第二十八回 五億人の浦島太郎
精死病。
ティ連領域において、約一万年前に初めて発生した奇病である。
突然に意識を失って生体活動の一切を停止してしまう物の、呼吸も栄養分摂取もないまま、肉体は朽ちる事も老いることも無い。
厳密には違うのだが、我々地球人の感覚的には、一切の人工的な手段を用いずに、決して目覚めぬコールドスリープ状態に陥った様な物と考えれば理解しやすいだろう。
二千年前程から発生件数が上昇し始め、他の要因も絡んでの事ではあるが、ついにはティ連その物の存亡まで危ぶまれる事態となっていた。
累計の罹患者数は約五億人にものぼる。
一万年の長きに渡って、ティ連の医療技術をもってしても原因不明で治療法も無い難病だったのだが、イゼイラとの国交樹立に際し、政府特派大使として同地に派遣された柏木真人氏の発案による実験結果を発端として、劇的に治療方法が確立した。日本がティ連から聖地扱いされる様になった一因ともなっている。
これによって患者が全員完治し、万事めでたしかと言えば、重大な問題が残っていた。
回復した元患者の社会復帰をどうするか。
と言うのも、五億人もの患者数は、約一万年の累計だ。精死病はその特徴として、肉体が生命活動を停止したまま、半永久的に朽ち果てる事がない為である。
よって無事に回復しても、出迎える家族/親族や知己がいる者は、この百数十年以内に罹患した場合に限られてしまう(ディスカール人の様な一部の長命種はもう少し長い)。
つまり大半の患者は、周りにいた者が既に死に絶えて久しい。いわば浦島太郎の様な状態で、彼等から見た「未来社会」で孤独に蘇ってしまったのである。
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身寄りが無くなってしまっていても、幸いにも社会復帰の道筋があらかじめ用意されていた者もいた。
高等教育機関に在籍していた学生は、原則的に復学となった。住まいについては、基本的に入寮する事になる。長い年月の内に、在籍していた教育機関が廃校となっているケースもあったのだが、その場合は同等の教育機関への編入が特例的に無試験で認められた。
初等/中等教育過程に在籍する未成年の学童や幼児は、保護者が既に物故している為、養護施設へ入所して行政の保護/監督下に置かれ、そこから通学する事となる。
医学によって病死がほぼ解消したティ連と言えど、事故等で身寄りの無い孤児が発生する事はあり、精死病回復児についても扱いはそれと同様だった。
行政/司法機関や軍、公社等の官職に従事していた者については、復職の選択が提示された。民間団体の職員についても、当該組織が存続していれば、同様の取り計らいによって迎え入れる場合が殆どだった。
数百年から数千年、もっとも古い者は一万年前の時代に生きていた訳で、地球人の感覚からすれば原始人だ。だが、技術が一気に頂点に達してしまったトーラル文明下では、現代と一万年前の技術差は、日本で言えばせいぜい大正時代と二十一世紀初頭程度の開きでしかない。
流石にいきなりという訳には行かないが、現代に合わせた再訓練/教育を施せば、現役復帰も充分可能なのである。
古い家系と血統が連なっている者には、ほぼ例外なく、当代の本家筋から身元引き受けの申し入れがあった。伝統を尊ぶ名門一族にとっては、古き時代を伝える先祖が復活したとあらば、例え当人が末端の傍系であっても決して粗略に扱えない。まさに面子がかかっている。
イゼイラやダストールの様に、長い歴史の間に政治体制が変革してしまっている国も多いのだが、それでも名門として存続している以上、相応の影響力を保持している事には変わりない。
今更に復古主義的な活動をされても迷惑なので、蘇った先祖を手厚く遇しつつ、監視下に置く意図がある事もうかがわれた。
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ただ、この様に処遇が当初から用意された者は、学齢期の青少年やそれに満たない乳幼児を除けば、全体のごく一部である。
