第二十一回 新幹線の興亡
ティ連からもたらされた転送技術について、日本政府は当初、一般社会への導入に際し慎重な姿勢をとった。
一言で言えば、既存交通インフラの採算悪化による衰退を危惧した為だ。
行政実験を兼ね、一般人の使う転送ゲートとして最初に設置されたのは、ヤルバーンと外部との往来用である。
設置されたのは東京都内の新幹線停車駅(東京/品川/上野)、及び神奈川県の新横浜駅、そして羽田/成田の二空港で、通行料金は一回二百円と設定された。往復だと四百円で、復路分の料金はヤルバーンの日本円収入源の一助としても位置付けられた。
新横浜駅は何故かと言えば、ヤルバーンは相模湾にあるのに、東京経由でないと行けないのはおかしいという、神奈川県からの強い要求があった為である。
当初、ヤルバーンが一般人の入境を許可していたのは日本人に対してのみだったのだが、LNIFの設立後は、その加盟国(豪州/ニュージーランドは、中共の影響力が高いとして除外)に対しても門戸を開く様になる。
しかしながら、日本への航空便は羽田/成田にだけ発着する訳ではない。国際便が多く訪れる空港としては他にも、大阪の関西、愛知の新中部がある。
これらの空港から日本に降り立ったヤルバーン目的の外国人旅行者は、国内便に乗り換えて羽田/成田へ行くか、新幹線や高速バスといった陸路で東京/横浜にある転送ゲートへ向かわざるを得ない為、時間的にも費用的にも負担が余計に掛かってしまう。
また国内からも、東京/横浜へ赴かずともヤルバーンに行ける様にして欲しいという声が出始めた事を踏まえ、関西/新中部、そして国内便専用空港となっている伊丹の三空港にも、ヤルバーン行き転送ゲートが設置された。
元々これらの空港には、ヤルバーンに居住するティ連市民や、日本の官公庁の公用の為に転送ゲートが設置されており、これが一般に開放された形である。
これで海外からの旅行者や、関西/中部の都市圏からのヤルバーン往来には大きく利便性が改善されたのだが、思わぬ事態が生じた。
ヤルバーンを経由して、別のゲートを目的地とする利用者が続出したのである。
例を挙げれば、大阪から東京へ行く際、伊丹空港からヤルバーン行ゲートを通行し、ヤルバーンから東京駅行ゲートを通行するのだ。時間的にも費用的にも、大きな節約となる。
新中部空港については、名古屋中心部との連絡で名古屋鉄道や空港バスを利用する事を考えると、東京や大阪との往来にヤルバーン経由で転送ゲートを利用しても、新幹線と時間的には大きな差は無い。それでも費用の差は大きかった。何しろ、ゲート二回分で合わせて、片道四百円である。格安の高速バスよりも廉価なのだ。
この「裏技」は瞬く間に広まり、東京=名古屋=大阪間の既存交通利用は激減した。
特に悪影響を受けたのはJR東海である。ドル箱であった東海道新幹線は一気に閑古鳥が鳴く様になり、株価も急落。経営危機すらささやかれる様になった。
JRでは駅から転送ゲートを撤去する事も検討されたが、それをしたところで羽田空港の転送ゲートが利用されるだけなのは容易に予測され、むしろ利用者からのJRへの反発の方が懸念された。
政府も、ヤルバーン経由の国内間転送利用について、規制は難しいという判断を示した。
意図せぬ形ではあったが、東京=名古屋=大阪間の移動が簡便になった事を喜ぶ国民は多い。これを、JR東海の経営が傾くからという理由で規制してしまっては、次の選挙にも影響しかねない。
只でさえ、既存経済の混乱防止という名目で、様々なティ連技術の導入に待ったを掛け続けている事については、国民の間で不満がくすぶっているのだ。どの様な形であれ、一度広まった物を取り上げるとなると、国民の強い反発は必至である。
とはいえ、東海道新幹線は維持しなくてはならない。その為には、転送に流れた利用者に頼らず、新たな需要を掘り起こす事が必須とされた。
鍵となるのは、東海道新幹線が東西に横切る、静岡県と考えられた。
東海道新幹線の内、従来の「ひかり」を越える高速便として一九九二年から導入された「のぞみ」は、静岡県内の駅には停車しない。加えて、「のぞみ」と入れ替わりに「ひかり」が大幅に減便された事もあり、素通りされる静岡県からは怨嗟の声があがり続けていた。
JR東海は静岡県から不評な編成を改め、東京=大阪間については「のぞみ」を「ひかり」並の停車駅とし、静岡県内では静岡/浜松へ停車する様にし、また各駅停車の「こだま」を増便した。
