第二十三回 ネットカフェは異星文明の扉
ネットカフェ。
インターネット普及期に登場した飲食店の一形態で、店内に設置されたパソコンを使ってインターネットを閲覧しながら飲食が出来るのが特徴だ。日本独特の物という訳でなく、世界各国に類似の業態が存在する。
料金形態は、時間による基本料金+オーダーによる飲食代という物が一般的だが、時間帯によっては長時間利用の割引制度もある。
二十四時間営業で長時間滞在が可能な為、事実上の簡易宿泊施設として利用する者も多い。
また日本では、コミックを主体とした私設図書館という側面もある。これは日本のネットカフェが、インターネット登場以前からあった「漫画喫茶」の拡張機能として発達した事による。
だが、近年はインターネット環境が各家庭へ普及し、また、携帯端末としてスマートフォンが登場した事もあり、店舗も淘汰されつつあった。
ヤルバーン来訪前後におけるネットカフェ業界は、大型チェーン店を主体にまだまだ健在ではある物の、全盛期を過ぎつつあるという状況だった。
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意外かも知れないが、情報端末の設置を売りにした飲食場という物は、ティ連ではまず見られない。
個々人が携帯するPVMCGの情報端末機能で、用はほぼ事足りる。また、出先でより本格的な情報端末が必要な場合も、やはりPVMCGでゼルクォート造成すれば済む話だからだ。
では、ネットカフェの存在を知ったティ連市民は、どの様な印象を持ったのかというと、一言で言えば「地球のネットワーク社会化黎明期の業態で、日本を含む先進国では徐々に廃れゆく運命にある」という物だ。
ティ連の来訪がなくても、先進国では多くの家庭にパソコンがあり、スマートフォンの所有率も高いのだから、ネットカフェを利用する需要は減っていくだろうというのが大方の見方だったのである。
だが、日本を訪れた彼等が実際にネットカフェへ入ってみると、様々な機能がコンパクトに詰め込まれた複合施設である事が解り、大いに感心する者が多かった。
飲食を注文しながら、ネットやコミックを閲覧したり、ゲームに興じる事が出来るのは、確かに便利である。
特に、二十四時間営業で夜を明かして滞在出来るのは、旅行者には有り難かった。
ティ連からの日本観光が解禁されて以後、ホテルや旅館、民宿の類はどこも予約が満杯だった。その為、ネットカフェは手軽な宿泊施設として重宝されたのである。
特に都市部のネットカフェに於ける夜間利用者は、半数以上がティ連からの観光客で占められる様になった。
日本のコミック文化がティ連で知られる様になり、さらには同人誌即売会へ彼等が感心を向け始めたのも、ネットカフェに置かれているコミックを手に取ったのがきっかけの一つと言われている。
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ティ連市民がネットカフェで目にしたのは、発達過程文明なりの創意工夫だけでない。
困窮して定住先がなく、ネットカフェで夜を明かさざるを得ない「ネットカフェ難民」と呼ばれる存在も、彼等の知るところとなった。
バブル崩壊以後の長引く不況のしわ寄せを受け、這いつくばって必死に糧を得る弱者達の目に、生まれながらにして一生の安寧を母国から保証されたティ連市民がどう映るかは、想像に難くないだろう。
ネットカフェでは、客同士が関わり合いになる事はほとんど無い。だが時折、ネットカフェ難民が店内に居合わせたティ連市民に向ける視線には、羨望、諦観、そして嫉妬といった負の感情がにじんでいた。
ネットカフェ難民の窮状は、ティ連の量子通信ネットワークでも紹介され、発達過程文明の暗部の一つとして広く知られる様になった。
それと前後して、日本政府によって、ハイクァーン使用権付与や公共住宅の斡旋といった困窮対策が実施されるに至り、ネットカフェ難民はほぼ姿を消している。
