疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ。
私この有名な台詞を聴いてないような気もするんですが、なぜか存在は知ってます。
まあパロディとかでいろいろ使われてますから、
その元ネタとして知ってるんだろうなぁと。
この言葉は、それこそいろいろな作品に出てますが、
私の希死念慮の根底にあるような気が気がしないでもない。
ただ私の敬愛する漫画家さんが、自分の作品を出したとき、
否定しかつ長生きして天に召される風体にしてたので、こりゃこのままおっちねないな、
と思ったんですけど、希死念慮のやっかいなのは、「ふと」だったりするので、
とりあえず私個人の場合はね、なのでそうなったとき、私の中の、そうですねえ、
Aが希死念慮バリバリ持ってるとするなら、とたんに「それ行け!」と、
私の頭の中のBCDFその他が(ここはあえて人格とは呼ばないようにしますが)、
興味が少しでもある事柄をあれこれ引っ張り出して、
そのたび生きるベクトルに方向転換してるんですよね。
じゃあ本当に死にたいのか?って言ったら・・・厳しい条件をクリアできたときにのみ、
有効になる私の希死念慮かなぁ、と。
私が死んでも何も困る人がいないのは重々わかってるので、それは夫もそうだと思うよ、
仕方ないことだけど。
だけどやっぱり死んでなかったことにはしたくはない。
私はもう子供も産めることはないだろうし、抗うつ病とか睡眠導入剤とか服用してるし。
数年前は子供ほしかったけど結局できなかったし、さっきも言ったけど、
私の残りのいのちが有効活用できるんだったら、そりゃもう逝ってきます!になり得るわけです。
すいません、今も希死念慮がおいでおいでしてるので、ただ死ぬのはしゃくだから、
もう少し、私のいのちの有効活用ができる時代が来るまで、生きながらえてみます。
それより先に、どうぞ有効活用できる機械とか、安楽死を認めてくれー!
生きがいがあればそれもいいけどね、なにせどこに相談してみればいいのかわからないし、
福祉課とかそんなとこに企画(!?)持ち込んでも門前払いが関の山でしょう、
実際今まで何回か相談したけどダメだし。
なにせ書くことはできてもしゃべるとこができないから却下だし。
このまま生きさらばえていくよりは、
っていうことを考えるよりは実現可能なような気がするんだけど?
初めまして、読んでくださってありがとうございます。
好意的なご意見も、否定的なご意見も持たれやすいですが、
それでも読んだぜえええええ!!!とひとこと、お願いいたします。