この新編成により、静岡県内への観光客や、新幹線通勤/通学する静岡県民の利便は大きく向上する事が見込まれた。
だが、これだけでは心もとない。次なる手は、航空行政の新方針を利用する事だった。
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前述の主要空港はいずれも、近年の観光新興策の一環として、LCC(格安航空会社)向けに専用ターミナルを設置して利便を図っていた。
しかし、日本を訪れる国際便のLCCは、大半が中共や韓国の会社であり、CJSCA陣営に組したこれらの国からの観光目的入国が難しくなった事で、次々と撤退していった。
空いた発着枠は日航や全日空、そしてLNIF主要国の大手航空会社に割り振られた。ヤルバーンが海外観光客へ解放されて以後、日本への航空需要は逼迫しており、LCCを留めておく必要がなくなった為である。
LNIF陣営にもLCCはあるのだが、日本政府は中韓のLCCが撤退したのを期に、他国のLCCについても、原則的に地方空港へと割り振る方針を固めたのだ。
主要空港で発着枠を得られなくなった国際便LCCは、周辺県の空港へと移っていくのだが、その内の一つに静岡空港があった。
厳しい経営状況の中、中韓の国際便が去って暗雲に包まれたと思いきや、台湾便が空いた枠を埋め、さらに他国のLCCから発着枠取得要望が殺到した事で、静岡空港は一転して活気に包まれた。地方空港の中では、首都圏に比較的近い事が好まれたのである。
難点は空港からのアクセスで、最寄りの鉄道駅まではバスかタクシーという事になってしまう。
JR東海はこれに目をつけ、かねてより要望のあった、東海道新幹線の静岡空港駅を設置した。
元々、東海道新幹線は静岡空港のすぐ側を通過しているのだが、既存の掛川駅に近いとして、JR東海は、静岡県からの空港隣接駅の設置要望を拒んでいた。
だが、ヤルバーン経由の転送が登場した事により、状況は一変した。東海道新幹線の需要を保つ為には静岡空港の利用客を掴まねばならない。もはや死活問題だ。
駅舎はハイクァーン技術を駆使して一週間程度で完成し、ダイヤ改正期に合わせて運用が開始された。
こうして、海外からのLCC乗客を主体とした、静岡空港の利用客を取り込む事で、東海道新幹線は再び黒字転換し、日本の誇る高速鉄道は延命される事となったのである。
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静岡空港を訪れるLCCの国籍だが、その半数は台湾である。他にはタイ/インド/シンガポールといった、アジア圏のLNIF加盟国の便が目立つ。
飛行機を降り立った乗客の殆どは、新設された静岡空港駅から新幹線に乗り、新横浜駅でゲートを通ってヤルバーン観光へと向かう。
勿論、乗客の全てがヤルバーン目当てという訳ではないが、そういった層は東京もしくは名古屋へと向かうビジネス客が殆どで、いずれにせよ静岡は通過点に過ぎない。
結果、空港を利用する外国人旅行者が地元に落とすカネは、帰国時の免税店利用程度となってしまう。空港を利用してもらえるだけでも充分有り難いのだが、地元としては物足りなさがある。
よって今度は、新幹線の停車が増えた事を利用した観光振興が、静岡県側からJR東海に要望された。
ターゲットは、観光目的で日本を訪れるティ連市民である。
折から、ティ連各国からの日本への観光誘致は進められていた。また、訪れた多くが国内移動に新幹線を利用している。
だが、利用されているのは、北海道・東北/上越/北陸/山陽/九州の各路線のみだ。 東海道新幹線については、新中部/関西/伊丹の三空港にゲートが設置されている事から、国内利用者同様に、ティ連からの観光客の利用もふるわなかった。
大阪より西へ旅行する際には、ヤルバーンから伊丹空港行の転送ゲートを抜け、空港バスを経由し、新大阪駅から山陽新幹線に乗り換えるのが一般的なルートとなっている(これについては、日本人利用者も同様である)。
そこで、ティ連からの観光客にスルーされない様、新横浜駅の転送ゲートから新幹線に乗車して静岡観光へ向かう様々なコースが、JR東海と静岡県の共同で設定されていった。
元より、静岡には観光の対象が多い。野生動物が見られるサファリパーク、現役で走る蒸気機関車、弥生時代の遺跡群、うっそうとした青木ヶ原樹海の遊歩道、人型機動兵器の模型を生産する工場の見学、婚約者に裏切られて銭ゲバと化す学生の小説の舞台として有名な温泉地等々、魅力的な物があふれている。
