第十四回 酒飲みは地球人だけではなかった
ハイクァーン造成は基本的に、構造さえ解ればどの様な物でも作り出す事が出来る。
だが、技術上は可能であっても、法による規制は存在する。
まず、武器類、劇毒物といった危険物は、使用・所持が認められた者しか造成する事が出来ない。ティ連各国家は法治国家なので、これは当然の事だ。
加えて、各国の政策により、独自の規制で造成が禁止・制限されている物もある。
特に、ティ連に加盟して間が無い日本では、従来の社会秩序との兼ね合いから、その様な品目が多いのだが、酒類もその一つである。
従来から酒類は税収を目的として、事業者に対する製造免許制が敷かれ、自家消費用も含めて一般人による製造は禁じられている為だ。
しかし、ティ連からの移住者の間では、日本で酒類が自由に造成出来ない事について、不満や疑問としてしばしば挙げられる様になり始めた。
多くの日本人は当初、ティ連系住民からの不満に対し「何を言っているのか」と呆れていた。
しかし、徐々に問題提起に耳を傾ける者も出始め、酒類のハイクァーン造成自由化の是非は、検討すべき政策課題の一つとして世論を賑わせる様になって行く。
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酒類製造を税収源として規制しているのであれば、日本円とハイクァーン使用権の交換レートが定められたので、造成その物にかかるポイントに酒税分を上乗せすれば済む話である。
そもそも、日本の財務状況は急速に好転しており、酒税の重要性は薄れている。消費税導入時から、酒税の存続は間接税の二重取りではないかという指摘もあった。
酒税撤廃論からの酒類造成解禁は、主に消費者団体から支持された。
既存業者の保護という観点からも、ティ連技術導入に伴うリストラ・廃業は、他の様々な業種で進んでおり、酒類の製造・販売を特別視する訳にはいかない。
ティ連技術導入に伴って発生する失業者の生活保障は、ハイクァーン使用権の付与で行うのが政府方針なので、酒類事業の従事者についても、そうすればいいのである。
既存業者保護の不要論については、既にハイクァーンの影響を被っている他業界から支持された。
また、当の酒類事業者の内、経営難に苦しむ零細業者からも、規制撤廃を支持する声が挙がり始めた。酒類造成禁止による業界保護より、ハイクァーン使用権による廃業への補償の方が有り難いというのである。
酒類を無秩序に流通させれば、アルコール依存症等の健康被害が発生するという懸念も、ティ連医学の導入によって過去の物となってしまった。
アルコール依存症が簡単な処置で完治する様になったのだ。また、体内にナノマシンを常駐させれば、肝臓への負担は軽く、泥酔する事も無い。
健康被害の懸念に関しては、断酒会や、アルコールに起因するDVを受けた家族等からの訴えが大きかったのだが、ティ連医学の成果を受けて、その声も小さくなっていった。
「自分で飲む酒を自分で造って、一体何が悪いのか?」
ティ連系移住者から挙がった声は、ついには国民全般の不満となり始め、ついには与党の内からも、国民の要望を検討すべきという意見が出るに至ったのである。
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世論の盛り上がりに慌てたのは国税庁だ。
国税庁は伝統的に、酒類の製造・販売に関する指導・許認可を所轄している為である。単に酒税を徴収するのみではなく、酒文化の普及・発展に関わる行政指導全般が、彼等の縄張りであった。
国税庁は何とかしてハイクァーンによる酒類造成を阻止すべく、味方を得ようと駆けずりまわった。
彼等に耳を傾けたのは、まず農林水産省である。
ハイクァーン造成によって、農産物のシェアは徐々に奪われつつある。食糧安保の観点から、企業がハイクァーン造成して市販する食糧については、特別間接税を課す事で価格バランスを取っている。
しかし、失業への補償、ティ連系住民との国際結婚による相手側国籍取得といった理由で、ハイクァーン使用権を得る日本人は徐々に増え続けている。よって、このままでは国内での農作物の消費はジリ貧である。
