第十回 宇宙の高等遊民《ひまじん》達が、朽ち果てつつある老人の魂に火をつけた
ハイクァーン経済下のティ連では、人々は基本的に働いて生活費を得る必要がない。公職も存在するのだが、基本的に無償ボランティアである。
それでも自らの社会的意義を求め、働きたいという人は多いのだが、殆どの仕事は自動化されている為に職の数自体が少なく、求人公募には優秀な人材が殺到する。
確かに無報酬だが、その分、職を得て社会運営に携わる事が、名誉として扱われている為だ。
そんな訳でティ連市民の大半は、大学相当の高等教育を受けている物の、それを職業として活かす機会に乏しく、持て余した暇を文化活動……平たく言えば趣味に費やして日々を過ごす。
古風な言い方なら「高等遊民」、現代風なら「高学歴ニート」というのが、標準的なティ連市民の姿なのである。
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そういう環境で過ごしていた事から、年々増加しているティ連から日本への移住希望者は、就業や留学と言った明確な目的を持つ者ばかりではない。
単に「発達過程文明に興味がある」「自分捜し」といった様な者も多いのだ。
以前の回でも解説したが、その様な場合「住居」が最大のネックとなる。人間の生活要素である「衣・食・住」の内、最後の物はハイクァーンでは賄えないのだ。
学校や企業、官公庁と言った団体に属するならば、寮や社宅という形で住居が提供、あるいは斡旋されるので問題ない。
だが、職や学業に拘束されない形で、日本での見聞を広めたいという者が当面の住まいを見つけるのは、貨幣経済下の日本では困難な事だった。
軽い気持ちで日本に来た者達は現実を思い知らされる事となり、多くは短期間 ~せいぜい一ヶ月以内~ の観光で満足して帰国を選ぶ事となる。
だが、そうではない者もいて、中にはあまり宜しくない方法で宿を確保するケースが散見され、社会問題となり始めた。
例えば、公園のベンチや路地裏で野宿する者。
空き地で、簡易住居をゼルクォート形成して夜を過ごす者。
宿泊と引き換えに、通りで声を掛けて来た相手と同衾する者。
働かずに日本で出来るだけ長く過ごそうという、斜め上の方向でたくましい彼等に、日本の治安当局は頭を痛めていた。
ティ連市民にはハイクァーン受給権があるので、生活費欲しさに犯罪に手を染めたケースは確認されていない。だが、将来もそうであるという保証は全く無かった。
また、生業を持たずに巷をふらつく一部ティ連市民の存在は、日本人から決して良く思われていない。
入国目的が明確でないティ連市民について、長期滞在の制限も検討されたが、ティ連加盟国間では往来の自由が原則である。その点は、地球のEUと同様だ。
日本人の他加盟国への出国は、日本政府の方針によって制限が加えられているのだが、その措置の長期化もティ連からは懸念されていた。あくまで過渡期の暫定措置なのである。
まして、いったん開放したティ連側からの日本往来自由化の門を、再び狭めるというのは考えられない事だった。
よって、日本に「居候」したいティ連市民の居所をどうするのかが、政府の新たな課題となった。
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丁度、ハイクァーン受給権と日本円の交換ルールが整備された事もあり、日本で定職を持たないティ連市民の、住居費の負担能力については問題が解決した。
では、何処に住まわせるのか。
行政からは、地方の過疎地へ住んでもらおうという声もあったのだが、彼等自身は、利便性の高い都市、もしくはその近郊への居住を希望する者が多い。
ティ連では転送技術がある為、住居の立地に拘らない者が多いのだが、日本では現状、その利用が厳しく制限されている。そうなると、交通が発達した都市圏に居住の希望が集中するのは当然である。
しかしながら、土地価格の高い都市圏では住居費がかさむので、なるべくなら廉価に済ませたい。
そこで浮上したのが、公営住宅群、いわゆる「団地」「ニュータウン」の内、高度成長期に整備された物の老朽化が進んでいる処への入居斡旋である。
こういった公営住宅では、建設時期によって入居世代が特定層に固まっている事もあり、家賃は安い物の、入居率の低下と住民の高齢化が問題となっていた。
行く当てがない老人達には退去を求めにくい為、建て替えもままならず、新たな住民も入ってこない。
結果、都市近郊にも関わらずゴーストタウン化が進み、身寄りのない入居者の孤独死も大きな問題となっていた。
ここにティ連から来た無業者達を住まわせて、何とか活性化を図ろうというのである。
試行として某ニュータウンが選ばれ、日本に入国後、居所を定めずに半年以上帰国していない者を中心に、入居の勧誘が行われた。
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都市近郊としては破格の家賃という事で、入居希望者は順調に集まったのだが、公営住宅へ見学に訪れた彼等は、その光景を目の当たりにし、一様に衝撃を受けた。
道路のアスファルトはあちこちが窪み、何年も補修された様子がない。
人通りは乏しく、駐車場はある物の、あまり車は駐められていない。あっても、年式の古そうな軽自動車が目立つ。自転車置き場には、やはり古びて整備状態の悪い自転車や原付が並んでいる。
すすけてヒビが入り、スプレーで落書きもあるコンクリートの壁面は、耐震性に不安を感じさせた。
四~五階建てにも関わらず、エレベーターも設置されていない。足腰の弱った高齢入居者達は、階段を毎日苦労して昇り降りするのだ。
広場には子供達の為、ブランコやジャングルジム、シーソーといった遊具も設置されているが、どれも塗装が剥がれ落ちて赤錆にまみれ、使う者がいないままに放置されている。使うべき幼子は、ここには殆どいないのである。
