彼と私の関係
両親が友人だったこともあり、二人は幼い頃から仲良しであった。
4つ年上の彼は兄のように彼女に接し、大切に思っていた。
反対に4つ年下の彼女は彼のことを兄のように思う気持ちから、次第に異性への憧れへと気持ちが変化していく。
繋いだ手が温かく、ぎゅっと握っていたいと思うのはいつも彼女だけで、彼はすぐに手を放してしまう。それが嫌で仕方なかった。
多くても年に数回しか会うことのない幼馴染と少しでも長く一緒にいたくて、帰り際で駄々をこねて両親を困らせる彼女に、まるで幼子をあやすように彼が優しく説得するのが当たり前だった。
そんな二人の関係に変化が訪れたのは、彼女が12歳、彼が16歳の時だった。
両親から婚約することを勧められたことがきっかけだった。
いつの頃からか淡い恋心を抱いていた彼女の思いに気付いた両親たちが、せっかくだからと話を進めてしまった。
これに反発をしたのは、当時反抗期を迎えていた彼だった。
勝手に決めつけられた婚約に抗議をし、心無い言葉で両親に猛反発をしたのだ。彼女がそれを聞いているとも知らず。
本心からではないと知っていても、彼女はとても傷ついた。その言葉は4年もたった今も彼女の心に巣食い苦しめていた。
柔らかな風が吹き、16歳になった彼女・マリアンは顔をあげる。赤茶色の髪が風に靡き、見上げた茶色の瞳に加え、やや平凡な顔立ちをしているものの、年頃の娘らしく頬と唇がバラ色をしている。
いつの間にか黒い雲が空を覆い始めており、嵐が来る前触れのような強い風が吹き始めていく。
「彼が来るときはいつも雨ね」
嬉しかったはずの訪問は、いつの頃からか息苦しさを感じるようになっていた。
過去に聞いた彼の心無い言葉を思い返してしまい、こうして訪問をし続けてくれることさえ、もう潮時なのかもしれない。
否定的な思いがいつからか生まれてきていた。
幼き頃は二人きりになると部屋から出て庭で探索をしたりして楽しんでいた日々が、婚約関係を結んでからはなぜか雨が続くようになり、部屋の中でお喋りをすることが多くなった。
最初の頃こそ近況報告をしていたが、最近は視線をそらされることが増えてきたため、互いに何を話すこともなく静かに時間が過ぎていくときもあった。
沈黙が重く、うまく話を探せないことに焦りを感じ、最後はため息をつくことしかできなかった。そんな時間に意味があるのだろうかと考えている。
やっぱり潮時なのだ。
降り出す前にと早歩きで進んでいると、前方から彼の姿を見つけた。
いつもの時間より少し早い到着だ。もしかして心配して迎えに来てくれたのだろうか。
「マリアン、久しぶりだな。元気だったか?」
柔らかな笑みを浮かべる彼は幼い頃よりも精悍な顔つきで、名高い騎士として活躍しているにしては線がやや細い。黒髪は後ろに丁寧に撫でつけられており、碧眼の瞳は幼い頃からマリアンの気に入った色だ。
少し離れた位置で止まり、にっこりと微笑む。
「今日はお早いお着きでしたのね。お迎えに上がれず申し訳ございません」
「いや、たまたま仕事が早く終わったので、馬で駈けてきたのだ。到着の時間を狂わせて済まない」
「朝から準備をしておりましたので、大丈夫ですわ」
このままこの場所にいるわけにもいかず、ゆっくりとした足取りで彼のもとへ行く。昔であれば少しでも早く来てくれたことが嬉しくて、猪突猛進のイノシシのように彼へと駆けていったであろう。
けれどもうそんなことはしない。立派な淑女としてその行為を避けるべきでもあるが、今さら彼へと急ぐ必要がないだけだ。
少しずつ作っていた変化に彼が気付いているのかマリアンには分らなかったが、気づいてほしいようなほしくないような複雑な心境でもある。どうして変わったのかと聞かれても、返答に困る。
