第一回 温泉でエイリアン
近年、経済振興策の一環として、日本は海外からの観光誘致に熱心だった。
長引くデフレの影響により先進国の中でも物価が安い事もあり、日本は近隣のアジア諸国、特に中共・韓国からの来訪者が増えつつあった。
だが、ヤルバーン来訪をきっかけとし、その状況は一変してしまった。
まず、尖閣諸島を巡る、中共との武力衝突。ティ連の圧倒的なテクノロジーにより、無血での排除には成功した物の、日中関係は冷却化し、観光客の往来も先細ってしまう。
また韓国も竹島問題の存在により、米国を中心として発足した、親ティ連国家の連合体である「LNIF」への加盟を拒否されてしまう。
事実上の西側陣営の発展拡大であるLNIFからはじき出された韓国は、国家存亡をかけ、中露が主体となって結成した対抗陣営である「CJSCA」への加盟を選択した。
結果、日本と結ばれていた、短期滞在ビザ免除の協定は終了する事となり、観光目的での日韓の往来は、従来よりも難しくなったのである。
不採算により、博多・対馬と釜山を結ぶフェリー航路は廃止され、空路もまた、主に日本の地方空港から発着していた韓国便は半減した。
もはや、日本は非友好的な隣国の顔色をうかがう必要はない。竹島も、あまりごねる様なら、いつでも無血で回収出来る。そう思う日本人も多かったのだが……
中韓から訪れる顧客の大半を失った観光業界としては、凄まじい大打撃なのである。
確かに、LNIF陣営の諸国からは、日本への観光が急増した。ティ連文明を直に見聞するには、日本経由でヤルバーンを訪れる他ないからである。
だが、彼等の興味はあくまでティ連文明だ。日本は経由地という認識の為、国内の観光業界で潤うのは、ヤルバーンに隣接する神奈川県、及びその周辺地域のみとなってしまっている。
では国内の観光客はと言えば、これもまたヤルバーンに興味が集中してしまっているのだ。
通天閣もUSJも、北海道の大自然も、四国の八十八カ所霊場も、あるいは京都や奈良の伝統ある神社仏閣すら、ヤルバーンの前には全くかすんでしまう。
こうなると地方の観光業界にとっては、全くのお手上げだった。
元々、ティ連の影響による国内産業の激変を予期していた日本政府は、地方の観光業界からあがった悲鳴に対応すべく動き始めた。
即ち、ティ連の一般市民を対象とした観光誘致である。
* * *
一方のティ連。
日本がティ連に加盟した事により、公用ではない一般人も、観光等の目的で渡航が可能になった。日本側も、大いに歓迎するとの広報を行っている。
それを聞き、多くのティ連市民は、発達過程文明国家・日本への興味を募らせていた。
勿論、当初は客船の便数も少ないので、渡航できる人数も限られているのだが、それでも月に数万のティ連人観光客が日本を訪れたのである。
彼等の興味は多岐に渡っていたが、ヤルバーン周辺の宿泊施設がほぼ満杯と知ると、閑古鳥が鳴いている地方へと向かっていった。
彼等は、首都圏ほどには変容していない、日本の発達過程文明を大いに楽しんだ。
日本の報道で紹介された例をあげると、次の様な物がある。
十勝でジョッキに注がれたワインを煽りながら、ばんえい競馬のレースに嬌声をあげるイゼイラ人。
西成の屋台で合成酒に酔いしれ、日雇い労働者達と軍歌を熱唱するサムゼイラ人。
原発の見学がてら、美浜海岸で海水浴や釣りにいそしむパーミラ人。
富士の樹海で、発見した自殺者の蘇生に成功したディスカール人。
酒蔵巡りに訪れた神戸で、出没した猪を討ち取り鍋にしたカイラス人。
彼等のエンジョイする様子はティ連のネットワークでも流れ、大いに評判を呼び、さらなる観光客が日本へ訪れる事となる。
虫の息だった観光地の多くも、新たな顧客を獲得して再生への道を歩み始めたのだが、既に手遅れとなりかけていた処も少なからずあった。
その代表格が温泉地である。
* * *
古来から、日本人は入浴好きで知られ、温泉は長らく国内観光の花形だった。
だが、バブルが崩壊して以後の観光客の激減、過疎による後継者難、過剰投資による負債等により、倒産・廃業に追いやられて行く。
温泉宿泊施設は抵当として差し押さえられていくのだが、営業再開のあてもなく、ただ債権者の帳簿上の資産として塩漬けにされていた。
廃墟と化した宿泊施設は徐々に増え、周囲の景観を悪化させる要因となり、さらに客足は遠のいていく。
結果、二十一世紀に入る頃には、多くの温泉地がゴーストタウンと化してしまった。
そこに目を付けたのが、LNIF加盟国、特にEUの資本家達である。
