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猫サーカス

作者: 藤村ひろと

 

 駅からまっすぐ西に伸びる大通り。


 陽が落ちる頃になると、通りの角々にストリートミュージシャンや大道芸人が集まってくる。


 この町へ越してきてからこっち、彼らのパフォーマンスを見るのが、仕事帰りのまゆの楽しみのひとつになっていた。呑み助があちこちの酒場で知り合いを作るように、まゆも色んな芸人やミュージシャンと知り合いになった。


 いつもの巡回コースで見てまわっていると、彼らの中ではいちばんの古株であるストリートミュージシャンが、いつもの場所から10メータほど離れてギターをかき鳴らしている。



「あれ? バンダナさん、今日はこっちなの?」



 まゆの質問に複雑な表情をすると、彼はいつものように、ぼそぼそとささやくような声で答えながらうなずいた。あだ名の由来である千鳥格子のバンダナが、その動きに合わせて揺れる。



「今日は15日だから」


「15日だと、ここをあけておくの? 誰かが来るの?」


「いや、来ないけどあけておく。15日は爺さんの日だから 」



 どうにも要領を得ない。


 まゆはちょっと焦れてきて、バンダナの顔を覗き込むようにしながら、質問を続ける。



「おじいさん? だれ? 何をやる人? どうして来ないの?」



 バンダナは困ったような顔をする。


 もともと寡黙で人見知りの激しい男なのだ。まゆがここまで会話できるようになるまでだって、ゆうに2週間はかかっている。


 答えを聞くまではきっと、ずっとこうして質問してくるのだろうなぁと半分諦めて、バンダナはひとことだけ答えた。



「猫サーカスの爺さん 」


「猫サーカス? へえ、見てみたいなぁ……ねえ、そのおじいさんはいつ来るの?」


「だから、来ないんだ………死んじゃったから」



 それだけ言うとバンダナは、ギターを弾きながら歌い始めた。


 まゆは諦めて、彼の切ないブルースに聞き入ることにする。


 それが丁度 、三ヶ月前のことだ。


 


 電車を降りていつものコースを半分ほど来てから、今日はバンダナがいないんだという事を思い出す。どうしても取りたいチケットがあるとか何とか言っていたのを、今の今まで失念していたのだ。


 残念だなぁと思いつつ、まゆは家路を急ぐ。


 と。


 バンダナの指定席に、ひとりの老人が座っていた。


 一瞬ぎくっとして足を止めたまゆは、老人のそばで機嫌よくのどを鳴らしているまっしろな猫を見て、バンダナの言葉を思い出した。


 アレが猫サーカスのおじいさん? ……あれ? でも確か、死んだはずじゃなかった? え? え? どういうこと?


 頭の中にたくさんの疑問符を浮かべながら、まゆは恐る恐るその老人に近づいてゆく。彼女に気づいた老人は、顔を上げてにっこりと人なつっこい笑みを浮かべた。


 その笑顔の邪気のなさに、まゆは安心して歩調を速めた。



「こんばんはっ!」


「おぉ、こんばんは。元気なお嬢さんだ。わしが怖くないのかね?」


「怖くないですよ。おじいさんのことはバンダナさんから聞いていますから。バンダナさん、爺さんの日だって言って、いつも15日になるとここを空けて向こうの角で歌ってるんです」



 話を聞いた老人は、くすぐったそうに目を細める。



「ああ、わしはもう歳だからね。昔はここが私の指定席で、毎晩ここでサーカスを見せていたものさ。でも、この歳になると夜のあいだずっと街頭に立って芸をやるのは凄くつらいんだよ。特に冬はね。それで毎月15日だけやることにしたのさ」


「そうなんだ。じゃあおじいさんは、ここのヌシみたいなものね?」


「はははは、ヌシはよかった。周りの連中がわしなんかに気を使ってくれているんで、ここでこんな風に気楽に芸をやれるんだな。特にまあ、バンダナなんかは、ちと口は足らんが根っから気の優しい、あったかい男なんだよ?」


