第二回 異星の園で催す、終わらぬ花見の酒宴
日本の文化に深く根ざす花、桜。
満開となった桜花の下で宴会を催す伝統行事「花見」は、今や日本だけでなく、ティ連各国に広まり、深く親しまれている。
今回は「花見」が宇宙に普及していった経緯について触れてみたい。
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ヤルバーンの日本来訪、そしてティ連への加盟。
他国が羨望してやまない日本だが、残念ながら、その国民は前向きな希望に満ちた者ばかりではない。それによって少なからぬ者が、予期せぬ不幸に陥ったのだ。
失業率の大幅な上昇である。
では何故、その様な事になってしまったのか。
ティ連からの各種オーバーテクノロジーの導入は、基本的に大幅な省力化を伴う物で、製造業を中心として大量の余剰労働力発生に繋がったのである。
また、外国製工業製品の多くは日本市場での競争力を失い、その輸入販売に携わる職も失われていった。
日本に生産拠点を構える外資系ハイテク機器メーカーも、日本のテクノロジー流出規制の徹底強化によって撤退を余儀なくされ、その際に日本人従業員は解雇された。
新たに生み出された雇用も少なからずあったが、その数は、職を失った者を吸収するにはほど遠かったのである。職業スキルによる雇用のミスマッチも大きい。
もっとも、AIの発達・普及により多くの職が失われる危険性については、ヤルバーン来訪以前からも警鐘が鳴らされていた。
ティ連との接触がなくとも、地球自身の技術革新によって、数十年内には似た様な事態に陥るのは不可避だったというのが、多くの識者の見解ではある。
無論、日本政府も無策ではない。失業者への対策として、現金給付による従来からの雇用保険や生活保護に加え、限定的ながらもハイクァーン受給権の提供を開始した。
失業者のハイクァーン受給条件は緩やかで、旧来からの生活保護と違い、自宅や自家用車といった生活基盤に関わる資産を手放す必要も無い。
ハイクァーンによる、財源を気にしなくて良い救済策を受けられる分だけ、以前の予測にあった「地球自身のAI発達による大量失業の到来」よりも遙かにマシな状態である。
だが、条件が緩かろうと、あくまでその本質は「困窮者に対する福祉」だ。従来からの風潮として、公的扶助を受ける者への世間からの目は厳しい。受給者への心ない蔑みや嫌がらせは、ヤルバーン来訪以前よりも厳しくなっている。
ハイクァーン支給はその性質上、税収からの負担はない。だが、国民の多くが願ってやまないハイクァーン支給権を、限定的ながらも先行して受けられる「特権」への妬みを抱く者は多い。
この闇は深く、国民の間に新たなヒビが生じ始めていた。
これが、ティ連に加盟して数年後の、日本のやるせない現実の一つだった。
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では何故、日本はハイクァーン制度を全面導入しないのか。
経済秩序や事業意欲、労働モラルの崩壊に繋がってしまうとして、政府が慎重な態度を取っている為である。
当のティ連自身が、文明の行き詰まりによる緩やかな衰亡へ向かっていたのに、安易に日本がその劣化コピーになってしまってはならないと政府は考えているのだ。
日本は、国家の活力を失わずに、ティ連と地球の文明を融合させて国民の豊かさを実現する為に模索を続けている最中なのである。
対して、野党はハイクァーン制度の早期全面導入を主張している。浮世離れした理想論者と揶揄される野党だが、この件については中核支持層や浮動層のみならず、与党支持者の内にも少なからず賛同者がいる。
つまり、ハイクァーン制度の是非に関する限り、保守系与党の慎重姿勢が国民の多くに必ずしも支持されている訳ではない。結果、野党が首の皮一枚で命脈を保てている貴重な命綱の一つとなっている。
しかしながら、中道左派政権時代の迷走による信用失墜はいかんともしがたく、野党の支持率回復にはつながっていないのが現状である。
現在においても外交、とりわけ国防面に於いて、近隣諸国、特に中共や韓国に対し、過度に融和的な主張を続けているのは致命的だろう。
ではいっそ、ハイクァーン制度下での生活を望む者は、市民全員の当然の権利としてそれが提供されるティ連諸国へ移民するのはどうか。
豊かなティ連にいけば、無条件で安楽な生活が出来る。ならば、薄給で辛い仕事に耐えてまで日本にしがみつく必要がどこにあるというのか?