「足元に気を付けて」
横に並べば、そっと手を差し出される。その意図に気付き、困ったように見上げてからそっと腕へと手を置く。
「お部屋のほうでお待ちいただいて大丈夫でしたのに。なにしろここは、幼い頃からの遊び場、私の庭ですもの。何もありませんわ」
「その申し出はありがたいが、少しでも早く君に会いたいと思って出てきてしまっただけだよ」
「ふふふ、もう無理して言わなくても私、拗ねたりしませんよ。子供ではありませんので」
駄々をこねて彼へ恋人のように振る舞わせていたのは、婚約関係がまだ結ばれる前の話だ。
あの婚約話が出て以来、彼は極力そのような行動は慎んでいたはずなのに、思い出したかのように口にするようになり、マリアンは必要ないと微笑む。
そんなマリアンに気にすることもなく、彼が言葉を紡ぐ。かつて望んだ言葉を、今は必要としない言葉を。
「私が思ったことを口にしただけだよ。困らせたのなら申し訳ない」
「御冗談を。さて、少しお待ちください、着替えてまいりますわ」
玄関へとたどり着くと、中へ入り執事へと彼を託す。それから触れていた腕から手を放し、一礼をして背を向ける。
これ以上彼の傍にいたくない。心無いことを口にされて喜べるほど、もうマリアンは子供ではなかった。
本気で拒否をするだけの勇気もなく、流すだけで精一杯なのだ。後ろはもう振り返らない、前だけを見て進む。
決意にあふれるマリアンの背中を、切なげな瞳で見つめる彼がいたことを、彼女は知らない。
部屋へ戻ってきたマリアンは、その場に座り込んだ。
ずるい男だと思う。散々、両親に妹としてしか見ることが出来ない、すぐにでも婚約を解消させるべきだと口にしていたのに、幼い頃を思い出したようにあんな言葉をささやくだなんて。
どのような意図があって口にした言葉かはわからないが、彼に少なからず翻弄されたことが悔しくて、感情のコントロールを失ってしまう。
諦めよう、もう無理だと両親に伝えよう。彼が私を思うことは絶対にないと理解しているからこそ、マリアンは苦しい。
なのに、時折甘い言葉を彼は口にする。惑わすように、マリアンが彼を思う気持ちを忘れさせないためか確認するかのように。
しっかりしなくては、と自分を叱咤すると、用意されていたドレスへと侍女とともに着替えた。
淡いモスグリーンのドレスがマリアンに一番似合うといったのは、彼が最初だった。
その言葉に浮かれ、有頂天になりながらそれを好んで着るようになったのは当然のことで、彼もどういうつもりか似合うよと優しく笑んでくれた。当時の私がどれ程嬉しかったか、絶対に彼は知らないだろう。
だからマリアンの衣装はモスグリーンなどの緑系の色のドレスが多かった。
見慣れた自分のドレス姿でも、ほかの色合いを試してみてもやっぱりこの色が一番自分らしい色だと思えて、挑戦をすることが出来なかった。
挑戦をして似合わないと彼に言われるのが、ただただ怖かったのが本音。
けれど婚約を解消することが決まったら、ほかにも自分に似合う色があるのかもしれない。もう似合う似合わないと怯える必要はないのだから、ゆっくりと探していこう。
そう考えると口角をあげて気分を浮上させてみる。このままの暗い表情で戻ったら彼から心配され、なんと返答してよいかわからず困るだろうから。
彼女は私にとって大事な妹だから、それ以上の言葉が見つからないほど大切な女の子。
その言葉が耳から離れない。
私はあなたの本当の妹ではない。そう口にしてみても、彼の耳には届かないだろう。
きっと彼の中でマリアンは妹という位置づけから移動することが出来ないのだ。
「お待たせいたしました」
部屋に入ると、両親と談笑している彼の姿が目に入ってきた。20歳となった彼は以前とは違い落ち着いた佇まいと碧眼の瞳が印象的で、見る人を魅了させる。
