第二十六回 珍獣量産プロジェクト
稀少動物は時折、外交の道具として使われる事がある。
珍獣を他国に贈り動物園等で市民に親しんでもらう事で、友好を積極的にPRするという訳だ。
誰もが知っている例として、ジャイアントパンダが挙げられる。
中華人民共和国にのみ生息するクマの一種で、白黒の体毛というユーモラスな外観が特徴的だ。
一般には竹を好む草食性と思われているが、実は昆虫や魚、小動物等も食する雑食性で、家畜を襲撃した例も確認されている。外観がどうあれ、一応はクマなのだ。
現在は絶滅危惧種として国際取引が禁止されているが、その外観や仕草が愛くるしい事から人気が高く、中共はジャイアントパンダを外交の道具として世界各国に送り出していた。
日本では一九七二年に「康康」「蘭蘭」のつがいが日中国交正常化の証として贈られ、上野動物園で飼育されたのが最初である。
この際には日本中がパンダブームとなり、中共の狙い通りに日中友好ムードが盛り上がった。
日中国交正常化は、中華民国、即ち台湾との断交を伴う物だったのだが、ジャイアントパンダはそれを覆い隠す役割をも担った事になる。
無論、ジャイアントパンダに罪は無いのだが、今振り返って見れば何とも苦い贈り物だ。
そして現在でも、日本ではジャイアントパンダが飼育されている。飼育施設も上野動物園だけでなく、和歌山県白浜町と兵庫県神戸市の施設も加わり三箇所に増えた。
但し、国際間取引の規制上、現在、中共国外で飼育されている個体はほぼ全て「貸与」という扱いだ。
繁殖に成功した場合も、親の所有者、つまり中共に帰属する事になる。日本で飼育されている物も例外ではない。
そして、貸与を受けるには高額のレンタル料を中共に払う必要がある。これはジャイアントパンダの保護活動の為に使われるとされているが、実態は不明だ。
絶滅危惧種の保護は大いに結構で、愛くるしい珍獣に市民が親しむのも然りだ。しかし、一党独裁国家の外貨獲得に利用されるのは釈然としない。
そしてティ連技術の影響を被り、LNIF加盟国の市場で重工業製品、特に電子機器類の競争力を失った中共は、世界第二位の経済大国としての地位から急速に滑り落ちようとしている。
そのせいであろうか、中共は日本を含むジャイアントパンダの貸与先に対し、レンタル料を大幅に引き上げたい旨を通告して来た。
この通告は自らが盟主であるCJSCAの加盟国には行われておらず、日本とLNIF加盟国にのみ行われている。
敵対陣営なればこそ、相手国市民へのリップサービスはプロパガンダとして不可欠な筈なのだが、いよいよ余裕が無くなって来たのではないかというのが、当時の主な風評だった。
他国はともかく、ティ連技術の導入によって巨額の貿易黒字が膨張し続けている今の日本にとっては、痛い金額とは言えない。だが相手が相手だけに、素直に応じる事も躊躇われた。
とは言え、値上げを拒否してジャイアントパンダを返還すれば、落胆する国民も多いだろう。
何か良い方法はない物かと検討した結果、浮上した案がクローニングによる人工繁殖である。
ティ連ではクローニングは普遍的な技術であり、ジャイアントパンダを対象とする事もさして難しくないと思われた。
ただ現在、貸与という形で飼育されている個体の遺伝子を使った場合、通常繁殖による子孫と同様、中共がクローン体の所有権を主張するのは明白だ。それでは意味が無い。
そこで、規制発効前に所有権が移っていた、またはその子孫となる、過去に日本で飼育していた個体の遺伝子を使う事になった。これらの遺体は剥製標本として保管されている。
クローニングは問題なく成功し、純日本産ジャイアントパンダの誕生は世界中に公表された。しかも第一陣の数は、雌雄が各五十頭という多さだ。
大型哺乳類のクローニング自体は、既に成功例が多くある。よってそれ自体はさしてインパクトがあるニュースではないし、倫理問題としても今更である。
目新しかったのは、母体への胚移植では無く、人工子宮を使った「試験管ベビー」という点だ。だがこれも、地球でも従来から研究中の技術であり、驚異的なオーバーテクノロジーという程の物ではない。
それよりも、地球で広く愛される珍獣ジャイアントパンダは今後、中共の外交カードにも外貨獲得手段にもなり得ないという、政治的衝撃。こちらの方がはるかに重大だった。
ティ連技術による地球の稀少動物クローニングの第一例という事もあり、造られたジャイアントパンダのおよそ半分は、イゼイラ等、ティ連の各加盟国へと無期限かつ無償で貸与される事も同時に発表された。実質的な贈呈である。
一連の報に接した中共首脳部は愕然としたという。
日本によるクローニング成功が報じられるまで、中共は外交の一環として、ティ連へのジャイアントパンダ無償貸与申し入れを計画していたのだが、それがあっさり潰えたのだ。
そして、日本が中共から貸与を受けていたジャイアントパンダは返還される事になり、上野動物園では華々しい返還式典が用意された。
「今までありがとう、さようなら」の横断幕が張られた式典会場には、日章旗と共に五星紅旗を手に持った大勢のパンダファンが、別れを惜しむ為に詰めかけた。