だが、ネットカフェ難民に限らず、地球での先進国を自認する日本にすら困窮層が少なからず存在していたという事実は、ティ連市民の多くが発達過程文明に抱いていた、手前勝手な浪漫や幻想を打ち砕く事に繋がった。
結果、ティ連体制下の日本に対し、発達過程文明の保全よりも、積極的なハイクァーン経済導入による「総中流化」を促すべきとし、急進的な考えを持つティ連市民が少なからず現れたきっかけともなっている。
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ティ連からに加えLNIF各国からも、ヤルバーンを目当てとした観光客が押し寄せる様になると、需要に応えるべく、日本は宿泊施設の建設ラッシュとなった。
上は高級ホテルから下はカプセルホテル、変わった所では寝台列車やキャンプ場に至るまで、懐具合や好みに合わせて、正によりどりみどりである。
結果、簡易宿泊施設としてのネットカフェは魅力が薄らいだ。照明がついたままの部屋で仮眠というのは、どうにも疲れが取れにくい。
その為、ネットカフェの経営者達は営業戦略の練り直しに迫られた。
その頃には、正規従業員/アルバイトを問わず、ネットカフェに勤務するティ連系移住者が珍しくなくなった為、彼等の意見も大きく反映される事となる。
ティ連出身の従業員達が多く主張したのが、コミックの私設図書館やネット端末設置施設としての、本来の機能をもっと強化すべきであるという物だった。
まず、ネットカフェ一件当たりのコミック蔵書は数万冊に及ぶ。新刊は常に出ている為に随時仕入れているのだが、当然ながら書棚には限りがあり、古い物と入れ替えるにしても限界がある。
また、長期連載の作品には百巻以上の物も珍しくない。そこまで続巻する物は当然に人気作品の為、うかつに廃却する訳にも行かず、書棚を圧迫して新刊を置く余地が乏しくなるのも悩みの種だ。
そこで、思い切って蔵書をデジタル書籍にしたらどうかというのが、ティ連系従業員達の提案だった。これなら、書棚の物理的制約に縛られる事は無い。
問題は、紙書籍を好む客層が離れないかだが、これもティ連技術で解決は簡単である。ゼルクォート造成による冊子状のデジタル書籍があればいいのだ。
これを書棚に配置・陳列してやれば、客は紙書籍と同じ感覚で手に取る事が可能となる。
客が手に取った本は同じ物がすぐに補充出来るし、読み終わったらゼルクォート造成を解けば、書棚に戻す必要もない。
人気作や最新刊、店の推し作品は書棚に配置し、それ以外については客注に応じて、都度ゼルクォート造成すれば良い。
紙と違い、痛みや汚れ、退色等による劣化も気にする必要がなくなる。客が勝手に持ち帰る心配も無い。
この案については、業界団体であるJCCA(日本複合カフェ協会)が乗り気となり、各出版社へと話を持ちかけた。
デジタル書籍であれば、利用度に基づく使用料を払いやすいので、互いにとってメリットではないかという訳である。既存の他業界で言えば、通信カラオケに近い感覚だ。
定額の個人向け読み放題サービスが普及しつつある中、「一回読んだら※円」の従量制による使用料支払いは、出版社・著作者共にメリットが大きい。
提携はスムーズに進み、ネットカフェのコミック蔵書はゼルクォート化によって凄まじく増加した。
蔵書数その物では差異がなくなるので、書棚にどの様な物を陳列するかが、各店の大きな特色である。
チェーン本部から廻ってくるリストだけに頼る事無く、各店単位でお勧めコミックをピックアップ出来るかが、売り上げを左右する要素となった。センスのある店員は、業界のカリスマとして重宝される様になって行く。
その様な店員の内からは、自店のみならず、ネットを通じて地球/ティ連を問わず他国にも自分の推しを積極的に紹介する「コミック評論家」として著名となる者も現れた。