「ええ、知ってます。すごくやさしいひとです 」



 自分が誉められたみたいに嬉しくなって、まゆは思わず胸を張って答えた。それから、バンダナに対する想いがおじいさんに判ってしまったかな? と少し恥ずかしくなって、ごまかすように急いで話を続ける。



「ねえ、おじいさん。猫サーカスっていったい何をするの?」



 そう言われて老人はびっくりしたような顔をすると、それから急に大声で笑い出した。



「はははは、こりゃいかん。芸人が芸もしないで話し込んでいちゃあ、おまんまの食い上げだ。それじゃひとつ、見て行っておくれ 」



 そう言うと老人は、艶のあるバリトンでやさしく歌いだす。


 眠そうに目を閉じて老人のそばでまるまっていた猫は、歌を聞くとぴくんと耳を動かした。気持ちよさそう伸びをすると、あくびをしながらあおんと鳴いて老人の肩に飛び乗る。


 と、そのまま老人の毛糸の帽子の上まで歩いてゆき、そこで器用にまるまった。


 猫の帽子をかぶったまま、老人は自分の歌に合わせて踊り始める。


 踊りながら両手を真横に広げて、くるくると回った。すると猫は帽子の上からひょいと降りて、右腕の上を綱渡りのように歩き始めた。その間も老人はゆっくりと回っている。


 そしてなんと、右手の先まで行った猫は、老人の手のひらの上でいきなり逆立ちをした。


 ものの数秒ではあったが確かに逆立ちをしたあと、今度は右腕の上を頭に向かって戻ってくる。


 老人は身体を左に倒しはじめた。


 頭の上まで戻った猫は、老人が身体を左に傾けると、頭から右肩、右のわき腹と移動してゆく。


 右足を横に振り上げ、左手が地面に触るまで身体を倒した老人は、上げた足を下ろしながら身体をまっすぐに戻してゆく。


 するとわき腹に乗っていた猫は、トコトコと体の上を歩き、頭まで戻った。老人の身体はそのまま止まらずに、さっきと左右反対の動きをする。


 猫は同じように左のわき腹まで歩いていった。そのまま老人の体の上を、今度はわき腹で止まらずに左足の先まで歩いていってしまう。ゆっくりと身体を戻しても、猫はそのままつま先の上に乗りつづけている。


 完全に直立した老人の足の上で、猫はまたも、まるまっている。


 今度は右足が前に上がってゆく。


 猫はその先に乗ったまま知らん顔してアサッテを向いていたが、足が90度近くまで上がると突然ひょいっと飛び上がり、帽子の上に着地する。


 老人の歌う不思議な外国の歌をバックにして。


 彼と猫のパフォーマンスはそんな風に10分ほど続いた。





「さあて、申し訳ないがお嬢さん。今日はここまででおひらきだ。もう2,3人ほど見せてやりたい人間がいるんでね。体力温存しておかなけりゃ」



 そう言って老人はひょうきんに笑った。


 つられてまゆも笑う。猫までがあおんと笑ったような声をあげた。


 いつのまにかまゆの後ろに集まっていたギャラリーが、その猫笑いを聞いて歓声を上げながら盛大な拍手をする。それで初めてまゆは、自分の後ろにギャラリーがいたことに気づいた。


 そのくらい、老人と猫のパフォーマンスに没頭していたのだ。


 大事なことを聞きそびれたことに気づいた時には、すでに、老人と猫は夜のカーテンの向こうに退場していた。


 まゆは帰る道すがら、物思いにふける。


 老人は死んだはずではないのか? バンダナの勘違いなのか? いや、そんな大事なことを勘違いするだろうか。そこまで考えたとき突然、老人の残した言葉がまゆの頭によみがえる。



(もう2,3人ほど見せてやりたい人間がいる)