残念ながら、これは非常に難しい。日本政府が、移住目的でのティ連渡航を容易には認めない為だ。厳しい選考をくぐり抜けた者だけが、晴れてティ連へ移住できるのである。
この選考にパス出来る様な者は大抵、国内で充分に活躍できる実力、素養を持っていると思われる。ハイクァーン支給権の全面導入が、むしろ不利益にすらなり得る層だ。
これは、受け手たるティ連諸国の意向ではない。彼等はむしろ、日本で生活苦にあえぐ低所得層を自国へ受け入れようと、日本政府へ打診までした。
だが、日本政府はそれを謝絶した。無秩序な国民流出を何としても避けたかったのである。
ティ連加盟後、数年を経てようやく、観光目的での星外渡航が認められる様になったのだが、移住条件の大幅な緩和は、少なくとも当面の間は難しいと思われる。
ティ連市民たる日本国民の、他加盟国との往来規制は、「マスコミ禁止法」の適用除外と同じく、ティ連連合憲章の連合法特別免除規定に基づく。
故に、長期に渡る免除延長の継続については、ティ連内でも「自由往来の阻害」として懸念の声があるのだが、日本政府は自国民の出国規制の維持について、かなり強い姿勢で臨んでいる。
多くの一般日本人にとってティ連は未だ、手が届きそうで届かぬ楽園なのだ。観光で垣間見る事がせいぜいなのである。
ちなみに地球で類似の例をあえて挙げるならば、冷戦終結後に東欧諸国がEUへ新規加盟した際、労働者の移動の自由化については一定期間留保した件がある。
もっとも、EUのケースは「受け手」たる先加盟国側の、労働市場保護という都合による物だ。故に、日本によるティ連加盟国への自国民出国規制とは、全く逆の事情となる。
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しかしながら、ティ連に移住する「別ルート」も存在する。勿論、不正ではない。
まず一つには、ティ連市民との国際結婚による、相手方の国籍取得である。
言うのは簡単だが、そもそも相手が必要であるし、異種族の「隣人」「友人」とはなれても、恋愛の対象、ましてや伴侶とするのは大きなハードルである。
また、日本に居住目的で来訪するティ連市民は「日本に住みたいから」来るのであって、「日本人をゲットしてお持ち帰り」しに来る剛の者は殆どいなかったりする。
故に、ティ連市民のお相手が出来て、晴れてゴールインしたとしても、先方は日本に居を構える事を望むだろう。
今一つは、先方国家からの招請である。要は「有益な人材」として招かれれば良いのだ。
これも結構なハードルではあるのだが、日本政府の行う選抜審査を正面から突破するよりは遙かに可能性がある。ティ連の少なからぬ加盟国が、様々な事業で日本人を招きたがっているのだ。
例えば、趣味に没頭しているなら「文化活動家」としての引き合いもあるかも知れない。
今回紹介する「常設花見場」スタッフとしての日本人大量採用は、この後者のさきがけとなった事例である。
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マインダル恒星系第三惑星ハルカシャ。ティ連の中堅国家・サムゼイラ統合星系共和国の本星である。
この星で、市民の新たな憩いの場として、巨大なテーマパーク設立が企画され、内容の公募が行われた。
賞として、採用者はテーマパークの中核スタッフとして採用され、自らの立案を実現し、施設運営に采配を振るえるというのが最大の売り物だ。
ティ連では基本的に役務への報酬がないにも関わらず、職を得る為の競争が日本よりもはるかに熾烈である。自動化が徹底していて、人間のすべき事が少ないのだ。
そんな社会では、多くの人々が「己の役割」を欲する。
自らの存在価値を得る為、自分が社会に役立つ存在である事を示す為に、僅かな職に優秀な者が殺到するのである。
故に、この公募には多くの案が集まった。だが、大半は凡庸かつ無難な案、あるいは逆に、「市民の憩いの場」という趣旨を忘れた珍妙極まりない案ばかりで、審査員達は頭を抱えていた。
そんな中、一つの興味深い案に彼等は注視する。
ヤルマルティア、即ち日本の風習である「花見」を、常時行える様にしようというのだ。
花見。日本人諸氏には説明するまでもないが、開花した桜を鑑賞しながら行う酒宴である。日本の春の風物詩だ。
提案の資料として添えられていた、花見の様子を撮影した動画データは、審査員の好奇心を刺激する物だった。
提案者が自ら日本で撮影したというそれには、数々の集団がシートを敷いた上に座り、愉しげに酒を酌み交わしている光景が映されていた。
これぞ、市民のコミュニケーションであり、今回の企画で求められていた物だと、審査員達は絶賛した。
加えて、ティ連諸国のご多分に漏れずサムゼイラでも、日本に対しての興味がつきない事もあり、話題性も充分だろうと判断され、満場一致で、テーマパーク案は「常設花見場」と決まったのである。