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情報端末についても、ティ連の量子ネットワークに完全対応した物へ置き換える店が出現した。地球製の旧来型パソコンでも、インターネットを通じて量子ネットワークに接続は可能となっていたのだが、機能的な限界があり、表示される情報は大幅にダウンコンバートされた物となってしまう。
最新型の市販品で、日本国内限定モデルならば、ある程度ティ連技術を導入してはいる物の、それを生かした機能は限定的である。光ケーブルや電波通信経由では、パソコン自身の機能を上げても、回線容量面での制約がある為だ。ティ連市民からすれば、何とも中途半端で物足りない。
加えて、技術流出規制の関係から、インターネットと量子ネットワークを接続するサーバーには、強力なフィルタリングがかけられていた。ティ連で当たり前の様に閲覧できる技術情報でも、インターネットを通じて見る事は出来ないのである。
ティ連の一般市民が自由に接する事が出来る程度の技術情報については、日本国内で日本人が閲覧するならば、本来は法的に問題ない。だが、インターネットは日本国内からのアクセスであっても、他国人が見る可能性もあるので、フィルタリングの例外とはされていなかった。
そこで、日本のメーカーから市販されている物ではなく、ティ連で一般に普及している情報端末を設置しようと考えるネットカフェ経営者が登場したという訳だ。
これならば、ヤルバーンに設置されている量子ネットワークのサーバーに、直接アクセス可能である。勿論、インターネットの閲覧も問題ない。
画面表示は空中投影型モニターでも、VRでも、ゼルクォート造成した旧来の液晶ディスプレイでも、好みの方法で可能だ。
入力もまた、キーボード、音声、タッチパネル、ジョイスティック、トラックボール、VR用のマスタースレイブ、さらには脳波を読み取っての思念入力等、様々な方法が用意されている。
だが、ティ連の量子ネットワークは凄まじく広大なので、慣れなければとても有効には使えない。
例えばゲーム一本を選ぶにも、条件設定をきっちりしなければ、天文学的に膨大なリストが提示されかねない。
何しろティ連は長大な歴史と数千億の人口を抱えている。蓄積されたゲームコンテンツの本数だけでも、それこそ京どころか垓を越えるだろう。
その為、インターネットを通じ、ティ連の量子ネットワークを利用する地球の一般的なユーザーは、地球側の紹介サイト等から、リンクを通じて目的の情報を得るに留まる場合が多かった。要は、素人が自力で目的物を捜すには、量子ネットワークは広大すぎて手に余るのだ。
だが、ネットカフェでは、量子ネットワークの使用法について、希望すればティ連出身の店員が事細かな点までレクチャーしてくれる。丁度、インターネット普及期によく市中であった、ネット利用講座に近いと言えるだろう。
勿論、ビジネスや学業といった用途で量子ネットワークに習熟したいなら、きちんとした講座がある。
その為、ネットカフェで覚えようという者はホビー目的の場合が多い。必然的に、教える側もいわゆる「趣味人」が多くなる。
結果、ネットカフェは、ティ連のサブカルチャーが日本に流入する入り口の一つとしても定着した。
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量子ネットワークを本格的に使えるとあって、ティ連仕様の端末を導入したネットカフェでは、それを目当てにした客が倍増した。
難点として、こういった店は、日本人(及びティ連市民)以外の入店を規制する必要が出て来る。生のティ連情報にフリーで接する事が許されるのは、ティ連加盟国の国民だけなのだ。
そも、ティ連市民はPVMCGをほぼ例外なく携帯しているので、情報端末を利用する為にネットカフェへ来店する必要性がない。
また、PVMCGは日本人の間でも普及して来たので、近い将来、ティ連仕様端末の設置が、ネットカフェの売りとしては弱くなる事も予想された。
従来のネットカフェは、家庭へのインターネット環境普及によって頭打ちになったのだが、量子ネットワーク対応店でも、同様の現象が再び起こるのではないかという訳である。