輸出振興によって乗り切るだけでなく、国内で農作物の消費を維持する為には、せめて酒類だけでもハイクァーン造成解禁を阻止して、農作物を原材料として使い続けて欲しいというのが、農林水産省の意向であった。
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また、経済産業省や外務省も、別の思惑から国税庁に同調した。
ティ連技術を導入して以後の日本の貿易収支は、過度の黒字状態が続いていたのである。
まず、ティ連技術によって造られた日本製品は、他国では超高級品として飛ぶ様に売れる。技術規制の範囲内の物であっても、その性能・品質には他国産と圧倒的な差がある為だ。
さらに、日本側は他国から輸入の必要が乏しくなっていた。性能に劣る他国の工業製品を買おうとする消費者はほとんどなく、燃料、食糧、資材といった資源もハイクァーン造成が出来るので、他国から輸入する必要がなくなったのである。
その様な中で、ハイクァーン造成が禁じられている酒類については、ティ連加盟前以上に輸入が好調だった。
貴重な輸入品目を造成解禁で台無しにしてしまっては、他国から何を言われるか解った物ではないというのが、彼等の考えである。
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国内農作物の酒類原料としての消費維持と、酒類輸入の維持。
それぞれの思惑は異なる物の、酒類のハイクァーン造成解禁阻止という目的が合致した事により、関係省庁は国税庁とスクラムを組んで、自省庁と繋がりの深い〝族議員〟を通じ、解禁に傾きつつある政府に再考を促し始めた。
保守系である与党にとり、農村は伝統的に重要な支持基盤である。また外交面でも、日本のティ連技術導入に起因する貿易不均衡を悪化させない為、需要のある酒類の輸入量は維持しておきたい。
酒税の税収よりも、そちらの方がより重要だった。
関係省庁の働きかけもあり、世論に耳を傾け始めていた政府は、一転して酒類のハイクァーン造成禁止の継続を方針として堅持する意向を固めた。
しかし、酒類を特別扱いするなという世論の声は大きくなりつつある。それをどうなだめ、説得力のある理由を持ち出すか。
まず挙げられたのは、食糧安保上の配慮である。少なくとも食糧については、ハイクァーンへの依存を過度に高めるべきではないというのが、従来からの政府方針なのだが、その為には、採算のとれる営農が維持されなくてはならない。
最低でも、酒類の原材料については農作物を使う現状を維持しておけば、万が一ハイクァーンに頼れない事態 ……例えば、造成を妨害する技術的手段による大規模テロ…… が生じても、酒類の原材料を食用に回す事が出来る。
日本に於ける酒類の原料は、米、麦、芋といった主食向きの物が主体だ。勿論、品種が食用とは異なるので食味は宜しくないが、食べられない事は無い。
加えて挙げられたのが、営農の環境保全効果である。少子化による耕作放棄の進行で農村が荒れ、環境が破壊されつつある事が、近年は問題視されていた。酒類のハイクァーン造成解禁となったら、これがますます進行する恐れがある。
これらの理由はもっともなのだが、もう一押しが必要と思われた。特に、世論の発端となった、ティ連系住民に納得してもらう必要がある。定住時に日本国籍を得た者が殆どなので、彼等も有権者だ。
そこで持ち上がった名目が、文化保持だ。酒類の製造は日本の誇る食文化伝統の一翼であり、経済的に活かした形で大切にしたいのだと、政府は主にティ連系住民に対して、方針の意義を訴えた。
発達過程文明の保存という観点から、ティ連系住民に対して、これはかなりの効果があった。
貨幣経済下の税収については今一つピンと来ない彼等も、伝統文化を守りたいという訴えには素直に耳を貸したのである。
また、消費者一般がら挙がっている不満への対応策として、ハイクァーン造成によらない自家消費用の酒類製造を解禁する事とした。
これにより、以前から出回っていた醸造キット(器具については元々、違法ではない)を使って自家製ビールを造ったり、余った米飯を材料にどぶろくを仕込んだりする事は合法化され、庶民の味として堂々と楽しめる様になった。
