第三十二回 矯正か懲罰か
刑務所。
犯罪を冒した者が、裁判所の判決によって収容される行刑施設である。刑罰の内容は、労役を課す「懲役刑」が大半だが、単に定められた期間を拘束するのみの「禁固刑」「拘留」という刑罰もある(但し、懲役刑に一本化すべきという議論もある)。
ティ連加盟時点に於ける日本の受刑者数は、約七万名である。約一億三千万名の人口を考えると低めの数字と言えたが、ティ連から見ればトップクラスの犯罪多発国家となってしまう。無論、他の地球国家、特にCJSCA陣営はティ連基準では論外レベルが多い。
ティ連社会と地球に於ける、犯罪率の著しい落差の理由として、ティ連には犯罪の要因となる物が遙かに少ない事が挙げられる。貧困、不適切な養育環境、本人の先天的な資質等といった物は、トーラル技術によって殆ど解消されているのだ。
また、交通事故によって過失責任を問われる事も殆ど無い。長距離移動に転送を利用するのが一般的なティ連では、交通事故の発生自体が少なく、あったとしても、被害者はほぼ問題なく完治するのである。
無論、ティ連でも犯罪は完全に根絶された訳ではない。主な動機は怨恨や快楽犯が目立ち、政治テロも発生する。だが、日本よりも遙かに安全な社会だ。
ヤルバーンは日本に於ける調査の一環として、警察官僚や法学者、社会学者等を主体とした調査官を派遣し、行刑のあり方を視察した。
収監施設へ犯罪者を収容して矯正を施すという制度その物には、約五割という再犯率の高さから不充分さを感じる。しかし、発達過程文明の技術的限界や社会的制約を考慮すれば致し方ない物であろうというのが、彼等の見解だった。
地球でも賛否が分かれる死刑制度については、直近の世論調査に於いて日本国民の約八割が支持している現状を踏まえ、政治的な判断からコメントを留保した。
ただ意外な事に、収監者に対しては憐憫の情を抱いた者が多かった。
ティ連に生まれたならば、犯罪を冒す事無く一市民として平穏な一生を送れたであろう収監者が多かったのではないかと考えたのである。
少なくとも貧困や生育環境、生来の資質による社会適応力の低さといった要因に関しては、ティ連からの技術導入によって大幅な改善が見込めるので、今後の日本では犯罪率も下がっていくだろう。
ならば、社会の変革に間に合わず、既に犯罪を冒してしまった者への救済も考慮されて然るべきではないか。
日本の行刑システムについて「技術導入による将来的な改革とは別に、現在の収監者に対して救済/社会復帰という面からの措置が必要」という調査官達の意見を集約し、ヤルバーンは日本政府に打診した。
日本のティ連加盟を記念して、広範な恩赦を実施出来ないかというのである。
犯罪者の矯正という面では、ティ連では「人格矯正処置」という手法が普及している。要は、医学処置で脳へ社会規範意識を刷り込んで真人間にする、強力な洗脳だ。
また、資料によっても異なるが、日本の受刑者の内、IQ七〇未満の「知的障害者」に該当する者は二~三割にも及ぶ。一応は知的障害の範疇に含まれない、いわゆる「知的ボーダー層」の者を含めると、その比率はさらに高くなる。社会適応能力の低さや周囲の無理解によって、犯罪者となってしまった訳だ。
ティ連では、先天的な知的障害は乳幼児期に「知能強化処置」が施される為、この様な事は起こり得ない。成年後でも、この治療は適用可能である。
よって、日本の行刑システムでは再犯率が五割にも及ぶ犯罪者矯正は、ティ連の技術導入で抜本的に改善出来るので、受刑者の大半は釈放して社会復帰させる事が可能であるとヤルバーン側は主張した。
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ティ連加盟による恩恵を受刑者にも与えて欲しいというヤルバーンの要請に、日本政府側は難色を示した。
ティ連加盟記念恩赦を実施する事自体は、ヤルバーンの打診以前から、政府内で前向きに検討されていた。だが、近年の恩赦は原則的に、刑に処せられた為に付随して課せられた、参政権等の資格制限を終了する「復権」に限られていた為である。