 私とおじいさんは今日始めて会ったばかりだ。


 私に見せたかったわけがない……すると、本当に見せたかったのは……



「バンダナさんに決まってる!」



 まゆは思わず叫んでしまった。


 慌ててあたりをうかがうが、まゆの声に反応する人はいなかった。


 ほっとしてから、改めて考える。



(おじいさんはきっと、今までお世話になった人にお礼に来たんだ。きっと月命日の15日になると、ああやってバンダナさんとか少しの知り合いにだけ、幽霊になってお礼を言いに来ていたんだ。だけど今日はバンダナさんがいなかったから、代わりに私に見せてくれたんだ……)



 幽霊だのお化けだのは大の苦手だったはずなのだが、老人のことを思い出しても、不思議と怖くはなかった。それどころか逆に、なんだか暖かい気持ちになる。



「明日、バンダナさんに教えてあげよう 」



 元気な声でそう言うと、まゆは家まで駆け出した。


 




 次の日。


 バンダナは、昨日の話を身振り手振りで一生懸命伝えるまゆの、くるくるとよく動く大きな瞳や顔を真っ赤にして熱っぽく語るその様子を見ているうちに、自然と口元をほころばせていた。


 最初は、苦労してようやく取ってきた、まゆが好きだといっていた音楽家のコンサートのチケットを、いつ渡して誘おうかと緊張していたのだが、ついに我慢できなくなって 吹き出してしまう。


 きょとんとするまゆの前でひと通り笑い転げると、バンダナは涙を拭きながらまゆを見つめた。


 頭の周りに疑問符をいっぱい浮かべたまゆが、バンダナは可愛らしくて仕方ない。



「まゆちゃん、ごめん。俺の言葉が足りなかった。死んだのは爺さんじゃなくて、猫なんだよ。このあいだ爺さんがこないって言ったのは、新しい猫に調教をつけている最中だったからなんだ 」



 たっぷり10秒間。あんぐりと口をあけたあと、まゆは今まで以上に顔を真っ赤にした。


 下唇をかんでもごもご言いながら、視線を泳がせている。やがて、



「 ひどい! ひどいよバンダナさん! どうして途中で教えてくれないのっ! 私の間違いをわかってて、ぜんぶ黙って聞いてるなんてひどい!」


「ごめん。でも、いっしょうけんめい話してるまゆちゃん、すごく可愛かったから……」



 言ってしまってから、バンダナは照れくさそうに横を向く。


 まゆはびっくりしてその横顔を見つめた。


 やがてバンダナは、視線を戻すとにっこりと笑った。



「俺、まゆちゃんが好きだ 」



 言われてまゆは、今までとは比べ物にならないほど顔を赤くしてしまう。


 何か言おうとするのだが、うまく言葉が出てこない。


 しばらくそのまま下を向いていたが、ふいに顔を上げると言った。



「ずるい」



 その顔が笑顔だったので、バンダナは、ほっとため息をつくと、もう一度言った。



「まゆちゃんが好きだ 」



 まゆは顔を赤らめながらも、こんどはしっかりとバンダナの顔を見つめる。


 その顔が愛らしくて愛らしくて、バンダナは照れ隠しにまたからかってしまう。



「まゆちゃんのとんちんかんな話、じいさんに聞かせてやらなくちゃ」



 それを聞いてまゆは、ぷうっと頬を膨らませた。



「もう!」



 言いながらこぶしを振り上げて、バンダナに向かってゆく。バンダナは笑い声を上げながら逃げだした。逃げるバンダナに追いついたまゆは、そのままバンダナの背中にしがみつく。



(意外と大きな背中だな)



 そのままおぶさってしまったまゆを背負って、バンダナは右手にギターケースを持つと、いつもの場所に向かって歩き出す。いつもの場所に行くと、そこにはすでに先客がいた。


 もちろん猫サーカスの老人である。


 老人は、まゆをおぶって歩いてくるバンダナを見つけて目をまるくしたあと、顔中をくしゃくしゃにして笑った。


 バンダナは苦笑いして頭を掻き、それから左手を上げて大きく振る。


 老人が手を振り返すと、そばにいた猫は勘違いしたのか、老人の頭に飛び乗ってあおんと鳴いた。


 まゆは幸せいっぱいで、バンダナの背中に顔をうずめる。



 それから小さな声で「にゃおん」と鳴いてみた。




 

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