが募集対象から外されたのは、労働者の中にイスラム過激派が紛れ込むのではないかと、ロシアが警戒している為である。
ともあれ、郷里を捨てた者達の献身的な労働により、ユジノ・クリリスクの再開発は順調に進み、一段落した時にはソ連最盛期を思わせる威容を示す都市となっていた。
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完成したユジノ・クリリスクは、外観上は一九五〇年代頃の、旧ソ連の主要都市その物である。街のあちこちには力強い文体のスローガンが掲げられ、主要交通は昔懐かしいトロリーバス。街を巡回する警官も旧ソ連時代の制服で、記章のみが現代の物だ。
巨大な施設が建ち並ぶ様は、まさしく往年の〝紅き軍事大国〟を想起させる。
市役所庁舎は、モスクワで建設が計画されるも実現しなかった「ソビエト宮殿」の図面をそのまま具現化した物だ。移築ではなく新築だが、とても辺境の地方都市の庁舎とは思えない豪勢さである。
劇場では国立組織によるバレエやオーケストラ、演劇が連日の様に上演され、ロシアが芸術を積極的に保護、支援している事を盛んにPRしている。
美術館の自慢は、対独戦勝時に戦利品として接収した、数々の芸術品だ。これまで公開されていなかった死蔵品を集めて一挙に展示した物で、長らく行方不明だった幻の名作も多く含まれている。一部には元の所有者(の相続人)を主張する者から返還請求中の物もあるが、ロシアは訴訟の決着がつくまでは展示継続の構えで、敗訴した場合も公共目的による強制買い上げを検討しているという。
産業博物館の展示も見応えがある。旧ソ連時代の無骨で堅牢な工業製品の数々は、資本主義国家の物とは異なり、社会主義体制下で「商品性」を軽視し、かつ「生産性」を重視する独自の思想が窺え、ティ連市民にとっては興味深い物だ。
個人向けの復刻品も土産物として販売されている。特にティ連市民に人気なのは、真空管を使用した旧式の軍用無線機だ。
ティ連では電波を通信に利用する技術が普及した歴史が無い為、こういった機器が珍しいのである。日本では法制上使えないが、ティ連では現状、日本の電波管理法に類する規制がないので自由に楽しむ事が出来るのだ。
日本も領事館を建設したが、周囲との調和に配慮した形で、様式は戦前の在モスクワ大使館を模した物とした。自衛隊から出向した警護官が厳重に警戒している点が旧来の在外公館とは異なり、日本の変化を感じさせる。
ユジノ・クリリスクは単なる旧ソ連都市の復刻版では無い。国家保安委員会(KGB)の目を気にして言動を注意する必要は無いし、行列を造らずとも商品は潤沢である。
言ってみれば、「ソ連にこうあって欲しかった」という、ロシア人の願望が具現化した「理想都市」と言えよう。
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旧ソ連の都市を模した観光都市というコンセプトは好評で、ユジノ・クリリスクはティ連や日本のみならず、ロシア国内や地球の他国家からも大勢の観光客で賑わう様になった。
住民数も膨れ上がっている。大半は観光業や販売業、インフラの運営/整備等に従事する移住者だが、その人種構成の半分近くはロシア人以外だ。国外からの建設労働者の殆どが工事終了後も永住を希望し、ロシアも言語習得を条件に受け入れた為である。
実の処、日本同様にロシアも少子化に悩んでおり、その対策として移民を受け入れる方向だ。ユジノ・クリリスクは事実上、その積極推進モデル都市という側面もあった。
本土から離れている為、移民導入が失敗しても影響は限定的という計算もある。最悪、租借権を放棄して、住民ごと日本に返還してしまうという清算手段があるのだ。
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ユジノ・クリリスクの成功を受け、ロシアは第二弾の観光開発を択捉島で着手した。
軍民共同空港であるブレヴェスニク空港の周辺地域に、大規模な軍事博物館を設立したのである。
本稿の第三十一回でも触れたが、ユジノ・クリリスク開発開始と前後して、同空港には、核装備のMig-25を擁した対ヂラール迎撃部隊が配備され、日本/ティ連からも多くの見学者が訪れる様になっていた。この見学受け入れが軍のイメージ向上に繋がっている事から、択捉島の再開発に際しては、ロシア軍をもっと観たいという要望に応える事にしたのである。
観光客がロシアに望む物の一つに、軍事関連物の見学がある事はロシア側も承知していたが、国後島は日本と近すぎる事もあり、ユジノ・クリリスクでの積極展示は曲解を避ける為に控えていたのだ。
ロシアには何カ所もの大規模な軍事博物館があるが、ブレヴェスニクの物はその全てを合わせたよりもさらに壮大である。
帝政ロシア期からソ連を経て現在に至る自国の物だけでは無く、友好国から譲渡された物、敵軍から鹵獲した物も多く展示し、中には旧日本軍の兵器や軍装品も含まれている。
各種銃火器の試射が可能な他、〝ラーゲリ経営入門講座〟〝やってみよう督戦隊〟〝君にもなれるチェキスト〟〝押してみよう核のボタン〟〝誰でも出来る思想改造〟といった参加企画も多数用意されている。
そして毎週末に開かれる軍事パレードも見逃せない。服装や装備の時代、そして軍種は月替わりで、これを目当てにしたリピーター見学者も多い。
何ともサービス満点なのだが、職員は全員、現役の軍人だ。軍規模を保持する為、平時には軍を利用した観光に従事させるというロシアの狙いも透けて見える。
今後、ロシアが日本にとって脅威になる事はまず無いと思われる。だが、観光を楽しみ友好を深めつつも、LNIFへのオブザーバー参加を機にした穏健化が本物かどうか、彼等の動向を注視していくべきであろう。