尖閣諸島での武力衝突以来、日本の一般市民が抵抗なく五星紅旗を振る久々の場面に、出席した中共側の関係者の胸中が複雑だったであろう事は言うまでも無い。
形式的には礼を尽くしているが、平たく言えば「いらなくなったモノの返品」だ。
そして更なる衝撃が彼等を襲った。
式典のサプライズとして、絶滅危惧種のクローン再生の第二段がヨウスコウカワイルカであり、誕生した個体の一部を中共へ無償で移管する用意のある事が発表されたのだ。
ヨウスコウカワイルカとは、淡水に生息するイルカの一種で、その名の通り中共を流れる大河・長江(揚子江)が生息域である。だが環境の悪化により激減し、二〇〇七年以来、その姿は確認されていない。
日本の研究機関も中共に協力して保護活動にあたっており、研究の一助として日本側が入手していた標本を利用してクローニングの対象としたのだ。
突然の申し入れを受け、中共側の来賓の一人が感涙にむせんだ様子がTV中継され、中共側は「市民レベルでの日中友好は健在」とのコメントをつけて報じた。だが、後に電話インタビューに応じた本人の弁によると、美しき誤解との事である。
涙ぐんだ人物は大使館勤務の外交官だったのだが、ジャイアントパンダやヨウスコウカワイルカだけでなく、地球の稀少動物保護について、ティ連から導入したクローニング技術によって日本がリードしていくであろう将来を予感しての悔しさだったのだという。
当人は現在、外交官を退職し、投資移民として家族共々にカナダ在住だ。実質的には失脚を動機とした亡命に等しい。
ヨウスコウカワイルカの保護については、元々、日中が協力していたという事情もあって、中共側は日本の申し入れを受諾した。
目下の状況は屈辱的だが、断れば余計に面子を失いかねない。また中共は以前、日本で絶滅の危機に瀕していたトキの個体を提供したといういきさつもあるので、その返礼と考えれば勘定も合う。
だが、涙した外交官氏が危惧した通り、事はジャイアントパンダやヨウスコウカワイルカに留まる物ではなかった。
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ジャイアントパンダやヨウスコウカワイルカのクローニング繁殖成功の報に触れ、まず動いたのはサマルカから技術提供を受ける事が可能な米国である。米国でのサマルカ技術によるクローニングの第一号に選ばれたのは、やはりジャイアントパンダだ。
米国政府としては、市民の不興を被る事なく、中共から高額でレンタルしているジャイアントパンダを早急に送り返したかったのだ。一方的な値上げに応じたくはない。
これも問題なく成功し、クローン繁殖した個体はこれまでジャイアントパンダを飼育していた施設だけで無く、最低でも一州一施設を目安に、全米で飼育される事になった。
これによりジャイアントパンダは米国市民にとってゾウやライオン程度の、ある程度は身近な動物となった。市民、特に子供達が喜んだのは言うまでもない。
そして日本同様に、米国がそれまで中共からレンタルしていた個体は返還される事となった。こちらは日本の様に華々しく見送られる事もなく、静かな帰国だったという。
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クローニングの成功に気をよくした米国は、稀少動植物の国際間取引を規制するワシントン条約の改定を、締約国会議の場で提案した。
クローニングによる繁殖個体とその直系子孫については規制を緩和しようというのだ。これにより稀少動植物の再生を推進出来るというのが、米国の主張である。
元々、その通称の如く米国自身が中心となってまとめた条約という事もあり、自国の都合による改正の発議には全く躊躇しない。
日本は積極的な発言を控えた物の、基本的に賛成の立場をとった。他国からのクローニング依頼を受けやすくなるのを見越してと、地球独自の技術発達を促す要素と考えての事だ。
意外にも中共は反対しなかった。クローニング技術全般についての国際規制撤廃を見据えての事であろうと言われているが、真意は定かでない。
LNIF/CJSCA各陣営の長が対立しなければ全会一致かと言えばそうでもなく、両陣営とも一部の国家が棄権に廻った。
棄権したのは主にイスラム圏やカトリック圏の中小国家だ。クローニングは神の領域を侵す物ではないのかという、相変わらずの主張である。
最終的に反対票を投じず棄権へ廻ったのは、自陣営の盟主から不興を被りたくなかったのが一つ。今一つは、異星文明との交流が始まった現在、宗教的心情が説得力を失いつつある事を自覚していた為だろう。
賛成多数で規制緩和が成立した事により、米国はクローニング繁殖したジャイアントパンダを、第三国へ提供開始した。
これによって、LNIF加盟国で中共からレンタルしていたジャイアントパンダは次々に返還されていった。
CJSCA加盟国にレンタルしていた個体を完全無償へ切り替える事で、中共はどうにか「パンダ外交」の命脈は保った物の、その価値は著しく減じたのである。