社交デビューをしたばかりのマリアンでは、ほかの誰よりも格好よく見えてしまうのだ。
だからきっと目を奪われてしまう。瞳をそらせない。好きだという気持ちが込み上げてきて、涙が浮かんでくるのだ。
自分だけが好きなことが許せなくて、都合のいい言い訳を探してみながら微笑む。きっとほかの男性と知り合えば、彼だけにときめくことはない、マリアンがただ世間知らずなだけなのだ。そうだったらいいなと思いながら。
「マリアンはこちらへ。今ちょうど、ご両親とは君との結婚式の話をしていたよ」
スマートに立ち上がり、彼がマリアンを隣へと誘導する。婚約者としてふさわしい対応であろう彼ではあるが、マリアンには必要のないエスコートだ。
「結婚式ですか?」
「そう。君も先月に社交デビューしたことだし、婚約期間が4年過ぎたことだし、そろそろ結婚してもいい頃合いだと思うのだけれど、マリアンはどう思う?」
そう尋ねているように見えて、実はもう決定事項のように聞こえるのはどうしてでしょうか。
このまま流されてはいけない。マリアンはぐっと力を込めて彼をにらむ。
「申し訳ないのですが私は」
「マリアンのウエディングドレス姿は、とてもきれいだと思うよ」
「あ、りがとう、ございます?」
甘い言葉に加えて頬に触れてくる指先が優しくて、今までそんなことをされたことがなかったマリアンは硬直をしてしまった。
なんと返事をするべきかわからず、出てきた言葉は感謝する言葉。
その言葉は間違っている、そうではないだろうと自分を叱咤し、どのタイミングで断りの言葉を入れていいのかわからず、戸惑う。
きっと彼は両親からどうなっているのかと探りを入れられて、適当に返事をしているのだと検討づけてみる。
どちらにしろ、この婚約に一番反対をしていた彼が軟化している姿に、マリアンは戸惑うばかりだ。
最近、彼はずっとこの調子でマリアンの調子を狂わせる。
あんなにもかたくなに婚約を拒んでいた彼に何があったというのだろうか。
流されていても仕方がないと、意を決して口を開く。
「私はあなたと結婚なんて」
できないと言おうとして、彼の人差し指一つで閉ざしてしまう。
彼の碧眼の瞳が物憂げで、指先一つ動けない。
「申し訳ありませんが、どうやら私たちの間の意思疎通ができていないようです。できたら少しの間、二人で話し合いを進めても構いませんか?」
「もちろんですわ。この子にもやりたいことがあるでしょうし、そちらのご両親ともお話し合いはさせていただいているので大丈夫です。何しろこの子、あなたの言葉は斜め上の解釈をしているうえに、あなたはあなたでヘタレであるし。見ていて歯がゆいのよ、早く進展して頂戴ね」
父ではなく母が返事をして、二人連れだって部屋から出て行ってしまう。その際、父が何か言いたげな表情をして動かなかったのに、母が押しだすように部屋から出て行った。あまり見られない光景に驚き、そのまま見送ったことに後悔をする。
ちょっと待って、まだ二人きりになる了承の返事もしていないのにと立ち上がり手を伸ばしかけて、その手も隣で同じように立ち上がった彼の手によってつながれてしまった。
温かい、彼の手のひら。マリアンより高い体温のせいで、いつ手をつないでも温かくて、それだけで幸せな気分を味わっていた。
戸惑いながら見上げる彼は幼い頃とは違い目線が高くなっており、首が痛くなるほど。そんなマリアンを気遣うように、もう一度彼がソファへと座らせてくれた。
「どうしてですか、なぜあなたは私の両親にあのような誤解をさせるのですか」
「どうしてって、今の私と君は婚約者なのだから、結婚式を挙げるのは自然の経過ではないのかな?」
何を言っているのだ、この人は。どの口がそのようなことを言えるというのだ。
