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あらしのなかで

作者: 藤村綾

 すこしだけ、ぶるっと身震いをし、それから、テーブルの下に足をのばし、ソファーにもたれた。

 ぼうっと天気予報を見ているけれど、昨日、眼鏡を踏んでしまい ーお尻で踏んづけたー  天気予報のおねいさんの表情はちっとも読み取れない。声は鮮明に、うたうように耳に届く。なおちゃんのメガネをかけてみたが、ちっとも役立たずだった。

【これから〇〇県を時速何キロの速度で〜、】

  おもては雨嵐。雨戸が閉まっているので、光は完全に遮断され、昼の3時にもかかわらず、電気を灯している。

 天気予報のおねいさんによれば、これからが本番らしい。

 本番って、あたしはケラケラと笑った。なおちゃんは真顔である。

 雨戸を閉めていても、おもての荒れた天候は容易に想像できる。雨戸に打ちつける雨と風の奏でる旋律。 

 わくわく、とは少し違うような気がするけれど、雨ならおもてに出ないとならないという使命感を阻害され意図的にうちの中にいてゴロゴロと多いなくできる。

 けれど。

 天気の悪い日が好き。そうゆったら、なおちゃんに叱られた。

「あのさ、洗濯物がね、ちっとも乾かないから」

 洗濯物の話しなの? あたしは、頬杖をつき、なおちゃんを下からにらんだ。

「あたしがね、コインランドリー行ってきたでしょ。昨日」

 ぶっきらぼう。たぶん、あたしの顔は今、ものすごくブサイクであるのは間違いない。

  土日休み。

 土日とも珍しくうちにいる。日曜日の昼下がり。天候もおそろしいほど悪いが、居心地もそのさらに倍ほど悪い。

「だけど、また洗濯物でたから。ゆってみただけ」

 言わなくてもいいと思うよ。喧嘩うってんの。

 あたしは、見えない舌をだし、ソファーでさらにうなだれている。

 なおちゃんがあたしの背後に回り、ソファーに横になった。

 後ろになおちゃんがいる。

 なんだろう。

 毎日一緒に寝ているのに、こんな中途半端な時間に男と女が。それも、おもてはすごいこと天候が最悪。

 もし、付き合いはじめの初々しい2人ならば、嵐の中抱き合うと思う。しかし残念なことにあたしたちは初々しいくはない。むしろ、老夫婦みたいである。

「なおちゃん、」

あたしは、すこしだけ居住まいを正し問いかけた。

「なに」

 あっ、あたしは、遠慮がちに声をあげた。耳元で、なに、なに、とわざとらしく息を吹きかけるよう応えたのだから。

 あたしは、首をすくめた。

  風がゴーゴーと音をたて、雨戸をノックする。そのたびになおちゃんは、おいでなさったな、いらっしゃい、などと、律儀に嵐(台風)に挨拶を交わしている。

「いらっしゃいなんて、お友達なの?」

 視線はテレビにあるけれど、そのまま口を開いた。

 さらに、風がごうごうと鳴り、雨戸をコンコンとノックをする。

「おう、きた、きた」

 台風はもっとも接近中でさら上空で暴れている。

「そう友達になったんだ」

 せせら笑いを浮かべているのがわかる。なおちゃんはおうような言い方できちんと応えてくれる。あたしの首に腕を回す。言葉などはひとつもない。あたたかい、温もりが。あたしの凍りついた心の中をゆっくりと溶かしてゆく。溶けてゆく氷はエレべーターのように目頭に上がってきて、瞼の中に上手い具合にとどまっている。

「なにか、言いかけなかった?」

 ううん。あたしは、首を横に振った。毎夜されていることなのに、ドキドキする。あたしだけにこんなにドキドキさせて。なおちゃんのことが好きすぎてしまい、どうし接してよいのかよくわからないのだ。

「ねむいな」

 雨だし、テレビもつまらない。あたしとなおちゃんは、下着だけになってお布団に滑り込んだ。こんな時間からお昼寝なんて。あたしは、クスクスと笑った。なおちゃんも、そうだね。クスクス。同じように笑う。お布団から同じ匂いがする。あたしとなおちゃんの境界線がお布団に入ると無くなってしまう。あたしは、なおちゃんの身体に腕を回す。そうしてなおちゃんはあたしの髪の毛を撫ぜる。よしよし、とは言わないが、いつもその声が、優しい声が身体を通して聞こえてくる。

