第十八回 宇宙のヲタクは妄想をこじらせた末に、遂に国政へ関与する
同人誌即売会。
週末や祝日の度に日本の主要都市で開催されている、〝同人誌〟と呼ばれる自費出版物を頒布するイベントである。
市販のアニメやコミック、ゲームといった若者向けサブカルチャーを題材とした、ファンによる二次創作物が過半を占めるが、作者自身によるオリジナルの物も少なからずある。
また、近年では印刷による冊子に限らず、音楽や映像、ゲームといった電子コンテンツも見られる様になった。
特に大規模なイベントは、毎年二回、八月と十二月に各三日間、東京ビッグサイトにて開催される物である。
大抵の同人誌即売会は取扱いジャンルを限定する事が多いのだが、このイベントは題材毎に日程やエリアを振り分けるオールジャンルで、実に多彩な内容の自費出版物が出展される。その威容は海外にも知られ、入場者には外国人も少なくない。
ティ連市民は日本の様々な文化に関心を持っているが、当然に、同人誌即売会にも関心が多く寄せられる様になり、観光対象の一つとなっていったのは自然な流れであろう。
来場したティ連市民が驚くのは、手間暇やコストをかけてまで自費出版物の対面頒布を好む者があまりに多い事だ。
日本ではオンラインによる電子刊行物頒布が普及しているのに、何故であろうか。
テクノロジーの発達に忌避感を持つ、旧守的な考えの同人活動家が多いのかと誤解するティ連市民も少なからずいたのだが、そうではない。
確かに非効率なのだが、著作者としては、読者と直に触れる機会が欲しい。読者の側も然りである。同人誌即売会は、同好の士が一堂に集う〝お祭り〟なのだ。
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出版社の推敲を経ずに発刊される同人作品は、ティ連市民が市井の日本人による生の発想を知る上で、とても興味深いものだった。
ただ、刊行物の多くは前述の様に、市販作品の二次創作物が多く、原作を知らないティ連市民にとっては愉しみにくい。
その為、ティ連市民が手に取る同人誌は、どちらかというとオリジナル作品の方が多い傾向にあった。
多くの者が興味をそそられる点として、二次創作かオリジナルかを問わず、官能的な内容を主題とした同人誌の多さが挙げられる。
日本ではセクシュアルな著作が不道徳とされており、商業流通する作品は出版社による自主規制で表現内容が抑制されてしまい、取り扱いを拒む書店もある。
その為、より自由な表現を発表する手段として、同人誌を選ぶ著作者が多いという訳だ。
さらに、イラストと実写を問わず、身体の一部の描写がタブーとなっていて、表現の自由の例外として法規制の対象となっている点も、ティ連市民から見れば実に奇妙だった。
そういった規制にも関わらず、同人誌という形で自由な表現を最大限に試みる同人活動家の妄念の強さに、彼等は「これこそが発達過程文明の神髄である」と、心を震わせた。
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ストーリー作品以外にも、自主研究による資料、旅行者による紀行、技術書、政治書、調理レシピ等々、同人誌として発刊される内容は様々である。
趣味で発刊しているだけに内容が偏向している物が多いのだが、それだけに市販の物では得られない貴重な記述も少なからずある。
実社会では需要の乏しい内容でも、趣味だからこそ深く掘り下げられた物が造られるのだ。
資料系の刊行物には、ティ連に関する物も散見され、乏しい情報の中で可能な限りの分析や考察が行われている事が解る。
話題になったタイトルを挙げると、「ディスカール王政時代初期の決闘裁判」「惑星レノ内に於ける、ヴィスパーとティ連非加盟国家間の国境警備状況」「ヴァドハー蟹の美味しい食べ方・宇宙かにすきは可能か」「実験:百人のカイラス人にマタタビを喰わせてみた」等々、力作が揃っている。
ただ、本格交流の開始から間が無い事もあり、ティ連側から見れば失笑物の誤解も少なからず混ざっていた。日本で言うなら、源義経=ジンギスカン説の様な珍説や、水戸黄門漫遊記の様な創作を〝史実〟として国外で紹介されてしまう様な現象である。
ともあれ、この様なブースの存在により、同人誌即売会というイベントは、単に創作発表の場というだけでなく、民間有志による、玉石混淆の智の集積場という側面がある事に目をつける者も多かった。
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同人誌即売会がティ連に知れ渡る様になると、自分達も出展してみたいと考える者が出て来るのは当然である。しかし、殆どの同人誌即売会では、出展者の住所が日本国内に限定されている。
勿論、日本に居住していればその条件をクリア出来る為、そういった者達によるエントリーが徐々に見られる様になって来た。学内で日本人学生の協力を得やすい事もあり、特に留学生が多い。
内容はと言えば、母国に関する様々な情報の発信が多かった。無論、こういった情報は、公的機関からもインターネット等を通じて発信しているのだが、同人作品では作者個々による切り口、そして独特の表現が魅力となる。
同人誌として自国の情報を紹介しようという者達は、場に合わせてコミックによる表現を好む者が多かった。
コミックによる情報紹介は非常にわかり易いとして評判となり、ティ連関連の情報誌サークルには長蛇の列が作られるのが常となった。
その効果に目を付けたティ連各国の大使館もまた、企業ブース扱いで自ら出展する様になって行く。丁度その頃、日本人のティ連への観光目的渡航が解禁された事もあり、その紹介を兼ねての事だ。
同人誌即売会という事で、各国大使館のブースによる配布物もまた、コミック形式が多く採用された。
その内容だが、日本の著名な漫画家を本国の取材旅行に招待して、そのレポをコミックで描いてもらうという物が主流である。