観光スポットをPRした事で、ティ連からの観光客は、東海道新幹線を利用して静岡県内へも向かう様になった。
ティ連からの観光客は、特に静岡駅での乗降が多い。彼等の一番の目当ては「もつカレー」だ。これは静岡市清水区(旧:清水市)の名物で、カレールーを使った「もつ煮込み」である。勿論、彼等は「もつカレー」を食べるだけでなく、物見遊山をして廻る為、周辺の観光施設も大いに賑わうようになった。
静岡空港から新幹線を利用してヤルバーンへ向かう外国人旅行者と合わせ、ティ連からの旅行者も取り込んだ事で、東海道新幹線の乗車率はおおむね回復した。
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施策が功を奏して一息ついた東海道新幹線だが、新幹線全体の問題として、中長期的にはやはり不安があった。
遅かれ早かれ、国内の各所には転送ゲートが設置され、既存の交通網は厳しい状態に追い込まれるであろう。
既に行政実験を兼ね、離島や山間地対策としてゲート設置は始まっている。今の処、行き先は当該市町村の中心部や、都道府県庁所在地に限定されている。だが、やろうと思えば簡単に、遠方へのアクセスにも使う事は可能なのだ。
一方で、既存交通インフラの温存も政府方針だが、赤字を垂れ流して存続させるというのも難しいと思われた。
ハイクァーン使用権付与による失業補償が可能になった事から、雇用の維持という大義名分も失われてしまった。
採算を維持しつつ生き残る道として、単に移動手段というだけでなく、鉄道その物を観光資源として魅力をあげる事が提唱された。
既に在来線については、豪華寝台列車が就航している。また、JR山口線の「やまぐち号」や、私鉄の大井川鐵道の様に、観光目的で蒸気機関車を運行する例もある。
対して新幹線は、あくまで高速輸送手段に徹した実用重視の車両で、それ自体に魅力があるかというと疑問符がつく。ティ連からの観光客にしてみれば、列車自体が珍しいので新幹線乗車を喜んでいるのだが、いつまで保つかという不安もあった。
そこで、観光に特化した、豪華版新幹線を走らせる事は出来ないかという提案がなされたのだが、真っ先に候補としてあがったのは蒸気機関車だ。しかし、蒸気機関車では速度が遅すぎて、新幹線で運用する事は難しい。
もし行うなら外観を似せたレプリカという事になるが、前述の通り、「本物」を営業運行している路線がある為、目新しさに欠ける。
そこで浮上したのが「あじあ」である。
「あじあ」とは、かつての南満州鉄道で運行されていた特急列車だ。車両は当時の日本の技術の粋を集めて造られた、流線形蒸気機関車「パシナ形」である。
日本ではあまり馴染みがないが、蒸気機関車の末期には、高速化を目指し、空気抵抗を考慮して車両先頭を流線状にした物が登場していたのだ。
高速を誇るだけでなく、優美な内装や、当時としては珍しい冷房設備を供えていた豪華車両で、南満州鉄道の象徴とも言える存在だった。
ティ連技術を導入した最新型の豪華新幹線車両として、この「あじあ」を模してはどうかという提案は、鉄道ファンの耳目に入ると熱狂的に支持される事となった。
完成した「あじあ」だが、外観や内装は極力オリジナルを再現している物の、使われている技術は完全に別物だ。
駆動はいわゆる牽引型で、先頭車両のみが動力車だ。この点はモデルとなった元の「あじあ」と同じなのだが、当然ながら蒸気機関ではない。
新たな「あじあ」の動力は、核融合炉を使用している。地球の技術のみでも、およそ四半世紀以内には商用実用化されただろうが、ティ連のAIを活用する事で、列車搭載可能な小型核融合炉を一気に開発した。
ティ連技術が使えるのに、今更、核融合炉という中途半端な物をわざわざ開発・導入したのかと思う向きもあるだろうが、当初はもっと正気を疑う案だったという噂がある。
一九五〇年代に世界各地で企画されていた物の、実用化される事のなかった「原子力機関車」を採用する案が有力だったというのだ。
もし南満州鉄道が存続し、「あじあ」を原子力機関車化していたら……という、浪漫あふれる想像からの案だというが、どうせならLNIFへの技術供与を考慮した物を、という事で核融合炉に定まったという。
ともあれ、核融合炉を採用した牽引式という事で、電力供給を受ける為のパンタグラフは必要なく、元の「あじあ」に外観を近づけるという点でも有効だった。