思わずマリアンの口調が荒くなる。
「私たちは婚約は致しましたが、結婚はしませんよね?」
確認のための一言だった。
だってそうだろう、マリアンにとってこの婚約は喜ばしいものであったのだが、彼にとっては苦痛以外の何物でもなかったと本人の口から盗み聞ぎとはいえ聞いているのだから。
妹である自分が大事で、婚約は結べないと。
「どうしてそう思う?」
悲しげな眼差しが憎たらしい。
好きなのは自分だけ。彼を愛しいと思うのも自分だけなのに。
過去を思い出してもマリアンには苦い記憶がいくつも思い出される。
決して彼はマリアンを恋人として扱ってくれたことがなかったのだから。
「あなたがそう仕向けたのでしょう?」
「私が?」
「そうよ。あなたは私のことを妹として大事にしてくださっているのは理解しています。それにあなたは私とのこの婚約を拒んでいたことを忘れてはいませんもの。だったら答えは簡単、あなたは私との結婚を望んでいない」
「違うんだ、マリアン。私はそんなつもりはなく、ただ君に」
「もうやめてください。これ以上私を貶めて楽しいですか? 私はあなたのことを一度でも兄のように思ったことはなかったのに」
不意に出てくる涙に、マリアンはぎゅっと唇をかみしめる。
「この婚約は最初からなされるべきではありませんでした。今すぐにでも解消させましょう」
「今さら君はこの婚約を破棄をするというのか?」
彼の声が低く唸るような声だったのに気づくことなく、マリアンは高ぶった感情のまま叫ぶ。
話し合いなど必要ない、今すぐここで解消させてしまえばいいだけのことだ。
「そうです。あなたがずっと望んでいたことです、嬉しいでしょう」
「一度でも私が解消することを望んでいたと君は思っていたのか?」
「そう捉えられても文句は言えないはずです。ご両親へ散々この婚約について意見を述べられていたことを、私は知っておりますもの」
進言するようにマリアンの両親へと婚約を破棄するように話をしていた彼の姿を、何度も目にした。
彼は気を使ってマリアンがいない時間を選んでいたようだが、全部を隠すことはできていない。
ある時はこっそりと隣の部屋から聞いたり、ひどいときには扉の前で身をかがめて聞いていたこともあった。
そんな時、彼は決まってマリアンを妹のように思っていて、大事だからこそ愛せる自信がないと口にしていた。
好きな気持ちは一生変わらない、けれどそれだけでは終われないのが事実だ。あなた方は大事な娘がそんな気持ちを抱く私の嫁になるのを許せるというのか。
胸をえぐるようなその言葉に、マリアンは現実を知るのだ。幼馴染で恋に落ち、結婚をして幸せになれるのは一握りの人たちだけだと。
それにマリアンたちは該当しない。ただ、それだけのこと。
「どうしてそれを」
「聞いていたのかですって? あれだけ大声で話されれば、聞こえてきますわ。お願いです、もう私を苦しめるのはやめてください。諦める決心を、やっと持てそうなのです」
「マリアン、それは誤解だ。君に知られていない部分がある」
「私たちの関係は、幼馴染だけにいたしましょう?」
見上げたマリアンの頬は涙でぬれていた。
あの日見た、彼にとって妹でしかなかったマリアンが、一人の女性だったのだと気づかされた時と同じ、涙でぬれた笑顔。
「しかし、マリアン」
諦めたくない。
そんな言葉が彼の頭を埋め尽くすのとは違い、マリアンの気持ちは固まっていた。
ずっと言葉にしたくてできなかった思いを、ついに伝えることが出来たのだ。
「これ以上、私は傷つきたくない。むしろこれは、あなたの願い通りになりますよね? さようなら、二度とお会いできないことを祈りますわ」
彼へと顔を近づけると、その頬にキスを送る。最後なのだから見逃してもらえるだろう、愛しい気持ちをキスへと託した。