作者の顔ぶれは多彩で、少年誌、青年誌、少女誌、レディスコミック、果ては麻雀劇画誌や新聞四コマに至るまで、ありとあらゆるジャンルの人気漫画家が競って集められていた。
当然、それらの漫画家は、直接にオファーのあった広報コミックだけでなく、他の自作においても取材旅行で得た知見を活用する。
その結果、商業コミックに於いてもティ連の取り上げられる機会が格段に増え、日本人一般がティ連への親近感を深めるという好循環へと繋がった。
ティ連各国の大使館が進出した事により、個人によるティ連紹介の同人誌は、よりディープで趣味性の強い物へと進化をとげて行く。
中にはティ連社会の裏事情を紹介する物も多々あり、異星文明が決して完璧な理想社会ではなく、地球と同じ〝人間社会〟なのだと示される事となった。
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さらに二~三年程して、日本に定住するティ連出身者が珍しくなくなった頃には、同人誌の主流である、二次創作を手がける者も現れて来た。ティ連系住民が地球の創作物に親しむ様になれば、そういった動きが出るのも必然である。
そしてやはり、その内容はと言えば、原作では描かれない官能表現を指向する物が多くなった。
セクシュアルな妄想は地球人固有の物ではない。有性生殖する知的生命に共通の、まさに知性の表れである。
そうなると、やはり問題となるのは、日本に於ける表現規制である。人の生命の営みの一部の描写を、何故、禁じようとするのか。
規制の必要性は大いに疑問だが、法は法である。なれば、都合の悪い法は改めれば良いと、彼等の多くは考えた。
正式に日本国籍を取得さえしていれば、決して内政干渉ではなく、そういった主張も市民の政治参加の一環である。
従来から同人愛好家を含めたサブカルチャー界隈は、規制強化の反対を唱えてロビイング活動を行っていたのだが、現状の規制の緩和/撤廃という発想には至っていなかった。
異星からの新たな仲間の指摘に、日本の同人活動家は目から鱗が落ちる思いであった。
そうなると、その様な政治主張を掲げる自分達の代表を政治家として送り出さねばならないのだが、移住したティ連系住民を国政の場に迎えたいという声が各政党から出始めていた為、状況としては好都合だった。
ティ連出身者は、ただそうであるというだけで日本人からは受けが良い事もあり、新人候補者として各党とも欲しい駒なのである。
そして、同人活動をするティ連市民には、国政に加わりたい者も多い。中には官僚としての職歴を持つエリートすらいるので、人材にはこと欠かない。
では、どこから出馬するか。
ティ連系住民は、国防意識の乏しさや、近隣の〝敵性国家〟への迎合姿勢といった点から、ほぼ例外無く左派政党を信用していない。
その為、政権与党たる、保守系の自由保守党が唯一の選択肢だった。
自由保守党の一部は従来、表現規制の推進を強硬に主張していたので、同人活動家には警戒する者も多いのだが、現在は事情が随分と変わった。
サブカルチャー界隈が、票田として認識される様になった為である。
そういった状況を踏まえ、辞職や死去による国会議員の補選の度に、同人活動家はあらゆるコネを駆使して、ティ連系の同志を自由保守党に候補として推挙した。
結果、数名のティ連系同人誌愛好家を、国政の場に送り出す事に成功したのである。
勿論、彼等はただ表現の自由のみを掲げている訳ではない。自由保守党が候補として受け入れるだけあって、揃って行政に明るい人材で、オーバーテクノロジーを活用した自選挙区の振興策や、対ティ連の積極交流を訴えての勝利である。
ちなみに、選挙活動のパフォーマンスとして、ディスカール系候補者のエルフ風コスプレや、カイラス系候補者の〝ぬこのまね〟、イゼイラ系候補者の「私は鳥類ですが、決して〝とりあたま〟ではございません!」という決め台詞等が話題となったのはご愛嬌である。
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めでたく当選したティ連系議員達は、自らを国政に送り込んだ同志の意向に沿い、性的表現規制の緩和/撤廃に動いた。
一部を塗り隠して修正すると言った小手先で〝汚い物〟を隠しても、ティ連には全く通用しない。
見苦しい誤魔化しを続けるより、いっそ完全に規制を撤廃してオープンとした方が良いのではないか。その上で、実写の被写体に対する人権侵害、例えば出演の強要と言った問題には、表現規制以外の法律で対処すれば良い。
まして絵については、誰も直接に傷つけておらず、規制の必要を全く感じない。
ティ連出身者の視点から、刑法175条の不要論を強く訴える彼等だが、法律の改廃は一筋縄ではいかない。
教育畑出身者や警察官僚出身者、宗教団体を支持母体に持つ者等からなる規制推進派からは、強い反発の声が挙がる。
だが、ティ連の目から見て、現状のアダルトコンテンツ規制が奇妙に映るという指摘が国政の場でなされた事は、極めて重く受け止められる事となった。
現状の国政では、良くも悪くも、ティ連市民の反応を意識する議員が多いのである。
結果、刑法175条の運用に際しては、被写体、絵の場合はモデルからの告発がなされた場合にのみ取り締まりの対象とする旨の通達が、警察庁から出されるに至った。
法律の廃止に持ち込めなかったので全面勝利とは言えないが、まずまずの成果と言えよう。
これを受け、アダルト作品の無粋な修正は消失し、異星の同志が大量に加わった同人誌即売会の妄念はますます膨れ上がっている。
次の総選挙では、自由保守党からティ連系候補者がさらに出馬する事が見込まれるのだが、同人活動家だけでなく、コンテンツ産業はこれを全面的に支持する動きだ。
自由保守党による候補選定にあたり、既に議席を得ているティ連系議員が大きく関与して同志を殖やすのは疑いない。
こうして少なからぬティ連出身議員が、表現の自由擁護の為に欠かさぬ存在となったのである……