かつては恩赦によって死刑囚すら減刑されたケースもあったのだが、国を挙げての慶弔時に咎人を赦すという麗しき慣習に対して、現在の国民の多くは寛容を示さなくなっていたのだ。
被害者感情に配慮し、犯罪には厳罰をもってあたるべきというのが、ヤルバーン来訪前後に於ける、日本の世論の潮流だった。
地球社会において、刑罰には犯罪抑止の為の見せしめや、報復の国家による代行という側面もある。むしろ、犯罪者の矯正/更生が重視される様になったのは近世以降だ。
また、刑を終えて釈放された受刑者の社会復帰にも、国民は厳しい目を注いでいるのが現状である。家族も受け入れを拒否するケースが多く、行きつく先はホームレス化という事も珍しくない。暴力団組織の構成員だった場合については、大半が古巣へ復帰する事になり、矯正教育の効果は皆無となる。
無論、政府も無策では無く、元受刑者の受け入れについて支援を行っているのだが、全くもって充分とは言えない。前述の様に、知能等の当人の資質によって社会適応能力が低い場合、特に難しい物がある。
広範な恩赦を行う為には、こう言った問題をクリアする必要があった。
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課題を踏まえた協議の結果、ティ連加盟恩赦を行うに辺り、懲役刑/禁固刑の実刑も対象とする事は了承されたが、被害者や国民一般の処罰感情を考慮し、対象は絞られる事となった。
具体的には、無銭飲食や万引きといった、被害が軽微な犯罪を繰り返した結果、収監されている者である。これについては、福祉政策で対応しきれなかった弱者という側面がある。被害その物も軽微なため、処罰感情も低い事が多い。その為、恩赦による救済対象とする事については反対も少なかった。
また今回の恩赦は、一律に行う「大赦」では無く、受刑者個々が出願する形式を取る。その際に条件として挙げられたのが、人格矯正処置、及び知能が低いと判定された者への知能強化処置への同意である。
前者には左派系野党が人道面から、後者には与党の内でも宗教系の支持基盤を持つ者から「天意に反する」として強い懸念が示された。
だが、現在の行刑システムでは矯正が不首尾で再犯を繰り返す者が多いのも、厳然たる事実である。単に釈放しただけでは、程なく再犯に至る者が多発するのも容易に予測出来た。その為、最終的には反対者も同意に至らざるを得なかった。
恩赦の可否については、身元引受人の有無も大きな要素だが、軽微な犯罪を繰り返して実刑に至った収監者の多くは、家族・親族と断絶してしまっている事が多いのがネックとなる。元より天涯孤独の者も多い。
身内に頼れないのであれば、社会復帰を手助けする身元引受人を他に求める必要がある。だが、残念ながら日本にはその様な篤志家は多くない。
これについては、ティ連各国から広く手が挙がった。ティ連では、新興の有力家系や団体が、決して背かない「従僕」として、そういった者を求める事が多いのだ。
イゼイラ旧皇族に代表される、ティ連の伝統的な有力家系には、信頼のおける代々の家臣、郎党が多くいる。だが新興勢力、要は成り上がりが「忠誠」を最優先とした人材を求めようとすると、職その物が少なく求人に応募者が殺到するティ連と言えども、適性者がなかなかいないのである。
教育課程で自立・自尊を重んじるのが一般的なティ連では、従属的な性格を保ったまま成長する人材が少ない(故に、旧い家系に仕える代々の郎党は、後継の子弟を幼少期に選抜した上で特殊な教育を施す事が多い)。いたとしても、性格上、積極的に職を求める事が稀なのである。
日本人からすると、元受刑者を重宝するのは奇異に映る面もあるが、あくまで人格矯正処置が大前提だ。社会にとって都合のいい思考制御を施す事が、倫理上、重大な問題をはらむのはティ連でも同じである。だがそれ故に、人格矯正処置を施された元受刑者を、貴重な人材として欲する向きがある。
日本で恩赦によって受刑者が大量に釈放されるとあらば、こう言った需要家には垂涎物の機会であった。
