第三十六回 これが私のお稲荷さんだ
本稿の第十六回でも述べた様に、ティ連の各国から多くのカップルが神社で結婚式を挙げる為、日本を訪れる様になっている。
ティ連市民の目には、神道式挙式がとてもおごそか、かつミステリアスに感じられる様で評判も上々だ。
また、在来日本人とティ連系種族との国際結婚も盛んで、こちらも殆どが神社で挙式を挙げる事を希望する。
結果、結婚式場を備えた全国津々浦々の神社は、その全てがフル回転状態となっていた。高まる一方の需要に対し、各神社側が応じ切れない様になってきたのである。
こう言った事情から、ティ連の各国では、地元で神道式の結婚式を挙げられないかという要望が強まり、地方自治体を主体として、神社を誘致する動きが盛んになってきた。
しかし、日本の神道界側は当初、慎重な構えを見せていた。
他国への宗教施設の建設となると、現地とのトラブルも警戒しなくてはならない。神道界としては、宗教が廃れて久しいティ連に於いて、神社がどの様に受け止められるかに不安があったのだ。
日本に結婚式を挙げに来る様な者はともかく、直に相手方の地域に乗り出せば、歓迎する人ばかりとは限らないのではないだろうか。また、政教分離の観点から、日本政府の支援も期待出来なかった。
一方、誘致するティ連側の各自治体にしてみれば、心配は全くの杞憂に過ぎない。
ティ連では、神道の実態を「儀典、習俗」と受け止めていた。具体的な教義がある訳ではなく、ティ連で反社会的と見なされる様な戒律や慣習もない為、有害な要素は乏しいと見なされていたのだ。
但し、幕末以降に勃興した神道系新宗教については、一般的な神社神道とは区分され、誘致の対象とはなっていない。ティ連が欲しているのは「宗教」ではなく、あくまで「日本の伝統様式に基づく儀典」である。
また、日本側の財界からも、ティ連への神社建立を後押しする声が挙がり始めた。
日本の企業がティ連に進出して拠点を建設する際には、神道様式の地鎮祭を行うのが常である。その度に日本から神職を招くのは面倒なので、いっそティ連側に神社があれば便利だろうという訳だ。
何も異星で地鎮祭をやらなくても良いのではないかと思う人も多いだろうが、財界は存外と伝統に関して保守的だ。加えて、ティ連側の現地関係者からも、是非やって欲しいという要望が強かったりする。
その様な訳で、日本の主要な神社に誘致攻勢が続いた結果、最初に応じたのが京都の伏見稲荷大社である。
伏見稲荷大社は戦前の官幣大社の一つで、全国に約三万社ある稲荷神社の総本社だ。参拝客の数は二〇一〇年の時点で全国四位を誇る。祭神は五穀豊穣を司る稲荷神、俗に言う「お稲荷さん」である。
ここから分霊を受け、イゼイラの首都・サントイゼイラに「サントイゼイラ稲荷神社」が建立される運びとなった。
*
サントイゼイラは浮遊大陸だが、建設から数万年を経ており、広々とした用地を確保しにくい。その為、稲荷神社の建立に際しては、新設された小型の浮遊大地が行政当局から提供された。
小型とは言っても神社の敷地としては広大な広さで、日本の皇居に匹敵する。建立された稲荷神社の規模も、総本社である伏見稲荷大社を遙かにしのぐ。
建立目的の半分は結婚式なので、披露宴を執り行える大規模な式場も併設された。イゼイラ旧皇族を含む要人の利用も想定された豪勢な物だが、一般のカップルも普通に利用可能だ。
稲荷神社なので、祭神の眷属として狐の石像が置かれている。参拝客を案内するアンドロイド巫女も、東アジア系地球人をベースにした容姿だが、耳部は狐の物で、さらに尾を生やしているのが特徴だ。
また、ここで行われる結婚式には、日本の一部地方で季節の祭事として行われている「狐の嫁入り行列」が取り入れられている。
新郎新婦、そして参列者は和装の装束に狐の面を被り、行列をなして広大な境内を廻るのだ。
これが評判を博し、市民一般の結婚式需要を満たす為、イゼイラの各都市には競って稲荷神社が建立され、ティ連の他国にも広がりを見せ始めた。
*
稲荷神社がティ連に広まる過程で、狐に興味を持つティ連市民も増えた。
狐は、地球に広く分布するイヌ科の哺乳類だ。神道においては稲荷神の眷属であり、また民間伝承では様々な姿に化身して人を惑わせる怪異として語られる。
また「賢い」という印象も強く、日本以外でも「借虎威(虎の威を借る狐)」という中華の逸話や、「砂漠の狐」の異名で呼ばれたドイツのエルヴィン・ロンメル元帥がよく知られている。
この様に地球で親しまれ、また畏れられる獣を実際に見てみたいという要望に応えるべく、ティ連各地の稲荷神社では、放し飼いで狐を間近に見られる飼育施設を併設する様になった。