 このまま、ずっと、台風で、このまま時間が止まって、このまま、あたし、死んでもいい。とさえ思う。


【チン】

 一昨日。なおちゃんが帰宅してシャワーを浴びているとき、なおちゃんのスマホにメールが届いた。きっといとうくんからだ。あたしはなんともなしに、なおちゃんのスマホを見てしまった。あたしは身体中の中から震えがこみ上げ、なおちゃんのスマホを床に落としてしまった。

《今日はありがとうございます。一緒に仕事が出来て光栄です。部長、今度飲みにいきましょうね。佐々木由美香》

 佐々木由美香という女からのメールだった。由美香という女は一体なにをありがとうと言っているのか、はたまた、一緒に仕事ってなに?なおちゃんの職場は男ばっかとゆっていた。そうして、トドメはこうだ。呑みの誘い。女から酒に誘うということがどういう意なのかなんて頭の悪いあたしにだってわかる。けれど、いちばんの腑に落ちなかったことは、なおちゃんの携帯番号を知ってるという事実だ。由美香はキャリアウーマンなのだろうか。なおちゃんは、品質管理や部下の管理、図面のチエックなどの事務を主にしており(たまに現場に出る)女性との接触の場などはないはずだ。

 出張先で出会ったのだろうか。由美香はたちまちあたし中で美人でおっぱいの大きく背の高い華奢で豪奢な女性に建設されていった。

 それからもやっぱり気になって、なおちゃんが寝たのを見計らって、スマホの指紋認証を試みつつ、案の定成功し、メールをチエックした。しかし、なおちゃんは由美香に返信していなかった。けれど、由美香はそれから3度なおちゃんにメールを送っている。

《部長ってバツイチなんですよね。私もなんですよ。さみしいなぁって。私は子どもはいません。優雅な一人暮らしですよwww》

《お疲れさまです。由美香です。おやw 返事がないですね。1度連絡を下さいねwww》


 あたしは全く腹が立たなかった。けれど、一体メールの文中に時々登場をする《w》ダブルの小文字ってなんだろう。気になって仕方なかった。あと、どうして由美香がこんなにもメールをよこしているのに、なおちゃんはメールの返事をしないのだろうか。

 ふと、出会ったころを思い出す。

『どーしてなおちゃんってなかなかメールをくれないの』

 付き合いだしたころ、なおちゃんはあまりにもメールをおこなわないのであたしは憮然とした顔で注意をした。

『あ、ごめん、ごめん、苦手なんだよ』

 頭を掻きながらそういい、それでも不器用ながらもメールを返してくれた。由美香に対しても面倒臭いのだろうか。

 んー。あたしは、なんとうなく勝手に由美香にメールを打った。

《やぶんにすみません。用事はなんですか?》

 勝手にメールを見たことは至極悪いと思っている。しかし、なぜだか、由美香にメールすることは、善人の心だと思ってしまった。

 なおちゃんのいびきを確認しつつ、あたしは由美香からの返事を待った。

【チン】

え? 

 たった3分ほどして返信がきた。早速文字を追った。

《わああ、メールくれたのですね。ありがとうございます。用事ってほどではないのですが。部長さんがイケメンだったので誘ってみただけですwww けれど、もうメールはやめますね。しつこくてごめんなさいね。本音は焦っているです。女である前に彼氏が欲しいとかってね。けれど、誰でもいいとか、……》


 メールはやけに長文で目で文字を追うことに辟易したあたしは、由美香とのメールのやり取り部分だけ削除し、由美香のメールを着信拒否をした。そういうことに疎いなおちゃん。あたしはどっちかと言えばスッキリした。由美香あばよ。なおちゃんは本当はどうしたかったのだろう。返事するつもりだったのかな。あの暗号の《w》ってなんだろう。

 


 瞼が重い。雨の音。風の音がだんだんと遠のいてゆく。あたしとなおちゃんは、そのままだいぶ寝てしまった。誰も邪魔をするものがなかったから。

 