社会活動の多くが自動化され、ハイクァーン使用権により日々の糧を働いて得る必要の無いティ連では、就業している者、というより職を得られる者の方が少数派の為だ。
組織に属していない者は、いざという時に構成員としての庇護も受けられない。
よって大半の者は、生を受けた時代から遙かな未来に蘇った天涯孤独の身をどう処するか、自ら模索しなければならなかった。
差し当たりの仮住居を行政からあてがわれ、社会復帰の一環として現代知識に関するレクチャーを受けながら、彼等は悩む事になる。
そんな彼等の多くが関心を向けたのが、ヤルマルティア=日本の話題である。何しろ、ティ連全体がこの話題で持ちきりだったのだから当然と言えよう。
元患者の中でも特に、ナヨクァラグヤ帝の治世以後に生まれたイゼイラ人にとっては、実在すら疑われていた伝承の地の再発見とあって、感慨も大きかった。
自力による初期宇宙開発段階の発達過程文明との遭遇は、十万年以上に及ぶティ連の歴史においても例を見ない。
無論、トーラル・システムを持たない知的存在との接触自体は多く例がある。サマルカの様にティ連の一員へ加わったケースもあれば、外交関係を結ぶに留まったケース、交流を拒絶されたケース、さらには問答無用で武力を行使された末に没交渉となったケースすらある。
だが、それらの知的存在はいずれも、恒星間の超光速航行(方式は様々)が出来る段階にまで技術発展しているか、逆にせいぜいが外燃機関を実用化しているかどうか程度の技術レベルに留まっているかのいずれかだった。
両者とも、トーラル文明の行き詰まりを打破する参考例としての力には欠けていたのである。
そこに来て、日本=ヤルマルティアの再発見と国交樹立、さらには日本のティ連加盟により、精死病を含む、ティ連の抱えていた諸問題に光明が見えたのだ。
日本ブームに沸き返る世相を見た彼等の中には、かの地で人生の再スタートを切れないかと考える者も現れ始めた。
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幸いにも日本はティ連から様々な人材を集めており、多くの求人が量子ネットワークを通じて提示されていた。特にティ連技術導入の為の技術職や研究職、学校教育カリキュラムを抜本改革する為の教育指導者の募集がかなり多かった。
また、元精死病患者には、新たに所帯を構えようと結婚相談所に登録する者も多かったのだが、これも彼等を日本移住へといざなうルートの一つだった。
日本では、ティ連系との国際結婚を斡旋する、神道系の結婚相談所が多く開設されていた。日本で以前から問題となっていた、非婚化/晩婚化対策としての動きである。
日本側とティ連側の登録者比率は一:一〇〇〇程度という凄まじい非対称で、日本側が条件を付け放題という状態だった。しかし元精死病患者については社会復帰プログラムの一環として、同条件であれば優先的に紹介されていた。
ティ連各国は、元精死病患者の落ち着き先の一つとして、日本に大きな期待をかけていたのである。
結婚相談所側もティ連各国の要請を快諾したが、そこには別の思惑もあった。
ティ連市民と日本人が国際結婚すると、双方が二重国籍状態となる。日本は自国民の無秩序な流出を避ける為、ティ連の既存加盟国への移住を規制しているのだが、婚姻による二重国籍者についてはそれが適用出来ない。
その点、天涯孤独の元精死病患者であれば、ほぼ例外なく日本側へ住まいを定める為、国民流出を憂慮しなくても良いという、日本側の事情もマッチングしていたのである。
特に、男性に関してはさらに有利な状況だった。
それというのも、日本側の女性が挙げる条件として「舅/姑がいない」「親戚付き合いが無い」「自分の側の両親との同居」という物が多かったのである。
これが、天涯孤独の元精死病患者男性にピッタリとあてはまった。