運転は手動だが、運転士はアンドロイドが担当する為に実質的には完全自動である。一方で、緊急時には人間による運転操作も可能となっている。
この仕様は、将来的な輸出の可能性を考慮した物だ。輸出した先では、人間による運転が前提になる為である。主には、電化されていない、ディーゼル車両で運用されている路線への導入を想定している。
車両編成は、通常の新幹線に合わせ、機関車・食堂車を含めて最高で十六両。元の「あじあ」は七両編成なので倍以上の長さだが、動力車は、この編成を従来の新幹線並の速度で充分に牽引可能な性能である。
客車はグランクラス(元の一等車相当)とグリーン車(同・二等車相当)のみで、元の「あじあ」にあった三等車相当の設定はなく全席指定だ。
また、元はあった郵便車が存在しない分、食堂車についてはグランクラス用とグリーン車用の二両設置されている。女給もいるが、残念ながら、某国民的SFアニメ/コミックの様なガラス製義体のサイボーグではない。
そういう案も実はあったが、3Dグラフィックでイメージを作成してみると「不気味に見える」と不評で、あっさり廃案になった。やはりあのキャラクターは、絵ならではの表現であろう。
ではどの様な女給かといえば、例によって萌えキャラアンドロイドである。元の「あじあ」では白系ロシア人を女給として採用していた事から、アンドロイド女給も、スラブ系の若年女性を萌えキャラ化した物となった。
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復活した「あじあ」が導入されたのは東海道新幹線ではなく、上越新幹線だった。
これは、東海道新幹線の利用不振がおおむね回復した事から、他の新幹線路線へもテコ入れを図るべきだという声が挙がった為である。
復活した「あじあ」は、東京=新潟間を一日二往復の運行だが、座席は連日満員の盛況ぶりとなった。
客層はというと、まずティ連からの観光客だ。戦前に運行されていた豪華車両のレプリカという事で興味をひかれたという面もあるが、彼等の一番の目当ては食堂車である。
食堂車は内装もメニューも、オリジナルの「あじあ」を再現しているのが売りなのだが、メニューの一つに「ライスカレー」がある事に彼等は注目した。
結果、満州の豪華列車で供されていたカレーを堪能すべく、「あじあ」へ乗車する者が相次ぐ事となった。
また、外国人ではロシア人観光客が目立つ。査証は必要な物の、ロシア人に関しては、CJSCA陣営の内では観光目的の入国が比較的容易である。冷え込む日中/日韓関係と反比例するかのごとく、北方領土問題の妥結以後、日露関係はかなり改善が進んでいた。
ロシアからのLCCは新潟空港発着の便が多い。また、新潟港=ウラジオストック間のフェリー航路も開設され、新潟は対ロシアの主要な玄関口の一つとなっていた。
新潟に降り立ったロシア人観光客は、上越新幹線で東京に向かう者が多い。彼等にはヤルバーンへの入境許可はまず下りないが、都内まで行けばティ連技術が街に溢れているので、それだけでも充分に見物のしがいがある。
そうしたロシア人観光客の内から「あじあ」に乗車する者が出始めたという訳だ。
乗り合わせた乗客同士の歓談もまた、豪華列車ならではの楽しみである。ティ連市民とロシア人という組み合わせは、他ではあまり見られない情景だ。
ロシア側がティ連に関心が強いのは当然として、ティ連市民の側も、隣国の一つであるロシアが日本をどう思っているのかは気に掛かるところだ。
接点が乏しいからこそ互いに興味を持ち、話ははずむ。
後にロシアはLNIFへオブザーバー参加したのだが、この様な何気ないティ露間の市民交流が、それを実現する雰囲気の一助になったのではないかと評する意見も、少なからずある。
また、JRにとってロシア人観光客の価値は、「あじあ」や上越新幹線の利用に留まらなかった。
彼等はヤルバーン入境が出来ない以上、そこを経由する東京=名古屋=大阪間のゲート転送も必然的に利用出来ない。同区間の移動は、東海道新幹線なり高速バスを使う事になるのである。
ロシアの他にもベトナム等、CJSCA陣営でも、日本への入国が比較的容易な国は幾つかあるが、ヤルバーン経由の転送が利用出来ないという点で同様である。LNIFでは豪州/ニュージーランドが該当する。
こういった「日本には入国し易いが、ヤルバーンには入境出来ない」国からの観光客を標的と定め、JRは旅行代理店を通じ、国内移動手段としての新幹線やJR高速バスの乗車券、宿泊、そして観光施設利用をセットにした日本旅行パッケージを積極的に売り出していった。