こうして、酒類のハイクァーン造成解禁を求める世論は、ひとまず収束したのである。
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世論は落ち着いたが、影響は別な処で現れた。
この問題提起を機に、ティ連では日本の酒文化に対して関心が高まり、地方の酒蔵が新たな観光スポットとして注目される様になったのである。
日本酒、焼酎、ウイスキー、ワイン、泡盛といった種類を問わず、酒造りの場を見学し、試飲を楽しむティ連系観光客は大いに増えた。
中には、日本酒の名高い産地である神戸市灘区へ見学に訪れたカイラス人団体客が、近年は町の中まで出没する様になった猪に遭遇して襲われるも、各々が手に持っていた一升瓶で袋叩きにしてしとめ、翌日にぼたん鍋会を催すという珍事も発生した。
ともあれ、ティ連観光客の需要によって、酒類の消費は上向き、間接的に農業維持の下支えにも役立つ事となった。
また、酒税については世論が落ち着いた事で手つかずだったので税収も上がり、国税庁では上層部一同が、危機からの逆転勝利に表情を緩ませていた。
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一方、日本に酒類を輸出している各国も、ティ連から日本を訪れる観光客を重要なターゲットとして見据えていた。
ティ連での地球に対する興味は、日本だけに留まらない。地球の発達過程文明全般が、彼等の興味対象なのである。
しかし、ティ連からの観光客が、日本以外の地球国家を訪れるのは容易ではない。
日本の国籍を取得した定住者であれば問題ないが、観光客の場合は、地球各国と母国が外交関係にない為、便宜上、日本の旅券を取得する必要があるのだ。(但し、サマルカ人が米国を訪れる場合については例外である)
この手続きが面倒で、単独旅行ではまず許可が下りない。
それを踏まえて地球の各国、特にLNIF加盟国は、自国資本を後押しする形で、ティ連から日本を訪れる観光客に対してのPR、そして対日酒類輸出振興を兼ね、日本の各都市に自国風の酒場を次々と展開した。
英国資本のブリティッシュ・パブ、アイルランド資本のアイリッシュ・パブ、ドイツ資本のビアホール、フランス資本のビストロ、台湾資本の熱炒といった具合である。
店の造りやメニューは本場のままで、従業員も自国民で統一するというこだわり様だ。
従来、日本に展開する外国風の飲食店は、日本人向けにアレンジするのが定石だった。
しかし、新たに進出して来たこれらの酒場は、自国のPRを兼ね、ティ連からの観光客をメインターゲットとしている為に、「本場そのまま」を徹底したのである。
狙い通りにこれらの店は、日本以外の地球各国に関心を寄せているティ連市民の観光スポットとなり、大いに賑わった。
また、現地採用アルバイトとして、自国からの日本留学生を多く採用した事もあり、日本に在住する自国出身者の交流場として機能する様になったのも、思わぬ副次効果だった。
さらにメインターゲットではない物の、日本人客も少なからず来店する為に、店の雰囲気は本国とはまた違った、どこの国の人間にとっても異国情緒あふれるカオスな物と化し、新時代の産物として定着する事となる。
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日本の酒類に関心を持ったティ連市民の中には、酒造りに携わりたいとして、酒造会社への就業を希望する者も現れ始めた。
また、酒類の原材料生産を目的とした農業従事も、やはり関心を示す者が少なからずいた。旨い酒の為には、良い原材料が必要という訳だ。
一部の大手メーカーを除き、酒造会社は殆ど地方にある。農村は言うまでも無い。
その為、彼等は過疎対策としても大いに歓迎される事となり、斡旋は順調に進んだ。
酒造会社に就業したティ連系住民が仕事に励むのは、現地ばかりではない。都市圏の酒販店でも、販売イベント等で営業に訪れた彼等の姿を目にする事はしばしばある。
はっぴ姿で買い物客に試飲を勧めるその様子は、彼等が日本の一部としてなじみつつある証と言えるだろう……