 がさがさ、バタン、バタン、

 生活音があたしの耳に入ってきて、ハッと、起き上がった。え!朝! お布団から飛び出てみると、なおちゃんが、台所で何かを作っている。

「もうね、台風は行ったよ。お先にーって。いいながら」

「そう」

 なおちゃんはジャージにメガネという無防備な出で立ちで、今さっき、コンビニ行って、パスタ買ってきたんだよ、で、茹でてるの。箸で鍋をつつきながら、そう付け足す。

「ナポレオンだよ」

「そう」

 ナポリタンじゃないの。なおちゃん。言いなおすべきか、悩んだけれどなおちゃんの中では「ナポレオン」が「ナポリタン」なのだ。ちなみに「ミートスパゲッティ」は「トマトスパゲッティ」という。石川県ではそういうんだよ。そう。なおちゃんは能登で育った。たまに故郷のことを話してくれる。あたしは、嬉々としながら耳を傾ける。

「できた」

 いい匂いがする。懐かしい喫茶店の匂い。粉チーズあるといいのに。ないけど。

「おいしいね」

「おいしいね」

 言葉少なめのおとなしめなあたしとなおちゃんはとても似ている。おとなしいね。カズヨさんも3回に1度はそういう。ふーちゃんはおとなしいね。おとなしい。褒め言葉ではない。裏をかえしたら、根暗、あるいは、孤独。おとなしいね、は、ていのよい褒め言葉。

「あのね」フォークでクルクルっと赤く染まったスパゲッティを巻きながら、あのね、と、喋ってみる。

「なに?」

「あのね」

「うん」

「えっとぉ」クルクルとうまく巻き付いたスパゲッティを口に運んで、味わったあと、飲み込んでから、一息吸って、続けた。

「よくね、メールとかで最後に《w》って書いてあるでしょ?あれってなにか知ってるぅ?」

 るぅ?なんていいながら、あたしかわいいな、と、思ってみる。

 なおちゃんは、寡黙に手だけ動かしている。

「ん?」

 視線が絡み合う。だから、ね、知ってる? なおちゃんは、首を横に振った。知らないよ。なにそれ。

「だよね」

 知っている訳などないと思った。動揺も見られない。

 あたしとなおちゃんは結構な量を食べた。お腹が膨らむ。満腹だよ、なおちゃんは、太田胃散を飲んだ。

「お風呂入りたいな」

「うん。入れるよ。入ろう。一緒に」

 あたしは、頷く。

 長い長い週末だった。まるまる2日一緒にいて喋った言葉はきっと100文字くらい。歩くよりも少ない。

 一緒にいることがあたりまえで、離れることがあたりまえでなくなるとき。

 月曜日が嫌いだ。

 由美香はどうしているのかしら。ぼんやりと、考える。由美香はメールの中でとても饒舌だった。

「おいでー」

 バスタブにお湯が溜まったようだ。あたしはきっと頭から湯をかけられ、わしゃわしゃとシャンプーをされ、身体をさらっと洗われ、湯に浸からされ、上がってバスタオルでまたわしゃわしゃと吹かれ、ドライヤーで髪の毛を乾かせられ、寝かされる。

 一連の流れをもう何度行ったのだろう。その間まったく言葉はない。湯気のなか、たまになおちゃんはあたしの耳を噛んだりする。

「やだ」

 ちっとも嫌ではない声。

 明日はパート早めにいこ。さっき天気予報のおねいさんが、

【明日はおおよそ晴れるでしょう】

 と、なんだかあいまいなことをゆっていた。由美香をまた思い出した。おねいさんが由美香とダブった。

「なおちゃん、」

 なおちゃんを呼んでみる。

 ドライヤーの音にもみ消されたその甘い声音はないものになり、なおちゃんは汗をかきながらもあたしの髪の毛を乾かしている。長いなぁ、長いなぁ、と、ひとりごちながら。

 なおちゃんの胸板をうっとりと見つめている。

 そのまえにメガネを買いに行こうと思う。赤縁の。メガネを。さっき天気予報のおねいさんがかけていたような赤縁のメガネを。


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