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採用を受け、提案者は「企画委員長」として採用された。
サムゼイラ人としては少壮の年齢に属する、精悍な女性である。
前歴は兵卒から叩き上げの下士官だったのだが、軍務一筋の人生に思うところあって退役。「自分捜し」として日本でバックパッカーの旅を続けた際、花見にひかれたのだという。
カップ酒を片手に串カツをつまみにして愛でた、舞い散る桜の光景は、長年の軍務で疲れ切っていた彼女の心に新たな活力を与えたのだ。
技術陣によって挙げられた花見場の設計案は、次の通りである。
規模はおよそ新宿御苑の四倍で、全天候型ドームで外周を覆う。巨大に思えるが、確保された用地が元々この規模であり、また、全星から転移によって来場者が訪れる事を思えば妥当であろう。
桜は本物ではなく人工物で、地球時間換算の十日周期で開花から散華までを繰り返す。勿論、本物とは見分けがつかない精巧な物だ。
本物を使うべきという声もあったのだが、テーマパークの趣旨は「交流の場」であって「植物園」ではないと、企画委員長は人工木案を推した。年中無休で花見が出来る事こそが重要なのである。
企画委員長はむしろ、別な点で本物を志向した。
日本の花見には多くの露店が並び、様々な飲食物が並んでいる。これこそが醍醐味であり、また、それを運営するのは本場の日本人こそがふさわしいと、彼女は強く主張した。
日本の露店商をスタッフとして招請するのが、企画案を応募した時からの、彼女の望みだったのである。
企画委員長には、旅で触れあった日本の庶民、とりわけ低所得層に思い入れがあった。
日本のティ連加盟で沸き立つ事も無く、生活の糧を得る為に必死で働きもがき続ける人達。
花見で露店を営む人達の多くも、そういった層だった。
企画委員長は彼等に、ティ連市民として当たり前の豊かな生活を享受して欲しかったのだ。
そして企画委員長は、ハイクァーン制度の全面導入も星外移民の自由化も拒み続けている日本政府に、憤りすら感じていた。
エリートではない、叩き上げの苦労人ゆえの考え方だ。
そこで、花見場の企画を名目として、少しでも多くの日本人を呼び寄せる機会を作ろうと企図したのである。
自己満足の偽善は承知だが、今の自分に出来る事をするしかない。
それにあわよくば、これが成功すれば、日本の頑固な姿勢に対する一穴になるかも知れないのだ。
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企画委員長の望む、日本人露店商の招請を行うには、政府の協力が不可欠である。
軍務時代の伝手を通じ、複数の国防族議員との面談に成功した彼女は、自らの考えを伝え、助力を願った。
日本の出国規制政策に対し、いわば抜け穴を開ける事を企図した提案に、議員達も当初は難色を示した物の、最終的には支援を約束した。
日本人の受け入れは、サムゼイラを含め、ティ連に属する多くの国の市民が望んでいたからだ。
発達過程文明の住人を自らの領域に迎える事で、停滞した社会の活性化につなげたかったのである。
低所得層の移民受け入れの申し入れをかつて日本に行ったのも、単なる善意だけではなく、市民に新たな彩りを加えたいという、ティ連側の社会政策上の思惑が大きい。
しかし日本はそれを否とし、移住してくるのは、一握りのエリートばかりである。
ごく普通の「日本の一般庶民」をこそ隣人に迎えたかったティ連市民は、日本の出国規制方針に落胆し、緩和を願っている。
日本人を「日本文化を題材としたテーマパーク事業のスタッフ」として招請するというのは、確かに妙案だった。
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巨大常設花見場を作るから、本場の日本から露店商を多数招請したいので、協力して欲しい。
サムゼイラ政府からの珍妙な要請に、日本政府は戸惑った。
何故、花見場の設置如きに、わざわざ政府間交渉を持ちかけてくるのか。
だが、説明を受ける内、日本にも多数ある、外国を模したテーマパークの一種であると理解した。スタッフに日本人を導入したいのも、本物志向の表れだろう。
ならば移民選抜枠を臨時に増員して対応を、と日本側は切り出したが、サムゼイラ側は、「選ばれしエリート」によるにわか露店商ではなく、市井で営業している本物の業歴者が欲しいのだと主張した。
業歴者に拘るサムゼイラ側に、日本側は困惑した。
特定の事案なのだし、条件を緩和する事自体はやぶさかではない。
だが、日本で露店商というのは、「的屋」と呼ばれる、治安当局から暴力団組織の一種とみなされている業界団体に属する者が多いのだ。
流石に、そんな輩を宇宙に送り、あまつさえ日本文化を題材にしたテーマパークの従業員にする訳にはいかない。
双方の協議の末、サムゼイラ側が採用内定した人間を、日本の公安当局がチェックするという条件で落ち着いた。