呆然としている彼を見てから、淡く微笑む。
願わくば、彼にとって少しでもきれいだととらえてもらえる笑顔になっているといい。
「待ってくれ、マリアン」
一歩遅れて彼が立ち上がったものの、マリアンは扉の奥に消えていた。
最後に見たマリアンのあの笑顔に、見惚れてしまった隙に。
この日を境に、彼がマリアンのもとへと訪問する頻度が増えてしまった。
今までのように雨が降ることもなく、快晴の日々に彼はやってくる。まるでマリアンとは真逆の天候に、やや荒んでしまう。
婚約を解消するように両親へと進言したマリアンは、戸惑っている二人にもうその話はしないでほしいと願い出た。だから、約束をするわけでもなくやってくる彼に会う気はないと意思表示をし、拒んでいたのにも関わらず、諦めるつもりがないかのようにやってくる。
もうあれで最後にするつもりでいたのにと文句を口にしていても、浮かれてしまう気持ちは隠しようがない。
困惑をしているはずなのに、彼の訪問をそれでも喜んでしまう。
あれだけ長い期間彼に恋をしていたのだ、あの日を境に嫌いになることも、気持ちをなくすこともできるわけがなく、結局まだ諦めることが出来ていない証拠だ。
両親からは再三、彼と会うことをお願いされている。何しろこの婚約は双方の親というよりは、マリアンの淡い恋心のために結ばれたものだったからと思っている。
だったら、もういいではないか。そのマリアンは婚約を破棄したいと願い出たのだから。
だって、マリアンは彼の気持ちは知らない。両親たちはマリアンの気持ち一つだけで婚約を取り決めた。
今思えば、勝手に婚約者に仕立て上げた両親たちからも傷をつけられたのだと気づく。
その事実に改めて気づかされ、マリアンは己の気持ちを封印することに決めた。この気持ちさえなければ、このふざけた婚約も取り消されるのだろう。
もっと早くそのことに気付き、彼を解放させてあげなくてはならなかったのに、しばりつけているだけのこの婚約でも喜んでしまったばかりに、長い時間も無駄にさせてしまった。
君は妹のようにかわいくて大切だ。
優しくも残酷な彼の言葉は、いつだってマリアンを女性として見てくれない。
ただそれだけが、悲しい。
嫌いになっても構わないから、妹から抜け出してみたかった。
両家の返答は婚約を続行し、来年には結婚をすることを通達されてしまった。
やっとあきらめる決心をしたのにもかかわらず、破棄することはかなわなくなってしまった。
くすぶっていたのはいつだって彼の気持ちが知りたいだけで、それを聞いたらあきらめもつくかもしれない。
結婚して夫婦となり、思い描く仲の良い関係にはなれなくとも、兄妹のような関係を続けられるのかもしれない。だったら、それでいいではないか。それ以上の高望みはしなくても。
おままごとのような夫婦になってもおかしくはないだおると、自分を慰める。
だから、彼に会う決心をした。恋人同士になれなくても、昔のように兄妹のように戻ろうと。
「今まで訪問していただいたのに、お会いすることなくお帰りをさせてしまったことをお詫びいたしますわ」
丁寧に、優雅にを意識して一礼をし、微笑む。
「今日は本当にこれが最後だと思って伝えたいことがあります」
「マリアン?」
話をしたいと彼から聞いていたが、彼の話を聞いてからでは、もしかしたら決心が鈍るかもしれないし、予想とは違う言葉がきたら立ち直ることが出来なさそうなので、申し訳ないが先に言わせてもらう。
「この現状のままで話が進んでいくことにやっと気づきました。双方の親はすでに解消や破棄を全く考えていないことにも気づかされました。そうなりますと、私たちは結婚をいたしますわね。そうなったとき、きっと私とあなたとではうまくいかないと思うのです。だって今、私たちはすでに破たんしているように思えますし」