ちなみに、国内居住者でも在日韓国/朝鮮人については、本国がCJSCA陣営の中でも特に「敵性国家」とティ連から見なされている為、ヤルバーンへの入境が許されない。
ヤルバーンを経由した東京=名古屋=大阪間の転送ゲート利用が盛んとなり、東海道新幹線がもっとも苦しかった時期に、需要を下支えしたのは、転送ゲートを利用出来ない彼等である。
現状でも、東海道新幹線の定期券利用は、大半が在日韓国/朝鮮人だ(ちなみに日本人の定期券利用者については、殆どが都内へ通勤/通学する静岡県民である)。
だが在日韓国/朝鮮人については、積極的に新幹線利用を促すキャンペーンが行われる事がなかった。売り込みをかけずとも「手堅い」客層と考えられている為である。
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純粋な交通インフラとしての鉄道は、転送の普及と共に需要が減退するのは確実だ。その温存の為に、画期的な移動手段である転送の普及を遅らせたままでは、市民の納得は得られない。
全国に転送網を整備しつつ、サブシステムとしての鉄道を温存する方策として、前述の新幹線の取り組みは好例となった。
私鉄各社についても、経営努力が期待出来るのではないか。例えば大阪難波=名古屋間を走る近鉄特急も、やはり転送の影響で利用者が大きく減少したのだが、全車両を一新して豪華車両化する計画が進んでいるという。
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最後に、リニア中央新幹線についてだが、本格着工を前に、方向性が大きく変わる事となった。
まず、転送技術の将来的な普及を見越し、建設の是非その物を含む再検討を行うべく、計画が一時凍結された。ティ連の来訪が数年遅ければ、工事が着工されてしまい、後戻りがしにくかったと思われる。
東京=名古屋間を約四十分で結ぶという速度性は、転送の前に全く魅力がない。といって観光性を強くしようにも、多くの区間が地下トンネルとなっているのが障害となる。景観を楽しめる区間が短すぎるのだ。
JR東海、国土交通省、そして沿線自治体を交えた協議の結果、計画その物を白紙撤回する方向でまとまりかけた。採算も利用者も見込めない事業に、巨費を投じる訳にはいかない。
だが、政府与党の中には、国家の威信を賭けた一大プロジェクトとして、何としてでもリニア中央新幹線を実現させたい議員も少なからずいた為、政治の圧力という形で事態は膠着してしまう。
そこで国土交通省は、難航している協議の場に、参考人としてヤルバーンの技術陣を招聘して意見を求める事にした。頑固な議員達に、リニア中央新幹線は無用の長物であると、引導を渡して欲しかったのである。
だが、ヤルバーンの技術陣は予想に反し、リニア中央新幹線にご執心であった。ティ連技術を組み込んだ形で、よりスケールの大きなプロジェクトにしてはどうかというのだ。
ティ連の斥力技術を導入の上で車体を再設計し、また、地下トンネルに換えてシールドチューブで路線を覆い、全線を地上に敷設する。
シールドチューブは海上にも敷設可能な為、北は北海道から南は沖縄まで、日本を縦断させる事も可能である。
また、ロシアとの協議が必要だが、国後・択捉、さらに樺太を経由しロシア本土へと延伸させて、ユーラシア大陸と日本をつなげてみてはどうか。
南側には台湾もある。かの地と日本を鉄道で接続すれば、中共に対しても大きな牽制となろう。
ハイクァーンを使えば工事費用/期間共、大幅に圧縮可能であるし、この事業にはヤルバーン/イゼイラも出資出来るだろう。
ヤルバーンの技術陣が熱く語る壮大な構想に、協議の場に集った一同はすっかり飲まれてしまい、政府も前向きとなった。
リニア中央新幹線は、ティ連技術を組み込み、ルートも大幅に拡充する事を前提に、プランの全面見直しという形で再出発した。
一時凍結による進捗の遅れも、ティ連技術を駆使した工事によって充分に取り戻せる見込みだ。
台湾/ロシアへの延伸という将来構想も公表され、両国も高い関心を寄せている。さらにフィリピンも、台湾から先のルートとして延伸の誘致を働きかけ始めた。
リニア中央新幹線は、ティ連技術を盛り込んだ新たな多国間の交通インフラとして、諸外国の注目を集めている。