日本の高度成長を支えた労働者達の内には、老いて引退した後、この様な淋しい街で孤独に人生を終える者が少なからずいるのだ。
この厳しい現実、いわば発達過程文明の負の側面に「ヤルマルティアに行けば、なんか面白れー事あるかなー」等と、お気楽な気持ちで日本にやって来た、ティ連の高等遊民達はすっかり打ちのめされてしまった。
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安い住居費に惹かれて来たティ連の高学歴ニート達だが、自分達だけでなく既存住民の為にも、環境の改善を決意した。
ハイクァーン造成なら住民に退去を求める事なく、老朽化した施設の近代化改修が可能なのだ。
彼等の中にいた、建設工学や都市工学を学んだ者が中心となり、改修案を作成。公営住宅を管理する公団に協議を申し入れ、既存住民へ負担を掛けない形での改築を出来ないかと申し入れた。
思いがけない申し入れに公団側は戸惑ったが、自分達の所持するハイクァーン受給権から寄付しても良いという熱意を受け、自治体や関係省庁とも連携して計画は推進される事になった。
既存住民達への説明も、高学歴ニート達がボランティアとして、一軒ずつ回って丁寧に行った。
家賃はそのままで、建物の利便性は向上。家具等の荷物を搬出する必要もなく、半日程の間外出していれば工事は完了するという話を受け、既存住民達の承諾獲得は順調に進んだ。
当初は難航するかと思われていたが、家賃はそのままで転居の必要も無いというのが大きかった。老人達もまた、このままではどうにもならない事が解っていたのである。
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ハイクァーンによる改築は毎日二~三棟づつのペースで進められていき、三ヶ月足らずで完成に至った。
建物の形状は殆ど変わっていないが、その機能は大幅に向上した。
耐震性は当然の事として、水爆の直撃にすら耐える強靱な構造。
外部からの不審者をチェックし犯罪を未然に防ぐ、萌えキャラ型アンドロイド警備員。
エレベーターは外付けとなったが、従来の主流であるロープ式や油圧式ではなく、反重力によって上下する。
各部屋を隔てる壁も防音性が徹底し、室内で殺人的な大音響を出しても、隣室には一切響かない。
そして、ネズミやGといった有害な生物の侵入を阻み、万が一紛れ込んでも直ちに殺処分・分解する常駐マイクロマシン(当然、ペット類は選別する)。
老朽化していた施設は、ティ連科学によって生まれ変わったのだ。
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改築の終わった棟から順次、空き室にティ連からの新住民が入居していき、ニュータウンは最盛期の人口を取り戻していく。
彼等は新たな住環境の維持・改善に気を配り、自治会の役員や地域ボランティアといった役務を積極的に引き受けた。
従来の住民達は当初こそ戸惑った物の、友好的かつ献身的な異星人達と徐々に馴染んでいく。
丁度その頃、日本へのティ連医学の導入が始まった。老人達は最新の医療処置によって健康な体を取り戻し、快適となった住環境と合わせ、第二の人生を謳歌する気力がみなぎり始めた。
彼等の中には若かりし頃に親しんでいた当時の若者文化を思い出し、再び取り組み始める者がいた。
その中でも目立つのが軽音楽、特にロックンロールである。
サイケデリック、プログレといった1960~70年代前半のサウンドを、昔取った杵柄で奏でる爺婆達。
服装もまた、かつての新宿にたむろしていたフーテン風や、ツイッギー・スタイル、ベルボトムといった懐かしの物だ。
はっちゃけた爺婆達は、連日の様にゴーゴー・パーティーで踊り狂う。
より洗練された2010年代の軽音楽からは失われた、荒々しく毒々しい熱狂。その有様は、決して高齢者の残り火では無い。第二の生命その物だ。
ティ連からの新住人達も、老人達の暴走にすっかり感化され、その輪へ積極的に加わっていった。彼等は、興味を持てる対象を捜して日本へとやって来た訳だが、まさしくこれが、求める物だったのだ。
このニュータウンは、オールド・スタイルのロックのリバイバル発信地として注目される事になり、その影響力は、ティ連各国へも及んで行く事となった。
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ティ連から来日した、無職の長期滞在希望者への住居提供と、高齢化したニュータウンの再生を兼ねた試行ケースは、妙な方向へと進んだ物の、良好な結果となった。
老人達は活力を得て、ティ連の高学歴ニート達も地域の維持発展や文化活動に取り組む様になっている。
政府はこの結果を受け、全国の主要都市及びその近郊にある、高齢化したニュータウンへ、ティ連からの入居者を積極的に誘致する事とした。
試行ケースはオールド・ロック復活の拠点となったが、新たに再生したニュータウンもまた、それぞれに昔の若者文化、特にカウンター・カルチャーと分類されていた物が蘇りつつある。
フォーク、ロカビリー、グループ・サウンズ、フリー・ジャズといった音楽から、ヌーヴェルヴァーグやアメリカン・ニューシネマ等の映画、そしてアングラ劇に至るまで。
老人達は若かりし頃に夢中になっていた物を掘り起こし、ティ連からの住人はそれを宇宙へと紹介・発信していく。
前回に紹介した学生街は、新しき文化が融合する街として勃興した。それに対しニュータウンは、古き文化を再生する街として蘇ったのである。
そこに生きる老人達は、宇宙からの若き友と手を携えて、生涯の最後まで光り輝くだろう……