日本にある狐の専門飼育施設には、宮城県の「宮城蔵王キツネ村」、北海道の「北きつね牧場」が知られているが、そこを参考にしたのである。
ティ連では、地球の動物であれば何でも珍獣だ。それをすぐ側で見られる施設が出来た為、狐は地球を代表する動物の一つとして、ティ連で認識されるに至った。
こうなると次に出て来るのは、ペットにしたいという要望だ。しかし、狐は愛玩動物として家畜化されていないので、素人の飼育には全く向いていない。
その為、狐を愛するティ連市民は、稲荷神社の飼育施設を訪れて愉しむに留まっていたのだが、飼育に適した「フェネック」と呼ばれる種が存在する事も知られ始めた。
日本では馴染みが薄いのだが、フェネックは北アフリカ原産の、小型で大きな耳が特徴の狐である。
狐好きのティ連市民はフェネックの入手を模索するのだが、日本では馴染みの薄いペットで、流通する個体も多くない。
価格も廉価な物で五〇万円以上と、愛玩動物としては高価で、需要が高まればさらに高騰する事も予測された。
また、フェネックは飼育用としての乱獲が問題視されている。養殖も可能なのだが、現状では手がけるブリーダーは多くない。
そんな中、EUの高級服飾メーカーが、ヤルバーンにある商談を持ちかけた。毛皮をハイクァーン造成で供給出来ないかと言うのである。
動物の毛皮を素材とした衣類、いわゆるファー・ファッションは長らく、高級衣類として地球の高所得層に愛好されていた。
しかし近年の動物愛護の風潮から、EUを含むLNIF加盟先進国では批判が高まり、取り扱い停止を余儀なくされるメーカーが相次いでいる。
ファー・ファッションの衰退を防ぎ、また服飾職人の雇用を守る為に、毛皮をハイクァーン造成品に切り替えたいという彼等の要望は、ヤルバーンにとっても好ましい取引だった。
地球各国からの研究資料購入の為、ヤルバーンは多くの外貨を欲している。そして毛皮は、輸出しても技術規制に触れない物資だ。
毛皮を採取されている動物の種類は多岐に渡るが、その中に狐がいた事から、ヤルバーンはこの取引を、本国で要望が高まっているフェネックの供給に結びつける事を思いついた。
ハイクァーン造成の毛皮を供給すれば、服飾職人の雇用は守れる一方で、毛皮用動物の養殖業者は壊滅するだろう。そこで狐については、養殖対象を愛玩用のフェネックに切り替えさせたらどうだろうかと言う訳だ。
似た様な方式は、既に兎の例がある。食肉用品種を手がけていたLNIFの養兎業者の多くは、現在では品種を愛玩用に切り替えている。
LNIFはヤルバーン経由でティ連へ愛玩用兎を輸出し、バーターの対価として、ヤルバーンはハイクァーン造成兎肉をLNIFへ輸出しているのだ。
話は順調に進み、養殖されたフェネックが、イゼイラ他のティ連各国へ愛玩用として大量に供給される事となった。現在では猫、兎に続き、地球原産の愛玩用小動物としてティ連で幅広く普及している。
ペット自慢の3D動画を量子ネットワークに投稿する飼い主も多く、異星人がフェネックと戯れる姿は、地球でもインターネット経由で視聴が可能だ。「#これが私のお稲荷さんだ」のタグで検索すれば、多くの微笑ましい動画がリストアップされてくる。
ちなみに他の毛皮用動物についても、ミンクの養殖が、同じイタチ科で愛玩用に向いたフェレットへ転換され、ティ連への輸出が始まっている(ちなみにミンクは気性が荒いため、愛玩用には全く向かない)。
一方、地球で狐が狩猟対象とされている事については、ティ連の狐愛好家は静観している。害獣駆除目的の場合は当然として、娯楽としての狩猟についても、個体数が適切に管理されていれば問題ないというスタンスだ(無論、密猟は論外である)。
むしろ、狩猟家による狩り場の管理が、自然保護活動として機能している事が評価されてすらいる。人間とそれ以外の動物に明確な一線を敷くティ連では、狂信的な動物愛護運動はまず起きないのだ。
実際、ハイクァーン造成の毛皮が流通する様になった為、狐に限らず、毛皮採取を目的とした狩猟は採算が合わなくなって急速に衰退しつつある。それ以上の積極的な干渉は、狩猟家に感情的な反発を煽りかねない。賢明な姿勢と言えるだろう。
*
稲荷神社の躍進を受け、他の主立った神社もティ連各地へ末社を抱える様になった。
それらの神社も歓迎されているのだが、当面、稲荷神社の数的優位は揺るがないと思われる。
パイオニアという事もあるが、やはり狐の効用が大きい。狐は異星人をも籠絡する、まさしく神獣と言えよう。