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日本と米国ではそれぞれ、稀少な、あるいは絶滅してしまった種のクローニング繁殖が積極的に進められていった。遺伝子サンプルさえあれば、いかなる種でも復元が可能である。
日本で手がけられた代表的な物は、ジュゴン、ノグチゲラ、ニホンカワウソ、そしてニホンオオカミだ。
米国ではリョコウバト、クズリ、カリフォルニアハイイログマ、グアムオオコウモリ、ウェーククイナ等が挙げられる。
基本的に野生復帰が原則なのだが、大型の肉食獣となると、危険ではないのかという異論も出て来る。市民が襲撃される様では、自然保護・動物愛護も支持されない。
広大な領土を持つ米国は、危険な肉食獣については自然保護区の中にエリアを限定した上で復帰が図られた。
日本はどうしたかと言えば、火星の新日本領・熒惑県を活用する事にした。
広大な熒惑県は、その殆どの地が用途未定である。そこに、日本の自然を再現した巨大なドームを建設し、復活させた絶滅種も住まわせる事にしたのだ。その大きさは壱岐島に匹敵する。
環境を整えた後は、手をなるべく加えずにドーム内で食物連鎖が成立する様にし、人間は原則的に、ドローン等で静かに観察するのみという運営方針である。
この様な、従来では考えられない贅沢な環境が整備出来るのも、ティ連体制下の恩恵と言えよう。
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他国からも、希少種や絶滅種の復元の要望が多く寄せられる様になった為、日米は分担して受諾する事にした。
例を挙げると、ニュージーランドのジャイアントモアやカカポ、オーストラリアのフクロオオカミ、タイのションブルクジカ、南アフリカのケープアカハーテビースト等々。生体が死に絶えた絶滅種でも、遺伝子採取が出来る標本さえ残っていればいい。
無論、ただクローニングすれば良いという物ではなく、飼育から野生復帰まで、相応の専門性を持つチームが専従する必要がある。そこは原則的に、要望した原産国が主導する事になる。
稀少ではあっても現存している種や、絶滅したのが近年で精細な記録が残っている種については、ある程度は手がける事が容易だった。
だが、絶滅して久しい種、先に挙げた例の内で言えばジャイアントモアは全くの手探りで、野生復帰出来る数まで復元するには、相当の期間がかかると見込まれている。
LNIF加盟国は基本的に日米へ依頼する事が殆どなのだが、CJSCA加盟国、とりわけ自力で生命工学の研究環境を持つ国は、国家の面子をかけ、独自に絶滅種や希少種のクローニング再生へ取り組んでいた。
「その位の事は、異星人や日米の力を借りずとも出来る」と何としてでも示し、将来に不安を抱える様子が見え隠れする、自国世論の意識高揚につなげたかったのである。
彼等の意地は何とか成就し、幾つかの成功例を大々的に発表して誇示する事が出来た。
中でも、ロシアによるマンモスのクローニング繁殖は世界を驚嘆させた。ティ連来訪前から計画されていた様ではあるが、ティ連技術を導入せずに独力で実現した絶滅哺乳類のクローニングとしては最大、かつ最古の種だ。
北方領土問題の妥結以後、日露関係が急速に改善している事もあり、マンモスは日本にも贈られた。今では主要な動物園で見る事が可能となっている。
事の発端となったジャイアントパンダの原産国である中共も、希少種や絶滅種のクローニング繁殖には熱心なのだが、手がける内容が特徴的である。
自国のテナガザル、インドネシアのオランウータン等、霊長類が目立つのだ。
中共は否定しているが、将来的に、ヒトへの応用を視野に入れているのではないかという憶測は絶えない。
但し中共は、国際条約によってクローニングが規制されているのは「ホモ・サピエンス」のみであるという見解も示している。
法理上においては、既に滅んだ原人や猿人のクローニングは規制されていないとの主張を、暗に含んでいるのだろうか。
一昔前は荒唐無稽な空想に過ぎなかった事が実現可能になった以上、人とそうでない生物の区分を、改めて真剣に考慮すべきなのかも知れない。
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絶滅種や希少種のクローニング再生を考えているのは、地球だけではない。ヂラール戦役によって荒廃し、復興途上にあるハイラでも検討されている。
こちらはイゼイラ等、ティ連のバックアップを全面的に受けられるので、技術面での不安は少ない。また、地球にある様な倫理上の懸念も全く無い。
ただ、荒廃の範囲があまりにも大きく、また、種の記録その物が充分とは言えない。その為、再生出来るのは絶滅種の内、一握りに留まってしまうであろうという悲観的な見解も出ている。
また、当面は人間の生活環境復興や近代化にリソースを注がねばならない以上、生物種の再生について本格的に手を回せるのは当分先の事となってしまう。これも致し方ないところだ。
それでもいつの日か、ヂラール襲撃の前に見られた鳥獣や草木を少しでも取り戻したいと、多くのハイラ人は願っている。