そして現在、留学や就業等で日本国内に居住する海外出身者は、ティ連加盟以前と比べて激増の一途である。それまで目立っていた中共や韓国の出身者が姿を消して行く一方で、LNIF加盟国からは、それを補って余りある人数が押し寄せている。
今や日本国内の消費活動は、彼等が下支えしていると言っても過言では無い。
彼等の大半は、日本国籍を取得し、ティ連の一員となる事が目的だ。しかし、申請するには相応の生活実績を築く必要があり、それまで、ティ連市民のみが享受できる各種サービスは「お預け」となる。
そういった層を拒まずに済む様、ティ連仕様の端末導入をあえて見送る店も少なからずあり、ネットカフェは二極分化していった。
日本人に対象を絞り、ティ連の生情報に触れられる店か。日本に増え続ける外国人でも、規制の影響なく気軽に利用出来る店か。
経営者としては判断に悩むところだが、都市圏では棲み分けが進み、特に問題は起きていない様である。
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ネットカフェの業態は、地球の外へも広がる事となった。
ヂラール戦役からの復興途上にある、ハイラ王国に持ち込まれたのである。
残念な事に、ハイラでは未だ識字率が低い。ティ連の支援により、就学期の子供達へ教育を施す体制は整備出来たのだが、問題は大人である。知識層と大衆の落差が激しいのだ。
大人にしてみれば「読み書き出来ずとも生活出来ているのだがら、いい歳になって今更勉強しなくても……」と消極的になってしまう。
そこで、地球の娯楽であるコミックに親しんで貰えば、文字を学ぶモチベーションとなるのではないかという案が出たのである。
ハイラの庶民達に、現地語に翻訳した日本のコミックを見せた処、文字は読めずともストーリーの大意は解る為、興味を抱く者は大勢いた。
登場人物が何を言っているのかセリフを読みたいという欲求は、期待通りに学習意欲の高まりへと繋がった。
これを受け、コミックを手軽に読める場所として、日本のネットカフェの前身である「漫画喫茶」が、試験的に王都バルベラ他、ハイラの主要都市へ設置されたのである。
設置主体は、日本の大手ネットカフェグループだ。当面は利益度外視だが、将来的にはハイラ王国のみならず、惑星サルカス全土にチェーン展開する目論見だという。
学習意欲が高まった事を受け、ハイラ王国側の行政によって、成人の非識字者を対象とした読み書き教室が開かれる運びとなった。
受講すれば、漫画喫茶の料金が割引となるクーポン券が貰えるとあって、教室は好評を博している。
また、初期店舗は研修施設も兼ねていた。地球の近代的な飲食店チェーンのシステムを、ハイラ側で現地雇用した従業員に習熟させるのである。
彼等は当然に、読み書きや調理のみならず、店舗運営全般を身につける事となる。そして、育成した従業員を新たな店長として、支店をオープンしていくという訳だ。
従業員募集には希望者が殺到し、かなりの狭き門となった。漫画喫茶に限らず、日本を含むティ連各国が運営する団体の従業員は、ハイラの住民にとって花形の職なのである。
ちなみに、ハイラで特に人気のコミックは、いわゆる時代劇/史劇が多い。様々なジャンルがあふれる現在の日本では、コミックとしてはややマイナーな題材なのだが、ハイラ人にとっては舞台設定が親しみやすいという。
三歳児を乳母車に乗せて流浪する刺客の話や、三国時代の中華を舞台とした話、傾き者として知られる桃山時代の武将の話等を、漫画喫茶を訪れるハイラ人達は眼を輝かせて読みあさる。
漫画喫茶は、ハイラ人にとって気軽に親しめる、文明開化の窓口の一つとなったのだ。
情報リテラシー教育の問題もあり、当初は省かれたネットカフェとしての機能は、ハイラでの近代知識の普及具合を見計らいつつ、いずれは王国側の了解を得て導入する予定だという。
時期の判断は難しい処だが、遠い将来では無いだろう……