現在の日本では、地球系日本人(在来日本人と海外からの帰化者を合わせた概念)とティ連系種族の夫婦はどこの町内でも結構な数なのだが、その内には元精死病患者が多く含まれている。
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元精死病患者の内、日本移住を希望する層には顕著な特徴があった。
ナヨクァラグヤ皇女(後に皇帝)のヤルマルティア漂着~救助以後の世代に集中しているのである。
それ以前の世代にとっても、日本はそれなりに興味深い存在なのだが、移り住みたいと願う程ではない。彼等はトーラル文明の行き詰まりによる社会の閉塞を実感していない為、事態打開の鍵として日本を神聖視する感覚に乏しかった。
むしろ、目覚めた社会が緩やかな衰亡の道を辿りつつあり、辺境の発達過程文明へすがりつくに至った状況に対して、歯がゆさや不甲斐なさすら感じている者が殆どだった。
ティ連市民は一般に、自らの文明はトーラル・システムによって与えられた物であるから、技術的に劣っていても他文明を見下す事はないと言われるが、過去の世代は必ずしもそうでも無かった。
ナヨクァラグヤ皇女を救出に向かった者達が、現地人、つまり当時の日本人に対して露骨に蔑視を示したのが典型例である。
即位後のナヨクァラグヤ帝が啓蒙により、そういった蔑視を改めたのが、発達段階に関わらず異文明と対等に向き合う現在のティ連の姿勢へとつながっていた。
その啓蒙が行われる以前、ティ連が繁栄と膨張を続ける時代に生まれ育った者達にとって、現状は屈辱物に等しい。精死病から回復した事については日本へ恩義を感じている物の、どうしても旧い感覚から抜けきれないのである。
この世代の多くは、少しでも活気があり、ティ連全盛期の片鱗を残しているであろう新規開拓星の植民事業を捜すのだが、ティ連全体で少子化が進行している現在では、そういったプロジェクトは少なかった。
そんな中で貴重な新規植民地開発の一つとして、火星のテラフォーミング事業があった。ただ、惑星開発に携わる技術者としての職能がある場合は別として、一般のティ連市民を新規植民として募集している区域は限られていた。
火星の行政区は日本区域/ティ連直轄区域/米国区域(日本区域の一部割譲による)に分割されている。だが、ティ連直轄区域については、将来的に地球が統一国家となった時点での譲渡が計画されている為、公務によらない一般ティ連市民の入植については受け入れていない。
米国区域については直接の国交が無い以上、ティ連市民の入植は論外で、一時入国すら、不可能ではないにしろ申請が面倒である。
結果、日本区画である「熒惑県」のみが、ティ連市民へ入植の門戸を大きく開いていた。
だが、日本への移住を希望するティ連市民の殆どは、地球の本土で在来日本人社会に混ざっての生活を指向する。熒惑県は日本領と言えども、発達過程文明を肌で感じられる場所では無く、魅力に欠けていた。
少子化が進行していた近年のティ連では往年の様な開発熱が冷え込んで久しく、新規植民地に住みたい様な層は貴重なのである。
また、地球系日本人の間でも、熒惑県への入植は今一つ不人気だった。
ティ連文明に囲まれて生活したい者は少なからずいるのだが、そういった向きはどちらかというと、要塞都市として既に完成されている、ほぼ同時期に太陽系へ移設された「レグノス県」への移住に向かう者が多かったのである。
折角得た広大な地球外領土も、住もうという者が少なければ宝の持ち腐れだ。金や太鼓を鳴らすかの如く、熒惑県入植者を募集し続けていた日本政府は、元精死病患者の内、ナヨクァラグヤ帝時代以前の世代に着目した。
彼等は日本や地球の文明に関心が薄い一方で、新天地を求めている。ならば熒惑県で一からの街造りに参画してはどうだろうか。
熱心な勧誘を受けた彼等は、当初、発達過程文明の統治下という事でとまどった。だが、どうせ他に行くところも無しと、熒惑県入植事業へと応じる者も多く現れた。
一般の地球系日本人が徐々に熒惑県へ移住する様になったのは、元精死病患者達を主体とした初期入植者によって、都市開発が軌道に乗った後の事だ。