「そうさせないように努力するよ」
間髪入れずに口を開く彼に、くすりと笑う。兄と妹のような幼馴染の関係なのだから、破たんという言葉は違うかもしれない。
けれど彼が言いたいのはそうではないのだと感じ取り、あえて嫌味で返す。
「二人で頑張れば、の話でしょう?」
「君はもう、私のことを捨てる気でいるのだね」
「それとは違います。そうではなくてですね」
何を言い出すのかとぎょっとする。男女間のようなやり取りへと変貌したように感じ、その手に疎いマリアンは慌てて否定する。
「そうではありません。つまり私が言いたいことは」
そのままマリアンは固まってしまった。
愛の告白などしたこともないし、練習さえしていなかったことに今さら気づいてしまった。
しかもその言葉は喧嘩腰な口調で伝えるべきではないはずだ。
「こほん、そうではなくてですね」
いったん気持ちを落ち着かせたほうがいいと深呼吸をする。
「そんなに私には伝えにくい言葉のように感じるが、何を言いたいのか見当がつかない」
もし口にすれば、簡単にこの婚約は解消されるだろう。
ほら見たことか、二人の気持ちを伴わない婚約などする必要がないと。鬼の首を取ったように。
そんな彼の姿を思い浮かべ、うっすらと涙が浮かぶ。
想像だけで涙が出てくるのに、告白後は見なくてはならないことがつらい。
でもこのままにしておくのも、いろいろと限界がある。
ならばいっそのことこの思いごと殺してほしい。
「私はあなたのことをずっと好きでした」
勢いのままの口調だったので、愛の告白というよりは喧嘩を売っているようだ。
それでも、ちゃんと口に出せたことにマリアンは喜ぶ。
思うような言葉で切り捨ててくれて構わないと目を閉じて彼の言葉を待っているけれど、なかなか返事がもらえない。
そっと窺ってみれば、彼の顔が赤く染まって固まっている姿があった。
「どうなさったの? お顔が真っ赤ですが、ご病気になられたのですか?」
心配になりのぞき込んでみれば、口元を隠しながら動揺するように碧眼の瞳が左右に動く。
「え? えっと、君は私のことを?」
「ええ、好きでしたわ」
「でした?」
気になるのはそこですか?
睨まれたので一応否定しようとは思いつつ、そうする必要もないのだと思いなおす。
「答えて、マリアン。君はすでに私のことを好きではないと?」
「え、ええ?」
「それは肯定?」
声が低くなり、目つきが鋭くなったところで、そうではないと否定する。そうしなければならない何かを感じ取った。
「ち、違います。まだ好きです」
「それはよかった」
その言葉に、彼へと抱き寄せられる。腕の中で戸惑う彼女に気付きながら、彼は深い息を吐いた。
「私も君のことが好きだよ」
「はい?」
「先に言わせてしまって、申し訳ない。ふがいないな、本来なら男の私のほうからいうのが望ましいのに、過去形であったことに敏感に反応してしまう臆病な私を許してほしい」
「どうして?」
愛しいと耳元でささやかれて、これが夢ではなく現実なのだと気づく。
ずっとこの腕の中に納まりたいと望んでいたけれど、本当に抱き寄せられるとは思っていなかったから軽い混乱に陥ってしまう。
「君からの愛の告白で、こんなにも幸せになれるとは思わなかったな。君を傷つけてしまった私をどうか許してほしい」
涙でぬれたマリアンの頬に、キスを送る彼は愛の言葉をささやく。
愛していると、何度も。
「私も、愛しております」
夢でもいい。覚めてこれが夢だったと思わされても、今が幸せならこれでいい。
でももし、奇跡が起きていたのなら。
こんな幸せなことはない。
二人は侍女が呼びに来るまで、ただ静かに抱き合っていた。