ティ連の出島である日本には何とか足場を造りたいが、厳格な技術規制により、ハイテク産業への参画は難しい。
ティ連技術を使用した工業製品が欲しければ、日本から、もしくはサマルカより技術を供与されている米国から、言い値の高額で輸入する他ないのが現状である。
しかも、回路のブラックボックス化で解析が極めて困難かつ、本来の物よりも機能をかなり落とされた輸出用モンキーモデルだ。CJSCA陣営は、それすら入手が許されないのだが。
ならば、サービス業はどうか。
増え続けるティ連観光客の受け皿として、新たな宿泊施設の需要は間違いない。
既存業者との競合が生じ、土地の確保も難しい首都圏ではなく、地方で放棄された既存の観光施設を再生するのであれば、地元の同意も得られ、かつ安上がりなローリスク・ハイリターンの投資であると踏んだのである。
加えて、ティ連側の心証を、多少なりとも向上させる効果があるだろうと、支援する各国の外交筋からは期待された。
資本家達は合同でファンドを編成し、日本各地にある、廃墟となった温泉宿泊施設の所有権を調べて片っ端から買いたたいた。
流石に、神奈川県内の各温泉地や、隣接する静岡の熱海については、ヤルバーン需要により日本の国内資本の手で再開発の手が進んでいたのだが、その他の地域は全くの手つかずだった。
現所有者にとっては始末に困っていた不良資産であり、買収はスムーズである。所有者の中には任侠系のフロント企業と思われる物もあったが、彼等とて商売だ。大抵は金で片がつく。
次に、施設のリフォームや立て替えの計画を急ピッチで進めていったのだが、そこで思わぬ障害が発生した。
従業員を募集しても、殆ど来ないのである。
寂れた温泉地では予想以上に過疎化が進み、地元自治体の維持すら危ぶまれている処も少なくない。
残る住民も温泉地の復興には懐疑的であり、現状を良く解っていない外人が参入したところで、すぐに行き詰まるだろうと考えていたのである。
やむなく、ファンドは日本全国に広げて求人をかけたのだが、一転して大量の応募に恵まれる事となった。
何と、その殆ど全てが、ティ連からの応募である。
ハイクァーン制度によって衣食住が保証されていて、基本的に働く必要がない彼等が何故応募してきたのかとファンドは訝しむのだが、面接で動機を聞いて納得した。
まず、ティ連市民が職を求めるのは、社会での役割を得て承認欲求を満たす為である。宿泊業は公共性が高く、彼等の希望にマッチングしていたのだ。
また、日本にティ連市民が移住する場合、元の国籍を保ってさえいればハイクァーン支給は引き続き受けられるが、「衣」「食」はともかく、日本での「住」はそれでは賄えない。
しかし、決して広いとは言えないヤルバーンに居住権を得られるのは、公用で赴任したエリートか、招請された者、及びその家族だけである。
その他の者は、自ら日本国内での賃貸物件を探す事になるが、入居するには日本円の収入が必要な為、職に就いて現金収入を得る必要がある。そこで、寮つきの職は丁度良いという訳だ。
募集人数に対して倍率はかなりにのぼり、地球のホテルマンに該当する様な前歴を持つ者も多くいた為、ファンド側は選び放題だった。
僅かながらも採用出来た日本人の業歴者を指導員として、異星の新人達は、徹底的に日本の温泉の何たるかを仕込まれていく。
こうして各温泉地はリニューアルオープンする事となり、地球と往来する就航便が倍増した事と相まって、ティ連からは続々と観光客が詰めかけた。
* * *
数年後。
ヤルバーンへの観光ブームは、日本国内でティ連技術の産物が浸透しつつあり、また、ティ連各国への観光が容易になった事もあって、日本人の間ではひとまず一段落した。
結果、日帰りや一泊で行ける手近な場所として、国内観光地が見直される様になった。
復興成った温泉地も然りなのだが、徐々に戻り始めた国内観光客が見た物は、彼等の記憶にあるそれとは異質な物となっていた。
出迎えて来る和装の従業員も、客の大半も、ほぼ全てが異星人だ。責任者クラスと思しき者のみが、何故か地球の白人である。
一方、建物や設備、出される料理、そして肝心の温泉。これらは全て、かつて以上に「和風」を強調した物で占められている。
接客も完璧過ぎる程に、かつての日本の温泉そのままだ。
当初は面食らった日本人客達も、「これはこれで」と、馴染むのは案外と早かった。この頃には、日本はティ連の一員であるという意識が広まりつつあった事が大きい。
こうして、海外資本の元、異星人従業員によって支えられるこれらの温泉地は、日本の新時代を象徴する物の一つとして、長く親しまれる様になったのである……