熒惑県は現状、ティ連系住民の比率が全国二位の自治体(一位はレグノス県で、こちらはティ連の軍人/軍属が多く、沖縄を遙かに凌駕する「基地の街」である)であり、自治体の主導層も彼等がメインである。
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ティ連で失われかけたフロンティア・スピリッツに溢れ、かつ危険を厭わない者の内には、ハイラに目を付け、復興事業へ志願する者も多くいた。
半知性体の襲撃によって荒れ果てた惑星で、識字率すら低い発達過程文明が復興支援を求めているという事で、ヒロイズムを刺激された者が多かったのだ。
ティ連市民の多くは承認欲求が強い。まして、生まれた時代から切り離され、天涯孤独となった身であれば尚更である。
玉座に着いているのがイゼイラ旧皇族で、民主化を進めつつも王制が維持されている事に好感を持つ、帝政時代出身のイゼイラ人も多かった。
また、現地人がティ連系種族を「使徒様」と呼び敬意を払う事も、彼等の自尊心を大いに満足させた。
ティ連側が凄まじく気を遣っている日本とは随分と事情が異なり、技術的に劣る異文明に対して時代錯誤の「上から目線」を注いでしまいがちな者も、ハイラにおいては度が過ぎない限り許容範囲だった。
もっとも、敬意を払われるのは、超文明の一員として相応の仕事を期待されての事である。ただ偉ぶっているだけでは、自種族へ払われている敬意を損ねるだけである事も、彼等は承知していた。
支援内容は教育、建設、医療、治安維持、行政、司法等の多岐に渡っている。元精死病患者達は各々の知識や技能を活かし、ハイラ復興事業に取り組んでいった。
ティ連の各本国では、職を得る為には激しい競走が伴うのだが、ハイラでは人手が全く不足していた。故に、彼等の活動する場所は幾らでもある。
受け入れ人数の多さから、ハイラ復興事業への参画を第二の人生と定めた元精死病患者は、熒惑県を含む日本への移住者よりもやや多い程である。
特に活動が目立つのは、ティ連系志願者で構築された治安維持部隊である。
惑星全土が荒廃している為、都市部を外れた辺境では治安が悪く、馬賊(ハイラには地球の馬に似た乗用家畜が存在する)の類による村落の略奪も散発している。
そんな中、装甲コミューターで各地を巡回する治安維持部隊は、現地住民から大いに頼りにされた。
「ヒャッハー」「ホッホー」等と奇声をあげて襲撃して来る馬賊達を、治安維持部隊は重武装を駆使して難無く肉塊に変えていく。さながら、旧世紀に造られた西部劇に登場する、ネイティブ・アメリカンを駆逐する騎兵隊の様だ。
その活躍はティ連各国でも報道されているが、寄せられるのは賞賛ばかりで、懸念を示すのは、日本のいわゆる人権活動家や反戦平和主義者位の物である。
日本では穏やかなティ連市民だが、必要とあらば容赦なく武力を行使する事が、地球では再認識された。
ヂラールの大群を駆逐する軍の姿は以前にも地球で報じられたが、あくまで相手は半知性体、言ってみれば害獣駆除である。
それとは別に、ティ連が同じ知的種族に対しても銃口を躊躇せずに向ける姿が具体的に示された事は、日本/ティ連を敵視する一部CJSCA陣営加盟国に対する事実上の「警告」としても受け止められた。
尖閣諸島での武力衝突を無血で済ませた事から、ティ連の軍事対応を甘く見る向きもCJSCA陣営には根強かったのだが、そういった軽視が払拭されたのである。
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精死病からの回復者達は目覚めた当初、思いがけず己を襲った病苦によって、家族や知己から引き裂かれた事に苦しみ嘆いたであろう。
だが巡り巡って、彼等の多くは対宇宙開国初期に際し有用な人材として、日本、そしてハイラで活躍し続けている。
今や発達過程文明たる本邦とハイラが宇宙に雄飛する為に、彼等は欠かせない存在なのだ。