これで身元引受人については解決かと思われたが、さらに問題が出た。日本はティ連加盟に際し、自国民の既存加盟国への移住を当面の間は規制する政策を打ち出し、厳重な審査を課す事にしたのだ。
ティ連側からすると全く問題無く受け入れ可能なので、これは専ら日本側の事情による。ハイクァーン経済体制のティ連へ、自国の貧困層が経済難民化して流出する事を恐れた為だ。ブラックホールの様に自国民を吸い込まれては、只でさえ少子化が進行している日本は国家衰亡の危機に陥りかねない。
ティ連に移住したい国民が多くいるのを抑制する中、元受刑者を特例扱いすれば、世論が煮えたぎるのは明らかだ。恩赦の意義も疑われてしまう。
そこで、恩赦される日本人受刑者を手元に置きたい有力者達の間では、日本に別荘や活動拠点を設置する動きが広まった。これなら国内なので、日本からの移住制限も問題ない。
場所として好まれたのは、地球外領土として新たに日本の版図となった、火星の熒惑県である。開発が始まったばかりのこの地では、広々とした土地を得やすい。また、開発に初期段階から参画すれば、現地での発言力も得られる。加えて、日本本土と離れた異郷という事で、元受刑者が抱える過去のしがらみを断ち切りやすいという面もあった。
こうして、必要な処置を施された上で恩赦を受けた元受刑者達は、身元引受人たるティ連系の庇護者の元、新たな生活を始めた。人格や知能だけで無く、アンチエイジングと美容整形によって容貌を作り替え、氏名も変更し、実質的な別人として新たな人生を送るのである。
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ティ連加盟恩赦は一種の社会実験でもあったが、再犯が絶無という事で、日本政府は積極的に次の機会の検討を始めた。
だが、大量恩赦に値する国家的慶弔行事はなかなか無い。こういった行事が無くとも法的には可能なのだが、世論の納得を得る為には大義名分が不可欠である。
幸い、その様な機会は早々に訪れた。惑星サルカスの発見と、現地を浸食していた半知性体「ヂラール」の排除、そしてハイラ王国との交流開始がそれである。
これを利用し「サルカス解放記念恩赦」が決定された。一九四五年の敗戦以来、日本が加わった本格的軍事行動として初の決定的勝利でもあり、特に与党は諸手を挙げて賛成した。
この際の恩赦対象は前回同様の物の他、新たに違法薬物の単純所持/使用も加える事になった。性質上、直接の被害者がいない犯罪である事に加え、薬物依存症もティ連医学では完治可能な為である。日本の受刑者はその九割が男性で占められるが、薬物使用/所持に関しては女性比率が高い犯罪という点も考慮された。
必要な処置を受けて釈放された者の内、家庭が崩壊して帰るべき場所を失った、あるいは元より身寄りが無い者達は、前回と同じくティ連系の身元引受人の元へと送られていった。
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人格矯正処置や知能強化処置の活用による、日本の行刑システムの改善は、二度の大量恩赦の結果が良好な事もあり着実に進むと思われた。また、ティ連技術を活用した福祉政策の推進による貧困の解消で、犯罪は激減するであろう事も期待されていた。
しかし、現実は厳しかった。
激変する社会についていけない者、とり残された者が自暴自棄になって犯罪に走るケースが後を絶たないのだ。特に、福祉政策がさし当たり必要ないとされた、何とか自活出来ているレベルの低所得者には荒れる者が少なからずいる。
また、被害者感情も軽視する事が出来ない。従来の犯罪被害者給付金制度に加え、ハイクァーンやティ連医療による被害回復を徹底してもなお、被害者の処罰感情は慰撫しきれなかったのである。
その為、犯罪を抑止するには従来の刑罰による「見せしめ」が欠かせないという意見が再燃しているのだ。それにより、刑事罰内容の見直しや、矯正手法へのティ連技術の全面導入は進められないでいるのが現状である。
厳罰主義の声が再び高まる中、関係者の苦悩は続く……