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政府間交渉が妥結した処で、サムゼイラから企画委員長以下の二十名程が、採用活動のために来日した。
犯罪性を帯びていると日本側が主張する「的屋」を除外するにはどうするかがネックである。
検討の末、企画委員長が目を付けた、的屋が関わっていないだろうという物は二つだ。
まず一つ。日本の高校や大学、専門学校では「文化祭」と呼ばれる行事があり、そこでは学生が「模擬店」と呼ばれる露店を出す。この経験者をスカウト出来ないか。
二つ目は、日本のスーパーマーケットの多くにあるイートインコーナーだ。露店に似た飲食物の提供が行われているので、ここの従業員も採用対象として狙えそうだ。
前者は「業歴者」と言うには難だが、そもそも企画の真意は、日本人の一般庶民を移民として受け入れる事なので問題はない。要は業務さえこなせればいいのだ。
方針が定まり、企画委員長を始めとした採用スタッフは、次の様な条件でインターネット上の日本語発言を徹底的に分析し、全てに合致する対象者を洗い出した。
・日本国籍を有する
・先に挙げた二つの業務の内、いずれかの業歴者である
・ティ連への好意を持ち、移住を望んでいる
・収入面において生活が苦しい
・単身者、もしくは母子/父子家庭である。後者の場合、子は義務教育年齢以下
最後の二つは、企画委員長のたっての希望による物だ。彼女としては今回の募集を、困窮層を救う「蜘蛛の糸」として、確実に機能させたいのである。
ティ連の人工知能を使えば、情報収集・分類は容易い。積み上がった候補者にメールで募集案内を送ると、結構な数の応募者が集まった。
ここから面接及び、VRによる実技試験を行う。サムゼイラ側で合格と判定した者を日本側の公安当局がチェックし、クリアした者が晴れて採用という訳だ。
三交代制の年中無休という事で、かなりの人数を採用出来たが、それでも競争倍率は三倍程に達した。日本政府の移民選抜に比べれば遙かに広い門だが、ある程度絞らざるを得なかったのはやむを得ない。
中には、素性に問題ありとして、公安当局からNGを出された者も数十名いた。当初に懸念された的屋はいなかったが、極右/極左団体の構成員や、カルト宗教の信者といった者が紛れ込んでいたのである。
採用された者の大半は、就職活動に失敗して卒業後も就職浪人中の若者、あるいは幼子を抱えてパートで働くシングルマザーといった面々だった。
新天地で生活を立て直す機会を得た彼等は、皆、不安と期待の入り交じった顔でサムゼイラ行の客船に乗り込んでいった。
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地球時間でおよそ半年をへて、常設巨大花見場はオープンした。
前評判にたがわず、訪れたサムゼイラ市民達にはとても好評である。
美しく咲き誇り紙吹雪の様に舞い散る桜は、とても幻想的だ。
立ち並ぶ色とりどりの露店には、日本の飲食物の数々が並ぶ。
カップ酒、缶ビール、チューハイといった酒類、焼き鳥、串カツ、イカ焼き、関東煮、フライドポテト等のつまみ類。
また、ラムネやニッキ水、タピオカドリンクの様なソフトドリンクや、東京ケーキ、天津甘栗、クレープ、綿菓子、リンゴ飴等の甘味類も豊富である。
食品の材料はハイクァーンで造成するが、調理については日本での露店と同じく、その場で行われている。実演も、ハレの場を盛り上げる為の演出なのだ。
カレー以外にも多岐に渡る日本の味は、サムゼイラ市民を魅了した。
そして露店にいるのは、本物の日本人。しかも、日本政府に選ばれた雲上のエリート移民ではない、自分達と同じ「普通の人」だ。
市民達が待ち焦がれていた、発達過程文明出身の新たな「市井の隣人」である。
現地に暖かく迎えられた日本人達は、この国で生きていこうと強く思うのだった。
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サムゼイラに建設された花見場の盛況ぶりは、ティ連内の他国にも報じられて広く知れ渡った。
これらの国にも、花見場を導入して欲しいとの市民の要望が、行政に多く寄せられる様になる。
結果、幾つかの国では、同様の常設花見場が建設され、露店スタッフとして、やはり多くの日本人が招請される事となった。先例が出来たので、招請に当たっての日本政府の対応は、サムゼイラが最初に交渉した時よりはスムーズだった。
以後、ティ連各国から、様々な事業計画の為、人材招請の許可を求める交渉が日本側に持ちかけられる様になった。
日本政府としては、危険人物を送り出さない仕組みさえ確立すれば、求められる都度、先方が欲する人材を移民として送り出す事については柔軟に対応する事にしたのである。
自由化にはほど遠いが、宇宙に住みたいと考える日本人の希望は、ティ連加盟当初に比べ、幾分か叶い易くなった。
無論、役割を得ての招請なので、無業で遊び暮らすのが目的ならば、まず無理であるが……